大陸暦1527年――20 最後の尋問2
「やあやあお疲れさまー」
ケインの肌が反射的に粟立った。
重苦しい空気を一瞬で塗り替えるような気の抜けた声――こんな声を出すのは、ここでは一人しかいない。
ケインは背後を見た。
この監獄棟で誰よりも頼もしく、何よりも恐ろしい存在――。
ラウネ・サーザル・サーミル獄吏官長の姿がそこにはあった。
なぜ獄吏官長がここに――という疑問よりも先に、ケインは上官の後ろにいる人物に目が行った。サーミル獄吏官長のすぐ後ろには、レイチェル・イルスミル第五騎士隊長の姿がある。足音が一人分だったのは、上級騎士のブーツが消音使用の特別製だからだ。
ケインは嫌な予感がした。
いつもなら二人が一緒でも何とも思わない。二人は友人だし、第五騎士隊長は常日ごろから、捜査協力依頼で獄吏官長を訪ねて来ることもあったからだ。
けれど今日は違う。いま尋問しているのは――。
ケインが思考を巡らせていると、サーミル獄吏官長がいつものおどけた風な笑みを浮かべてこちらを覗き込んできた。
それで自分が何も反応していないことに気づいたケインは慌てて立ち上がると、敬礼した。
「お、お疲れ様です。いったいどうされたのですか、サーミル獄吏官長」
サーミル獄吏官長は首を後ろに曲げると、こちらを見上げて言った。
「交代ーみんな休憩してていいよー」
嫌な予感が当たった、とケインは思った。
サーミル獄吏官長はセドナを尋問しにきたのだ。
それは主席尋問官でもある彼女の職務上、なにも不思議なことではなかった。
けれど今までにない状況が、ケインを不安にさせる。
本来、主席尋問官が自ら動くのは、担当尋問官で落とせない対象者に対してさらに尋問を行なう必要があると判断された場合だけだ。そして担当尋問官から引き継ぎをされたあと、なるべく早期に尋問を行なう。それが通例だ。
しかしサーミル獄吏官長の場合は少し違う。
彼女は引き継ぎをしないし、対象者から担当尋問官を外したら必ず一週間の間隔を開けてから尋問を行っていた。これはサーミル獄吏官長の拘りであるようで、彼女が主席尋問官になってからは一度の例外もない。
だから今のように、担当尋問官が尋問を行なっている最中に代わりを買って出たことなど一度もないのだ。
これだけでも異例の事態だというのに、さらには今回の被害者が所属していた第五騎士隊長まで連れてきている。
もし騎士隊長がセドナを恨んでいたら――いやそれどころかサーミル獄吏官長が尋問をしたらセドナは――。
「で、ですが」
色々な思いが錯綜する中で、ケインがやっと絞り出せた言葉がこれだった。
サーミル獄吏官長はにっこり笑うと、背後の友人を指さして言った。
「だいじょーぶ。剣が背骨みたいな人も一緒だからぁ」
心配しているのはそこではない、とケインは思った。
自分たちの長が強いことは、見た目で判断してはいけないことは、監獄棟に勤めるものなら誰もがよく知っている。
ケインが心配しているのは、担当捕虜のセドナのほうだ。
サーミル獄吏官長が行なうのは尋問であって尋問ではない。大抵の場合、推測という名の物語を披露し対象者を追い詰めることだ。
サーミル獄吏官長の推測は真実と同義と言ってもいい。
だから必ず真実は明らかになる。
しかしその代償として尋問対象者は心に傷を負うものが多かった。
それだけではなく、中には自我が崩壊したものや、自死へと至った例まである。
ケインはセドナにそんな思いをさせたくはなかった。
だからといって自分にはセドナの口を割らすことも、事件の真相も分からない。
尋問官としてではなく一人の人間として対象者に同情し、目を曇らせてしまっている今の自分にはもう、彼女にしてやれることがない――彼女を救うことはできない。
ケインはセドナを見た。彼女は珍しく視線を上げてこちらを見ている。
初めて目が合ったな、とケインは思った。
そしてなんて無感情で悲しい瞳だろうとも思った。
サーミル獄吏官長の尋問は間違いなく劇薬だ。
けれどこの薄青の瞳に、再び光を灯せるというのなら自分は――。
ケインは瞳を堅く閉じると、すぐに瞼を上げてサーミル獄吏官長を見た。
そして自分より十も年下の小さな上官に「お願いします」と礼をして伝えると、後ろ髪を引かれる思いで尋問部屋を後にした。




