大陸暦1527年――02 名誉の傷2
ホルマル獄吏官は部屋の角から小さな丸椅子を持ってくると、セドナが腰をかけているベッドの向かいに置いて座った。
「では質問させて頂きます――」
ホルマル獄吏官が手元の板に乗せた書類を確認すると、質問が始まった――。
「――はい。お疲れ様でした!」
そしてそれは、いつの間にか終わっていた。
内心、セドナは驚いた。
ホルマル獄吏官は丸椅子を部屋の角に戻している。何も言われないところを見ると、質問には答えていたらしい。
セドナは最近、こういうことが多かった。
何も考えずにいると、意識が何処かへと落ちていることが。
それは、夢を見る感覚に似ていた。
内容は覚えていたり、覚えていなかったりと、まちまちだが、覚えている場合は決まって昔の光景を見る。
そう――昔の記憶だ。
「それでは、次は身体検査です!」
セドナは立ち上がると、自ら服を脱ぎ肌着になった。
ホルマル獄吏官からの身体検査は初めてだが、内容は収監されたときの身体検査と同じだろうと思ったからだ。
ホルマル獄吏官は「ご協力ありがとうございます!」と言うと、手元の板に乗せた書類と照らし合わせながら、セドナの体の細かい傷を見始めた。それらの傷は、士官学校の訓練で付いたものだとすでに申告している。
細かい傷の照合が終わると、次にホルマル獄吏官は左の二の腕を見た。
「この傷は、連行された直前に負っていたものですよね」
そう言ってから傷に触れる。傷の具合を確かめているのだろう。
セドナも自然と二の腕を見た。傷は二の腕の外側を、横一文字に走っている。
「――」
傷を負った経緯を思い出しそうになり、セドナは思わず眉をひそめた。
「あ、すみません! まだ痛みますか?」
ホルマル獄吏官の手が飛び退く。自分の反応が、傷を触ったせいだと思ったらしい。
傷自体はもう痛まない。痛むのは――浮かびそうになった思考を振り払う。
「痛みません」
ホルマル獄吏官は安堵の表情を見せると、続けて申し訳なさそうに言った。
「傷跡を残すような手荒い治療になってしまったことを、改めてお詫び申し上げます」
変わった謝罪をするんだな、とセドナは思った。
怪我を治すには、大まかに分けて三つの方法がある。
一つは簡単な手当てによる自然治癒、
一つは五行魔法の水属性による治療魔法、
そしてもう一つは神星魔法の星属性による治療魔法だ。
魔法は素養があれば誰でも使うことができるが、素養を持つもの自体がそう多くはなく、その中でも、神と星の力と言われる神星魔法の素養を持つものはさらに少ない。
だが、その少ない神星魔道士が多く集まる国がある。
それがここ、大陸随一の魔法国家である星王国だ。
魔法の素養がないセドナには、詳しいことはよく分からない。
ただ知っているのは、星属性の治療魔法は水属性よりも効能が高く、よほど深い傷でなければ跡を残さないということだ。
セドナの治療に当たったのは五行魔道士だった。
恐らく、自国の負傷者の治療で、神星魔道士が足らないのだろう。
囁き聞こえた話しによると、星都に張っていた結界が何者かによって破られ、それを機に攻め込んだ帝国軍と、さらに結界が破られたことにより侵入した瘴魔により、軍人民間問わず星都の被害は甚大らしい。
今では結界も復活し、帝国軍も撤退を余儀なくされたようだが。
「謝罪の必要はありません。自国の民を優先されるのは、当然のことです」
まるで自分の失態のように意気消沈していたホルマル獄吏官は、セドナの言葉に感極まったかのような表情をすると「お心遣い、痛み入ります!」と、敬礼をして言った。
不思議なものだ、とセドナは思う。
今、ホルマル獄吏官の目の前にいるのは、侵略者の国の騎士であり、その侵略者は彼女の故郷を蹂躙したのだ。にもかかわらず、彼女は敵国の捕虜に憎しみの片鱗すらも見せようとはしない。それは彼女がよく出来た人間だからだろうか。それとも、職務のために憎しみを心に秘めているのだろうか。だとしたら若いのに――流石に若いと言いたくなる――随分と老成している。
検査は程なくして終わった。
「ご協力ありがとうございました!」
手で促され、セドナは服を着る。
「これで定期調査は終わりです。お疲れさまで――」
ホルマル獄吏官の言葉が止まる。彼女は首を傾げると一言「失礼」と言い、セドナの右の横髪を手でそっと避けた。そしてこめかみを見る。
「こちらの傷は? 調書にはないようですが」
問われて、ふいに記憶の波が意識を覆った――。




