大陸暦1519年――05 騎士物語3
「私はエルの声が好きなの! エルの声は凄く綺麗だから、エルの声でお話が聞きたいの!」
そう勢いで口にしてから、私はすぐに後悔をした。
エルデーンは虚を突かれたように目を丸くしている。
やってしまった。よりにもよって本人も前で。
失態に一気に顔が熱くなった私は、あからさまに顔をそむけた。
あぁまたからかわれる――。
自分が恥ずかしがると、最近は決まってエルデーンがからかってくるのだ。
それはもう、楽しそうに笑って。
私にはそれを黙って耐えるしか術はないので、気持ち身構えて攻撃に備える――が、いつまで経ってもエルデーンからの攻撃が来ない。
おかしいな。いつもならすぐにでも笑い声が飛んでくるのに。
もしかしてエルデーンはからかう以前に、自分に引いてしまったのではないだろうか。声が好きだなんて、やっぱり普通ではないのだろうか。これで彼女に嫌われたらどうしよう。
そんな不安を抱きながら、私は横目で隣のエルデーンを見た。
彼女はこちらを向いてはいたけれど、目を伏せている。
まさか――と私は驚く。
想像だにしなかった展開に、私は抱いていた不安を置き去りにし、真正面からエルデーンを見た。
白い肌によって、より強調された赤で染まる顔。
伏し目がちに口をつぐんだ、その表情。
間違いない。
エルデーンは私の言葉で恥ずかしがっていた。
思えば今まで、エルデーンの行動や知識にたいして感心はしたことあるけれど、容姿や特徴に関して触れたことは一度もなかった。
もちろん、それは褒めるところが無いからではない。
エルデーンのふわふわな金の髪や、いつも優しさを湛えた透きとおるような薄緑の瞳、そして小鳥のさえずりのような美しい声を、私はいつだって綺麗だと思っていたし大好きだった。
けどそれを知られるのが恥ずかしくて、からかわれるのが嫌で、その気持ちを心に秘めていたのだ。
そうやって今までひた隠しにしてきた自分の好みを本人に知られ、当然ながら恥ずかしい思いはあった。
でもそれ以上に、いつも落ち着いていてどこか大人びているエルデーンが見せた初めての羞恥の反応は、自分の恥ずかしさを感じさせないほどの衝撃があった。
次第に胸の辺りがざわざわとして落ち着かなくなる。
人を褒めるとこういう気持ちになるのか、とも思ったけど、どうも違う気がする。だって今までもエルデーンを見ていると、こういうざわつきを感じることはあったから。でもいつもは気になるほどではなかった。ここまで強いのは今回が初めてだ。
自分の中で起こっていることに戸惑いを感じながらもエルデーンを見ていると、同じく戸惑うように視線を上げた彼女と目が合った。
驚くように見開いたエルデーンの薄緑の瞳が、朝の木漏れ日を受け、キラキラと輝く。
それがあまりにも綺麗で、いつも見ている瞳なのに、そのときはまるで宝物を見ているような感覚を覚えた。
胸の鼓動が早くなり、胸のざわつきはさらに強くなる。
このままではどうにかなってしまいそうだ、と思った私は、目をそらそうと試みるけれど、体が固まったように動かない。
それは彼女も同じようで、お互いに視線を通わせながらも無言の時間が過ぎていく。
それは時間にして、わずか数秒の出来事だっただろうと思う。
でも私には、その時間が永遠のように感じた。
沈黙の中、先に目をそらしたのはエルデーンのほうだった。
それで私も金縛りが解けたように、顔もそらした彼女にならう。
私は一息つくと、自分の胸に手を当てた。
鼓動はまだ早いが、胸のざわめきは無くなっているようだった。
けれどそれに変わるように、胸の奥で何かが形成されているのが分かる。
それはざわめきよりは明確で、だけど今まで感じたことがない、よく分からない感情。
――なんだろうこれ。
答えを求めて隣のエルデーンをちら見するが、彼女は依然と顔をそらしたままで、表情を窺うことはできない。
もしかしたらエルデーンにも、自分と同じことが起こっているのだろうか。
もしそうならば、この感情が何なのか知っているだろうか。
でも例え彼女が知っていても、それを聞くにはすごく勇気を必要としそうで、今の自分には出来そうにもなかった。
お互いそっぽを向く形で、沈黙が続く。
エルデーンと一緒にいてここまで無言が続くのは出会って以来、初めてのことだった。
この何とも言えない空気感を私は気まずいと思ってはいたけれど、不思議と居心地の悪さは感じなかった。それどころか、むず痒いのにいつまでも味わっていたいような、貴重でとても大切なもののように思える。
けど、このままでは気まずいことには変わりない。
この空気を作り出したのは自分なのだから、自分がどうにかしないと。
そう思い、私は意を決して口を開いた。
「えっと、そういえば、お父様が言ってたけど、エルのお家が騎士の家系って本当?」
口を開いた途端、訊きたいことを思い出したのは幸だったといえる。
「昔の話よ」エルデーンの声は、努めていつもの調子で喋ろうとしているように聞こえた。「父はセドナのお父様と同じ文官だし、双子の兄も騎士になるつもりはないみたい。だからシャルテ家はもう何代も騎士は輩出していないの」
ここでやっとエルデーンはこちらを向いてくれた。
表情は堅く、まだ気恥ずかしさが浮かんでいるようだったが、私はそれに気づかないふりをする。
「へーそうなんだ。もったいないなぁ。エルも騎士になりたくないの?」
「私には無理よ」エルデーンは苦笑する。
「どうして? よくなってるんでしょう?」
それはこの前、エルデーン本人に聞いたことだった。
彼女の身体は年々よくなっており、向こうでも体調を崩すことはほとんどなくなったらしい。だから外にも大分、出歩けるようになったと彼女は嬉しそうに話していた。
「それはそうだけど」
「それならなれるよ。あ、ほかになりたいものがあるなら別だよ。私はエルがしたいことはなんでも応援する! 世界で一番、応援するよ!」
言葉の選びかたが面白かったのか、エルデーンの顔がほころんだ。
彼女の自然の笑顔を見て、私は安堵する。
よかった、これでいつも通りだ。
先ほどの雰囲気は嫌な感じはしなかったけれど、やっぱり彼女とは気軽に話せるほうがいい。
「エルは何かなりたいものないの?」
私の問いにエルデーンは「そうね」と言って人差し指を口元にそえると、考えを巡らすように視線を動かした。視線は円を描き、最後は手元の本に行き着く。
そこで彼女は思い付いたように顔を上げると、こちらを見た。
「私、お姫様になりたいな」
それは希望というよりは、問いかけるような口調だった。
手元の本を見てからのこの台詞――それが何を意味しているのか、私はすぐに理解する。
「それなら私は騎士だ!」
そう、お姫様には騎士が必要なのだ。
だからエルデーンがお姫様になるのなら、私は騎士にならないといけない。
だって私は、何があっても彼女を守ると誓ったのだ。
二年前、場の勢いで口にした言葉だけれど確かに誓ったのだ。
私は立ち上がると、エルデーン姫に手を差し伸べた。
彼女は満足そうに微笑むと、私の手を取った。
それから私たちは、騎士物語ごっこ遊びをした。
悪の騎士役は、兄を引っ張ってきてなってもらった。
途中から母も、仕事が休みだった父も私たちの劇を見に来た。
悪役を与えた兄は、気が乗らないかと思いきや意外と乗り気で、兄の快演を見た父は「文官ではなく役者になれ」と言って笑った。
物語の最後はもちろん、私が悪の騎士を見事に打ち倒し、エルデーン姫を助け出してハッピーエンド。
そのあとも、何度か騎士物語は上演された。
悪の騎士役は変わることがあったけれど、騎士とお姫様の配役は変わらない。
物語の中では、いつだって騎士は姫を助け出す。
そして、心のままに姫を守ると誓うのだ。
何度でも助け出し、何度でも誓う。
――そう。物語の中では、姫を失うことはないのだ。




