前編
その少女と出会ったのは、蒸し暑く、ひどい臭いがする洞穴の奥だった。
十歳にも届いてなさそうで、全身が傷だらけで、そのへんの蔦を雑に編んだ荒縄につながれていた。
手を差し伸べようとすると、震えながら石を握り「おまえ、ころしゅ」と舌っ足らずに言ってきた。
ここは小鬼の棲家となっていた洞穴だ。
おそらく、小鬼どもにさらわれて嬲られていたのだろう。瞳がギョロギョロと動いて焦点が合っていない。
冒険者なんて殺伐とした商売をしている俺だが、いくらなんでもこの姿には心が痛んだ。
洞穴の中にいた小鬼どもは全滅させたし、多少の足手まといが増えたところでもう危険はないだろう。
そう考えて、俺はその少女を連れて帰った。
散々暴れて引っかかれ、噛みつかれたせいで、俺の腕にはいまでもコイツの歯型が残っている。
* * *
「おまえ、ころしゅ」
「あーはいはい。わかったからさっさと飯を食え」
このガキを拾ってから何度雷鳴が巡っただろうか。
さっさと神殿の孤児院にでも押し込んでさよならするつもりだったのだが……諸事情あって、いまでも俺が連れ回す結果になっている。
てっきり、さらわれた人間の子どもだと思っていたのがよくなかった。
傷だらけで、小汚いコイツを神殿に連れて行き、身体を洗わせるとあっさりその正体がわかった。
――混ざりモノ。
神殿の侍女たちが水をぶっかけて洗っていると、赤茶けた髪に隠れていた角が顕になった。
つまり、こいつはさらった人間の女に小鬼どもが産ませた子ども。小鬼と人間との混血児だったってわけだ。
普通、これくらい人間の血が濃く出ると赤子のうちに小鬼どもに喰われてしまうらしい。
だが、なぜかこいつは生き延びて、あの洞穴の奥で飼われてたってわけだ。全身の生傷を見ると、どういう目的で生かされていたのか想像して胸糞が悪くなる。
まったく、小鬼ってのはとにかくろくなことをしない。
「にんげん、ころしゅ」
じゃぶじゃぶと洗われた後に、物騒なことをつぶやいてくる。これが小鬼流の情操教育の成果なのか。
ともあれ、おれにはもう関係ない。踵を返して神殿を去ろうとすると、侍女から呼び止められた。
「申し訳ございませんが、当方で預かれるのは人間のみ。このような混ざりモノは……」
ってわけで、このガキを突っ返されていまに至る。
たとえ何十年この街で過ごそうが市民権を得られることもない、人間でもないガキなんだから、放り捨てて野垂れ死にさせても良かった。
だが、そうするにはこいつは人間に近すぎた。年頃も、あいつに近すぎる。赤茶けた髪も、おれに嫌な思い出を蘇らせさせる。
だから、捨てることもできずにずっと連れ歩くはめになっちまった。
「おまえ、ころしゅ」
ガキが空になった皿をフォークで叩いている。ああ、くそっ。足りねえってか。こいつ、俺よりもずっと食いやがる。
給仕を呼び、追加の注文をする。やってきたプチハーピーのもも焼きにガキがかぶりつく。
「くった。ち、ささげる」
飯を食い終わるとぐったりと椅子にもたれて眠りはじめる。なんというか、どこまでも自由でうらやましい。その飯の代金は誰が稼いでると思ってるんだ。
「よぅ、子連れの。今日も景気がいいみてえだな」
「知るか馬鹿野郎。今日もこのガキの食費で空っ欠だよ」
「ははっ! そうみてえだな。だがよ、最近のおまえはちょっとは人間らしくなってきた気がするぜ」
やかましい。エールの入ったジョッキを机に叩きつける。
「悪かったよ。でもよ……いい加減吹っ切らねえとしょうがねえんじゃないか?」
「吹っ切るも、吹っ切らねえも俺の自由だ」
「そうかよ。じゃ、もう言わねえよ」
そう言いながら去っていったのは俺の古馴染みだ。もう言わねえ、もう言わねえ、と何回も何十回も言い続けるしつこいやつだった。
こんな混ざりモノのガキを連れ歩いたってしょうがないのは俺だってよくわかってる。
おまけにこいつは、俺を親の仇とでも思ってるのか隙あらば襲いかかってくる。……いや、親の仇であることにはたぶん間違いはないが。
ともあれ、メシは終わった。「ち、ささげる」とか寝言をもらしているガキを抱え上げ、食堂の二階に上がる。
この食堂の上は宿屋になっていて、俺はここを定宿にしている。階段を上がりながら財布を確かめるともうだいぶ軽い。
数日休んだが、そろそろ小鬼殺しをする頃合いのようだ。