第2話 放課後、ギャルと掃除する
その後、英梨とは会話をすることなく帰りのHRを終えた。もっと話しかけられるかと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。
できれば明日以降も英梨と関わりたくないが、そう都合よくはいかないはず。手持ち無沙汰になれば、また俺をからかってくるのだろう。
少し前までは平和だったのに……全部席替えのせいだ。戻ってきてくれ、俺のぼっち学園生活……。
俺はため息を飲み込み、帰りの支度を始めた。今日は家に帰って小説の続きを書こうと思う。
小説投稿サイト「キミも小説家になろうぜ」で連載中の俺の作品だが、正直人気はない。
だが、ありがたいことに一人だけ熱心な読者がいる。その人は一話更新するたびに感想をくれるのだ。
その読者からの感想が楽しみで、俺は毎日のように小説の続きを書いている。その人がいなければ、こんなにモチベーションを保つことはできなかったと思う。それくらい、感想は執筆の原動力となっている。
帰りの支度を終えた俺は、鞄を持って席を立った。
「本戸くん!」
急に名前を呼ばれて振り向く。
そこにはクラスの男子が立っていた。名前はたしか山内だった気がする。
「本戸くん! 一生のお願いがあるんだ!」
彼は両手を合わせて懇願してきた。
「無理。さよなら、山内くん」
「秒で拒絶しないで! あと俺『河内』だよ!?」
そうだったっけ。まぁ誰でもいいけど、俺の帰宅を妨げるヤツは許さん。
「俺、今週は教室の掃除当番なんだ。そこで本戸くんに相談なんだけど、今日だけでいいから当番を変わってくれないか?」
「は? 嫌だよ。俺は帰る」
「今日、妹の誕生日なんだよ。ケーキ買って帰って、手料理も作って祝ってあげたいんだ……ダメかな?」
河内は「このとおりだ!」と言って、両手を合わせて懇願した。
妹の誕生日か……俺にも中学生の妹がいる。彼の気持ちはわからなくもない。
小説の更新は少し遅れてしまうけど、協力してやるか。
「……わかった。変わってあげるよ」
「マジ!? ありがとう、本戸くん!」
「俺も妹の誕生日にはよくケーキを買ってあげているんだ。河内の気持ちも理解できるよ」
「本戸くん……完全にシスコンだな」
「さっきのナシ。俺、やっぱり帰るわ」
「待って、冗談だってば!」
河内はすぐに謝り、ペコペコと何度も頭を下げた。
「はぁ……わかったよ。ほら、早く行け」
「うん。ありがとね、本戸くん!」
俺は河内を見送ったあと、教室の掃除を始めた。
◆
「どうしてこうなった……」
俺は誰もいない静かな教室でつぶやいた。
おかしい。どうして俺一人で教室の掃除をしているんだ。河内以外にも掃除当番がいるはずだろ。
「おいおい……さては全員バックレやがったな?」
一人でぶつぶつ文句を言いながら掃き掃除をしていると、教室のドアが開いた。
顔を上げてドアのほうを見る。
廊下からひょっこりと顔を出したのは英梨だった。
「よっ」
「うわっ、緋崎英梨……」
「あはははっ! またそのリアクションかよー。ドン引きすんなし」
英梨は笑いながら教室に入ってきた。
「キミ、一人で掃除してんの?」
「ああ。用事があるヤツがいたから、掃除当番を代わってあげたんだよ」
「あー。河内のことでしょ?」
「そうそう、河内……うん? なんで英梨が知っているんだ?」
尋ねると、英梨の表情が険しくなる。
「いやねー、廊下で河内が友達と話しているのを聞いちゃったんだよねー。『今日遊びに行こうぜ』って」
「なんだって? あいつ、今日は妹の誕生日だって言ってたぞ?」
「それ、たぶん嘘だよ。河内のヤツ、友達と遊びに行きたいから、勇太に掃除を押しつけたんじゃね?」
「おいおい。騙されたってことかよ……」
マジかよ。代わってあげて損したわ。
「安心して、勇太。河内が『本戸くんに掃除押しつけちゃってマジ罪悪感だわー』とか言ってヘラヘラしてたから、あたしが処刑しといてあげたよ」
そう言って英梨は笑った。
ただし、目は笑っていない。処刑っていったい何をしたんだろうか。怖すぎて聞けないんだが……。
「それにしても、勇太はみかけによらずお人好しだねー」
「『見かけによらず』は余計だ。妹の誕生日だから早く帰って祝ってあげたいって言われて、代わってあげようと思っただけだ」
「そっか……ふふっ。優しいところは昔から変わらないね」
……昔から?
俺と英梨は二年生になるまで面識はないはずだ。昔っていつだろう。一年生の頃に出会っていたっけ?
そこでふと今朝の話を思い出す。
英梨は俺と幼なじみだと言っていた。
俺にそんな記憶はないけど……やはりあの話は本当なのだろうか。
考えていると、急に英梨は顔を近づけてきた。彼女の頬はほんのり朱に染まっている。
「勇太の優しいところ、好きだよ」
「す、好き!? ななっ、何言って……!」
「あははっ! まーた照れてるし!」
英梨は「勇太チョロすぎー!」と大笑いしている。
あぶねぇ。うっかりドキドキして本音無双するところだった。からかってくるとわかっていても、こんなに可愛い子に「好き」とか言われたら動揺してしまうんだよなぁ……。
「ねね、勇太。ドキドキしたっしょ?」
「うっさい。全然だわ」
「へー。顔赤いのに?」
「そ、それは英梨も同じだろ!」
言い返すと、英梨は照れくさそうに笑った。
「そりゃそうだよ。『好き』なんて言葉、特別な人にしか言わないもん」
「へっ?」
おい。特別ってどういう意味だ。俺は英梨の特別な人ってことか?
……いや違うな。今の発言もきっと俺をからかっているだけだ。俺が特別な存在なわけがない。今日仲良くなったばかりだぞ……って、今のナシ! よく考えたら、別に仲良くなってないわ!
ダメだ。席替えしてから、ずっと心が休まらない。できるだけ人と関わりたくないのに、英梨とはつい会話をしてしまう。
「掃除、手伝ってあげる」
そう言って、英梨は掃除ロッカーを開けて箒を手に取った。
「いいよ。悪いから」
「あたしが好きで手伝いたいの。気にしないで。それに二人ならすぐ終わるぜー?」
断る暇さえない。英梨は手際よく掃き掃除を始めてしまった。
英梨の真意がわからない。善意で手伝ってくれているのだろうか。それとも、また俺をからかって玩具にするつもりか?
警戒しつつ、俺も一緒に掃き掃除をするのだった。