表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士物語  作者: 連星れん
前編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/72

大陸暦1518年――04 負けず嫌い2


「セドナ、チェスできる?」


 エルデーンが来て数日経ったある昼下がり。

 我が家の書庫で本を物色しているエルデーンを眺めながら私がソファでくつろいでいると、彼女が唐突に訊いてきた。


「やったことないけど」


 チェスは父と兄が遊んでるのを見たことがあるぐらいだった。


「それなら覚えてみない?」


 エルデーンはそう言いながら、少し高い段の本を取ろうと手を伸ばしている。

 大丈夫かなと心配しつつも、私は彼女の金の髪が気になって仕方がない。

 エルデーンの金の髪は、去年が背中辺りの長さだったのに比べ、今年は腰の下辺りまで達していた。それだけでも私の意識を誘って仕方がないのに、さらに今年はサイドの髪を編み込んで髪飾りまでつけている。

 その姿がますます絵本の中のお姫さまを彷彿とさせ、つい目で追ってしまっていた。

 エルデーンはお目当ての本が取れなかったようで、手を下ろすとこちらに振り向いた。予想だにしなかった彼女の動きに私は一瞬どきっとすると、思わず視線をそらす。何もやましいことはないのだけれど、彼女の髪を見ていたことを本人に知られるのは、何だか恥ずかしい気がした。

 けれど今のは流石にあからさますぎた。

 私は視線をそらしたのが偶々だという風に辺りを見ると、なるべく自然な流れで話を続けた。


「チェス、好きなの?」


 エルデーンはすぐに「うん」と答えた。こちらのことを気にしている様子はない。

 私はうまくごまかせたのだと安心する。


「兄がよく遊んでるから覚えたの」エルデーンはそう言って近くにあった脚立を運んでいる。もう一度、本を取ろうと試みるようだ。「面白いからセドナとも遊べたらいいなって思って」


 そう思ってくれることは嬉しい。すごく嬉しい。

 けど父と兄が遊んでるのを見たかぎりでは、何だか難しそうで興味は持てなかった。

 それでもエルデーンとすれば楽しいのかもしれないけれど、やりたいかと訊かれれば正直なところ気乗りはしない。

 私はクッションを抱いて「んー」と唸りながらソファに横たわった。

 難しいことは嫌いだけど、彼女の誘いを断るのはもっと嫌だな。

 そんな二つの本音に板挟みになりながら天井を見つめていると、ふいに視界にエルデーンが現われ「駄目?」と訊いてきた。

 私は驚きはしたが、それ以上に目前に垂れ下がってきた金の髪に気を取られ、そちらに意識が向いてしまう。

 ふわふわの金髪を前にして、私は無性にその髪に触れたい衝動に駆られた。でも母からの戒めを思い出し、それをぐっとこらえる。


 私が現実の金髪に興味を持ち始めたころ、欲望のままに誰彼かまわず金髪を触っていたことがあった。そのときは幼い子供のすることだからと、周りは微笑ましくそれを許してくれていたけど、母だけは違った。母は私の癖に難色を示し続け、あるときついに『家族ならまだしも、無闇に人の髪に触れるのは失礼です』と強く窘めてきたのだ。

 おそらく母は、私が金髪のみに反応していたことには気づいていない。けどこのまま放っておけば、これが悪い癖になってしまうことだけは見抜いたのだろう。

 それ以来、私は一途にその戒めを守っている。

 他人だけではなく家族にも遠慮している。

 それでも我慢できないときは、母に許可を貰って触ることにしていた。

 でもエルデーンは家族ではないから触ることはできない。

 それならどうすれば彼女の髪に触ることができるのだろう、と私は疑問に思った。

 家族ではなくても、許可を取れば大丈夫なのだろうか。

 それとも友達――そうだ彼女とは友達だ――ならいいのだろうか。


「そんなに悩むこと?」エルデーンがくすりと笑って顔を上げる。


 彼女も、まさか私が違うことに頭を悩ませているとは思いもしないだろう。

 エルデーンは寝転がる私の頭上に座ると、何気ない感じで私の前髪に触れてきた。

 その瞬間、私の中に衝撃が走ると共に、頭は混乱した。

 もしかして友達は触ってもいいの!? という疑問で私の頭はいっぱいになる。

 そういえばエルデーンが私の髪に触れたのはこれが初めてではなかった。初めて会った日に頭を撫でられているし、いつか髪をくくってくれたこともある。でも頭を撫でたのは慰めてくれるためだし、髪をくくってくれたのは私が邪魔そうにしていたからだ。触りたいから触ったとかではない。

 私は触りたいから触りたいのだ。それなら今のはどういうことなのだろうか。やっぱり友達は触っていいのだろうか。本人に訊いてみればそれは分かるだろうか。……いや、それは駄目だ。下手したら彼女に私が金の髪が好きだと知られてしまう。それはよくないと私は思った。それは恥ずかしいと。

 それならどうすればいいんだろう。どうすれば彼女の髪に触れられる――。


 私はチェスのことなど忘れ去り、自分にとっての難題を悶々と考えていた。

 そんな私の悩みなど知らないエルデーンは「駄目かー残念だなー」と言った。

 それは妙に芝居かかった棒読みだった。

 だから私は気を引かれ、寝転がったまま頭上のエルデーンを見た。彼女は私が見ていることに気づくと、続けて言った。


「戦略を学べるチェスは騎士になる上で必要なのになー」と棒読みで。


 騎士――その言葉に完全に正気に戻った私は、反射的に身体を起こすとエルデーンを見た。

 彼女はしたり顔で微笑むと、手元の本を差し出す。


 その本には【チェス入門書】と書かれていた。

 


 まんまとエルデーンの策略にはまった私は、父や兄やエルデーンがチェスをするのを横で見ながら必死にルールを覚えた。

 そしてチェスに誘われてから四日目の昼下がり。私はついにエルデーンとの初めての真剣勝負に挑んだ。

 私はこのとき負けることなど微塵も考えてなかった。ルールさえ覚えれば誰にだって勝てる。だからエルデーンに勝って彼女に褒めてもらうんだ、とそれだけを考えていた。


「あ、まって!」


 けど普通に考えて初心者が経験者にいきなり勝てるわけもなく、彼女は容赦なく私の王を追い詰めた。


「チェックメイト」

「あー待ってっていったのにー」

「勝負の世界に待っては通用しないわ」


 エルデーンは容赦ない勝者の笑みを浮かべている。

 それは私が初めて見る彼女の顔だった。そして気づく。彼女は意外と負けず嫌いかもしれないと。

 そのときの私は、一年目では知れなかったエルデーンの一面を知ることができて、確かに嬉しさを感じていた。けれどそれ以上に勝負に負けた悔しさの感情が勝ってしまい、盛大に頬を膨らませてしまう。


「むくれないの」エルデーンは楽しそうに私の膨らんだ頬を突っついた。「セドナ才能あるよ。覚えたてでここまで出来るんだもの」


 才能がある――その言葉に喜びそうになるも、先日の似通った展開が脳裏に浮かび、私は警戒を強める。


「……ほんとに?」


 もうぬか喜びをしないために、私は期待せず半信半疑で確認した。


「ほんとうに」エルデーンはすぐに同意してくれる。


 彼女の素直な反応に安心した私は、身を乗り出してさらに訊いた。


「がんばればエルに勝てる?」


 私の問いに、エルデーンはまたもや意地悪そうな微笑みを浮かべると「それは難しいかも。私も頑張るから」と、幼い希望を完膚なきまでに叩き切った。

「そんなのずるいー!」


 拳を振り上げて抗議する私を見て、エルデーンは楽しそうに笑った。



 結局その年は、エルデーンに一度も勝つことは出来なかった。

 負けず嫌いだった私は、エルデーンが帰ったあとも兄に付き合ってもらい特訓をした。そして次の年も、そのまた次の年も、彼女に勝負を挑み続けた。

 年々の積み重ねが実を結びんだのか、私は少しずつエルデーンに勝てるようになった。けれど総合的に見れば私はいつも負け越しで、いつになってもエルデーンのほうが一枚上手だった。


 私はいつか負け惜しみに『エルって負けず嫌いだよね』と言ったことがある。すると彼女は何気ない様子で『そんなことないよ』と言った。


 その後、士官学校に入り、学友たちとチェスをするようになってから私は初めて、エルデーンが人並み以上に強かったことに気がついた。

 才能もあったのかもしれないけれど、きっと彼女のことだ。

 あのとき言った通り、頑張っていたのだろう。


 やっぱり負けず嫌いじゃないか――私は改めて思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ