大陸暦1521年――08 最後の夏2
「そうだ」エルデーンは思い付いたように言った。「それなら予行練習してみたらいいんじゃない?」
「予行練習?」
「私が皇帝陛下」
そう言って、エルデーンは両手を腰にあて「えっへん」と胸をはった。
見事なまでの短絡的な偉い人の演技に、私は思わず苦笑する。
「ほらほら」エルデーンは楽しそうに促してくる。
これは拒否権がないな。
私は内心、笑って諦めると、書面を手に予行練習を始めた。
「ええと、我が剣にかけて、我が名にかけて、嘘偽りを述べず、皇帝陛下に忠実であることをここに誓う。我は皇帝陛下の剣と盾となるべく、帝国を脅かすものと戦う力を、帝民を守る力を、帝国をさらなる繁栄へと導く力を身に付けるべく、日々勉学と鍛錬を積むことを誓う。我が血と肉は、体は帝国の父たる皇帝陛下のものである。皇帝陛下の命は絶対であり、帝国騎士としてそれに遵することは最大の名誉とし――……」
「どうしたの?」
自然と言葉を止めてしまっていた私を、エルデーンが不思議そうに見た。
私は少し迷ったあと、思ってることを彼女に話すことにした。
「知ってるエル? 竜王国の騎士は竜王ではなく、この大陸に生きる全ての人に剣を捧げるんだ。それは大昔、大戦が終わりこの大陸に竜王国しかなかったころ、大戦を生き残った騎士達が復興のために大陸中を駆け巡っていたところから来てるんだ。竜王国の騎士団が国境なき騎士団て呼ばれてるのはこのことがあるからなんだ。そして君の星王国では、二神に剣を捧げる。人はみな神の子だから、無闇に命を奪うことはせず、強きものが弱きものを等しく守護せよって意味で」
それは私が、世界の騎士の歴史を調べて学んだことだった。
「それを知ってから、帝国の騎士はこれでいいのかなって少し考えてしまうんだ。だってこの誓いは、何があっても皇帝陛下に従わなければならない、それが絶対であり帝国騎士の名誉てことでしょ? それって、どうなんだろうって」
士官学校への入学を素直に喜べない理由がこれだった。
私は誓いの言葉を見て、帝国の騎士の在りかたに疑問を持ってしまったのだ。
「星王国でも、今の皇帝陛下はお優しいかただって聞くけれど」エルデーンが言った。
「うん。今は、ね」
現皇帝陛下は穏健で戦嫌いとして知られている人物だ。
でもこれは、皇家の歴史の中では非常に珍しいことだった。
帝国は建国時から、歴代の皇家と元老院貴族が一貫して強き国を提唱し続けてきた。
辺境の小国でしかすぎなかった帝国が大陸随一の軍事力を誇る大国となったのは、この思想のもとに幾度となく他国を侵略してきた結果に他ならない。
帝国の歴史は争いの歴史。
そして皇家は、今までそれを先導してきた立場なのだ。
「そっか。セドナは人を守りたいんだもんね」
歴史から帝国の未来を危惧する私の考えを理解してくれたように、エルデーンが言った。
「うん……」
私も今の皇帝陛下にならば、剣を捧げることには何の迷いもない。
けれどもし、剣を捧げる相手が歴代の皇帝でも、私は迷わず誓うことができたのだろうか。
そして万が一、戦嫌いな現皇帝陛下が、父帝に似て温和だと言われている皇太子殿下がお間違いになることがあったら、侵略のためにこの剣を振るえと言われたら、私はどうするのだろうか。
私はただ、守るために騎士になりたいのに。
「まだ答えが出せなくてもいいんじゃない?」
「え」エルデーンの意外な言葉に私は驚く。「でも捧げたら」
「終わりではないでしょう?」
彼女は部屋の隅の本棚へ足を向けると、一冊の本を手に取った。
「剣を捧げても、セドナの心は残ってる。捧げた相手が間違ってると思えば、貴女は心のままに動けばいい。貴女が正しいと思う道を行けばいい。貴女はそれを学んだじゃない」
そう言ってエルデーンは一冊の本を差し出した。
受け取った本の表紙には【騎士物語】の文字。
エルデーンが私にくれた、私の大好きな物語。
私は最初の挿絵のページを開く。
それは敵国が、騎士である主人公の国に攻め込んできた場面。
奥に敵兵が、手前には座り込んだ民が、そしてその間には、民を守るように立つ主人公の騎士が描かれている。
これまで主人公である騎士は剣の誓いを胸に、国を、王を、民を守ってきた。
でもその戦いの中で、慕っていた姫が浚われてしまう。
騎士は姫を助け出すことを王に進言したが、王はそれを却下する。
姫一人のために、多くの命を危険に晒すことはできないと。
ならばと騎士は一人で姫を助けに行くことを決める。
剣の誓いよりも、己の心に従って。
だけど、それは決して剣の誓いを捨てたわけじゃない。
誓いよりも大事なものがあったから、だから騎士は心のままに、大切な人を助けに行くことを選んだのだ。
――そうだ、そうだった。
私のなりたい騎士は、目指すべき騎士は、ここにいた。
難しいことを考えるな。
私は私の理想と思う騎士になるんだ。
「うん」私は頷く。
憑きものが落ちたような気分だった。
もちろん根本的には何も解決はしていないし、不安も完全に消えたわけではない。
それでもとりあえずは進んでみようと思った。今までがむしゃらに目指してきた騎士への道を。幼いころ私を助けてくれた騎士の姿を、そしてエルデーンがくれたこの物語を胸に。
「ありがとう、エル」
私の心からのお礼を、エルデーンは「うん」と微笑んで受け止めてくれた。
それから私たちは予行練習を再開した。
彼女の偉い人の演技が大根役者すぎて、笑いを堪えるのに大変だったけれど、それでも何とか内容を覚えきることができた。




