大陸暦1527年――24 再会
馬車に乗せられ連れてこられたのは、住宅街だった。外装から見るに恐らく貴族が住む区画なのだろうと思った。
馬車は一つの邸宅の前で止まると、衛兵によって開かれた門から敷地へと入った。
女性騎士は道中、一言も喋らなかった。腕を組んで目を閉じ、ただ黙っていた。だからここが何処かも分からない。
邸宅の玄関前で馬車が止まると、騎士はこちらを見て無言で馬車を降りた。ついてこいという意味なのは分かった。
私たちが馬車を降りると、女性の使用人が出迎えた。
彼女は「お待ちしておりました」と言うと、玄関の扉を開けた。騎士が中に進んだので、私もそれに続く。
途中、女性の使用人がこちらを見ているのに気がついたので視線を向けると、彼女は控えめに微笑んできた。その顔をどこかで見たような気がしたけど、思い出せなかった。
玄関のホールに入ると、そこには二人の人間が待っていた。
男性が一人と女性が一人。
身なりから想像するに、ここの主人とその奥方だろう。
騎士はその二人に丁重な礼をしてから、振り返りこちらを見た。私に進むよう表情で促している。
私は状況が読み込めないまま、二人へと近づく。
困惑している私は、目の前にいる二人を直視することができなかった。
そんな私に、男性が言った。
「セドナだね」優しい声だった。
なぜ私の名前を――それを口に出来ない自分に、男性は続けて言った。
「一目で分かったよ。目元にアズルの面影がある」
アズル――父の名、私は男性を見た。
そして気づく。男性が薄緑の瞳をしていることを。
その隣の女性が金の髪をしていることを。
あぁ……この二人は……エルデーンのご両親だ。
「こんなにやつれて、若い身空では大変だっただろう」男性は言った。
「ご家族のことは聞きました。とてもお辛かったでしょう」女性も続く。
私は二人の言葉に耐えられず、思わず俯いた。
「……私には……そんなお言葉をかけていただく資格はありません。私は、私の所為でエルは……」
あなたたちの愛する娘は、死んでしまった。
私を庇った所為で、エルデーンは死んだのだ。
私はあなたたちに恨まれても仕方がない。
私はあなたたちに殺されたって仕方がない。
あの騎士は、そのために私をここに連れてきたのではないのですか。
私に罰を与えるために、ここに連れてきたのではないのですか。
なのになぜ、そんな言葉をかけるのです。
なぜ、そんな優しい言葉をかけてくるのです――。
私はそれを口には出せなかった。
そんなことを思いながらも、やはり怖かったのだ。
エルデーンの両親に責められるのが――彼女の面影を持つ二人に責められるのが。
私が何も言えず俯いていると、肩にそっと手が置かれた。
顔を上げると、男性は柔和な顔をして微笑んでいた。
「セドナ。ここを通り抜ければ中庭がある。その中庭は昔から妻とエルが世話をしてくれていてね。毎年、花が咲く度にあの子は言っていたよ。いつか君に見せるのだと。帝国ではこんなに花が咲かないから、見たらきっと驚くと。幸い戦火から逃れることができてね。とても綺麗なんだ。行ってごらん」
男性は私の背をそっと押す。
私は断ることもできず、促されるまま中庭へと足を踏み入れた。
円形にくり抜かれたような中庭には、十字に走っているだろう石道以外は全て、花で埋め尽くされていた。
花が咲き乱れる美しい光景に、私は目をみはった。
帝国ではこんな光景を目にすることはまずない。寒冷地帯の帝国では、夏の少し温かい時期にしか花は咲かないし、種類も少ないのだ。
だから私は一つの庭で、こんなにも色とりどりの花が咲くのを初めて見た。
そしてもし、あの世というものがあったらこんなところだろうか、と思った。
あの世という言葉は星教に少しばかり興味をもった私に、彼女が教えてくれた言葉だった。あの世――天国は生まれ変わるまで魂が過ごす場所で、現実では見られないとても綺麗で美しい場所だと。
彼女は今ごろ、その天国にいるのだろうか――。
もしそうだとしても、その天国はここではない。
ここは現実で、私はまだ生きているのだから。
……ここにいても辛くなるだけだ。
それでも彼女のご両親のご厚意を蔑ろにはしたくはないので、一通り見てからここを去ろうと思った。
周囲の花々を見たあと、私は中庭の中心に目を向けた。
中庭の中心、十字の石道の交差部分には円形の広場があり、さらにその中心には小さな空間がある。その空間は、半円形の屋根に、四方を編み目の柵に囲まれていた。柵にも屋根にもまんべんなく草花が這っており、自然のカーテンを作り出している。その中には丸いテーブルと、それを囲うベンチが設えてあるのがかろうじて見えた。
中心へと近づくと、空間の中に誰かいることに気づいた。
自然のカーテンで空間の中は見通せない。だから影のようにしか見えない。
その誰かは私に気づくように立ち上がると、空間から姿を現わした。
そこにいる人物を見て、私は無意識に思っていたことを声に出していた。
「私は……死んだのか……?」
知らず知らずのうちに、収監部屋の中で死に絶えていたのではないか。
死後の世界に迷い込んでしまったのではないか。
やはりここは、あの世ではないのか。
そう疑う私の耳に声が届いた。
「生きてるよ。貴女も私も」
それは小鳥のさえずりのような声だった。
記憶の中と同じ、私の大好きな声――。
――そんなわけがない。これは夢だ。
ここがあの世でないのなら、これは夢なのだ。
でなければ、私が彼女に焦がれるあまりに見ている幻なのだ。
彼女が近づいてくる。
青空の下、白いワンピースを風になびかせ、日の光を浴びた金の髪を輝かせ、花に彩られた背景の中、彼女が歩いてくる。
その現実味のない光景を、私はただ立ち尽くして見ていた。
やがて彼女は目前まで来ると、私を見上げた。
私は彼女を見た。けれど動揺しているのか視線が揺らいでまともに見れない。
その揺らいだ視界に、彼女の肩が映りこんだ。
ワンピースの間から見える右肩には、傷跡があった。
私は流れるように視線を下ろし、彼女の右腕も見た。右腕にも傷が刻まれている。
私を庇ったときの傷――あのときの傷が確かに――。
その傷の存在が、幻のように感じていた彼女の存在に現実味を帯びさせる。
「っ――」
その途端、感情が高ぶり、涙が込み上げてきた。
もう枯れ果ててしまったと思っていた涙が、目からどんどん溢れてくる。
その溢れる涙を、彼女の指がすくった。
そして優しさを湛えた薄緑の瞳を細めると、微笑んで言った。
「大きくなっても泣き虫さんだ」
――違う。違う。泣き虫じゃない。
君のこと以外で、こんなにも心が弱くなることはない。
君の事が好きだから――何よりも大切だから――。
またもやそれは、言葉に出来なかった。
けれどその代わりに彼女を抱きしめた。
腕を通して彼女の体温が、鼓動が、命が伝わる。
確かに生きている――エルデーンは生きている。
その事実が嘘みたいで、どうしようもなく嬉しくて、涙が止まらない。
幼子のように泣きじゃくる私をあやすように、彼女が背を撫でてくれる。
私はいつまでも、いつまでも、エルデーンを抱きしめ続けた。
もう二度と、その腕から零れ落ちないように。
もう二度と、失わないように――。




