1-16 最終戦1
「私の決闘、見てて」
なんとか落ち着きを取り戻したシャルロッテは、一言そう告げて試験会場へ向かった。今の不安定な状況で決闘に望んで大丈夫なのか正直分からないが、これ以上言えることは何もない。
できる限りの笑顔と明るい返事で彼女を見送った。
俺は一人になると観客席へと向かう。足取りは決して軽いものではない。気配と足音を消してなるべく見つからないように観客席の一番後ろで立っていた。ここなら下手に見つかる心配もないだろう。
「おや、あなたは?」
そう思ったもつかの間、身を潜めているはずの俺に話しかけてきた。
「……? あー! ルウシェさん!」
アホ毛の女の子とその後ろで緑の髪の男性が控える。どちらも昼食と時に会った生徒会の人である。
俺の長年で培ってきたステルススキルが一瞬で看破されたことへ驚きが隠せない。学生の長を務めるだけのことはあるということか。
「僕に何の用ですか、生徒会長さん」
「もー私にはリーン・イスティスマというちゃんとした名前があるのですよ! 幾ら弱くてもこのアカデミーの生徒会の顔なんですから名前くらい覚えて欲しいです下級生にもなめられたとなると私の立場というものが——」
「会長、あまり長話していると席なくなっちゃいますよ」
「ファビオくん……コホン、そうでした。早く席を探しましょう」
ファビオ、という聞き覚えのある名前を耳にした。
「ファビオ、って確か」
「ええ、私があなたの最終戦の相手になります。Bクラスのファビオ・ノートレスです」
「Eクラスのルウシェです。よろしくお願いします」
緑のセミロングの髪を煽ってファビオ・ノートレスは自己紹介をした。俺もそれに合わせて握手を求めるも応じる様子はなかった。澄ました顔で俺のことをじっと見つめる。これはアカデミーの生徒が俺に向かってやる嘲る視線と同一だ。決してリーンに対しての態度とは明らかに違っている。
「悪いね。僕は直前の決闘相手と仲良くするつもりはないんだ。ましてや平民と仲良くするなんてノートレス家の名誉に関わる」
ファビオは鼻で笑って言う。
「こら、ルウシェくんになんてこと言うのですか! そもそも、アカデミーに身分の差なんてないですよ! それを生徒会が持ち込むなんて何事ですか!!」
リーンが不機嫌に声を荒げる。周りの空気に馴染まない不透明な声が観客の視線をこちらに集める。当然、話題の根源になっている俺のことにも皆気づきだした。こればっかりは技術ではどうにもならない。
ちらほらと見下げた笑い声が聞こえてきた。しかし対象は俺だけに向けられたものではなかった。
「おい、あれ最弱会長と24秒の雑魚じゃないか?」
「ほんとだ、何で弱い者同士がこんなところに」
「ほら、変な噂が立つ前に早く席に着きましょう」
「まだ話は終わってないですよ! ファビオくんはいつからそんな差別主義者になってしまったんですか昔はそんなことなかったのにでもファビオくんシャルロッテさんにはそんなこと思ったことないですよねなんですか足元見てるんですかそんなことでは——」
ファビオは以降俺の存在をなかったかのように、リーンの首根っこを掴んで横を通り過ぎていった。嫌な視線と嘲笑という最悪の土産を置いていくあたりいい性格を持っているようだ。
「シャルロッテが出てきたぞ!!」
誰かそう叫んだのを皮切りに注目は闘技場へと向けられる。観客席は大きな盛り上がりを見せた。皆が彼女の美しさに酔いしれ、圧倒的な勝利を望んでいる。誰も彼女の様子の変化に気がつくことはなかった。
「シャルロッテ様頑張って~!」
「うおおぉー! シャルロッテちゃーーん!!」
競技場のボルテージの高まりをよそに、シャルロッテは冷静になろうと努めていた。努めているだけでできてはいない。昼間の彼女のようにベールをまとっていない。見ていられないほどに今の彼女は不安定だった。
シャルロッテとその対戦相手が互いに向かい合う。それとともに、会場の上の方で見ていた審判員が手に持った大きな木槌を打ち鳴らした。闘技場全体に静寂が波及する。そういった効果を持つマジックアイテムなのだろう。
「静粛に!! これから第3戦Aクラス シャルロッテ対Bクラス シュバルツェ・ワーカーの決闘を行います。両者バッチを掲げてください」
審判の合図で闘技場の中心にいる2人は制服からバッチを外す。それを互いに掲げ、火花が走った。決闘開始のカウントダウンで両者は距離をとる。互いに杖を持って長い1分間を待った。
《決闘始め》
割れんばかりの歓声に包まれて、最終戦の第3戦が始まった。両者円を描くように移動しながら魔法の演唱を開始する。
Aクラス、Bクラスのレベルで長め演唱となると、そこそこ規模の大きい魔法になる。その戦いを見ていた教師陣も咄嗟に魔法で防御壁を形成する。観客席に被害がいかないような配慮だろう。
「「はぁ!!」」
互いに魔法を放出させようと声を張り上げた時に事件は起こった。突然、シャルロッテの杖の先から魔法が暴発したのだ。風の刃が四散する。間近にいたシャルロッテはその被害を直に受け、壁に叩きつけられた。シュバルツェの魔法を相殺するほどの威力を全身に受けたのだ。ただでは済まない。
「い、ぐう……何がどうなって」
シャルロッテは腕を抑えてうずくまる。魔法で切り裂かれた制服の切れ目からじわじわと内出血が見える。
「なんだなんだ!? 演唱ミスか?」
「自滅じゃないの?」
「あのシャルロッテが?」
シャルロッテに限ってミスや自滅なんてありえないが、精神状態は魔法に大きな与えるという。今の彼女の状態だと完全には否定できない。にしてもそんなに派手な暴発になるのだろうか。演唱のサポートありきで“命令式を全く背いたような”魔法が発動するなど聞いたことがない。
観客の動揺をよそに決闘は未だ中止の合図はない。自滅と判断されては実力不足でこの決闘を止めることはできないということなのだろう。気絶か降参か選択肢は二つだが、学年主席というレッテルが降参を易々とさせてくれない。
シュバルツェは好機と見て更なる魔法の演唱を開始する。先手を取られたシャルロッテは急いで地面に落ちた杖を掴んで立ち上がった。無演唱の魔法を唱えようとするも、今度は自身に向かって魔弾が飛んできた。何の防御もとっていなかったシャルロッテはもろに腹へめり込んだ。
シャルロッテは息を大きく吐き出し、あまりの痛みにもがき始める。シュバルツェの魔法をなんとか体を転がしてよけることができたが、もう立ち上がることも出来そうになかった。
まただ。一体、シャルロッテに何が起こっている。
そもそも、魔法というのは命令式の演算処理を魔力に乗せることで、杖を媒体として魔法が発現する。命令式が間違っていない限りはミスを起こすなんて考えられない。でも、媒体を通すまで命令式が変更されることはないし……
「ん? 媒体?」
魔力が身体から離れるまでは変更されないが、唯一杖を介している時の変更はできないことはない。高級な杖だと指示、発現の媒体だけではなく、ノイズキャンセリング機能もついて、より強い魔法が出せる。
——もし、あの杖が命令式の書き換えをしていたら……
背筋が凍るように恐ろしかった。杖に細工をすることは簡単ではないができないことはない。ノイズキャンセリングのような繊細で高度な技術はともかく、“命令式を真逆に書き換える”ことくらいはAクラスレベルであれば造作もないはずだ。
「ふふ、神童も落ちたものね。こんな簡単な魔法すらも使えないなんて、所詮は平民、つけあがった報いですわ。ミカさん、そう思うでしょ」
「ええ、ほんとですね」
たまたま近くにいたエリシアが高らかに笑う。扇子で口元を抑えているが、その下にはひしゃげた笑みが見えた。ミカと呼ばれた子も満足そうにうなずいている。
動揺が走る中、2人だけはこの見世物を楽しんでいる。
『そうそう、この間の決闘も序盤完全に手抜いてましたーって感じでさ。たまには痛い目みろっての……あ、いいこと思いついた』
『面白そうだからエリシアさんにも手伝ってもらいたいし』
散らばっていた点が全て線に繋がった。
「おいおい、これもしかしてシャルロッテ負けるんじゃないか?」
「去年無敗の神童シャルロッテが!?」
「おー! シュバルツェ頑張れ!!」
周りの空気が変わっていく。シャルロッテが当たり前に勝つ雰囲気が一転して、シュバルツェ押せ押せムードに変わってきている。人々は天狗になった神童の敗北と無敗を破る勇者の構図に酔いしれている。
シャルロッテは異様な歓声にあたりを見まわしている。瞳は段々潤んでいき、やがて壊れた人形のようにうつむいた。純黒の髪が力なく垂れる。彼女の握っていた杖に力が入らなくなっている。
まずい。
シュバルツェが杖を掲げる。俺は咄嗟に人混みをかき分け、観客席の一番前まで向かった。
「あきらめるな!」
大きく息を吸って叫んだ。勝利を決めつけた歓声に紛れたが、確かにシャルロッテは俺を見て目を見開いた。
まだ声は届いている。
「……!」
「勝て! シャルロッテ!!」
そう叫んだがもう遅い。シュバルツェは演唱を完了させていた。シュバルツェが発動した炎の渦がシャルロッテを襲う。
——轟
しかし、爆発に近い突風が炎の行く手を阻んだ。圧倒的な物量にシュバルツェは吹き飛ばされる。
第二波の風が立ち込める砂ぼこりを払うと、中心には堂々たる姿の神童が立っていた。
「そうだよね、ルウシェくんだっていつも逆境の中で頑張ってたんだ。ここで折れてちゃ、彼に顔向けできない!」
闇に溶ける漆黒の目には闘志が宿っていた。