ツングースとオーストロネシア
日本語は混成言語だと言う見方もある。オーストロネシアとアルタイ系の言語。ただこれまともな言語学の話だ思わない方がいい。ただ、だからって全くの与太話と言うわけじゃない。言語学と同等の扱いができるようなものではとてもないって意味。そういう意味で書くなら可能性は十分にある。
かなり問題だと言う点で、日本のオーストロネシアの影響はかなり原始的なものが想定されれて、とても系統だって話せるようなものじゃないから。少しでも言語学に近い発想で書くなら4000~5000年前の出来事になる。そうなってくると稲作民の北上を無視できなくなる。
じゃそれで良いじゃないか?となる。実際に日本で成立したのじゃなくて、渤海辺りで結合したためと考える人もいる。だが時期は特定できないが弥生前に直接中国南方系が入ってきて縄文人がそこで完成する。現代でも残る父系D系はこの系統とは違う。アマンダン諸島に姉妹系統があるためそれらとよく似たホアビン文化集団の系統だと考えられていて全く違う。
縄文語が謎の言語ではなくて、後から来た中国南方の言葉に上書きされた可能性は十分にある。それがオーストロネシアの原型のような言語だった可能性が有ると言う話になる。
この話2000年代の前にはもう出されていた。じゃ何故今になってクローズアップされるか?で縄文人が後から追加で中国南方系が大きな遺伝的痕跡を残していたと分かったから。もちろん多数の場所から来たのは想像されていたがどの集団か?はD系の共通点からアマンダンは想定していたが、他はいまいちわかってなかった。
さて問題だが、北海道の最北と関東での縄文人の遺伝子が均一なのが確認されてる。ただし、そうじゃない個体も多々あるため、とりあえず北海道の個体と関東の個体が小さな範囲で同一クラスターに属することが分かった。何を意味してるか?で中国南方とホアビン文化集団で地理的勾配はあまりないって点。
これが何?でとても4000~5000年付近の時代で済む混血じゃないって事。1万年近くは想定しておいた方が良い。オーストロネシア語族?となってしまう。最初からまともな学問として扱えるようなものじゃないって点で与太話よりはマシだで書いてる。
じゃ稲作民の北上で話せなば良いのでは?
その点やや問題がある。稲作民の北上はそれだけじゃなくて無文土器文化の拡散と繋がっていて、稲作民と断定できないが、無文土器文化の広がりとはほぼ同一だろうと思われるO1B2と言うDNAと深くかかわっている。その遺伝的影響がある大半のツングース諸語は南方言語の関係と言う視点でなされた研究がほぼ無い。
その視点の例外は朝鮮語ぐらい。大半が日本語の研究でしか出てこない。ツングースと南方言語と言う関係で朝鮮語と日本語だけが例外で、その発想自体出てこない。専門家が見ればまあ似ても似つかないんだろう。朝鮮語も古語にその影響があったかも?ってその程度のものになる。
私が朝鮮語と日本語だけと言う点でピンと来たのは、その朝鮮語の影響縄文人だろ?って見たわけで、これ多分縄文人がオーストネシアだったで片付く問題じゃないか?と見ている。この先発表されないなじゃないか?ぐらい止まってしまった半島で見つかった縄文人と半島人の混血についてだが、あれは本当にまともな研究なんだ。だが何故か全く大きくは発表されない。間違いなくヤフートップニュース級。鬼滅ほどじゃないけどねって時事ネタ書いてみる。
ただ専門家じゃないから見て判断したわけじゃないのは弱い。だからDNAならマシなのでそっちでアプローチしてみる。ツングースのかなりの数の民族にO1B2は入っている。しかも少数派じゃなくて、かなりの量入ってる民族もいる。これを見るとツングースはこの影響が言語に全くないのか?って不安になる。
だが私はそもそも北上した稲作民族は南方言語だったか?怪しいと見ている。山東省の先端に中国語じゃない民族がいたっぽいのは歴史に残っている。異民族だとはっきり残っているため言語は不明。だが、ツングースや朝鮮も同じ異民族だとくくられている。南方言語であったのか?不明なんだ。
その前の時代に北方集団の南下と言うイベントがあって中国南方人は大半が北方人の血が濃い集団に置き換わってしまっている。遺伝的には南方との混血でも言語的にどんな言語だったのか?は不明。このイベントで玉突き式に拡散したのがオーストロアジアとネシアの集団になる。遺伝子は言語の痕跡については分からない。南方系の遺伝子が南方系の言語を保証はしてくれない。しかも大半は北方系遺伝子である。
これを踏まえたうえでツングースと言う言語は南方系とのかかわりあいから生まれたものではないだろうって点でツングースの大半を網羅する東アジア海岸部以外のツングースがいることが重要になる。
ツングースと言う民族の大半は稲作民の北上と言うイベントと文化遺伝的にも無関係じゃない。だがこれは沿海州までの出来事になり、アムール川北側かつ内陸のシベリア西方近くまで進出してるエベンキの集団とは関係ないのじゃないか?となる。しかもエベンキは無視できないほど広くに拡散している。
だがエベンキは元は南方にいたが近代に拡散したのだって理屈も成り立つ。それを覆すために調査してみると、現在サハ共和国にいるエベンキは主となるヤクートよりも前に住んでいたのじゃないか?と見えてくる。一見みるとヤクートにエベンキが紛れ込んでるように見えるが、実際はヤクートがエベンキに入り込んだ地区らしいのだ。
以前はその根拠としてヤクート族自身の伝承みたいのを頼っていた。バイカル湖から移住したとの伝承が残っているらしい。しかし、DNAを調べてみるとこれが明らかになった。まず元々はアルタイ辺りの集団と遺伝子がかなり近い。明らかにエベンキとは異質。次に細かい位置を特定するためさらに遺伝子を調べるとよく似た集団がバイカル湖が頻繁に見つかるのが判明する。
ヤクートは後からこの地域に移住してきたトルコ系住民となる。父系だけを見るもろウラルだが、全体の遺伝子で見ると明確に極北シベリアとは違うクラスターになる南シベリアトルコ系だと分かる。
まずサハ共和国のエベンキが原住民であることは分かった。次に、いつからいたのか?で、彼らの歴史が古いのは、隣り合うウラル系の遺伝的にやや欧州に近い集団の中にエベンキとの混血の痕跡が見える集団がいるのが分かった。その時期がある程度古くから混血してると分かり、エヴェンキの移住は近代の事ではないと分かった。
おそらく、ツングース語の拡散と言う視点で見た場合ツングース語は稲作北上民との結合後に影響を受けてできた言語ではない。北方との統一的な拡散で見る場合その歴史はもっと古いと思われる。
稲作民の北上で、何故朝鮮語と日本語だけがオーストロネシアの影響について語れらるケースが多いのか?でこれは別の集団が原因だからではないだろうか?と結論付けた。それが半島に移住した縄文系だろうと見ている。ただしすべては篠田教授の研究がもっと広く発表されないと進まないのでこれ以上はやめておこうと思う。




