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騎士物語  作者: 連星れん
後編

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63/72

大陸暦1527年――本屋1


 静かな住宅街から中央通りに近づくにつれ、街の喧騒が聞こえてきた。

 人のざわめきの中には建物を修理しているのだろう、トントントン、というトンカチの音も多く混じっている。

 その音が聞こえてきた途端、セドナの顔がまるで夕立前のように曇りだした。

 やっぱりと私は思いつつも、こうなることは予め予測していたので、セドナがあれこれ考える前にと彼女の手を取る。

 復興の音に気を取られていたセドナは驚くようにこちらを見た。


「エル?」

「こっちよ」


 セドナの手を引いて、人と商店で活気溢れる中央通りを尻目に路地へと入った。

 目的の場所は路地の入口から右三軒目。扉の上には年季の入った看板がぶら下がり、大きな窓のショーケースには見るからに年代が古いことが分かる書物が並んでいる。

 ここは星都せいとに一店舗しかない、大陸中の物語を取り揃えている物語専門店だ。子供のころ兄に連れてきてもらったことで知り、士官学校に入ってからも寮が近いことからよく通っていた。

 お店の扉を開けると、扉の上部に付いている鈴が鳴った。

 それを合図に、入口そばのカウンターに座っていた初老の人物がこちらを見る。


「らっしゃーい。――おぉ、シャルテのお嬢さんじゃないか」


 初老の人物は手に持っていた新聞を置くと、カウンター越しにこちらに向き直った。


「良かった無事だったんだねぇ」

「はい。店長もご無事で何よりです」

「わしは十分生きた身だからいつ逝ってもいいと思ってたんだがねぇ。有難いことに神様はまだ死ぬなと言うておるらしい」


 かかか、と店長は快活に笑う。


「こんな状態で悪いが、ゆっくり見ていくといい。お友達もな」

「ありがとうございます」


 私の言葉に合わせるように、セドナも小さく頭を下げた。

 店内に目を向けると、書架にやたらと隙間が目立っていることに気がついた。私がここに通い始めてから初めて見る光景だ。どうやら店長が言う『こんな状態で悪い』とは、品揃えのことだったらしい。戦争により物流が止まっていた所為だろう。特にここは商品の半分が国外の本で占められているので、受ける影響も大きかったに違いない。

 それでも元々が多いぐらいに品揃えがいい店なので、読んでいない本が見つからないことはないだろう。


「セドナも気になるものがあったら言ってね」


 そう伝えるも、セドナは自分では選ばないだろうなと思った。

 子供のころもセドナの読む――というより読んであげる――本を選んでいたのは、彼女のお母様と兄のセバルだった。帝都の本屋さんに一緒に行ったときも、彼女は一冊も選ぶことはなかった。読むことを克服できていないのなら、それは今でも変わらないだろう。

 セドナは「うん」と頷いて、棚に並べられている本に目を向けた。それは選んでいるというよりは、表紙の絵を眺めている感じだ。見る限りでは退屈していないようだけど、あまり待たせても悪いので早めに本を選んでしまおうと思った。

 私の本選びは実に直感的だ。表紙で面白そうだなと思ったらそれを買うことにしていて、内容を確認することはまず無い。それは本に限らず、何でもそうだ。見て回るのは好きだけれど、買うとなるとあまり時間をかけないタイプだ。

 セドナもそれを覚えていたのか、本を手に取ろうとしたら横から手を伸ばしてきた。


「持つよ」


 どことなく後ろめたさと気恥ずかしさが混ざったような表情だった。

 想像するに、私の右手に対する感情と、自分の行動に対する感情だろう。

 右手に関しては気にしなくていいのだけれど、言ったところで今朝のように納得はしてくれないだろうし、それに理由がどうであれ私を気づかってくれてのことだから好意を素直に受け取ることにした。


「ありがとう」


 それから店内を見て回り四冊ほど選んだころ、それまでずっと付いて来ていたセドナが側にいないことに気がついた。店内を見ると彼女は少し離れた場所で足を止め、棚に置かれた一冊の本を見ている。

 側に寄って見てみると、本の表紙には見慣れた題名が刻まれていた。


「瘴竜王とせい六英雄ね。懐かしい」


 瘴竜王と星六英雄は、大昔に起こった瘴竜大戦を元に書かれた物語だ。

 世界を瘴気で覆おうとした巨大な瘴魔しょうまである瘴竜王と、それを阻止しようとしたしょう竜族――のちの竜王国の竜王家であり調停者――により引き起こされた。

 その戦いは次第に世界と全種族を巻き込み、その時にしょう竜族と共に瘴竜王と戦うべく立ち上がったのが、せい六英雄と呼ばれる六人の英雄達だ。

 この英雄譚は小説や絵本だけでなく、童話劇や歌劇、はたまたせい教会で歌われる星歌せいかにもなっており、最も人々に馴染みのある物語の一つだ。

 学校でも必ず教わるので、知らないものはまずいないだろう。


「子供のころによく読んだわ。セドナも読んでもらったことあるでしょ?」

「いや」

「え? ないの?」

「うん。こっちでは売られてなかったんじゃないかな。瘴竜大戦のこと自体も、流すぐらいにしか教わらなかったし」


 意外だった。瘴竜大戦は人が今の大陸に移り住み、現在のような国の形態が出来上がる切っ掛けとなった、大陸の成り立ちに関わる出来事だ。

 帝国の教育が自国寄りに偏っているのは知っているけれど、それでも大陸に住む人にとって重要な史実である瘴竜大戦を詳しく教えない理由が分からなかった。


「どうしてだろう」


 疑問を口にすると、セドナは苦笑を浮かべて言った。


「まぁ、劣等感、だと思う」

「劣等感?」

「うん。せい王国や竜王国、諸国連合には大戦の功労者やせい六英雄の子孫がいるのに、帝国にはいなかったから」


 言われてみれば、と思う。

 私たちが住むこの大陸には大きく分けて四つの大国がある。

 大陸最古の国である竜王国。

 魔法国家であるせい王国。

 軍事国家である帝国。

 そして小国や都市が集まり結成された諸国連合だ。

 竜王国は調停者が国を治め、その臣下に三大貴族と呼ばれるせい六英雄の血を受け継ぐ公爵家がある。

 せい王国も神星しんしょう魔法の始祖であり、星六英雄の一人の子孫によって起こされた国だ。

 そして諸国連合には、大戦中に最も多くの瘴魔を葬ったとされる星六英雄の一人の出身部族の村がある。

 だけど帝国には、戦前までそのような話を聞いたことがない。

 帝国は四大国の中では最も新しい国家なので、それは当り前といえば当り前だけれど。


「帝国はほら、変に自尊心が高いから」恥じるかのようにセドナは言った。

「貴女はそんなことないのにね」

「それは、君が外のことを教えてくれたから」


 帝国へ療養に訪れたとき、私はセドナに外の世界のことをよく話していた。

 それはセドナが外の世界に興味を持っていたからなのもあるけれど、でもそれ以上に、私自身が知ることは良いことしかないのだと信じて疑わなかったのもあった。

 だからセドナが知りたがっているのをいいことに、帝国人が普通に生きていれば知ることのないことを彼女に教えてきた。そのことが、のちにセドナを苦しめることになるとも知らずに。

 帝国で過ごした最後の夏、セドナは帝国の、帝国騎士の在り方に疑問を持っていた。それは少なからず、私が外の世界を教えたことに原因があると思う。

 外に目を向けるということは、今自分がいる場所を客観的に見る目を得てしまうことだ。セドナは外の世界を知ってしまったことにより、祖国の当り前が他国では違うことに気づいてしまったのだ。

 この戦争に関してもそうだ。私がせい王国のことを話していたから、敵国に私がいたから、彼女は必要以上に心を痛めてしまうことになった。

 そう考えると、後にも先にも、彼女を苦しめてるいるのは私ということになる。

 私と出会わなければ、セドナは――。


「だから、エルには感謝してる」


 暗い考えがよぎろうとしたその時、今の私にとって意外な言葉が投げかけられた。

 セドナを見ると、彼女は小さく微笑んでこちらを見ている。


「……でも、知らないことで幸せなこともあるよ?」

「うん。そうだね。それでも私は何も知らないまま、間違ったことにも疑問を感じず、そのまま生きていくのは嫌だよ。――それに」


 一拍おいて、セドナは続けた。


「君に会えないのはもっと嫌だ」


 思いがけない言葉に、私は息を呑んだ。

 私はセドナと出会ったことに、何一つ後悔はしていなかった。

 でも彼女の方はそうではないだろうと、心のどこかで思っていた。

 セドナは私と出会ったことで、辛い思いをしてきた。それは過去だけではなく、私の所為で受けた心の傷が、今でも彼女を苦しめている。

 それでもセドナは私との出会いを後悔していなかった。

 知らないことが幸せだと知りながらも、出会うことで待ち受ける苦難を知りながらも、私に会いたいと言ってくれた。 

 その想いだけで、胸の中にあった暗い気持ちはどこかへ行ってしまい、代わりに嬉しさで満たされる。

 セドナの一言だけでこうなってしまうのだから、私は本当に、単純だ。

 セドナはまだこちらを見ていた。こういうときに目を逸らさないのは珍しいので、つい私も返事をせず見つめ返してしまう。傍から見たら恥ずかしいことこの上ない状況だけれど、幸い店内には私たち以外に客はいない。店長もいつも新聞や本を読んでいるので、気にしてはいないだろう。

 そうして少しの間、見つめ合っていると、不意にセドナが正気に取り戻したかのように慌てて眼を逸らした。

 見慣れた反応に笑うと、彼女は困ったように口元を波々させた。



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