第一章 第一話 悲劇
一
山の中をバスが走っていた。児童保護施設へ子供を連れていくバスは、険しい道をただただゆっくり走っていた。
翔太郎はその中の左端の席にいた。妹の陽子は翔太郎の右肩に寄りかかっている。陽子はさっきまで、母が死んだことをとても悲しんで泣きていたので、泣き疲れて眠っていた。
翔太郎は陽子の様子を見て、兄だからしっかりしなければという意識が高まる。翔太郎と陽子の両親は二人とも病気で他界していた。なので、まだ幼い七歳の翔太郎と五歳の陽子は児童保護施設へ送られることになった。翔太郎は森を眺めた。泣き疲れて寝ている陽子をギョッと抱きしめ、「大丈夫。兄ちゃんがしっかりするから。」と言った。
ことはすぐに始まった。いきなり、バスが大きく揺れ始めた。まるで何かにゆさぶられているかのように、バスは大きく揺れた。子供達は一斉に泣き始めた。子供達の悲鳴が飛び交う中、バス内の先生は子供達を落ち着かせようとする。運転手も何が起きたのかわからず、表情が強張っていた。翔太郎も少し動揺していたが、それを顔に出さず陽子を必死に抱きしめた。陽子は揺れで目を覚まし、状況がわからず、「怖いよぉ。兄さん。」と言って泣き出した。怯えて翔太郎にしがみついた。「大丈夫。大丈夫だ。」翔太郎はただそう言いながら、陽子を抱きしめた。普通を装っているが、手が微かに震えている。
途端、バスが転倒した。多くの児童と、保護施設の職員、そして翔太郎達はバスの割れた窓ガラスから外へ放うり出された。
「きゃあああ!」陽子が悲鳴を上げる。翔太郎も「うわあ!」と悲鳴をあげたが、放り出されてもなお、陽子のことを抱きしめていた。陽子と翔太郎の額から血を流れている。翔太郎と陽子はバスから少し離れた場所に放り投げられていた。
翔太郎はすぐに陽子に言った。
「大丈夫か!?陽子!」
陽子はまだ動揺しており、翔太郎に泣きながら言った。
「痛い・・・!痛いよぉ・・・!」
翔太郎は陽子の声を聞いて安心した。
しかし、バスから放り出された子は泣いている子もいれば、気絶している子もいる。保護施設の職員は子供達の安否を確認していた。
翔太郎が安堵した刹那、バスの車体が真っ二つになり、バスの後ろから、黒髪の男が顔を現した。
男は手をゆっくり、子供の方へ向けると、ふと言った。「いない。ここには素材がないな。」 その瞬間、男の手から、青い閃光が放たれた。その閃光は子供達と保護施設の職員に当たり、いっきに、大勢の人が死んだ。気がつけば、バスの周りには子供と大人の屍が転がっている。翔太郎は陽子を抱きしめて、それを見ている。バスのそばにいたバスの運転手は、それを見て怯えた。男はバスの方を見た運転手は「ひい。」と言って、尻餅をついた。男は真っ二つになったバスの、右側のそばを見た。男はゆっくりと、バスの運転手に近づいて行く。運転手は恐怖でがんじがらめになっていた。男は運転手の目の前に立ち、運転手を数秒間見ると、「お前も違う。」と言って、青い閃光を放ち、運転手を殺した。
男は今度は翔太郎と陽子の方へ近づいてきた。翔太郎はとっさに陽子を抱きしめ、陽子を守るように男に背を向けた。男は陽子を見ると言った。「これだ。これが必要だった。」男は翔太郎から陽子を無理矢理引き離そうと、陽子の体を引っ張った。
「やめろ!陽子は渡さない!」
翔太郎は陽子の手を掴んで離さなかった。
「兄さん!兄さん!」
男につかまれている陽子は、泣きながら翔太郎にしがみつく。翔太郎は力一杯陽子の腕を掴む。
「大丈夫だ、陽子!絶対に離さないから!何があっても守ってやる!」
翔太郎は全力で陽子を引き寄せるが、男は翔太郎に「うるさいぞ。このガキめ。」と言うと、翔太郎を蹴り飛ばした。
翔太郎の手は陽子から外れ、翔太郎は男の横に勢いよく吹っ飛ばされた。
「ぐは!」と血を吐く翔太郎の声と共に、ちが翔太郎の口から噴き出た。翔太郎はうずくまる。
「兄さん!」
陽子は大きく目を開き、涙を流しながら翔太郎に呼び掛ける。陽子は必死に翔太郎に手を伸ばした。
「兄さん!兄さん!」
翔太郎は震えながら腹を抑えて、起き上がろうとした。
「よ、陽子・・・・。」
「兄さん!兄さん!」
「陽子!待ってろ、今行くから。」
すると男は頭に筋を浮かべ、翔太郎に言った。
「うるさい。」
その瞬間、翔太郎に青い閃光が放たれた。
「兄さん!」
陽子が叫ぶ。
すると、若い女性の保護施設の職員が翔太郎の前に走り出て、素早く翔太郎を抱きしめた。青い閃光は女性に当たり、女性はそのまま絶命した。
「ああ、お姉さん!」
翔太郎は女性の体を揺さぶりながら叫び続けたが、女性は起き上がらない。
「兄さん!」
叫ぶ陽子に、翔太郎も叫んだ。
「陽子!」
すると、陽子を抱えた男は、驚くような速さで森の中へ走っていく。
「兄さん!兄さん!」
「陽子!陽子!」
しかし、翔太郎の叫び声も虚しく、陽子は男に森の中へと消えていった。
「陽子おぉ!」
翔太郎は大きくそよ風がふく草むらで目を覚ました。翔太郎は黒い学生服を着ている。八年の月日が経っていた。
立ち上がってあたりを見渡すと、草原が広がり、山々が周りにあった。そばでは茶色い毛色の馬が草を食べている。シュナイダーという名の翔太郎の愛馬である。
翔太郎は自分がさっきまで、寝て夢を見たことに気づくと、目をこすりながら立ち上がった。
翔太郎の見た夢の出来事は、翔太郎が小さい頃に本当に体験したことだった。
あの時、陽子の手を離さなければと、以来翔太郎はずっと後悔をしている。あれから十年経った今でも、陽子は見つかっていない。翔太郎は暗い気分に呑まれそうだった。しかし、自分の両頬を力一杯両手で叩き、「切り替えるぞ」と自分に言い聞かせた。
翔太郎はそばにいるシュナイダーの上に飛び乗ると、近くで草を食べている山羊達のいる方に向かって、口笛を吹いた。とたん、草むらを二匹の犬がかけてくる。翔太郎は、やってきたこの二匹の犬と協力しながら、シュナイダーに乗ってヤギを追いかけまわした。それを何度か繰り返し、ヤギ達を移動させて行った。
そのようにして翔太郎はついに家に着いた。
翔太郎の家は、山で牧場を営んでいる農家にしては珍しく、和風の家だった。
家に着くと、縁側から七歳ほどの子供が二人駆け寄ってきて、翔太郎に抱きついた。二人とも、翔太郎が養子に入った家の、翔太郎より後に赤子の状態で入ってきた、養子の子供たちである。今ではすっかり成長した。一人が男の子。もう一人が女の子だ。
「翔ニイおかえり。ねえ、今日も山の奥行こうよ。」
男の子の方がいう。
「ごめんな。ちょっと今日はシュナイダーが疲れてるっぽいんだ。明日ならできるけど。」
「えー、今日が良かったな。」
「ねえ、じゃあせめてさ、池は行ける?丁度シュナイダーに乗ったら五分じゃん。」
女の子が言った。
翔太郎は困った。シュナイダーは今日、いつもと比べてかなり疲弊しているのだ。今日は翔太郎が寝たせいもあって、羊がかなり遠くまで行き、シュナイダーで追い回すのにかなり時間がかかった。それだけ走ったシュナイダーは、無論、翔太郎より疲れている。
翔太郎は考えた。自転車を使ったり、徒歩で行くという方法もあるが、行くのは山道なので、やはりシュナイダーがいないと無理である。と、頭を悩ましているときに、中から義母が出てきた。義母は、女手一つで、翔太郎も含め三人の子供を育てた、五十三歳になる女性だった。
「光輝。蓮子。あんまりわがままいっちゃ、翔太郎が困っちゃうでしょ。ほら、こっちにおいで。」
子供達はまだ池に行くことをねだったが、義母は「ダメです。もう日が沈む時間だし、夜の山道は翔太郎もつれて行けないわよ。危険だもの。だから今日はダメ。また、明日ね。」
そう言って、義母は二人を家の中に入れた。仕事に夢中になっていて、翔太郎も気づかなかったが、もう夕日が立ち上っている。翔太郎は呆然と夕日を見ていると、義母は「翔太郎も、早く入りなさい。」と言った。家に入ると、翔太郎は義母の夕飯作りを手伝い、夕ご飯を食べた。
この家族は全員血が繋がっていなかった。しかし、血が繋がっていないだけで、それ以外は他の家族となんら変わりまかった。
二人の子供は今日あった学校や、友達との遊びの出来事を楽しそうに話す。仕事をしてくたくたになった翔太郎は、子供は元気だなあと、感心しつつ、微笑ましくその話を聞いた。
翔太郎の義母は元は東京に住んでいた。夫と息子がいるごくありふれた家庭の主婦だった。しかし、ある時、小学生の一人息子を事故で亡くし、夫も息子の跡を追う様に病で亡くなった。夫と息子の死の悲しみと、一人になった寂しさで押しつぶされ牢になった義母は、生きる気力をなくし、麻酔をたくさん飲んで眠ったように死のうと思った。その時、自分の死を見届けてくれる子供を探しに児童養護施設へ行った。
そこで、まだ幼い翔太郎と出会った。翔太郎は心をすぐに開いてくれる優しい少年だった。翔太郎の過去について尋ねると、細かいことは言わなかったが、両親が病死し、妹が失踪したということだけ告げた。義母は言葉がでなかった。子供の身に起きたとは思えないくらい辛く悲しい経験だった。
だが、翔太郎は、失踪した妹を探すために生きるのだと言った。義母はまだ自分は死んではいけないと思った。この子を育てよう。不思議にそういう思いが芽生え、自分の養子にすることを決めた。
翔太郎を容姿にとった義母は、都会からこの山へ越してきた。そこからは、生まれたての赤子二人を養子にとり、女手一つで翔太郎と下の子二人を育て上げた。翔太郎はそんな義母を見ているからこそ、反抗期はこず、むしろ家族の仕事の手伝いや、街でアルバイトをし、家族にお金を入れていた。義母は、妹を亡くした翔太郎に、気を使わせていることを後ろめたく感じているが、翔太郎が入れているお金と自分のお金で家庭が回っているので、翔太郎に仕事をやめていいとは言いづらかった。
翔太郎は夕飯を食べ終わると、義母に言った。
「ごめん母さん。俺ちょっと深夜のバイト行かなくちゃいけないんだ。だから、行ってくるよ。」
「ええ、こんな遅い時間に?山は夜は危険なのよ。」
「うーん、分かっているけど、でも、仕事だしなぁ。大丈夫だよ。じゃあ行ってきます。」
そう言って、翔太郎は家を出て、自転車に乗った。そのまま自転車に乗って山を降りていくと、夜の山道の途中で、人を横切った。翔太郎は自転車を止めて振り向いた。すると、体の大きく、逞しい筋肉がついているお坊さんが、山を登っているのが見えた。翔太郎はお坊さんに声をかけた。
「あの、すいません。夜の山道は危ないですよ。」
声をかけると、お坊さんはと一旦止まり、こっちを振り向いた。目は鋭いが、悪い人ではなさそうだ。どこか、穏やかで、人を落ち着かせる雰囲気を纏っている。かなり静かだが、少なくとも威圧感はなかった。
「そうですか。ご心配、ありがとうございます。しかし、追わなければいけないものがおります故、このような夜の薄暗い山道も通らなければなりません。」
翔太郎は首を傾げた。『追っている人?この人は、こんな格好だけど、警察なのかな?』
翔太郎は一瞬不思議に思ったが、翔太郎は気にせず山を降りた。
二
その後、翔太郎は街へ行き、バイトを済ませた。バイト先はカレー屋である。カレー屋の店長は「真夜中に来てくれてありがとな。まだ学生なのによう。」と翔太郎にお礼を言った。翔太郎は「いえ、いえ。」と笑って返した。すると、店長は翔太郎に聞いた。
「今から、山へ帰るのかい?」
翔太郎は言った。
「はい。早く帰らないと、母が心配するんで。」
すると店長は急に顔色を変えて言った。
「そうか。気をつけるんだぞ。今日みたいに、八月の初めはこの辺りに悪魂が出やすいと言われているからなぁ。」
「悪魂?」
「そうだ。悪魂だ。」
「なんですか、それ。」
「古来かなこの日の本に存在する、人の魂を喰らう、異形の化物、いや怪物だ。」
「そんなのいるんですか?」
「確証は持てんが、少なくともワシは信じとる。まぁ、悪魂は力が強いから、家すら壊してくるけどな。」
「でも、それじゃあ、僕らは襲われちゃうじゃないですか。」
「昔から、独自の空手を駆使して、その拳で悪魂を壊し、人を守る、壊魂組というのが存在する。そこの方々が悪魂を破壊してくれるから大丈夫だ。さ、帰るなら早く帰れ、おそらく、もうこの時間は壊魂組の方々が、悪魂を壊そうと、見回りをしている時間だろう。」
翔太郎は半信半疑で、それを聞くと、そのまま帰って行った。山道を登りながら、思った。
「ひょっとしたら、あのお坊さん。壊魂組っていうのの人だったりするのかな。誰か追っているって言ってたし。」
翔太郎がそんなことを考えながら、家に帰ると、翔太郎は目を見開いて驚いた。そして、大泣きしながら駆け寄った。
家が燃え上がっていた。
家族が、体に大きな切り傷を負って全員倒れていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!どうしたんだ、何があったんだ!光輝!蓮子!」
翔太郎は必死に、泣きながら、二人の体を揺らした。二人から返事は返ってこない。
「ひどい。なんで。いったいどうしてこんな事が……!」
すると、近くに倒れている義母が翔太郎を呼んだ。
「翔……、翔太郎……。」
翔太郎は義母に駆け寄り、手を握って呼びかけた。
「どうしたの、どうしたの母さん!なんで!一体何が!ぁぁ、止血しないと!今救急車を呼ぶから!」
「翔、翔太郎……。そ、そんなことになくてもいいわよ。私は助からない。」
義母は目に大粒の涙を溜めていた。
「ごめんね、今まで無理をさせて、辛かったでしょう。」
「いいんだ!そんな事!それより助かろう!まだ生きるんだ!母さん!」
「翔太郎……。よく聞いて。今から、あなたの妹がいる場所を言うわ。」
翔太郎の体は、ピタリと止まった。
「ごめんね。翔太郎。この前、見つけたの。この先の、二つの山を越したところの、三つ目の山の洞窟のところ。そこに、青白い、透明な岩の中に入っている。もう成長しているわ。」
「な、なんで、そんな事を。母さんが……。」
「見つけたの。この前、気晴らしにそこまでいくと奇妙な洞窟を見つけてね、するとそこにあなたの妹らしき人がいたのよ……。母さんはその後、人の声がしたからすぐに出て行ったけど。」
「で、でも、こんな状態の母さん放って置けないよ。」
「行きなさい。私は邪魔になるから、私を置いて行って。急いで。」
「でも、何で。そんなの嫌だよ。母さんを助けるよ。」
「行きなさい。これは、母さんが最後にあなたにする命令です。
ここを襲った男が、そこの方向に走って行った。
あの、男は手から奇妙な……、あ、青白い……、雷を……、出すから。」
翔太郎の頭に妹を連れ去ったあの人外の能力を持った男の姿がよぎった。その男も、手から雷を出すことができていた事を思い出す。翔太郎の頭に筋が浮かぶ。
「今、その男を見知らぬお坊さんが追って行った。私の手を握って、仇は取ると言って。」
翔太郎は泣いた。どんなに嫌だと言っても、おそらく母は聞かない。聞かなくてもいい。母を助ける。翔太郎はそうしようとしたが。どうしても妹も大切だった。
「私は……もう助からない。わかるの。もう感覚が無くなってきた。お願い。翔太郎。これは、私からの最後のお願い。あなたの妹を。本当はあなたと一緒に私が育てるはずだったあの子を、陽子ちゃんを助けてあげて。今もきっとあなたに助けを求めている。あなたはうちのいい長男だった。でも、あなたはあの子の兄でもある。お願い。行ってあげて。そうじゃないと、あの子がかわいそう。」
翔太郎は泣いた。
「分かった。行ってきます。ずっと忘れないよ。今までありがとう。最後に、助けてあげられなくてごめんね。」
「大丈夫。私も、子供たちも、あなたをずっと見守っている。私たち家族はあなたの心の中にずっといるから。
翔太郎。今までありがとうね。施設であなたを見た時、生きる気力を失っていた私は辛い過去を背負っているあなたの、その明るく誠意いっぱい生きようとする姿に生きる力をもらった。あなたを育てて、親がいない子供達の親代わりになってあげようと思った。下の二人の子供たちは、私は守ってやれなかった。でも、あなたなら、妹を助けてあげられる。私たちはいつもそばにいるから。あなたを見守っているから。
勇気を出して、いってらっしゃい。」
翔太郎はうなずき走った。家を走って飛び出すと馬小屋からすぐにシュナイダーを連れてきた。シュナイダーももう回復している。翔太郎はシュナイダーに跨るとシュナイダーの脇を蹴り、走った。全速力でシュナイダーを走らせた。自分が歩くよりも、シュナイダーに乗った方がよっぽど早く、且つ、シュナイダーは険しい山道にも対応できる。子供の頃に良く一緒に山道を走ったせいで、シュナイダーにはその能力が自然に身についていた。
翔太郎は思った。ごめん。もっと、俺が早くきていれば、みんなを助けられたかもしれないのに。寂しい思いをさせてごめんと。しかし、翔太郎は振り向かなかった。泣いた。大声で泣いた。泣いても、振り向かなかった。母の言葉を思い出し、必死に振り向かずにシュナイダーと共に走った。
「シュナイダー!もっと、もっと早く頼む!陽子に!陽子に会わないと!母さんとの約束を果たさないと!」
シュナイダーはぐんぐん速度を上げて走って行った。
その頃、翔太郎の家の周りには隊服を着て手に鉄のグローブのようなものをつけた集団が集まっていた。そして、その集団を指揮しているらしき男は家の中を見ると、家を出て隊員に言った。
「今から、警察に連絡する。そして、この家の方々に合掌。黙祷をする。我々はこれより我々最大の敵、"あの男"を倒しにいく!どうやら、階級〈光〉の方々も来ているらしい!本腰を入れろ!ここで気を緩めずに、必ず、奴を倒す!」
そう言うと、男と隊員一同はその家に向かって手を合わせ、お辞儀をし、そして、黙祷を捧げた。黙祷を終えると、隊員達は家とは反対方向を向いた。隊服の後ろには、「壊魂守人」と書いてある。そして、男は隊員を指示し、隊員達と共に森の中へ消えて行った。
翔太郎はシュナイダーを走らせていた。母から言われた洞窟がある方へと、シュナイダーと共に険しい道を走っていった。
その頃、山が月の光と暗闇で覆われている中、翔太郎の母親が言っていた洞窟の前では、不気味な声がしていた。
「はて、一体どうしたものか。あのお方はここを死守しろと言われた。それほどの傑作ができるのであろう。」
「気に入らぬな。われらを差し置きそんなものを作るとは。我らもより多くあのお方の血が欲しいと言うに。」
「大丈夫だ。あのお方はわれらを見捨てはせん。それに、どうやら壊魂組の奴らもたくさん出てきたようじゃな。無駄なことを。どれだけこようと、あのお方を潰せはしまいに。」
話し声と共に、洞窟の前には三体の異形の怪物が現れた。
一体は目が三つあり、もう一体は羽がついて舌が長く、最後の一体は体が大きく太っていた。三つ目の怪物が洞窟に入ろうとしたそのとき、その頭が弾け飛んだ。他の二体の怪物は唖然としている。化け物の体がその場に倒れる。
倒れた化け物の前には、成長した陽子が静かに立っていた。黒髪で白い洋服を着ている。陽子の目は黒く、まるで感情が無いようだった。
陽子はすぐにその場から走って森の中へ消えた。
二体の化け物は「ま、まずい!あれを止めなけば、あのお方に始末される!」と言って陽子を追いかけた。
陽子は全力で山道を走った。感情がなく、ロボットのように。ただただ黒い目で前方をひたすら見つめながら。
その頃、翔太郎はシュナイダーに乗って森の中を同じようにかけていた。すると、森の中をただひたすら走っている一人の少女を見かけた。そして、その姿は幼い頃の陽子を連想させた。
「陽子……。」
翔太郎は呟いた。そして、シュナイダーを後ろに反転させると、そのまま少女を追った。少女はひたすら速く走っている。
「なんで速さだ!姿を見失わないようにするのが精一杯で、シュナイダーでも追いつけない!それに、何か様子が変だ・・・!あんな速さで人が走れるはずがない!」
翔太郎はシュナイダーに「頑張ってくれシュナイダー!もっと速く走るんだ!」と言ってシュナイダーの右腹を蹴った!シュナイダーは嘶き、より速度が上げた。翔太郎はその少女に何か嫌な予感がした。
陽子はひたすら走ると、山道をかけている一人の男とすれ違った。先程ほかの隊員の指揮をしていた男だ。その男は背中に「壊魂守人」の文字が描かれている隊服を着ていた。瞳は薄黒く、冷たい目つきをしている。男が陽子の存在に気づき一旦立ち止まって振り返ると、陽子は長い爪を逆立たせて、男に飛びかかっていた。
やっと少女に追いつき、ちょうどその光景を見た翔太郎はシュナイダーから飛び降り、「やめるんだ!」と言って、男に飛びかかる少女に飛びついた。翔太郎は少女に背中から抱きついている形で地面を転げた。翔太郎は必死に少女を背中から抱きつき、抑えようとしたが、少女は何も言わず強い力で抵抗した。その瞳はどんどん黒ずんでいき、次第に力も強くなっていった。
翔太郎の腕が少女の体から離れそうになる。その時、少女の身につけていたペンダントが落ちた。ペンダントの蓋は勢いよく壊れ、中の写真が翔太郎の目に飛び込んだ。陽子と翔太郎が遊んでいる写真が映っている。翔太郎は「陽子だ。」と思った。薄々、どこかで気づいていた。ただそれは自分の気のせいに過ぎないと思っていた。だがこれで確信した。陽子だ。黒い瞳以外、幼い頃の陽子の面影が強く残っている。
翔太郎は驚きつつも陽子に言った。
「やめるんだ!陽子!何があったかはわからないけど、人に襲い掛かっちゃダメだ!」
陽子は手足をばたつかせ、強い力で抵抗し、「キイいいやああああ!」と叫び声を上げた。
翔太郎は何かおかしいと気づいた。本来陽子はこんなに凶暴じゃないし、力も普通の人を遥かに上回り、信じられないほど強い。陽子は穏やかで温厚な子だ。何かおかしい。
「俺だ!兄さんだ!もう大丈夫だ!疲れたろう!不安だっただろう!もう大丈夫だ!目を覚ますんだ陽子!」
しかし、陽子は暴れ続けた。翔太郎はすぐにわかった。呼びかけに応じない。今、陽子には意識がないのだ。自分の意識がないにも関わらず、体だけが一人で暴走している。翔太郎は呼びかけた。
「どうしたんだ陽子!何があった!」
すると、陽子に襲われていた男が、翔太郎達のもとまで走ってきた。
「大丈夫か!おい!待ってろ、今すぐにこの悪魂を離す!」
そう言って、男は陽子の両腕を引っ張り、翔太郎から陽子を引き離そうとした。翔太郎はこの上ない衝撃を受けた。「悪魂?陽子が、あの言い伝えに出てくる化け物だというのか?」
そんなバカな。信じたくない。やっと会えたのに。翔太郎は一瞬絶望しかけたが、今の状況をはっきりと理解していたので、すぐに正気に自分を戻した。
翔太郎は、陽子の胴体を必死に腕で抱え込み、男に言った。
「待ってください!今引き離してはダメです!またさっきのように襲いかかります!」
「大丈夫だ。さっきは不意打ちだったせいで対応できなかったが、今なら、この悪魂を破壊できる。」
「破壊?!どういう事ですか?!」
「こいつを倒すということだ。」
翔太郎はこの言葉で確信した。この男、陽子を殺そうとしている。
「待ってください!俺の妹です!殺さないでください!」
男は「何?」っと言って、引き離そうとするその手を緩めたが、苦しそうな顔をして、また引っ張った。
「いや、関係ない。この悪魂が誰の兄妹であろうと、もう人を殺める怪物だ。当然生かす気もない。」
「そんな!お願いです、待ってください!」
「待たない。お前一人のエゴに付き合う気はない。俺の任務はこの特殊性新型悪魂の破壊だ。お前の妹か何かは知らんが、この悪魂は通常の悪魂よりも危険であることがわかっている。今ここで倒さねば、いつ人に危害を加えるかもわかった物ではない。」
翔太郎は必死に、陽子を抱きしめた。陽子は依然として暴れている。
「嫌だ、離さない!俺が全部責任を持ちます!だからやめてください!」
「お前には無理だ。お前に責任なんぞ取れるはずがない。少なくとも、なんの力も持ち合わせていないお前は、この悪魂に瞬殺されるだけだ。」
「そんな事ないです!」
「離せ!これは貴様だけの問題ではない!ここで見逃し、他の人に危害が及び死人が出てからでは遅いのだ!ここでこの悪魂は排除する!」
その声と共に、陽子の胴体は翔太郎の腕の中から離れ、男に抱えられた。
「陽子!」
その瞬間、翔太郎は男の手が離れた陽子の両腕を、両手で思いっきり掴んだ。ありったけの力で陽子の両腕を引っ張った。
「もう、離すもんか・・・!絶対に今度は守り切るんだ・・・!」
それを見ていた陽子の瞳は徐々に黒から赤に変わっていった。陽子の中での、意識がはっきり目覚めていく。陽子の視界にある暗闇から光が広がり、翔太郎の姿が映った。そして、目を大きく見開いて翔太郎を見た。
「陽子!辛いだろう!負けるな!頑張るんだ!あがくんだ!俺は絶対にお前のことを見捨てない!」
途端、陽子の腕が翔太郎から離れそうになった。翔太郎の脳裏にある記憶がよぎった。
記憶の中で、あの男が陽子を翔太郎から引き離した際に、陽子の腕は翔太郎の手をすり抜けていった。陽子は泣きじゃくり連れていかれる。
その時、不甲斐なさ。己への強い怒りが、翔太郎の腹の底から湧き上がる。
途端、翔太郎はありったけの握力で陽子の腕を強く掴んだ。全身の力を込めたせいか、翔太郎の頭に筋が浮かび上がる。そして、陽子に言った。
「大丈夫だ・・・・!今度は・・・、絶対に・・・!はなさない!!」
男はより強い力で翔太郎から陽子を離そうとする。
翔太郎は叫び声を上げ引っ張られそうになるところを踏ん張り、全体重を体の後ろ側にのせてひっぱた。
陽子は目にいっぱいの涙を溜めて。翔太郎をただ見ていた。
「陽子!大丈夫だ!絶対に離さないから!絶対にもう、一人にしないから!お前に寂しい思いはさせないから!」
陽子の目から涙が溢れる。
すると、途端に、翔太郎の近くの木が、軋み始め、大きな音を立てておれたかと思うと翔太郎の元に落ちてきた。翔太郎は動けるような状態じゃなかった。木が翔太郎に向かって倒れてくる。陽子は男の手をすり抜け、とっさに翔太郎を抱きしめた。そして、木は倒れ、陽子に体に直撃した。
男は唖然とした。悪魂が人を助けた。男は驚きを隠せなかった。悪魂は、基本的に知能も低く、人としての心も失い、家族であろうが誰であろうが殺しに掛かる。以前にも、悪魂になった妹を庇った姉が、その弟に殺められるという、痛ましい事件があった。
すると、男の脳裏にある記憶がよぎった。
小さな男の子が笑いながら、自分の手を引いて、走っている。温かい記憶。
男の体は途端、大きな脱力感に襲われた。悪魂が人を襲っていない。それどころか守ろうとしている。
この娘の悪魂は、悪魂の中でも特殊な存在らしい。いつも悪魂は殺意に満ちている。だが、この娘からはそんな殺意が感じられない。この娘は特別なのか?そう思った瞬間、男の記憶の中にある兄弟らしき少年二人と、翔太郎と陽子の姿が重なった。男の中の何かが揺れ動く。
陽子は、翔太郎から離れると、途端に、その場に倒れた。
「陽子!どうした、陽子!」
陽子の息が荒くなる。翔太郎は陽子の頭を触ると、すぐに分かった。熱だ。それも、かなり高い温度の熱。
「まずい!救急車を!」
翔太郎がそう言って、携帯を取り出した瞬間、男はそれを止めた。
「その必要はない。」
「じゃあどうやって」と翔太郎が言おうとしたとき、男はその場に正座して、ふうと息をつくと、翔太郎の方へ顔を上げていった。
「今は救急車に当たっても、その娘の状態がどうかなんて、どの医者もわからない。その娘はもう人ではないからな。だから、ここからは俺がお前達の面倒をみよう。」
翔太郎は男が何をいっているのかわからなかった。
「すいません。あなたは陽子を倒そうと……。」
「今はしていない。少し、考えが変わった。俺は壊魂組という組織の隊員だ。本部へ連れて行けば、その高熱について、なんとかなるかもしれない。くるか来ないか、どっちにする。」
翔太郎は少し戸惑ったが、男に言った。
「行きます……!連れていってください!」
「よし。」
男は翔太郎に陽子を担ぐように言った。翔太郎は陽子を担ぎシュナイダーの背中の後方に乗せると、自分は前方に飛び乗った。荒い息をしながら、陽子が翔太郎の背中にもたれかかる。
「あなたも、乗りますか?」
と、翔太郎は男に聞いたが、男はいいと答えた。そして、男は口笛を吹いた。翔太郎は何のことかと思ったが、すると、いきなり横から機械音とともに何かが山の中の暗闇をふたつの光で照らして走ってくるのが見えた。バイクだ。バイクが山道を走っている。黒いボディを照らつかせライトで闇を照らして疾駆していた。バイクは横の森から飛び出すと、翔太郎を横切り男の前で音を立てて止まった。
「これから俺が案内するように走れ。」
そう言って、男はバイクに乗ると、バイクを走らせた。翔太郎もシュナイダーを走らせて、男について行った。シュナイダーはバイクに負けないスピードで、山道をかけていった。