大陸暦1517年――02 名誉の傷3
エルデーンが初めてバルゼル家の邸宅に訪れた翌日。
私は早朝から、庭で木剣を振っていた。
前日の愛剣だった木の枝は、昨日エルデーンを庭に案内したとき、父に木の枝を折ったことが知られ、取り上げられてしまった。
父に枝のことをこっぴどく叱られて泣いた私は、その日一日ずっと落ち込んでいた。
エルデーンはそんな私を見ては、時より頭を撫でてくれた。
初対面で最速、恥ずかしい姿を見せてしまったと今では思うけれど、幼い私は大して気にしてはいない。
彼女とはそのとき、少しだけ会話をしたようにも思える。だけど私は、自分の気持ちの世話に手一杯で、内容をほとんど覚えていなかった。
ただ一つだけ覚えていたのは、エルデーンから『自分のことはエルと呼んで』と言われたことだけ。
その日は落ち込んだ気持ちのまま、寝床に入った。
翌朝、目を覚ますと、枕元に何かが置いてあるのが見えた。私は寝ぼけ眼をこすりながら、それを手にする。
それは、子供用の木剣だった。
木剣に添えられた手紙には、父より、と一言だけ書かれている。
おそらく父は叱りすぎたことを後悔し、母と兄の助言のもと、この贈りものを選んだのだろう。
私は一気に覚醒すると、急いで着替えて、木剣を手に庭へと飛び出した。
そして昨日の落ち込みようが嘘だったかのように、意気揚々と木剣を振るっている。
木剣は木の枝よりも重く、まだ細い子どもの腕では一振りするのも大変だった。
それでも、その重さが何だか本物のように感じられて、私は嬉しかった。
「セドナ、おはよう」
朝に溶け込む、小鳥のさえずりのような声が耳に届いた。
庭の戸口を見ると、そこにはエルデーンが立っている。
「おはようエル!」私は左手を挙げて挨拶を返す。
彼女は微笑むと、空を一度見上げてから庭へと足を踏み入れた。
エルデーンのふわふわとした金の髪が、朝の日差しを目一杯に受ける。
母とは違い、エルデーンの髪は薄い金色ではあったけど、それでも十分なほどに彼女の髪は輝いた。
本当にお姫様みたいだ――。
エルデーンが歩く姿に、私は見惚れてしまう。
昨日、初めて彼女を見たときの興奮や緊張は、父に叱られたおかげで収まってはいたけれど、それでもエルデーンを目の当たりにすると、大好きな絵本のお姫様を見たときのように胸は高鳴った。
彼女は私のところに辿り着くと「何をしているの?」と言って、手元の木剣を見た。
問われて我に返った私は、慌てて答える。
「えと、たんれんだよ!」
「鍛錬?」
「うん。騎士になるためのたんれんだよ!」
「セドナ、騎士になりたいんだ」
「なりたいんじゃなくて、なるの!」
言い切る私に、エルデーンは少し目を丸くすると、感嘆するように言った。
「凄いね」
褒められて無性に照れくさくなった私は、彼女から視線をそらす。
「えっと、エルも一緒にしない?」
恥ずかしさを紛らわすために、私は軽い気持ちで彼女を誘ってみた。
昨日、晴れて両親にも夢を知られてしまった私は――もともと隠していたわけではないけれど――それならばと表立って毎日鍛錬を始めようと考えていた。
でも、そうなると相手が必要となる。
素振りは一人でも出来るけど、手合わせとなるとそうもいかない。
もちろん使用人のオグに言えば、必ず相手をしてくれることは分かっていた。
オグは衛兵ほどではないにしても剣の心得がある。初心者である自分の相手にはまさに打ってつけだ。でも彼には日々の勤めがあり、早朝は必ず庭の草花の手入れをしているので、朝の相手は絶対に無理だった。
オグが駄目となると、次の候補は兄となる。
兄はオグのように剣は使えないし体力もないけれど、本の虫である兄は、本で得た知識を教えてくれるし教えかたも上手だ。
でも兄は起床してから朝食までは本を読んでおり、それが日課だということを私は知っていた。それでもお願いをすれば聞いてくれることは分かっていた。でも私はそれをしなかった。いくら兄が優しくても甘えすぎてはいけない、と子供ながらに思ったのだ。
オグも兄も駄目となると、最後は我が家の衛兵に行き当たるのだけど、彼らは家と私たち家族を守るのが仕事なので、子供の相手はしてくれない。以前に何度かお願いをして駄目だったので、それははたから諦めている。
そうなると、結局、朝は素振りをするしかない。
それでも十分に楽しいので不満はないけれど、もしエルデーンが相手をしてくれるなら嬉しいし、もっと楽しいだろうな、と私は思った。
私は期待の眼差しでエルデーンを見た。彼女はそれを受け困った顔をすると、申し訳なさそうに言った。




