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騎士物語  作者: 連星れん
後編

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大陸暦1527年――姫と騎士2


 不意に目が覚めた。

 重い瞼を上げると焦点の合わない視界に暗く青白い色が入ってくる。そこから今がまだ夜だと知る。青白いのは窓から月明かりが差し込んでいるからだろうと。

 意識はまだぼんやりとしていた。目覚める直前まで夢を見ていた気がするけれど、内容は覚えていない。それは珍しいことではなかった。目を覚ませばいつも夢の内容は忘れているし、そもそも子供の頃から眠りが深いのか夢自体もほとんど見ない。

 そんな私でも昏睡状態の時はずっと夢を見ていた。

 しかも今でもその内容は全て覚えている。

 だってその時に見ていたのは彼女との記憶ばかりだったから。

 起きてる時だって一時も忘れることはなかった、セドナとの大切な思い出だったから――。


「……?」


 セドナのことを思い浮かべたからか、もしくは意識が覚醒してきたからか、そこで私はやっと違和感に気がついた。

 いつも左手にある温もりが無いことに。

 私は顔を上げて隣を見た。そこには就寝前にはいたはずのセドナの姿が無い。

 ベッドから上体を起こして寝室を見渡す。すると窓から部屋に伸びる一筋の影を見つけた。その影を辿ると、バルコニーにいるセドナに行き着いた。彼女は夜空を見上げている。

 私はベッドから下り、バルコニーの窓を開けた。窓が細い音を立てる。それは本当に小さな音だったけれど、耳が良いのかセドナはその音に気づくとこちらに振り向いた。


「眠れないの?」


 声をかけると、セドナは申し訳なさそうに言った。


「いや。ごめん。起こした?」

「ううん」


 私はセドナの右隣に立つと、彼女の手に触れた。それに気づいたセドナは小さく微笑むと、握っていた手を広げて私を向かい入れる。

 セドナと手を繋ぐと、先ほどからの違和感が収まるのを感じた。

 どうやらこの行為に安心を覚えていたのは彼女だけではなかったらしい。

 私は先ほどまで彼女が見ていた夜空を見上げた。

 雲一つない夜空には満天の星が広がっている。


「今夜は星がよく見えるね」

「うん」

「野営をしている時も、こうしてよく星空を見上げてたな。セドナも見てるかなって」

「見てたよ。いつも、君のことを考えてた」


 その時のことを思い出したのか、セドナは少し寂しそうな顔をした。

 きっと彼女のことだ、悪いほう悪いほうに考えながら私のことを想ってくれていたのだろう。……あぁでもそれは私も同じか。私もセドナの安否ばかりを気にしていたから。


「セドナ。あの星の名前、知ってる?」


 私は空いてる右手で夜空に一際輝く一つの星を指さした。とは言っても指が曲がらないので全部の指で示す形になってしまったけれど、それでもセドナには伝わったようで彼女は軽く頭を振った。


「いや」

「グリステン・スターて言うの」

「グリステン・スターってあの、せい勇者が振るってた星剣せいけん?」


 星剣グリステン・スター。

 大昔の大戦、瘴竜しょうりゅう大戦で瘴竜王を打ち倒した星の力を宿した剣。

 星勇者にしか扱えないとされている神々が作り出した神具。

 子供達がごっこ遊びで振るう棒はだいたい星剣になるぐらいには世界で最も有名な伝説の武器で、簡単にしか大戦の歴史を学べなかったと言っていたセドナでも、瘴竜王と星六英雄の本を読んであげる前から星剣のことは流石に知っていた。


「そう。でも実際は本当に振るっていたのかは分からないんだって。星勇者はみんなの希望で、世界に平和をもたらしたから、それが由来って説もあるの。グリステン・スターの意味は古代言語、紋語で誰かの一番星、希望って意味だから」

「へぇ。いい意味だね」

「ね。素敵よね」


 そう笑い合うと、セドナは再び空を見上げた。

 目を細めて星を見るその横顔は、どこか憑きものが落ちたかのように清々しく見える。

 私は彼女のそんな表情を一度だけ見たことがあった。帝国での最後の夏、セドナが帝国騎士の在り方に疑問を抱きながらも、それでも進むと決めた時――。

 ――……そうか、セドナはもう決めてるんだ。

 そう思った途端、胸がきゅっ締め付けられるのを感じた。

 セドナが前に進もうとするのは、騎士に戻るのは喜ばしいことだ――確かに私はそう思っているのに、気持ちに反して胸は苦しくなる。

 繋がれた手から伝わるこの温もりが遠く離れてしまうことに、寂しさを感じている。

 そのことが無意識に彼女の手を強く握ってしまっていた。

 それに気づいてセドナがこちらに顔を向けると、眉を下げた。


「エル?」


 窺うような、心配するような、優しい声。

 おそらく顔にも心境が出てしまっていたのだろう。

 ……全く、人のことを言えないなと思った。

 私も十分、彼女に関しては心が弱いみたいだ。


「決めたの?」


 私はセドナに言った。彼女から話してくれるのを待っているつもりだったけれど、もうこの状況では訊かずにはいられなかった。

 彼女は自分の表情の意味に気づいたのか優しく微笑むと、前を向いて言った。


「ずっと考えてたんだ」

「うん」

「自分にもまだ祖国で出来ることが、この剣で救えるものがあるんじゃないかって。そのほうが父も母も兄も喜んでくれるんじゃないかって」

「うん」

「だけど、そんなことを考えてると夢を見たんだ。出撃する前の、家族との別れの夢。そのときお父様が言ったんだ。『セドナ、お前は帝国騎士である前に一人の人間だ。国のことも、家のことも、私達のことも気にするな。お前は心のままに、お前の剣を振るえ』って」


 ……セドナのお父様は分かっていたんだ。

 娘が家族のことを考えて望まない剣を振るおうとしていることを。

 お父様だけじゃない。セドナのお母様もセバルも、きっと分かっていた。

 あの人達は本当にセドナを愛していたから。

 私は優しいバルゼア家の人々を思い出して胸が詰まった。

 今だって本当は信じられない。あの人達がもういないだなんて。


「でも私は戦争中、この言葉を忘れていた。ううん、きっと目を背けてたんだ。お父様からそう言われた時、そんなこと出来やしないって思ったから。その結果、自分の心をおざなりにして、君を失いかけた。そして私はまた国や家族のことばかり考えてた。……うん。きっとそんな私にお父様は夢にまで出てきてくれて教えてくれたんだと思う」


 セドナは笑みを漏らすと、こちらへと向き直って続けた。


「私が剣を捧げた皇帝陛下はもういない。けれど心は残っている。私が一番大切なのは君だから。もう二度と失いたくはないから。だから、エルデーン」


 私と繋いでいる手を持ち上げて両手で包んだ。


「私は今度こそ、心のままに君を守るよ」


 思いもしなかった言葉に、目の奥が一気に熱くなる。

 ――帝国は、セドナが愛する家族と過ごした大切な場所だ。

 たとえ帝国が無くなるとしても、家族がいなくても、彼女にとっては帰るべき故郷なのだ。

 けれどセドナは帝国には帰らないと決めた。

 私の側にいることを選んだ。

 故郷よりも、異国の地で私と共に生きることを選んでくれた。

 それが嬉しくて、本当に嬉しくて、今にも泣き出してしまいそうだった。

 ――でも、泣くのは我慢した。

 目を逸らさず、ただ一途に、真っ直ぐな眼差しで私を見てくれている彼女を、

 こんな清々しい顔をしている彼女の表情を心配へと変えたくはなかったから。

 しばらく感無量の思いで私が何も言えずにいると、セドナが目を逸らして言った。


「もちろんその、君の許しを得られたら、だけど」


 自信なさげにしているセドナに、私は思わず嬉し涙の代わりに笑いを漏らしていた。


「随分と気弱な騎士さまね」


 言われてセドナは返す言葉もないという様子で頬をかいている。綺麗に締め切れないのが何とも彼女らしい。

 いつもなら恥ずかしがる彼女を微笑ましく見守るところだけれど、でも今日はセドナにとっても私にとってもきっと大事な日になる。

 だから今日ぐらいは綺麗に締めてほしいなと私は我儘にそう思った。


「セドナ。騎士物語の最後、覚えてる?」

「え、もちろん」


 問われてセドナは反射的にこちらを見ると、すぐに私が言わんとしたことが分かったのか、真一文字に口を結んだ。そして照れくさそうに目を泳がしていたけれど、やがて覚悟を決めたのか観念したのか、その場に片膝をついた。

 そして胸に手を当てると私を見上げて、誓いの言葉を口にした。


「――我が剣は、皇帝陛下のものですが、我が心は貴女だけのものです。私は心のままに、お側で貴女をお守りします」


 手を差し伸べてきたセドナの手を取ると、私は本心を込めて応えた。


「私の騎士よ。私の心も、貴女だけのものです」


 本の騎士物語はここで終わる。

 けれどセドナの物語はここから始まる。

 ここにはもう、騎士に憧れる少女はいない。

 少女がその騎士そのものになったのだから。

 私は彼女の姫として、それを見守ろう。


 彼女の側で、私が一番見たかった物語、セドナの騎士物語を――。



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