大陸暦1527年――星教会2
ここでお祈りをするのは開戦直後、出撃前に訪れたとき以来だ。
帝国に国境都市が襲撃されてすぐ、私が所属していた第五騎士隊は第一陣として星都防衛に出ることになった。
それを隊長から告げられた時、動揺が広がる隊員達の中で私は冷静にその事実を受け入れていた。
戦争が起こってしまったことに関しては、仕方のないことだと考えていた。
自分が生きている時代に戦争が起こらない保障など何処にも無い。近いところでは四年前にも諸国連合で紛争が起こっているし、星王国も騎士団を派遣して鎮圧に助力したことで多くの騎士が亡くなった。私はそういう事態が起こりえることも考えた上で覚悟して騎士の道を選んだ。
だからたとえ剣を振るう相手が瘴魔や賊から軍隊に変わろうと、やることは同じだと思っていた。相手によって意思が揺らぐことはないと。その辺、私は割り切れるほうだったから。
けれど戦争相手が帝国ということだけは、私の中に僅かな引っかかりを生んでいた。でも同時に安心もしていた。
それはセドナが所属する零黒騎士団が前線投入されることは無いと思っていたからだ。
零黒騎士団は皇帝直属の騎士団であり、皇都と皇帝を守るのが主要な任務だ。皇帝が他国に赴く際には同行するが、有事では皇帝が前線で指揮を取らない限り駆り出されることはまずない。軍部も星王国に攻め入るのは、国境都市を襲撃した零紅騎士団か他の騎士団だと読んでいた。
つまりはこちらが守り切ることが出来れば、私はセドナのいる零黒騎士団と戦わずに済む。たとえ幾分かの領土を取られようとも、お互いの首都に攻め込むまで、どちらかの国が滅ぶまでこの戦争は続かない――そう、考えていた。
けれどその考えは出撃して数日で打ち砕かれた。
共に第一陣として星都防衛の任務についていた第七騎士隊が接触したのは、零黒騎士団の分隊だった。
その報が五隊に届いたとき、私は戦争が始まって以来、始めて動揺を感じた。
――セドナが近くに来ている。
本国にいると思っていた彼女が、安全な場所にいると思っていた彼女が、私と同じ戦地にいる――。
それから五隊は二度ほど零黒騎士団の分隊と接触した。
私は戦闘になる度にセドナの姿を探した。見つけたら何としてでも彼女を捕えるつもりだった。端から説得をするつもりはなかった。彼女が家族のことを考えて祖国を裏切れないのは分かりきっていたから。それにそもそも他の騎士の手前、素直に説得に応じられる状況を作り出すのことも難しい。だからセドナとバルゼア家の人達を守るには、彼女に捕虜になってもらうしか道はなかった。
けれども戦闘した分隊には彼女の姿はなかった。
そのことが私の動揺を更に強いものにした。
――セドナは無事なのだろうか。
気づけば彼女の安否ばかりが脳裏をよぎるようになっていた。
それでも表向きは平常を装っていた。仲間も友人ですらも私の変化には気づかなかった。けれど隊長だけは違った。隊長は分隊と接触した際に丁度合流していて戦死してしまった第一偵察小隊長の後任に私を選んだ。
隠密偵察ならば友の国と戦うことはない――それはセドナのことを私から聞き知っていた隊長の思いやりだった。
けれどもそういう時こそ運命というものは働くのだろう。
先行していた部下がセドナの部隊を見つけてしまったのは本当に偶然だった。そして相手がすぐに動きを見せた以上――帝国産の馬の方が瞬発速力は強いため――逃げ切るのは不可能だった。
幸いだったのは相手もこちらと同じ偵察小隊だったことだ。
戦力が同等な分、戦力差による一方的な鏖殺にはならない。けれど全面衝突をしてしまえば確実に犠牲は増える。それは何としてでも避けたかった。隊長から預かった兵を、仲間を多く失うことだけはしたくはなかった。
だから私は囮を買って出た。援軍を呼ぶという名目で、仲間を逃がすために。
それに付き合ってくれたのは三人の先輩騎士だった。彼等は腕の立つ騎士ではあったけれど、こちらの倍ほどいる零黒騎士を前にみんな倒れていった。
それでも最後に残ったのは私と、二人の零黒騎士だけとなった。
その二人の零黒騎士は見る限り、他の騎士に比べて腕は低いように感じた。ここまで生き残ったのは後方支援に回っていたからだろうと。
彼等を斬ればこの場は乗り切れる――生き残ることができる――。
そう思って一人を斬ろうとした時、もう一人の零黒騎士が名らしき言葉を口にした。それは悲痛な叫びのようだった。
それで私は気づいてしまった。
この二人は親しい友人だと。
彼等だけではない。
私が今まで斬ってきたのも、誰かの友人なのだ。
もしかしたらその中にはセドナの友人もいたのかもしれない。
私はセドナの友人を殺したのかもしれない。
セドナの友人を――仲間を――私は――。
そのたった一つの迷いが、あの時、剣を振るう手を止めてしまっていた……。
「セドナ」
星架を見つめたまま名を呼ぶと、セドナがこちらへ向く気配がした。
……こういうこと、訊くべきではないと分かっている。
それでも私は神の前で、彼女の前で、告白したい気持ちになってしまった。
「セドナは、部隊で仲のいい人とかいた?」
「……どうして?」
「貴女の部隊の人は私が――」
「それはこちらも同じだ」
言いかけた言葉を制すように、セドナが言葉を被せてきた。
「貴女は手を出していない」
「それでも同じだから」
「答えになってない」
顔を上げてセドナを見る。彼女は微かに驚いた表情を見せると、すぐに困ったように眉を下げた。
「いないよ。士官学校の友人は違う騎士団に配属されたから」
「本当に?」
「本当に。エルは任務を全うしただけだ。君は悪くない。何も悪くないんだ」
そう言ってセドナは許しを与えてくれるかのように優しく微笑んでくれた。
それが私を安心させるための嘘ではないことも、心からの言葉だということも分かっていた。
だからこそ、安堵すると同時に強く思った。
「セドナも悪くないのよ」
私と貴女の立場は同じなのだから。
私が許されるのなら、セドナも許されなければいけないと。
だというのに私の言葉を受け、セドナは優しい微笑みを苦笑に変えた。
自分は私とは違うのだと物語るように。
……私を許しておきながら、セドナは自分を許さないのだ。
星王国民を誰もその手にかけていないというのに、彼女の仲間を斬った私のほうがよっぽど罪深いというのに。それなのに帝国人として、侵略した国の騎士だった者として、一生その罪科を背負うつもりでいる。
……ずるい、と思った。そんなのはずるいと。
それでも私が何を言ったところで、セドナの罪の意識が消えることはない。私の許しを彼女は受け取ってはくれないから。
「……セドナ、一つだけ約束して」
「約束?」
「罪に苛まれても、一人で苦しむことだけはしないって」
ならばせめて私は分かち合いたいと思った。
セドナがそれを抱えて生きていくというのならば、彼女の感じる苦しみも悲しみも全て、分かち合っていきたいと。そうすれば彼女の心もきっと軽くなると思うから。少しでも楽になると思うから。
二人でなら、どんなことでも乗り越えていけると思うから。
セドナは驚くように目を見開いていたが、やがて私の心を汲むように淡く微笑みながら頷くと、言った。
「分かった。ありがとう、エル」




