大陸暦1520年――07 死生観
エルデーンの体調が快復した翌日。
帝国には、先日の真夏日が嘘かのように、いつもの涼しい夏が戻ってきていた。
その日、桜の木が作る朝の木洩れ日と、涼風を浴びながら、私たちは庭のベンチで過ごしていた。
「風が気持ちいいね」
エルデーンはそう言いながら、風で顔にかかりそうになった横髪を手で押さえている。
今日はエルデーンにとって、快復してから初めての外だった。
本好きだったエルデーンは、部屋の中で過ごすことが苦ではない性格だったけれど、流石にここ数日間ベッドの上で過ごしたのが辛かったのか、今日は珍しく彼女から外で過ごしたいと提案してきた。
するとそれを丁度、聞いていた使用人のオグが、もともと日が当たる場所に置いてあったベンチを、父に許可をもらって桜の木の下に移動してくれた。ここなら木の葉の影でエルデーンが過ごしやすいからと、気遣ってくれてのことだった。
その心優しい青年は今、庭で花の手入れをしている。
庭の草花の手入れはオグの仕事の一つだった。たまに母も手伝っているけれど、普段は彼一人で手入れをしている。
けど今日は、彼の側にはエルデーンの侍女の姿があった。侍女はオグと話をしながら、手入れを手伝っているようだった。
珍しい組合わせだなと思いながらその様子を眺めていると、エルデーンが疑問に答えるように言った。
「年齢が近いから、気が合うみたい」
「へぇ、そうなんだ」
私が二人から目を離すと、今度はエルデーンが二人へと顔を向けた。
二人を微笑ましそうに見守るその顔は、白くも血色がいい、生気に満ちた、生きた人間のものだ。
それを確認した私の中に、安心が生まれる。
エルデーンが体調を崩している間、私は毎日何度も、彼女の泊まっている部屋へとお見舞いに訪れた。
彼女は私の顔を見ると、いつもベッドの上から嬉しそうに微笑んで迎えてくれた。けどその顔は青白く、私には今にも消え去ってしまうのではないかと思うぐらいに不明瞭で儚かない存在に見えた。快復に向かっていると分かっていても、彼女の姿を見る度に不安が募った。
だからエルデーンの元気な顔を見ると、心の底から安心する。
もう二度と、彼女のあんな姿など、見たくはない。
そんなことを思っていると、彼女がこちらに顔を向けてきた。
「どうしたの?」
「え?」
「私を見てるから」
言われて、今さらながら無意識にエルデーンを見つめていたことに気がついた。
「ええと」
恥ずかしさから嘘にならない言い訳や、はぐらかせる内容を考えてみるも何も浮かばない。
少し悩んだ挙句、結局は素直な気持ちで応えることにした。
「元気になってよかったなって」
口に出して益々そう感じた私は、自然と顔までほころんでしまっていた。
そんな私を見て、エルデーンも釣られるように微笑む。でもすぐに、何か妙案でも思い付いたかのように、意地悪な顔を浮かべると言った。
「私が元気じゃないと、セドナが泣いちゃうものね」
かぁ、と一気に顔が熱くなる。
「それは言わないでよー」
顔を真っ赤にして言い返しているであろう私を見ながら、エルデーンは楽しそうに笑った。
これは当分からかわれるな、と私は思った。
でも、それぐらいどうってことはない。
彼女が元気ならば、どんな羞恥にだって耐えられる――。
「帝国では人が亡くなったらどうするの?」
満足するまで私をからかったあと、ふいに脈絡なくエルデーンが訊いてきた。
「土に還すんだけど」私は不思議に思いつつも答える。
「埋めるってこと?」
「そうだよ」
「そうなんだ。こちらとは違うね」
「星王国では埋めないの?」
「星王国、というより星教ではだけど、亡くなった人は星に還すの」
星教は私たちが住んでる緑星の神、星蒼神と星緑神という二神を信仰する宗教だ。
大陸では最も古く広く信仰されている宗教で、星王国では国教にも指定されている。
もちろんエルデーンも信徒で、彼女はここに来ている間も毎日のお祈りを欠かすことはなかった。
「星に還す? 埋めるのと何が違うの?」
「星教では星還士と呼ばれる人達がね、火魔法で遺体を燃やして肉体から魂を解放するの。そうして解放された魂は流星群の日に空に昇って数多の星の一つとなり、いずれ再びこの大地で生まれ変わるのよ」
「生まれ変わる? また同じ人間になるってこと?」
「肉体は違うけれど魂は同じ。魂は死しても廻るから。前世から現世に」
「へぇ、じゃあエルの魂も廻ってここにいるんだ」
「貴女もよ。国は違っても同じ神様が作り出したものなのだから」
そこまで言ってエルデーンは苦笑いを浮かべた。
「ごめん。今のは良くなかった。ここにはここの信仰があるものね」
大陸中で広く信仰されている星教も、ここ帝国では、ほとんどと言っていいほど信仰されていなかった。
その理由は簡単、帝国には昔から信仰しているものがあったからだ。
それは、祖先だ。
この帝国を作り上げ、死んでいった祖先達を、帝国人は崇拝していた。
祖先達は今も帝国の大地を支えながら我らを見守っているとされており、そして帝国人は死して大地に還ることで、祖先達と同じくこの国を見守る存在になるのだと信じていた。
それが帝国では普通の死生観だったし、私もそういうものだと思っていた。
長く信じ込んでいたものを覆すのは、そう簡単なことではない。
それが土地に深く根付いているものなら尚更に。
「その考え、私は面白いと思うよ」
でも私は星教の死生観を、すんなりと受け入れていた。
それどころかむしろ、帝国のものよりもしっくりくる気までしていた。
その考えならば、私の特異な体質も説明がつく気がしたからだ。
人が持つ性質が現世に全く起因がなくても、前世に――魂自体にあるとすれば、それは生まれつきとして作用してもおかしくはない。
私の嘘がつけない体質のように。
もしそうだとしたら、前世の私は、嘘で何か大きな後悔をしたのかもしれない。
たとえば、何か大切なものを失ったとか。
だからこそ嘘は魂の枷となり、私に嘘をつかないよう戒めている――。
もちろんこれは、宗教学や精神学に明るくない無知な子供の勝手な想像ではあった。
けど私は、自分で妙に納得してしまった。
自分が信じているものを私が肯定したのが嬉しかったのか、エルデーンは顔を明るくした。
「ほんと? それならセドナもそう考えてみない? そうしたら私たち、また来世でも会えるわ」
「こんなに人がいるのに?」
私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
たとえ魂が廻って生まれ変わったとしても、この広い大陸で、沢山の人の中で、たった二人の人間が出会うなんてのは不可能だと思ったからだ。
それでも出会えたとしたら、それはもう、奇跡に他ならない。
私は物語好きの影響か、夢見がちなほうではあった。
でもそんな私でも、流石に理解していた。
現実では物語の中のように、奇跡なんてものは起こらないのだと。
そう思っていた私に、エルデーンは核心を突くように言葉を放った。
「でも、私たちは出会えたじゃない」
私は、はっ、とした。
確かにそうだと私は思った。
私たちは本来、普通に生きていれば出会うことはなかった。
そんな私たちが出会えたのは、私の父が若いころに親の反対を押し切り星王国に留学したからだ。
そこで父は学校でたまたまエルデーンの父親と同じクラスになり、意気投合した二人は親友となった。二人の親好は父が帝国に戻ってからも続き、お互いに歳の近い娘を持つことになった。そして親友の娘の身体が弱いと聞いた父は、帝国での療養を提案した――。
そうして沢山の偶然が繋がった結果、違う国で生まれた私たちは、星の数ほど存在する人々の中で出会い、今ここにいる。
それはもう、奇跡と呼ぶに相応しいものだった。
奇跡はすでに、起こっていた。
私たちの出会いが、そう、まさに奇跡だったのだ。
今まで当り前のように受け入れていたこの出会いが、彼女といるこの瞬間が、そんなにも貴重で尊いものだとは、思いもしなかった。
その事実に気づかされ、私は何も言えなかった。
エルデーンに何かを伝えたい気持ちがあるのに、それが何かが分からない。
そんな私の手に、エルデーンが自分の手を重ねてきた。
彼女の温もりが――命が、手の平を通して伝わってくる。
私はエルデーンを見た。彼女も私を見ている。
「それにね、強い想いで結ばれた二人は、来世でも廻り会うって言われてるの」
木洩れ日が降り注ぐ中、透きとおるような薄緑の瞳を細めて、彼女は微笑んだ。
「だから、きっとまた会えるわ」
あのとき、何故エルデーンがそんな話をしたのか、私は分からなかった。
……でも、今なら分かる。
彼女は見抜いていたのだ。
エルデーンに対する、私の心の弱さを、脆さを。
だから彼女は、魂は、命は廻るという星教の死生観を諭したのだ。
この現世で何かあっても、私たちはまた来世で会えるのだと教えたかったのだ。
もし私が彼女を失っても、私が壊れてしまわないようにと。




