大陸暦1517年――01 出会い5
あれは今年初めことだ。
毎年恒例、春期を暖かな別荘地で過ごした私たち家族が、帝都に向かって馬車で帰路についていたときだった。
馬車というゆりかごに揺られ、母に寄りかかりまどろんでいた私は、馬車の急停車で目を覚ました。
車内がざわつく中、覚めきらない視界に最初に入ってきたのは、今まで見たこともないぐらいに強張った表情で窓の外を見ている兄の姿だった。
私は兄の様子を不思議に思いながらも、兄が見ているもののほうが気になり窓を覗いた。
外には多くの人影が見えた。
それらはまばらな武装に身を包み、馬車を包囲するように取り囲んでいる。
そう、私たちは野党の集団に襲われたのだ。
もちろんそういうことを想定して護衛は連れていた。
数では負けていたけれど、こちらは訓練された兵士たちだ。野党などに負けるはずがない、とその場にいた誰もが思っていた。けれど予想に反して、護衛は野党を前に次々と倒れていった。野党はただのならず者の寄せ集めではなかったのだ。
劣勢を感じ取った馬車の中は、それまで感じたことのない緊迫感に包まれた。
車内にいた使用人のオグは、扉が開けられたらいつでも斬りかかれるようにと剣の柄を握り、父も護身用の短剣を手に持っていた。母は子供たちを抱き寄せ、安心させるために何度も『大丈夫よ』と言った。
私は生まれて初めて体験する、死が差し迫る空気に脅えながら、ひたすら母にしがみついていた。
ほどなくして全ての護衛が倒れると、野党の一人が馬車の扉に手をかけた。
ガチャ、という音に続いて扉が開かれようとしたそのとき、馬の嘶きと共に、多くの威勢のいい声が聞こえてきた。
それは馬に乗った騎士たちだった。
黒が主流の騎士服に、黒檀の軽装鎧を身にまとった騎士たちは、地に足が付いた野党を圧倒的な機動力で一掃した。
私はそれを、馬車の窓から食い入るように見ていた。
私たちを助けてくれたのは、零黒騎士団第七小隊だった。
零黒騎士たちは皇帝陛下の命で、最近、帝国中を荒らし回っている山賊団を討伐するべく巡回していたらしい。そう、私たちを襲ったのはまさにその山賊団の一員だったのだ。
家族は騎士たちにお礼と敬意を表わし、そして私も、近くにいた一人の騎士にお礼を言った。
その騎士は片膝をつくと、私に目線を合わせてくれた。
顔に大きな傷がある、精悍な顔つきの青年だった。
彼は表情を緩めると、私に言った。
『帝国の民をお守りするのは、帝国騎士として当然の勤めです』
揺るぎない意思に満ちたその姿は、
幼い子どもが憧れを抱くのには十分だった――。
「すごく、かっこよかったよなぁ」
あの時の光景を思い出すように言う兄に、私は何度も強く頷いた。
そして宣言する。
「セドナもれーこく騎士団に入る!」
軍事国家である帝国は、大陸で一番多くの騎士団を保有していた。
その中でもっとも有名なのが、私たちを助けてくれた零黒騎士団だ。
零黒騎士団は皇帝陛下直属の正規軍であり、選ばれたものにしか入隊が許されない、帝国の数ある騎士団の中で最も栄誉ある騎士の集団だった。
だから騎士になれても簡単に入隊できるものではない。そのことは兄に教えられ知っていた。それでも私は入隊するなら零黒騎士団しかないと思っていた。それは帝国で一番の騎士団だからではなく、家族を助けてくれた騎士団に入りたいという、子供ながらの純粋な動機だった。
兄は微笑むと、私たちの間に拳を握った。
「そうか。それならなおさら勉強もしなくちゃ。じゃないと零黒騎士にはなれないぞ」
「わかった! でもでも、もう一回だけやっていい? お兄さまにセドナのゆーしを見せたいの!」
枝を握って突き出す私を見て、兄は朗らかに笑う。
「勇姿か。セドナは難しい言葉を知ってるなぁ。よし分かった。お兄さまがセドナの勇姿を見届けるぞ。ただし、もう一回手合わせしたら、ちゃんとお部屋に戻って勉強するんだぞ」
「うん!」
私は張り切ってオグの手を引いた。オグは軽く抵抗しながら困ったように母を見る。母は苦笑すると、頷いてそれを許した。そして私たちを見送りながら、隣にいる息子に言った。
「もう、妹に甘いのだから」
そう小言を言いつつも、母の口端が上がっているのを私は見逃さなかった。結局は母も子供に甘いことを私は知っている。
兄は私の勇姿を見守りながら言った。
「母上、父上の跡は僕が継ぐからさ、セドナには好きにさせてあげてよ」
……そんなことも言っていたのだと、今になって思い出す。
耳の良い自分には届いていたのに、あのときの私は、兄に勇姿を見せるのに夢中で気にも留めていなかった。
「貴方はそれでいいの?」母の窺うような声が、私の耳に入ってくる。
母は気づいている。ちゃんと見ている。
騎士の話をするときの息子の瞳の輝きを。
兄も騎士に憧れを抱いていたことを。
本当は騎士になりたかったことを。
それに比べ私は何も見ていなかった。兄とあれだけ騎士の話をしたのに、兄の気持ちに気づいてあげられなかった。
枝を振るう私の視界に兄が映る。兄は、優しい眼差しで微笑んでいた。
「うん。セドナが幸せなら、僕は幸せだ」
それでもこんな自分勝手な妹のために、兄は父の跡を継ぐことを決めた。私が騎士を目指すならと自分の夢を諦めた。
自分のことよりも、妹の幸せを第一に考えてくれていた、たった一人の優しい兄。……もう、会うことは叶わないだろう。