大陸暦1519年――05 騎士物語2
「――騎士は片膝をつき、姫に手を差し伸べました」
小鳥のさえずりのような声が、物語を紡いでいく。
私は八歳。エルデーンは九歳になった、三年目の夏期の記憶――。
私たちは朝食後のまだ涼しい時間帯を、庭の〈桜〉の木の下に座って過ごしていた。
普段ここでは雑談をすることが多いけれど、今日は私のたっての希望でエルデーンが本を読んでくれている。それを私は彼女の隣で、食い入る気持ちで聞き惚れていた。
「我が剣は王陛下のものですが、我が心は貴女だけのものです。私は心のままに、お側で貴女をお守りします。そう言って騎士は姫に手を差し出した。姫は騎士の手を取ると言いました」
「私の騎士よ。私の心も、貴方だけのものです」
物語が終わりを迎え、エルデーンは本を閉じる。
そしてこちらを見ると、くすりと笑った。
何かおかしかったかなと、私は小首を傾げる。
「ごめん。セドナったら、もう何度も読んでるのに、初めてのような顔をしてるんだもの」
恐らく好奇心が張り付いた顔をしていたのだろう。
それは無理もない。子供の私はこの物語が本当に好きだったのだから。
「分かっててもわくわくするの! だって聞いてよエル!」
大好きな物語を聞き終えて興奮さめやらない私は、好きな場面をエルデーンに語り始めた。もう何度目か分からない台詞を交えながらの力説を、彼女は優しい眼差しで、時より相槌も打ちながら聞いてくれた。
私が一通り語り終えると、エルデーンは嬉しそうに言った。
「こんなに気に入ってもらえて、持ってきたかいがあったな」
彼女が手元の本を見たので、私もつられて視線を落とす。
本の表紙に刻まれている題名は【騎士物語】
この本はエルデーンが星王国から持ってきてくれたものだった。
内容は、一人の騎士が王の命に背いて、悪の騎士に捕えられた姫を助け出すというもの。
著者は帝国人なのだが兄は著者を知ってはいるものの、この作品は知らないと言った。
本の虫であり、私のために騎士関連の本を集めてくれていた兄が知らないのだから、恐らく帝国では売っていないのだろう。その理由は分からないけれど『主君の命に背く内容が駄目だったのかもな』と兄は推測していた。
確かに皇帝陛下への尊厳と絶対の忠誠を重んじる帝国では、この内容はあまり好ましいものではないのかもしれない。
それに何年か前には、地方で皇家転覆を狙った反乱も起きている。もしかしたらそれが原因で回収された可能性もある。
もしそうならば、エルデーンがいなければ、私はこの本に出会うことが出来なかったことになる。
私が好きそうだからという理由で、持ってきてくれた彼女には感謝しかない。
そうだ、感謝を伝えなければ――と私が思っていると、先にエルデーンが口を開いた。
「それにしてもセドナって、何にでも一途なのね」
確かに子供の自分は、一途のような、一辺倒のような、ともかくにも何に対しても一直線な性格ではあった。
本に関してもそうで、気に入ったものがあれば、それにばかり熱中してしまう。幼いころ、私のお姫様が登場する絵本だけに夢中になったように。
そもそもこうなったのは、文字を読むという行為自体が苦手だったのも影響している。
読むこと自体が苦手なのだから、自ら進んで新しい本の発掘をしようとは思わない。だから誰かが読んでくれなければ、新しい物語にも出会えない。
そんな私に、本を読んでくれていたのは母と兄だった。
でもエルデーンが来ている間は、彼女が進んで読んでくれるようになった。
それは私にとって願ってもないことだった。
エルデーンは私がお願いする本以外にも、様々な本を読んでくれた。
彼女が選ぶ本の中には、まだ理解が難しい内容のものもあったけれど、それでも楽しいと感じていたのは、エルデーンが読んでくれたからに他ならない。
私には、彼女が読んでくれることに意味があったのだ。
ましてや、それが自分の好きな物語ならばこれ以上のことはない。
だから最近は、私の希望で【騎士物語】ばかり読んでもらっていた。
ここまで考えて私は、少し遠慮がなかったかも、と思い始めた。
エルデーンはいつだって優しくて、何でも快く受け入れてくれるから、気軽にお願いしてしまっていたけれど、彼女だって本当は自分の好きな本を読みたいのかもしれない。実はすごく我慢しているのかもしれない。
自分のことばかり考えず、相手を思いやる気持ちを忘れるな――友人関係で大切なことだと父が教えてくれていたのに私はそれを忘れ、つい彼女の好意に甘えすぎていた。
「えと、ごめんね」反省した私は、エルデーンに謝った。
突然の謝罪に驚くように、彼女は目をみはった。
「急にどうしたの?」
「だって、私の好きなものばかり読んでもらってるから」
「そんなこと」エルデーンは微笑む。「いいの。セドナが楽しそうだと私も楽しいもの」
その言葉で幾分か気持ちが楽になったけど、彼女は「でも」と言葉を続けた。もしかしたら不満を言われるのかもと思い、私は身を固くする。
「いつも私の声だと代わり映えしなくて飽きるでしょう? 私は好きで読んでるけれど、もし他の人に頼みたかったら遠慮しなくてもいいからね」
あり得ない彼女の心配事に、私は思わず「飽きないよ!」と声を張り上げていた。




