第一章 第二話 兄妹のために
一
悪魂。助太郎にとっては存在そのものが許せないものだった。多くの人を殺め、その魂を吸う。そして、さもそれを当たり前のような顔をして、人を襲う、ごみのような存在。
幼い頃は小さな団地に家族と一緒に住んでいた。決して豊かではなかったが幸せだった。だが、助太郎が十祭の頃、家族を悪魂に殺められた。元気で活発な大切な弟、心優しい両親を、その時同時に失った。
夜、家に帰った助太郎は家に大きな白い布が被せられており、中で何人かの人が何かやっているところを目にした。家から出てきた人たちは皆黒い隊服を着ていた。助太郎はその人たちに連れられ家の中に入った。そして、顔に白い布を被せられて倒れている両親と弟を目にした。その光景を見ながら、隊服を着た人たちに家族の死を知らされた。そして、家族を襲ったのが、悪魂という化け物である事を知らされた。
助太郎は弟や両親を助けられず、自分だけ生き残ったことがとても許せなかった。隊員に助けられた後の助太郎の瞳はすでに霧がかったように曇っており、光を失っていた。
助太郎はその後壊魂組に入り悪魂を破壊する日々を送っていた。弟を奪った許せない存在。助太郎はその怒りとともに、何の躊躇いもなく悪魂を破壊していった。
そして、悪魂を妹に持つ少年に会った。妹の悪魂が少年を助ける姿を見た。助太郎は目を大きく見開いて驚愕し、言葉が出な口なる。信じられず、自分の目を疑った。その時、弟と自分の姿が二人に重なった。
もし、自分がこの妹を破壊したら、この少年から妹を奪うことになる。そして、この妹の悪魂は他の悪魂とは違う。人をこのまま襲わないかもしれない。体が悪魂になっても、なんら人と変わらない存在であることができるかもしれない。
希望と可能性がまだ残っている。
途端に、本来の任務ではこの妹の悪魂に放たなければいけない筈の自分の拳が動かなくなった。まだ何も犯していない、人を庇った存在。悪魂になっても人の心を忘れていない。助太郎には二人から光が放たれているように感じた。この光は、自分が見出した希望が自分の中で具現化したものだろうか。助太郎はそう思った。だが、それだけの希望がこの二人には秘められている。そう思った。助太郎はその光に引き寄せられるように、助太郎は少年に寄って行き、こちらを見て警戒し妹を抱きしめている兄の方を安心させるように「お前達には手を出さない」と言った。
助太郎にとっては初めての任務違反だった。今まで、しっかりと任務はこなしていた。どれ一つとして手は抜かず、自分の私的な情を押し殺して任務は遂行していた。だが、今回悪魂を妹に持っている少年を助けた。それも私的な情に流されて。
何故だ。
困惑が助太郎の中に走る。
壊魂組の本拠地を目指して、少年を引き連れて山道をかけていた。山道に、バイクの音と、その後ろをくっついて走る馬の足音が響いた。
山道をバイクと馬が一列になって走っていた。
速い。バイクを追っているだけあって、ついていくのがやっとで、こちらの疲労はどんどん増していく。翔太郎はシュナイダーを走らせながらそう思った。後ろには陽子がもたれかかるようにしている。布を被せ、高熱を抑えているが果たしてこれで効くだろうか。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。前をバイクで走る壊魂組の男は運転中に、トランシーバーのようなものを取り出し、それを片手に誰かと通信を取りながら走っていた。
男は翔太郎の方を見た。
(あの馬。ただの馬ではないな。この特殊性能のバイクに追いつく速さ、通常の馬では走れないような山道をかける能力。一体どうやって育ったかは知らんが、すごいものだ。
しかしこれ以上スピードを上げるわけにはいかないな。あの馬は、あの翔太郎とかいう子供の唯一の移動手段。
走りすぎて潰れられたらこちらも対応に困る。)
日の出ごろ、男は山道を走る中バイクを止め、翔太郎に言った。
「ここで一旦休む。ここから先はさらに険しい山道になる。あと、日が出てきたな。」
「もう止まってしまうのですか。」
「当たり前だ。俺はバイクといいう機械を使っているが、お前は馬だろう。それにお前の馬を見てみろ。息が切れ、汗が大量に出ている。これ以上走ると、その馬も潰れかねん。ここは一旦休むべきだ。」
翔太郎はシュナイダーの息が上がっていることに気づかなかった。男の話を聞くと、シュナイダーの方を見た。確かに息が上がっており、素人目にも疲れていることがわかる。
翔太郎は自分の服をちぎり、シュナイダーの汗を拭いた。
「ごめんな。シュナイダー。陽子のことで頭がいっぱいで、お前のことを考えられていなかった。あの人がお前のことを見ていなかったら、俺はお前を潰していたかもしれない。誰よりもお前を長く見てきた主人なのに。
ごめんな。」
翔太郎は不甲斐ないと思いながらシュナイダーの汗を拭った。
男は翔太郎に言った。
「おい。お前の妹はとりあえず俺が今持っているこの白い布で包んでおけ。日の光を悪魂が浴びると石化してしまう。そうするともう二度と元には戻れない。」
「え?!」
翔太郎は驚いた。もう日が出かけている。翔太郎は男から白い布を受け取ると、高熱にうなされている陽子の全身を包むように、白い布を陽子に巻いた。
「すまない。こんな風にものみたいにお前を包んでしまって。ちょっと嫌かもしれないけど我慢してくれ。」
翔太郎は陽子の手を握り、陽子の額に手を当てる。やはりまだ熱は下がっていない。
「この先、あと五日ほど旅は続く。あまり焦るな。お前はただでさえ馬で移動しているんだ。だからまず一般道に出ることはできない。ずっとこういう山道を移動することになるな。」
そう言って、男はバイクから降り近くの木にもたれかかると、水筒を取り出して水を飲み始めた。シュナイダーを近くの木のそばで座らせた翔太郎は男に尋ねた。
「あの、俺たちは一体どこへ向かっているのですか?」
男は水を飲み終えると答えた。
「兜島。壊魂組の本拠地だ。兵庫県の海沿いの方へ行き、しばらく海を渡るとたどり着く。」
「本拠地ってどういう場所なんですか?」
「まあ、言ってしまえば、天然の要塞だな。壊魂組の隊員がみんなそこに集まって生活をしている。そしてそこで腕を鍛える。隊員ではないが、隊員の親族もそこで隊員のサポートをしながら生活している。まあ、俺の下手な説明より、自分の目で見たほうが早いだろう。」
男はそう言ってまた水を飲んだ。翔太郎は男の話し方や表情を見て、なんだか気難しそうな人だなあと思っていたが、質問にはしっかり答えてくれた。
翔太郎は何を話せばいいか、少し戸惑ったが、何か思い出したように慌てて男に言った。
「あ。そうだ、すいません!まだお名前を聞いていませんでしたね!あの、お名前なんていうんですか?」
「石田 助太郎。」
「助太郎さんっていうんですか。俺は愛宕翔太郎って言います。
妹の方は陽子。」
「そうか。」
そこから先は辛いことの連続だった。山の中におり、街に行くにもかなり時間がかかるので、自分たちで野菜を取り今持ち合わせている最低限の物で料理をし、野宿をして生活した。肉は助太郎が非常用のものを持っていた為どうぶつを襲わずに済んだが、野菜をとったり火を起こしたりと自給自足の生活をずっとした。
翔太郎は火を起こしたり、停留している近くの場所での野菜の採集といった比較的安全な事をし、助太郎が地形の把握のために崖を見たり、食べ物の毒味など危険な事を担当して行なっていた。翔太郎放たない助太郎に申し訳なかったので、自分も危険な事を担当して行うと言うと助太郎は常にその必要はないと却下した。
そして、移動時には馬がぎりぎり通れるか通れないかくらいの険しい道を上り下りし翔太郎たちは五日間旅をした。どんなに腹が減ろうと、飢餓感を感じようと、好きな時に好きなものを食べ、腹を満たすことなんてできない。空腹と、疲労に襲われながらのこの旅の中で翔太郎は「もう何があっても自分は生きていけるのではないなか」と内心思っていた。
ただ、実際危険なことは全て助太郎が率先して引き受けており、おそらく、自分よりも助太郎の方が疲れているのだろうと思った。
5日目 昼
翔太郎と助太郎一行は五日間の険しい旅を終え、兵庫県の海沿いの場所に来ていた
夜まで助太郎は翔太郎にここにいることを伝え、夜まで動かず海沿いのこの場所にいると、海の向こうから木製の船がやってくるのが見えた。見た目は古風だが、進行速度は普通の船と同じくらい速い。
船は翔太郎達がいるところに停留すると、船から助太郎と同じ服装の人がゾロゾロとバイクを引っ張って出てきた。翔太郎は助太郎に案内されるがままシュナイダーを連れて、その船に乗り込んだ。
船は発進し、日本海の上を波に揺られながら進行して行った。船内は常に揺れており、船酔いにあってエチケット袋を片手に座っているものもいる。
数時間経つと、船から一つの島がポツリと見えた。船は島に向かってぐんぐんと進行する。島の付近に着くと、船は停留所へと進み、停留所に留まった。
船の外に、人が降りるための板がかけられる。
翔太郎はシュナイダーに陽子を乗せると、シュナイダーを引っ張って船を出た。前は、助太郎が歩いている。
「ここが、壊魂組の本拠地、兜島だ。」
島はいざ上陸すると、とても大きく見えた。奥には森があり、海岸部から少し奥の内陸部にかけて、村や畑がある。昆虫は飛び回り、蛍が闇を美しく照らしていた。天然の要塞。そう言っても過言ではない場所だった。
二
助太郎は言った。
「今日のところは俺の家に止めてやりたいが、生憎俺の家にはスペースが無い。知り合いのところまで行こうと思う。」
「知り合い、ですか?」
「ああそうだ。奴は寿司屋を営んでいてな、訪れた客に対して、ついでに和菓子も作ってくれるような気の利いた奴だ。お前の妹にもよくしてくれるだろう。」
助太郎はそう言うと、翔太郎にシュナイダーを引っ張らせて、島の中の山道を歩いていった。後ろを歩いている翔太郎は一体いつになったら着くのだろうと、息を切らしていた。しばらくすると、和風の建物が何軒もある村に来た。一つの建物につき、五つほど小さな田んぼがあった。そこの村の奥へ行くと、一つだけ田んぼがついていない、店らしき建物があった。近くに、「寿司の氷川」と書いてある旗が建てられている。翔太郎は自分が小さいと思っていた島にこんなにも、大きなムラがあるとは思ってもおらず、驚きながら、この店や周りの家を見渡していると、助太郎が店のイヤホンを押した。店の中にイヤホンの音が響く。しばらく待ったが誰も出る気配がない。助太郎は少しイラッとし、「こちらがいることをわかっていながらやっているな。」と言うと、イヤホンを連打した。辺りにうるさく何度も、イヤホンの音が連続して響く。途端に、店のドアが開き、「うるさいわ!今何時だと思っている!」と言う声と共に、作務衣を着た黒髪の一人の男が出てきた。
「もうとっくに夜中の十二時まわってるんだよ!丑満時すぎてんのわかる!こちとら営業時間外なのにも関わらず、容赦なく何度もイヤホン押しやがって!俺の調理場の机の上での安眠が台無しだわ!」
男がそう言って、助太郎に怒っていると、助太郎は「そうか。迷惑をかけたな。調理場の机の上か、また新しいレシピを考えていたのか。よく飽きんな。ところで、……」と、すぐに話題を切り替え、翔太郎と陽子の説明を始めた。
(こいつ!分かっていてやっているな!本当に配慮に欠ける奴だ!もう少し気遣いというのを覚えるべきだろう!それに、レシピの話は余計だろう!ああ、眠くてイライラする!)
店の男はそう思いながら、助太郎の話を聞いていた。
「と言うわけで、この翔太郎と妹の陽子を預かってくれ。あと、シュナイダーはお前のところの駐輪場において欲しい。俺のところでは扱いきれん。」
助太郎はさも普通の事のようにそう言った。すると、店の男は眉を潜めて、尋ねた。
「待て、お前、ひょっとしたら俺が面倒見ると言うことを決定事項として扱っているか?」
「え、駄目なのか?」
「逆に、なんでいいと言うと思った!?」
「お前だから。」
「舐めとんのか!子供二人預けるにしても、今の時間はないだろ!せめて朝か昼だろうが!とにかく、今日の一晩ぐらいはお前が自分で面倒を見ろ!明日、こっちにきて預けても良いから、今晩だけは自分の家に止めろ!いいな!そいじゃさよなら!もうこんな夜中にイヤホン連打すんじゃねえぞ!」
男はそれだけ言い残して、店の中へ入っていった。
助太郎は一瞬ぽかんとしたが、その後すぐに目つきをキリッと整えて切り替えると、翔太郎にいった。
「と言うわけで、この一晩だけはうちで預かることになった。少し狭くて申し訳ないが我慢してくれ。そして、明日は早朝から家を出てこの店に行ってくれ。おそらく、この男のことだから良く面倒を見てくれるだろう。」
「は、はい。」
翔太郎の返事を聞くと、助太郎は「行くぞ」と言って、スタスタと歩き始めた。助太郎に急いで翔太郎はついてゆくと、また何分か山道を歩いた。そして、移動し始めて数分後、助太郎の家についた。助太郎の家は見るからに質素な和風の家だった。瓦屋根と木製の造りが和風な印象を翔太郎に植え付ける。翔太郎は助太郎の家の近くにシュナイダーを止め、助太郎の家に入ると、そこで一夜を過ごした。
夜の時間はあっという間に過ぎ、午前六時に空に朝日が登った。窓から刺す日光に照らされ、翔太郎は布団の上で目を覚ました。横では陽子が寝ている。翔太郎は寝室を出て、廊下を歩き、居間へと移動すると、そこにはもうすでに軍服を着た助太郎が椅子に座っていた。
「昨日行ったことは覚えているな。支度はできているか。」
「はい。」
「よし、では昨日行ったあの店へ行ってくれ。あそこの家は、病人にとっては、この家にいるよりも断然いい場所だ。とりあえずあそこへ行って、面倒を見て貰えばなんとかなる。」
「あの。」
「なんだ。」
「朝ごはんはどうしたらいいですか。」
「あの店で食べろ。きっと、体に良い物を出してくれるはずだ。あと、何か困ったことがあったら俺を尋ねろ。出来る限り協力する。後、陽子のことは伝えてある。看病を手伝ってくれるだろう。俺も陽子については、情報収集をするようにする。」
翔太郎は寝室へ急いで戻り、陽子を起こして陽子の体に白い布を巻き、支度をするとすぐに陽子を担ぎ、荷物を持って助太郎の家の玄関に出た。見送りに、助太郎も玄関まで歩く。すると、翔太郎は助太郎の方を振り向いて、言った。
「一晩だけだったけど、ありがとうございました。後、この島へ連れてきてくれてありがとうございます。
陽子の高熱を抑えるために、見ず知らずの俺たちにここまでしてくれてとても嬉しかったです。いつになるかは分かりませんが、いつかこの恩は返したいと思っています。」
助太郎は驚きのあまり目を丸くした。そして、すぐに冷静になるといった。
「俺はお前たちのことをそこまで丁寧に扱っていない。それに、あんな状況だったら、この軍に所属する他の奴らだってそうしただろう。恩に着る必要はない。」
翔太郎は、玄関のドアを開けると、「ありがとうございました」と一礼し、この家を出ていった。
翔太郎はシュナイダーに陽子を乗せると、シュナイダーを引っ張り、昨日男が店から来た道を歩いた。やがて店に着くと、翔太郎は店のインターホンを鳴らした。
「はいはい。」
その声とともに昨夜の店の男が出てきた。
「悪いねえ。昨夜はあんなところを見せてしまって。大人同士のあんな喧嘩、見せたくなかったんだけどねえ。」
「ああ、いえいえ、大丈夫ですよ。」
「悪魂の妹を連れているって。」
「は、はい。」
「話は助太郎から全て聞いたよ。悪魂が人を守ったんだってな。話を聞いた時はまるで信じられなかった。だが、昨日の熱にうなされていた女の子が悪魂だとすると、信じられるよ。雰囲気も凶暴じゃないし、顔も恐ろしくない。性格も悪そうに見えないし、見かけだけだと人間と区別がまるでつかない。助太郎のいうことも今じゃ信じられるさ。」
「あ、ありがとうございます。」
翔太郎は嬉しそうに笑った。
男は翔太郎の笑顔を見て、嫌なやつではなさそうだなと思うと、店の中に入るように言った。一階の奥には調理室、前の方には軽い調理場に付属する形で客席が設けられており、2階には客用の部屋があった。男は客用部屋に翔太郎たちを案内した。部屋を貸してやると男がいったさいに、翔太郎は頭を下げてお礼を言った。男はその態度に少し戸惑い、「これくらい大丈夫だ。」と翔太郎にいうと、自分は調理場へ行った。男は調理場に行くと、翔太郎の顔を思い出した。嫌な少年ではない。むしろ好感を持ちやすい好きなタイプだ。ああいう真っ直ぐで素直な少年を見ると、心が洗われた気がすると思った。
翔太郎に男は「俺は氷川優介というなだ。」と自己紹介をした。翔太郎は男を優介さんと呼ぶようになり、あったその日に仲良くなった。
それから、数日、翔太郎はこの店に泊まった。陽子の熱は一向に下がらず、心配するばかりだった。
すると3日後に、助太郎が店に顔を出た。
「よくしてもらっているか翔太郎。」
「はい!優介さんはとてもいい人で、お世話になっています。」
「そうか。よくしてもらっているのか。それならよかった。」
助太郎は翔太郎の笑顔を見ると少し嬉しそうに微笑んだ。
「陽子はまだ辛そうだな。」
「はい。」
「今日は陽子のことで話がある。」
助太郎は真剣な顔つきでそういった
翔太郎に、悪魂を研究しているある人に陽子の容態を伝え、その高熱の正体が何かわかったと話した。
「翔太郎。陽子の熱の原因は、悪魂化による副作用だそうだ。」
「え、でも、助太郎さんの話だと、陽子は悪魂の中でも特殊だと。」
「まあ話を聞け。陽子を悪魂にした男は今までも、自ら悪素というものを人間の体に注入し人間の血と混ぜることで、悪魂を多く作り出してきた。しかし陽子の場合は特殊で、大量の男の悪素の中に入れられ、その血が固まりあの半透明な岩に入れられている形になったらしい。通常の人間にそんなことをすると、体が耐えきれず細胞が死滅するが、陽子はそれに耐えきれたらしい。」
「じゃあ、なぜ、こんな事が・・・。」
「それは、陽子は耐えられただけに過ぎんからだ。脳にその男の血が行き届いていない。何よりも、陽子はその男の血を完全に我が物にできていない。要するに、体こそ男の血に耐えているが完全に適応しているわけではないのだ。その外部の男の血を脳まで届けさせんとしてこの熱が発生している。
だが、これを治す薬を作るために必要な薬草があるらしい。」
「分かりました。俺がそれをとってきます。何処にありますか?」
「待て。お前はここで陽子を見ていろ。危険な場所に生えているあの薬草をお前は取ることは、現時点ではできないはずだ。だから俺が行く。それがもっとも、危険じゃない選択だ。」
「で、でも。」
「聞き分けろ。お前が死んだら元も子もないのだ。無駄に自分の身を危険に晒そうとするな。」
助太郎はそういうと、立ち上がった。
「安心しろ。お前の妹は絶対に死なせない。」
助太郎はそう言い残し翔太郎のいる部屋を出て、そのまま店を出た。
無力だ。自分の妹のことを、自分で助けてやる事ができない。この島の人たちは優しい人ばかりだった。兵士でさえ、人が良かった。だが、何かが自分の中に足りない気がした。それがはっきり分かった気がする。無力なのだ。妹が苦しむのを黙ってみて、介抱する事しかできない。妹を治す力もなく、何かをなすための突出した身体能力もない。己の無力さのために恩人すら危険に晒すことになる。
翔太郎はただ拳を強く握りしめた。いや、それしかできなかった。
それからというもの翔太郎は自分にできることを少しでもしようと、九十度のお辞儀をして優介に手伝いをすることを頼み込み、暇さえあれば優介や店全体の手伝いをした。
そして、店の手伝いが全て終わると、今度は村へ出て村人の手伝いをし始めた。
その他にも壊魂組の訓練の手伝いなどをし、村の人間の多くと関わりを持った。
もともと翔太郎はコミュニケーション能力が高く、初対面でもいろんな人と会話ができる。それに加えて溢れ出るその穏やかな雰囲気により、相手も話しやすくなる。翔太郎は一日のうちに島の中にみるみると知人が増え、兵士とも仲良くなった。
そんな生活が、五ヶ月ほど続いた。
助太郎も兜島に来ると、自分の家に帰るように寿司屋へ行くようになった。疲れた体で、愛宕兄弟の顔を見たくて、島へ帰るたびに何度も訪れた。愛宕兄弟の顔を見ると、ふと元気が湧いてくる。暇な時には壊魂組に入って初めて翔太郎と村の手伝いをしたりした。自分が気が付かないうちにも、笑うことが増えたらしい。翔太郎は毎日のことをそれは、それは楽しそうに話す。中には吹き出してしまうような話もある。それが、助太郎の楽しみだった。
ああ、ここが俺のいばしょなのだと、助太郎は心の中で思った。愛宕兄弟と接し、翔太郎は優介とたわいもない話をする。この、たわいもない時間のために生きている。助太郎はそう思った。
思えば家族を失ってからは、友一人作らず生きてきた。今のような、幸せは想像もしていなかった。自分にはもったいないほどだと、何度も思う。死んだ弟に申しわけがないほどに。
「俺は幸せ者だ。」
翔太郎の話を聞いている時に、助太郎はなぜかそう呟いてしまった。
「いきなり、どうしたんですか。助太郎さん。」
翔太郎がそう言って笑うと、優介が今にもいじってやろうかと言うような顔をして、ニカニカと笑ってこっちを見る。
「いいや、なんでもない。」
助太郎はそう答えた。
三
そんな生活を、2日3日と続けていると、訓練中にある男が、訓練所に姿を見せた。男は他の兵士たちと同じように軍服を着ており、目は鋭く、どこか冷たい雰囲気を纏っていた。訓練中の兵は男のことを見た瞬間、この世の終わりのような顔をし、その場に正座すると、「おかえりなさいませ!継承様あああ!」と大声でいった。
翔太郎は何が起きているかさっぱりわからず、その場に立ちすくんだ。
男は兵士たちを見ると、少し動揺したように目を開いた。
「大丈夫だ。そんなことをする必要はない。」
「いや、しかし、」
「だからいいと言っている。俺のことは気にするな。それより俺もここで少し訓練をしたい。使わせてもらっていいか。」
「一同!」
兵士の一人がそういうと周りの兵士も男の声に呼応するように立ち上がり、訓練所をさっていった。
男はそれをただ呆然と見ている。
「行ってしまった。ここで共に訓練すれば良いものを。」
男は少し寂しそうにそういうと、上着を脱ぎ、上半身裸になると、一人で訓練を始めた。
しばらくして、男がタオルを探そうと訓練場を少しうろつくと、翔太郎はすぐにタオルを持って男の下に駆けつけた。
「タオルです。」
「そうか。ありがとう。」
男は翔太郎からタオルを受け取ると、それで汗を拭った。身体中から大量に汗が出ている。訓練の様子を翔太郎は食い入るようにして見ていた。
翔太郎は訓練を見ていて、少し不可解に思う事があった。
壊魂組の兵士が訓練している時、兵士一人一人の技の動きがそれぞれ異なっているのだ。同じ技の一つも練習していいはずなのに、いつも異なっている。それに、毎度、毎度、そうなので、技の種類が多すぎるように感じた。
翔太郎は何がどうなっているのか気になりながら、この男の訓練を見ていた。技の一つ一つのキレ、速さ、正確さ、全ての点において、この男は周りの兵士よりも優れていた。その違いは、素人目にも分かるほどはっきり出ている。
男はそれから数分訓練を行なっていたが、翔太郎の視線が気になり翔太郎の方を見た。そしてただただ見続けた。
翔太郎は困惑した。この男はいきなり訓練を中断したかと思うと、今度はこちらをずっと見続けるのだ。目つきが悪いということや威圧感があることはわかるが、何を考えているか全くわからない。ただただずっと、何かを言いたげな目をしてこっちを見てくる。
「あの、俺に何か用でしょうか。」
「いや。ずっと見てくるから。」
翔太郎はすぐに「ああ、すいません。邪魔でしたか。」と尋ねた。
「邪魔ではない。お前一人がここにいるからと言って集中できないほど、俺の集中力は低くない。」
男は翔太郎の隣に移動すると、翔太郎に尋ねた。
「お前。なぜここで毎日島の人の手伝いをしている?」
「え?」
「この頃島に戻るたびにお前をよく見かけていた。」
「ああ。いや、ちょっと、この島に分け合って、居候させてもらっていて。」
「その訳とは、悪魂がらみか。」
「ああ、はい。あの悪魂という怪物に、家族を殺められました。」
男は少し険しい顔をすると、「すまない。無神経だった。」
と言った。
「ああ、大丈夫ですよ。ところで、この島の兵士の皆さんは、なんで壊魂組という組織に入ったのですか。」
「みんなお前と同じような理由だ。」
「え?」
「身内を悪魂に殺められたり、友人を殺められたり、なんらかの事情で行き場をなくしたものたちが、悪魂と戦うためにここに集っている。」
翔太郎は言葉を失った。常に笑顔で偉ぶるわけでもなく、和気藹々としている兵士たちにそんな悲しい過去があるとは想像もつかなかった。
「壊魂組に、なんの事情もなく入ろうとするものは本当に少ない。みんななんらかの理由で天涯孤独になり、行き場をなくしここに辿り着いた。悪魂を倒し、これ以上被害者を増やさないという志を持ってな。」
「あの、壊魂守人という言葉と何か関係あるのですか?」
「あれは悪魂を壊し、人を守るという意味を持った言葉だ。「壊魂」の「魂」は、「悪魂」のことを指している。皆それぞれ、悲しい過去と、この志を胸に秘めて最前線に出ている。まあ、そんな俺たちを世の中のはみ出しものと言っても説明はつくがな。」
翔太郎は少し黙った。何を言っていいかわからなくなった。男と翔太郎の間に沈黙が走る。男は尋ねた。
「お前は壊魂組に入ろうとは思わなかったのか?」
「さあ。自分でもよくわかりません。」
「別に無理に入れという気もないし、気になったから聞いただけだ。あんまりお前が熱心に他の兵士の訓練を見ていたのでな。あの訓練は悪魂を倒すことにしか役に立たない上に、社会に今後復帰したとしても使う機会はないぞ。」
「まあ。大体分かります。ずっと手伝いに行って、よく見るようになってしまいました。ただ、やはり、あれだけ訓練しても命の保証はないんですね。この島を離れて、俺ともう一度顔を合わす事がなかった兵士の方々が何人かいますから。」
「そうだな。壊魂組の兵士である以上は命の保証はできない。生き残って壊魂組に入らず、この島にしばらく世話になるのも俺は悪くない選択だとは思っている。」
「俺はやはり、心のどこかで、加わりたいと思っています。皆さんとともに、人を守るという志を掲げて、できる事なら戦いたいですね。だけど、今はこの島に一緒に来た妹との関係で、なかなかそういう事ができなくて。」
男は少し黙り口を開いた。
「そうか。だからあんなに、訓練の手伝いに参加する回数が多かったのだな。」
「え?」
「お前をよく見かけているのは俺ばかりではない。お前のことはよくこの島で噂になっている。お前は無意識かもしれないが、お前の訓練の手伝いをする割合は他の手伝いをする時間の割合と比べて長いぞ。」
「そうだったんですか。」
「周りから見ていても、お前が訓練し参加したいことも、強さが欲しいこともわかる。」
男は立ち上がり、「先に失礼する。」というと、上着を着て、訓練場を出ようとした。
行ってしまう。このままではあの男が行ってしまう。翔太郎は何か言いたい事があったんじゃないかと、自分に問うた。お前はもっと他に、あの男の人に聞きたかっただろうとひたすら問うた。そして、立ち上がり、背を向けてすたすた歩く男に尋ねた。
「あの!俺に、悪魂を倒すあの武術を教えてください!」
男はゆっくり振り向いた。
「俺は誰かに何かを教えられるような人間ではない。他をあたった方がいい。」
「いえ!俺は見ましたあなたの技を。素人目にもはっきりわかるくらい圧倒的に、他の人よりも優れていた!」
「気のせいだ。それに、俺なんかよりも上手い奴を探した方がいいぞ。」
「あれ以上に上手いのは想像できません!」
「じゃあ、もっと他の多くの訓練場へと行き、俺より上手いのを探せ。」
「確かにあなたのいう通りかもしれない!でも俺は、自分の目ではっきりと見た、あの凄まじい威力であろう技を出すあなたから教わりたいです。お願いします。」
翔太郎は腰が直角になるほど深々と、姿勢の良いお辞儀をした。
男は断った。
そして翔太郎はめげずにまた頼んだ。
このやりとりは何度も行われた。男が断っては翔太郎がまた頼み、しつこいほど男に翔太郎は訓練を頼み込んだ。
男はそろそろ断ることも面倒くさくなり、断ると言う返事をする意味がない気がしてきた。男は思った。翔太郎は折れない。と言うか、より丁寧に誠意を尽くして頼み込んでくる。
「顔を上げろ。何度も言うように。俺はお前に訓練をすることはできない。だが、お前の訓練の相手になることならできると思う。これでいいか?」
男はそう尋ねると、翔太郎は頭を下げて、「ありがとうございます!」と言った。男は少しびっくりし、動揺しながら「良い。むやみに頭を下げるな。」と言った。
翔太郎は頭を上げて尋ねた。
「あ、日時はいつがいいですかね?俺、この島の田んぼの手伝いとか、店の手伝いとかもあるんで、日時を指定してくれると、そこだけ開けることができるんで助かります。」
「そうか。では明日の午後五時にする。」
「はい!分かりました。明日の午後五時ですね。あれ?」
「どうした?」
「いや、大したことはないんですが。何故その時間なんだろうって。」
「それは俺の今後の予定では明後日にはこの島を出なければならないからだ。だから明日しか時間を設けられん。」
翔太郎はその時、この人も島の外に行ってしまうんだと、少し悲しく思った。
男はそれだけ言うと、翔太郎に軽く会釈をしてその場から立ち去った。
翔太郎も慌てて頭を下げる。
翔太郎はすぐに店に帰った。そして店のドアを開けると、店内のテーブルに助太郎が座っていた。足を組んで寿司が来るのを待っている。店の主人の優介は助太郎に言った。
「お前、もう少しその偉そうな姿勢どうにかならんのか。」
「ん、偉そうか?どの辺が?」
「まず足組むのをやめろ。椅子にもたれかかったり、テーブルに突っ伏したりするのはまだしも、足を組んで椅子に寄っ掛かりこちらを見られると、何というか、見下されているような気分になる。」
「それはすまんな。」
助太郎はそう言うと足を組むのをやめ、背筋を伸ばして椅子に座った。
翔太郎は助太郎を見ると、笑顔に満ちた顔ですぐに助太郎の前に駆け寄り一礼をした。
「お久しぶりです!助太郎さん!お元気でしたか?」
「ああ、元気だ。お前も元気そうだな。」
「はい!ここのお店の手伝いや、訓練の手伝いをさせていただいています。」
「そうか。心身ともに健康なら、何も言うことはない。」
助太郎はそう言って静かに微笑んだ。
「おお、翔太郎。もう帰ったのか。翔太郎は助太郎に会いたがっていたからな。お前のことを兄のように慕うのなんて翔太郎くらいだぞ。助太郎。」
「俺は誰かに慕ってほしいとなんて思った覚えはない。」
「助太郎さんはいつまでこの島にいるんですか?」
「明日にはもう出る。」
「ええ、そんなに早いんですか。もっといればいいのに。」
「悪魂の動きは昨年に比べて活発化している。それに、お前の妹の薬草の件もある。お前の妹もこれ以上あのまま放置していると命の危険があるそうだ。だから、あまりうかうかとしてられん。」
翔太郎はその話を聞き何だか申し訳なくなった。
自分に薬草を一人で取ってくるだけの身体能力があれば、助太郎を振り回す必要もないのに。そう思った。助太郎の話を聞いていると、深く自分の不甲斐なさを実感した。なんとも言えない悔しさがこみ上げる。
「すいません。迷惑をかけて。」
「いや、大丈夫だ。助けられる命があれば何がなんでも助ける。当たり前のことだ。それに、俺はお前の妹とお前が並んで立っているところを見てみたいのでな。」
助太郎は嫌な顔一つせず、さも当たり前のように、そう言った。
優介は助太郎を見ながら、静かに微笑んだ。
すると、助太郎の脳裏にある暖かな記憶がよぎった。
八歳ほどの少年が青空の下の草むらが広がる公園の中を、自分の手を引いて走っている。
助太郎は少し眉を細めた。
店屋の主人は翔太郎の方を向くと言った。
「ところで、翔太郎。今日は帰りがずいぶん遅かったな。どうしたんだ?」
「ああ、はい。俺、壊魂組の方から訓練を受けることになったんです。」
「ほお、それはまたどうしてだ?」
「なんだか、その人に言われて気づいたんです。誰かを守れるくらいの強さを自分が欲しているって。この島でずっとお世話になっているのに、俺は人のために何一つできない。他の兵士の方々みたいに人を守れないんです。
何かあった時に少しでも誰かを守れるように強くなりたい、と思いました。」
助太郎は黙って横で水を飲んでいた。優介は少し複雑な顔をした。
「でも、お前の訓練相手って一体誰なんだ?悪魂を倒すための体術を教えるならまだしも、訓練相手だなんて、その人も少し大人気ないな。」
「いや、結構他人に対して謙遜する人なんですよ。本当はすごい人なのに。」
「すごい人って、お前わかるのか。」
「素人目でもわかるくらい、技に磨きがかかっていました。失礼とは承知の上で言いますが明らかに他の方々よりも技に磨きがかかっています。」
「へぇ。そんなに凄い人なのか。で、誰なんだ?」
翔太郎は、あの男と自己紹介を忘れていることに、今気がついた。そして、記憶を遡り、男の名前に関して、何か他の人が言っていたかどうか確認していると、ふと、男が訓練所に入ってきたときに、周りの兵が「継承さま!」と言っていたことを思い出した。
「はい。確か、継承さんって言う人でしたね。」
助太郎と優介の動きがピタリと止まった。店内に寒い空気が走る。
優介は恐る恐る、翔太郎に尋ねた。
「そ、その、その人は一文字継承という名前か?」
言葉が辿々しくなっている。
「いや、苗字は知りませんけど、周りの兵の方々は継承さんが入ってきたときに過剰に驚いて一目散に訓練所を出て行きましたね。」
優介は数秒間言葉が出なかった。
「助太郎。それ、一文字継承だな。」
「ん。間違いなく奴だろう。」
「ど、どうしたんですか?なんかした人なんですか?」
「いや、別に悪いことした人ではない、と言うか、どちらかというといい人だ。いくつも大きな戦果を上げているんだが。なあ、助太郎。」
「ああ。」
「だがどうしたんですか?」
「お前があったその一文字継承という人は、どう説明すればいいのだろうか、なあ助太郎。」
「いちいち俺を引っ張り出すな。軍部の中でも一番高い階級に属しているというだけの話だ。一言で言うと、軍の中で最も偉いやつだな。」
「ええ、そん何すごいい人だったんですか!?」
「あれだけの実力の持ち主なんだ。当然軍の中でも優秀な方に入るだろう。おそらくこの壊魂組の中で、上位二、三位の強さを持っている。」
翔太郎は絶句した。そんな人物と自分がついさっきまで話していたなんて、信じられないことであった。
「なあ、そんなことより翔太郎。その、あの継承っていう人ものすごく怖くなかったか?」
「え?」
「目つきは鋭いし、無口だし、何を考えているか全くわからないし。確かに色男ではあるけど、どこか近寄り難いよな。この店に来た時も、何も言わず俺が出した刺身を黙って食って、そのまま無言で会計をしたぞ。」
「まあ、奴は基本的に無口だからな。ベラベラ話すという柄でもあるまい。」
「にしても怖いだろ。目があった時、俺睨まれているのかと思ったぞ。」
「まあ。奴は外見や雰囲気はああだが、話してみるとよくわかる。普通に温厚な性格をしたやつだ。」
「話したことあるのか。」
「ある。偶然任務が一緒でな。悪い奴ではない。ただ、あの外見とあの無口のせいで周りからは常時不機嫌に誤解されやすいだけだ。」
「ええ、俺が話した時もそんなに怖い人という感じや威圧感は、外見以外にありませんでしたよ。」
「そ、そうなのか。よく二人とも話しかけられたな。」
「それはそうと翔太郎。よく許可を得れたな。あいつに。奴はかなり自尊心が低いから、弟子などは取らないと俺は思っていた。」
「何も、弟子にしてくれるわけではありませんでしたが、誠意を持って、何度も丁寧に頼み込んだ結果、訓練相手になってくれました。」
優介は、その話を聞いて、継承が翔太郎に気力負けし、訓練相手を許可したことが容易に想像がついた。
「そうか。よかったな。奴はあまり人と訓練などはしない。というか、そんなところ一度も見たことがない。これは壊魂組にいてもそうなかなかできない体験だ。励めよ。」
「はい!」
店屋の主人は助太郎を横目でじっと見ていた。
「なんだ。言いたいことがあったら言え。」
「いや。無口っていう点では、お前と継承っていう人にているなって。」
「は?どういうことだ。」
「いや言葉の通りだよ。」
「まさか俺があの対話力壊滅人間と一緒だと言いたいのか?馬鹿なことを言うな。俺は人ともしっかり会話ができる。あいつと一緒にするな。」
助太郎はそう言って、最後の一貫の刺身を頬張るとすぐに噛んで飲み込み、優介に会計をたのんだ。会計を済ますと、助太郎は店の扉を開けた。
「助太郎さん。もう行っちゃうんですか?」
「ああ、今日の真夜中の船に乗らなければいけない上に、その用意もある。あまりぐずぐずとしてられん。」
そう言うと、助太郎は店を出ていった。
「助太郎さん大丈夫かな?生きて帰ってくるといいけど。今日見送りに行こうかな?」
「大丈夫だろ。あいつは壊魂組の中でもかなりの腕だ。そうやすやすと死ぬことはない。それに、お前が見送ったら、余計この島にいたくなって、戦闘に集中できなくなるかもしれないしな。」
「しかし・・・。」
「そう、心配するな。きっとすぐ戻ってくる。」
優介はそう言うと店の中に入った。
その頃、助太郎は店から自分の家へと通ずる山道を通っていた。地面がぬかるんでおり道は険しい。
山道を歩いていると、助太郎は出会ったばかりの翔太郎と陽子の姿を思い浮かべた。陽子の病気が治り翔太郎と並んで立っている姿を想像すると、陽子の熱が下がるのが楽しみになった。
すると、ふと、またあの記憶が助太郎の脳裏をよぎった。まだ八つほどのランドセルを背負った少年が十歳程の少年の手を握って、草むらが広がる大きな公園の中を走っている。
助太郎はその記憶を思い出すと、眉を顰めた。
助太郎は真夜中に船に乗り、島を去った。揺れている船の中で、島が浮かんでいるのが見える。
四
夜が開けた。翔太郎はいつものように村の人たちの手伝いへと行き、優介はいつも通り店を開けている。
翔太郎は午後五時に、約束の場所へと行った。約束の場所は田んぼの真ん中にポツンとある、相撲の土俵ほどの大きさの丸い砂場だった。
約束の時間十分前に翔太郎は待機していると、五時ちょうど、島の鐘がなる音とともに、継承は姿を現した。和服姿の継承は翔太郎の元へ静かに歩み寄ってくる。翔太郎の前に立つと、「待たせたな。」と一言言った。
翔太郎は、「いえいえ。」と笑顔で答えた。ちょうど、訓練場所から店が近いということもあって、店の中から優介が出てくる。
「翔太郎とあの一文字継承の訓練か。少し気になるな。」
優介はそう呟き、店のドアの前に立った。
翔太郎と継承はそれぞれ円状の砂場の端へと行き向かい合った。
「あの、継承さん。これは立ち合いをするんですか。」
「そうだ。」
「あの、おれまだ技とかそういうのは身に付けてなくて。」
「関係ない。始めるぞ。」
翔太郎はどう構えていいいか分からず、とりあえず体制を低くした。
継承は右手の手刀を前に突き出し、足を大きく開き、腰の位置を下げて、体制を低くする構えをとった。
ふと、翔太郎は全身をこの上ない恐怖と危機感に包まれた。継承の体から、生き物として、本能で分かるほど、強い殺気が放たれる。その殺気は優介がいる場所まで届いた。継承の目つきはさっきとは比べものにならないほど鋭くなり、翔太郎を睨みつけていた。ただただ、翔太郎押し潰すような凄まじい威圧感が継承から放たれる。
重力が重くなったように感じ、息をすることが苦しくなる。翔太郎の額からは、まだ始まってすらいないのにも関わらず、冷や汗が流れた。
一瞬の出来事だった。翔太郎の体は宙を舞い、砂場の反対側に叩き落とされた。翔太郎の肩に痛みが走る。翔太郎は肩を必死に抑えた。痛みが弾く気配はない。翔太郎はいきなりの事すぎて何をされたのか分からなかった。分かるのは体が痛いと言うことだけだ。投げられた。投げ飛ばされたのだ。
翔太郎がいた位置に、継承が静かに、翔太郎をお押しつぶすような威圧感を放ちながら立っていた。
「立て。」
「で、でも、肩が。」
「関係ない。これが実践だったら間違いなくお前は死んでいたぞ。」
「し、しかし」
「実戦では怪我が云々と言っていられない。肩を強打する程度よくあることだ。立たないなら、そこでうずくまっているといい。」
継承はそう言うとすぐに翔太郎の元へ走り、勝太郎を投げ飛ばした。翔太郎の体は宙を舞い、再び砂場にたたきつけられる。
「うわああ!」
翔太郎の体に激痛が走った。継承は翔太郎の元へまた走った。投げた。そして、同じことを何度も繰り返した。五回ほど投げられた時、翔太郎は感じた。立たなければ、自分の身が危ないと、本気で感じた。立ち上がった。
優介は目を見開いて、驚いていた。訓練ではない。あまりにも一方的すぎる。優介は勝太郎を助けようと、継承のいるところまで走ろうとした。瞬間、継承の視線は優介の方へと向かった。翔太郎に向けていた威圧感が優介に向けられる。優介は動こうとした。動かなかった。足が動かない。まるで両足になまりがついているようだ恐怖で足が痙攣する。全身から汗が吹き出しているようだった。継承の放つ威圧感に推し負け、その場から一歩も動けない。まるで、継承は、その目でこっちへくるなと語っているようであった。
翔太郎は継承へと突進した、継承の体を両腕で掴み押そうとした。継承の体は動かない。
「安直な発想。思考を伴わない動き。何も考えずにやったな。お前の行なっていることはただの愚行だ。」
継承はそう言うと、翔太郎を投げ飛ばした。
翔太郎は肩を手で押さえて立ち上がる。
翔太郎は動く前に忘れていたことがある。相手は自分よりもずっと強いのだ。筋肉も自分なんかよりもずっとついている。ただただ突進して、考えなしに攻撃してもびくともいわない。
今度は継承の横から走り込み、継承の顔を殴ろうとした。継承の顔面に向けられた翔太郎の拳は、継承の左手に掴まれ、そのまま翔太郎はその左手だけで投げ飛ばされた。地面に翔太郎の体が叩きつけられる。身体中が痛かった。立ち上がり、翔太郎は、今度は継承の足に向かって蹴りを入れようとした。蹴りは入ったが、継承の体はうごかなかった。
継承はまた勝太郎を投げ飛ばした。翔太郎はまた地面に体を叩きつけられる。起き上がれない。まだ体力は残っている。しかし、翔太郎は起き上がれなかった。全身が痛い。いや、痛さよりも、体全体を通して、勝てないと感じる。勝てない。もうこれ以上やっても、どうしようもない。翔太郎は強い脱力感に襲われた。
「どうした、立て。」
「・・・。俺は、あなたに勝てません。」
「勝てると思っていたのか?お前は?だとしたら相当愚かだ。」
「もう、立ちたくないです。」
「相手が自分より上だと、勝てないと、全てを放り投げるのか?」
「だって、勝てないんじゃ」
「強くなりたいんじゃなかったのか。貴様はここで諦めたらずっとこの先も無力なままだぞ。何よりも、お前が今負けそうになっている相手は、俺ではない。お前の中にいる弱いお前だ。」
お前の中の弱いお前に今は負けそうになっている。その言葉と共に、翔太郎の中で何かが揺れはじめた。
「強さとは、力とはそう簡単に手に入るものではない。お前が俺にここまで投げられるのも、お前の無力さの現れだ。勝負の世界では相手との立場が公平であろうが不公平であろうが、相手はこちらを容赦なく潰しにかかってくる。すぐに諦めるようでは、絶望するようでは、為せることなど何もない。他人に叩き潰され、全ての権限を奪われ、煮るなり焼くなり好きにされるだけだ。」
翔太郎の中に悔しさがこみ上げる。
「また、お前は守りたいものをまた守れずに終わるぞ。」
継承はそう言った。
翔太郎は歯を食いしばった。目から涙が溢れる。悔しいけど、言い返せない。自分の無力さをただ痛感するばかりだ。
「お前の妹を、俺が破壊すると言ったらどうする。」
翔太郎の腹の底から、この上ない怒りが込み上がった。気づいた時には立ち上がり、走り込んで継承の目の前で、継承の顔に拳を放とうとしていた。しかし、また投げられた。翔太郎は顔に筋をうかばせ、継承にまた攻撃を仕掛けに行った。翔太郎の中により強い怒りが込み上げた。継承は今度は翔太郎に拳を放った。翔太郎は継承の動きをどれ一つとして見逃さなかった。拳を避けると継承の脇腹に蹴りを入れた。継承は動かない。翔太郎は服の背中の部分を継承に思いっきり掴まれた。翔太郎は全体重を乗せて、継承の脇腹に添えられている蹴りを打ち込んだ自分の足を、より前に押し進めた。継承の足が後ろに少しひく。
継承の中に衝撃が走る。翔太郎はそのまま、継承を押そうとした。継承は足をどんどん後ろに引いた。
店屋の主人は目を大きく見開いて、その光景を見ていた。継承よりも、体が一回りもふた回りも小さい翔太郎が継承の体を押している。
「うおおおおおおおおお!」
翔太郎は叫んだ。すると、瞬間、翔太郎の視界が白くなった。そして、翔太郎は意識を失い、その場に倒れた。
継承はそれを見ると、ふうと息を吐き、店屋の男がいる店へと歩いった。継承は店屋の男の前に進み、店屋の男の前に立った。店屋の男は叫んだ。
「陽子ちゃんは、渡さないぞ!陽子ちゃんの体調が良くなるのは、俺と翔太郎と、助太郎の、みんなの願いなんだ!」
「タオル。そして、何か、下にしける大きな布を用意してくれ。」
「へ?」
「あと水が欲しい。翔太郎用に。」
「あんた。陽子ちゃんを壊すって。」
「そんなことはせん。あれは翔太郎を怒らせるためのはったりだ。
己れよりも大切な他の何かが敵に消されてしまいそうな時、人はこの上ない憤怒と衝動、危機感に駆られる。それを狙った。まあ、その衝動やらなんやらというのは一時的なものであって、そこから先は自分の意思で戦うしかないのだがな。
それに俺は助太郎の身に何かあったとき、翔太郎と陽子のことを助太郎から頼まれている。だから陽子という娘を壊す気は元からない。」
店屋の主人は安心の気持ちで体から一気に力が抜けた。そして、そのまま床に膝をついた。そして、泣き出した。
「あんた、なんだって、翔太郎にあんな事したんだよ!あんなの訓練じゃない!一方的に翔太郎を叩きのめしているだけだ。」
「そう見えるだろうな。それを承知でやっていた。」
「何でだよ!」
「翔太郎はまだ悪魂との戦闘や、人外のものと戦うということがどういうことかわかっていない。あのまま何も戦いの苦しさを知らず、技術だけつけても、実戦では予想外の動揺や事態、状況によって隙が生まれ、そこを突かれて即死してしまう。それに、あいつの中にはどこか甘えがあった。俺は今回のことで、それを叩き潰した。おそらく、戦いに対する考え方も変わるだろう。」
「翔太郎は悪魂と戦うだなんて言ってない!」
「だが、俺に訓練の申し込みをしたということはそういう事だろう。心のどこかで悪魂から人を守りたいと思っている。壊魂組に入らずとも、もし翔太郎が社会復帰をし、その中で壊魂組の対応が間に合わず悪魂に襲われた場合、翔太郎はおそらくこの訓練をしていなかったら恐怖と絶望で動けなくなるだろう。だが、この訓練で自分よりもはるかに強い、ましてや、人とは思えないような存在似合ったときにどうすればいいか、ある程度の心構えも掴んだはずだ。」
「じゃあ、翔太郎はこの訓練で何を学んだんだよ!」
「……。これは言っていいのか?」
「さっきまであんなに怖い雰囲気出しまくってたのに、急にこっちのことを気遣ったりすんなよ!余計怖いわ!」
「すまない。翔太郎は俺と立ち会っているとき、初めこそ攻撃も防御も反応も遅くとろかったものの、立ち会う中で反応速度が速くなり、俺を倒すために機転を利かせ、凄まじく思考を巡らしていた。もはや、負ける云々と言っていられないほど必死になり、その攻撃も少しずつ素人なりに磨きがかかってきた。そして、何より勝負に対しる考え方がかわった。」
継承は翔太郎の方を見た。
「凄い子だ。普通あそこまで打たれたら、自分から逃げ出すだろう。」
「そらそうだろうな!」
「だが、逃げなかった。それが弱い自分の囁きだと分かったからだ。それどころか、より自分なりに技に磨きをかけて、俺を倒しにきた。心が強いことがよくわかる。」
店屋の主人は店の中に入り、少しすると大きな白い布と水筒を持って出てきた。
「ほら。これ持ってけ。」
「かたじけない。」
「もういい!お前に気を使われると、恐ろしくてたまらん!」
継承は驚いた。
「何、初耳みたいな顔してんだ。アンタ周りからも結構怖がられてただろ。」
「俺は怖がられていない。」
「もういいからこれ持ってけ!あと、お前ばっか飲むなよ!しっかりと翔太郎にも飲ませてやるんだぞ!」
「俺は飲む気はない。喉が乾いているわけでもないのでな。」
店屋の主人はギョッとした。あれだけ動き、継承は疲れていそうな顔一つしていないのだ。体力お化けとはこのことかと思った。
継承はタオルと翔太郎の背丈ほどの白い布、そして水筒を持っていくと、白い布を砂場に敷き、その上に翔太郎を寝かせた。
しばらくして翔太郎は目が覚めた。朦朧とする意識の中で、翔太郎は半目開きで起き上がった。
「いてててて、なんか頭痛がする。」
翔太郎はそう言って継承を見た。しばらくすると、何かを思い出したかのように翔太郎は目を見開き継承に言った。
「そうだ!陽子を壊すって!」
「嘘だ。」
「は?」
「だからハッタリだと言っている。お前を怒らせるために言った。」
翔太郎の体から力が一気に抜けた。継承の体からはさっきの訓練の時とは嘘のように、威圧感が消えていた。
「いくらお前をおこらせようとし、悪魂との勝負をしたときに心構えができるようにしようとしたからと言って、正直やり過ぎていると思う部分もある。反省している。すまない。」
そう言うと、継承は頭を深く下げて、翔太郎に謝った。
「ああ、大丈夫ですよ。結構きつかったけど、そこまで謝られなくても。」
「お前はこの訓練で骨こそ異常がないものの、いなさたるところに擦り傷を作った。こんなに怪我をさせるのは良くないことだ。申し訳ないと思っている。」
「いいですって。初めはものすごく頭に来ましたけど、もう大丈夫です。それに俺もこの通り、大した怪我はしてませんから。」
「そう言ってくれると非常に助かる。本当に申し訳ない。あと、これ水だ。」
継承はそう言うと水筒を翔太郎差し出した。翔太郎は「ありがとうございます!」と言って、水筒の中の水を飲んだ。本当に喉が乾いていたのか、砂漠の中で水を得た人のように必死にごくごくと水を飲む。一度に水筒の中の水を翔太郎は飲んでしまった。
継承はそれを黙って見ている。
「ああ、すいません!継承さんの分とっておくの忘れちゃった。ちょっと店から取ってきますね。」
「いや大丈夫だ。俺初めから飲む気はない。」
「ああ、そうなんですか。って、え?あれだけ動いたのに?」
「かなり動いたのはお前のほうだ。俺は投げることしかしていない。」
「でも、俺、平均的な中学二年生の体重ですよ。それを投げるって大変なことじゃ?」
「日頃の鍛錬に比べたら、休息のようなものだ。」
翔太郎は目を丸くして驚いた。汗一つ流していない継承の体力もそうだがこれを急速と呼べるほどの鍛錬を日頃から積んでいることに驚いた。壊魂組の兵士の中でも、2、3位を争う強さとはこう言うものなのだと分かった。その強さは自分の想像力では追いつくほどのものではない。
「もういいか?目眩はしないか?」
「え、ああ、はい大丈夫です。」
「そうか。では行くぞ。」
そう言って継承は立ち上がり、翔太郎もタオルで汗を拭き、下に敷いていた白い布と水筒を持って立ち上がると、翔太郎と継承は共に店まで歩いていった。
希望なんて、今後俺にはできないだろう。ただ、機械のように悪魂を倒すだけだ。そして、使い古した機械が突然壊れるように、自分も人知れず戦いの場で倒れるのだろう。
助太郎は、愛宕兄弟に出会うまでそう思っていた。助太郎の瞳はこの頃、まだ薄黒かった。
今から十年前、まだ助太郎が九歳だった頃。
助太郎には弟が一人いた。両親がいて、幼い頃は小さなアパートで、家族四人で育った。
家族四人で暮らすのにはそのアパートは狭く、助太郎一家は金銭的にも豊かではなかった。
だが、助太郎ははっきりと、それでもあの頃が幸せだったことを覚えている。
両親は温厚で優しいひとだった。大好きな弟は天真爛漫で、いつも好奇心に溢れており、まだ七歳で小学校に上がったばかりだった。
助太郎は弟と、いつも夕陽が綺麗に見える丘が近くにある、下町の下校道を一緒に下校していたり、家に帰ったら二人で遊んだりと何かと一緒に行動することが多かった。
いつも、弟が好きな草むらに行くと、弟はいつも助太郎にサッカーをしようと誘った。助太郎はよしやろうと言って、一緒にボールを蹴った。助太郎は弟の前でリフティングを見せたり、弟とパス練をしたりした。
うまく蹴れたときは、「凄いじゃないか!今の上手かったぞ!」と言って、一緒に喜んだ。褒めているだけなのに、本当に嬉しくて楽しかった。「本当!今、僕上手くできた!?」弟はいつも笑ってそう聞いた。助太郎は上手い上手いと言って、一緒にはしゃいだ。
助太郎の瞳は輝きに満ちていた。
弟はいつも無理をしてでも誰かのために何かをしようと頑張っていた。
助太郎が人助けが得意で、よく色んな人を助けることから、自分もそうなりたいと思い真似をしていた。
弟は助太郎が何かするたびに兄ちゃんすごいと騒ぐ。助太郎は自分がしていることは自分にとって大して凄いことではなかったので反応に困ったが、弟はいつも目を光らせて自分を見ていた。
「にいちゃんすごいねえ!」
「ハハハ、兄ちゃんはお前の前では無敵になれるんだ!どんなことにも負けないくらい強くなるぞ!」
「本当!?すごいなあ!」
助太郎はアホみたいに笑って、そう言いながら弟を肩車した事を覚えている。
弟は優しく、他人のためになんでも頑張る、お人好しの助太郎に憧れていた。
「俺もにいちゃんみたいになれる?」
「なれるさ。俺程度ならすぐになれる。」
助太郎と弟は幸せだった。
しかし、幸せは長くは続かなかった。悲劇は助太郎が、友人との遊びで夜遅くまでで家を出ている時に起きた。助太郎がいつもの様に家に戻ると、家の周りには黒い隊服を着た男たちが家を囲んでいた。背中に「壊魂守人」の文字がある。
家の中には白い布を顔にかけられた家族がいた。両親と弟が、家の中の床に寝かされていた。
助太郎は冷たくなった弟を抱き上げると、呼び掛けた。返事は無い。何度も、何度も、泣きながら呼び掛けた。
弟の顔は、いつものように眠っているようだった。そして、助太郎の呼び掛けに応えることはなかった。
他人を助けることは得意なのに、自分の一番大切な人を助けることができないひどく無力な人間。助太郎は自分のことをそうおもった。
助太郎はその後、壊魂組のある隊員とともに兜島へ行った。助太郎の目は霞かかったように曇っていた。光が目から消えていた。
その後は「壊魂守人」の志に惹かれ、壊魂組に入った。弟のような人をこれ以上出したくなかった。
だが、その想いとは逆に、多くの人の命が助太郎の手からこぼれ落ちていった。守れたはずの命が守れないこともあった。
助太郎はそんな中で翔太郎と陽子に出会った。
初めは陽子を生かしておくつもりはなかった。そんな中で、陽子が翔太郎を守っているところを見た。陽子のその悪魂とは思えないような行動に驚き、陽子を気遣う翔太郎と、翔太郎を守る陽子を見ると、自分と弟が重なった。
助太郎の中の何かが揺れた。
そして、任務を違反してまで助けた。
助太郎は助太郎と陽子と過ごすたびに、いつしか二人が自分の中の光になっていった。命に変えても守りたい光だった。弟の次に現れた、助太郎からしたら守るべき存在だった。その時から助太郎の曇った目に光が蘇った。
翔太郎と継承が稽古に励んだ日の夜、助太郎はいつものように、任務で一体の悪魂を倒した。
今回はなかなか手強かった。敵に己の鉄のグローブに包まれた拳を撃ち混む瞬間、左腕を殴られた。その力は凄まじく、助太郎の左腕の骨は粉砕され複雑骨折をした。
不覚だった。助太郎はそう思った。
すぐに仲間の二人の後輩が助太郎の元に駆けつけ、左腕の手当てをする。そして、そのまま三人それぞれバイクに乗って山道を走った。
助太郎は右腕だけで運転をしていた。
右腕の力が強いから、バイクが転倒しない程度にはバランスを保てているがかなり大変だし、このままでは危険だ。助太郎はそう思った。
険しい山道をバイクで、三人編成の助太郎を含む小隊はただひたすら走っていた。助太郎は二人の先頭に立って、バイクを運転していた。
運転している最中に、助太郎は多くの山々を見てきた。崖が険しい山、緩やかな山、急斜面がいくつもある山などだ。
助太郎は陽子の熱を下げるための薬草は、山中の急な崖にあると言う事を伝えられていた。助太郎は山中の崖ひとつ一つを見て回った。
すると、中でも一番大きな崖を見た時、その崖にはある草が生えていた。助太郎はバイクをその崖の目の前に止め、降りた。仲間も途中でバイクを止めたが、助太郎がなぜこんな崖の近くで止まったのか、わからなかった。
「助太郎さん。どうしたんですか。」
「いや。少し、この崖に用があってな。」
「崖に?」
「ああ。俺の知人が高熱を出してな。その高熱を下げるための、薬草らしきものが、この崖にあるんだ。」
「ええ、こんな崖にあるんですか?!」
助太郎は、崖の上の方に生えている薬草を、望遠鏡を使ってよく見た。陽子の熱を下げる薬を作るのに必須な、薬草であった。
「すまない。この崖を登る。俺の荷物を見ていてくれ。」
「ええ、こんな崖を登るんですか。」
「俺たちがとってきますよ。助太郎さんはここで待機していてください。」
「馬鹿を言うな。お前たちにこの崖を登る技量などないだろ。それにこの高さ。おそらく落ちたら即死は免れんな。」
「なら、尚更俺たちがとってきますよ。助太郎さんそんな危険な目に合わせたくありません。」
「俺に気など使うな。お前たちはまだ若い。こういう危険な仕事をするのは、先輩の役目だ。」
助太郎はそう言うと崖を上り始めた。少しずつ、足を引っ掛けながら登っていく。しかし、足を引っ掛ける場所があるのは最初の方だけだった。徐々に足場が不安定になる。助太郎は崖の中間地点ほどのところまで来ると、足を滑らせた。
すぐに、崖から飛び出ている枝を掴んで落ちることは免れた。だが、ここから先がより上りにくくなっているのは一目瞭然だ。
額から汗が流れる。助太郎はまた足を引っ掛けて、崖を登り始めた。自分に死が近づいてくることがよくわかる。ただ崖を登っているだけにも関わらず、生と死の間にいるような気分に襲われた。
諦めてしまおうか。やめてしまおうか。そんな思いが、死の恐怖とともに助太郎を襲った。
その瞬間、助太郎の脳裏に、陽子の姿が映った。陽子と、弟が重なる。
まだやめるわけにはいかない。
助太郎は、崖を、少しずつ登った。
下では後輩が、もう降りてきてくれと言っている。見ていて危なっかしいんだろう。助太郎は降りなかった。ここでやめたら、おそらくこの薬草と出会う機会はもうない。陽子はもう十分衰弱している。これ以上弱らせるわけには行かない。
助太郎は少しずつ崖を登っていく。何度もこけそうになり、足を滑らせる。左手が使えないため、右手に全体重をかけて登っていた。右手の体力はすでに限界に立ってしており、痛みと疲労で震えている。
上に行けば行くほど酸素が薄くなり、呼吸が困難になる。諦めるな。まだ登るんだ。
汗が体のあちこちから噴き出る。必死に崖を登った。息が切れ、体の限界はとうに超えている。
弟を守れなかった。助太郎はふと、なぜかわからないがそう思った。自分は、最低の兄だ。守るものを守れず。今ものうのうと生きている。自分の代わりに、弟が生きてくれたら、どんなに良かっただろう。自分の存在が許せなかった。
いくら悪魂を倒しても、弟はもう戻ってこない。あの暖かい両親も、もういない。
助太郎の目から、涙が溢れそうになった。だが、泣かなかった。泣くよりも薬草を陽子に届けなければ。そう思った。弟を守れなかった。過去は変えられない。もうどうしようもない。
だがせめて、今自分が助けられる人の命は助ける!そう思った。
足場が不安定になり、何度も落ちそうになる。恐怖と不安に襲われる。
助太郎は登った。諦めるな。陽子を助けるために、そう自分に言い聞かせた。
自分が弟にしてやれなかったことを、せめて愛宕兄弟にはしてやりたい。
助太郎は気力を振り絞って登った。岩に擦れて傷まみれの右手で上へ上へと進んだ。上の方には崖に生えている薬草が見える。あれさえ、あれさえあれば、陽子は助かる。あれをとるんだ。とって、またいつものようにみんなの元へ帰るんだ。
助太郎は唸り声を上げながら登り、数十分が経過した。
ようやく、助太郎は薬草のある位置にたどり着いた。薬草を掴んだ。助太郎の中に喜びが込み上げた。これで陽子が助かる。嬉しさが助太郎の中に喜びが込み上がる。
途端、足場が崩れた。助太郎の体は宙に放り出され、そのほかの岩の一つのように、落下していく。後輩は自分が落ちてくる位置を推測し、そこへと走り込んでいった。
このまま、自分は死ぬのか?落ちて、死ぬのか?
初めから、危険だと言うことはわかっていた。それでも、陽子を助けてやりたい。弟を助けられなかった分、陽子を助けたい。
助太郎の疲れきった右手が緩み、薬草が手から離れかける。身体中から力が抜ける。
右手に力が入らない。傷だらけで感覚がない。ああ、もう駄目なのか。
「諦めないで。頑張って。兄ちゃん。」
ふと、助太郎はそう言われた気がした。
弟の笑っている顔が脳裏をよぎる。そして、陽子と翔太郎と重なった。
助太郎の体は下へ下へと落ちていた。下へ下へと、どんどんどんどん落ちていく。助太郎は涙を流していた。
「待ってろ。陽子。苦しくても、こらえるんだ。兄ちゃんが直してやる。元気にしてやるから。」
助太郎はカッと大きく目を見開き、手から離れかけた雑草を思いっきり握った。手に筋が浮かぶほど強い力で握った。頭に筋が浮かび、目は大きく見開かれている。右手の握力に全ての力を集中させた。
たとえ自分が死んでも、この薬草だけは離さない。
弟が憧れている、誰かのために頑張れる兄であるために。今の自分の弟(翔太郎)と妹(陽子)の力になるために。
助太郎は薬草を握る力を徐々に強めていった。右手から、ギシギシと音が鳴る。
助太郎の脳裏に翔太郎と陽子の二人が並んで立っている姿がよぎった。陽子は良くなっており、翔太郎と笑っていた。
今は手に力を入れて苦しいはずなのに、心は心地よかった。涙を流しながら、助太郎は微笑んだ。
「俺の希望になってくれて、ありがとう。」
助太郎は、自分の体が地面に落ちたことがわかった。
視界がまっ白になり、気づけば綺麗な花畑にぽつんと一人で座っていた。暖かな場所だった。
周りには桜の木がいくつもあり、花を咲かせている。癒しに満ちた場所だ。助太郎はそう思った。
助太郎は立ち上がった。すると、花畑の向こうから音がする。何かを蹴っている音だ。花畑の向こうに目をやると、そこでは小さな男の子がボロボロのサッカーボールを蹴っていた。
助太郎は目を大きく見開いた。目から涙が出てくる。助太郎は無意識のうちに、男の子に向かっていた。
涙を流していた。助太郎は気がつけば目から涙をたくさん流しながら男の方へと走っていた。無意識のうちに体は子供に戻り、服は子供の頃に着ていた服を着ていた。
ぼろぼろのサッカーボールには、自分と弟の名前が書かれている。男の子は走ってくる助太郎に気づいたのか、助太郎の方を振り向いた。すると、男の子は今にも泣きそうな顔で言った。
「にいちゃん・・・!」
助太郎は弟を抱きしめた。泣いた。涙が止まらなかった。
「ごめん・・・!ごめんなぁ!守ってやれなくて、お前が苦しんでいるときにそばにいてやれなくて、ごめんなぁ!ずっと一緒にいてやれなくてごめん・・・!」
弟も目から涙がポロポロとこぼれた。
「僕も。僕もごめん・・・。にいちゃんと一緒にいれなくて・・・!襲われた時、にいちゃんに連絡して、うまく逃げてどこかで落ち合いたかったんだ。でも思うように行かなくて、やられちゃって・・・!本当は、もっと一緒にいたかった・・・!もっと一緒にいろんなことをしたかった・・・!
大好きな兄ちゃんと、たくさん思い出を作りたかった。」
助太郎の目からいっそう涙が溢れる。
「で、でもね、僕は全部見てた。全部見てたよにいちゃんは、自分がすべきことをやり遂げたんだ。頑張ったんだ。ずっと、かっこいいにいちゃんでいてくれたんだ。死んだ後もずっと僕の憧れだったんだ。ずっと僕の大好きな優しい兄ちゃんだったんだ。」
「そうだろう。俺は薬草を離さなかった。兄ちゃんやるだろう。俺だってお前が大好きさ。この世のどんな人よりも大好きで大切だ。お前に負けないくらい大好きだ。」
助太郎はそう言って涙を流しながら言った。
「だから、これからもずっと、お前の憧れでいてやる。お前のにいちゃんでいてやる。これからはずっと一緒だ。何があっても一緒だ。今度こそ、もう一人で寂しく死なせたりしないぞ。俺が守り切ってやる。」
弟はポロポロと涙を流していた。そして、微笑んで言った。
「うん。そうだ。兄ちゃん。お帰りなさい。」
それから少しして、弟は助太郎の手を引いて、花畑の奥へと走っていった。奥では両親が手を振っている。気がつけば助太郎は笑っていた。弟も笑っていた。両親も笑っていた。
「ただいま。」
助太郎と弟はそう言って、両親に抱きついた。
悲報は翔太郎の元へ、すぐに届いた。翔太郎も、優介も言葉を失った。翔太郎はその場で涙をながした。優介も歯を食いしばって泣いていた。いつか、こうなることは心のどこかで分かっていた。ただ、だからと言って心の準備ができているわけではなかった。
陽子の薬草を取ろうとして、助太郎は命を落とした。自分が薬草を取ってくる能力が無いために。
翔太郎に自責の念がこみ上げてきた。
助太郎の後輩は報告をする時、涙を流していた。手が震えていた。
助太郎は慕われていたのだろう。翔太郎はそう思った。
食卓の上に薬草が置かれていた。
それから、五日が過ぎた。陽子の熱は下がり、今では店の食べ物も食べられるようになっていた。悪魂化の副作用で、言葉が話せず、知能も少し低下していたが、問題なく生活できていた。店屋の主人も、陽子を見たときはその温厚さから、初め悪魂とは信じられなかった。陽子は翔太郎といることが多く、翔太郎とともによく店の手伝いをしていた。
翔太郎は熱が下がり陽子の意識が回復したばかり時に陽子に言った。
「お前の命は助太郎さんという人から繋がれたものなんだ。俺たちはあの人に助けられ、今があるんだ。
俺たちの恩人なんだ。
お前の熱が下がったのも助太郎さんの努力のおかげなんだ。ずっと、あの人のことを、覚えていような。」
その言葉を陽子は理解したようだった。