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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
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幕間『夜』

 私達がベイカーさんに送られ、家の近くの市街地まで着いたのは、夜の七時を過ぎた頃だった。マイヤーさんとは帰路の途中、ノースヤード一の規模を持つ国立病院の前で別れた。マイヤーさんが話してくれた事だけれど、彼女には大学時代に患った病があるらしく、今日はもともと、その定期健診の予定日だったらしい。


「まあ、こういう仕事ですからね。こんなついてない日なんていうのは、よくある事ですよ」


 別れ際、肩を竦めてそう言ったマイヤーさんの顔色は、けれど夕方と比べて微かに青かった。それでも彼女は私達に背中を向けるまで、そのニヒルな笑みを絶やさなかった。


「マイヤー君もあれでなかなか気丈で頑固な性格だからな。無理しすぎるなとは、いつも言ってはいるんだが」


 彼女を見送った後、車を走らせながら、ベイカーさんは心憂げな表情でそう語っていた。そしてそれ以上多くは語らず、小さくハンドルを指で叩きながら、ただ真っ直ぐに薄ら暗い道を見ていた。

 それから十分ほどベイカーさんの運転する車に揺られ、私達は見慣れた住宅地の中に付いた。ベイカーさんは家の前まで送ると言ってくれていたけれど、私達はそれを丁重にお断りした。あまり入り組んだ場所まで車を走らせるのも悪い気がしたし、何より、お互いに時間が必要だろうと考えたからだ。ベイカーさんはしばらく難しい顔で渋っていたけれど、やがては承諾してくれた。


「今日は長々と時間を取ってすまなかったな。もしまた何かあったなら、その時は遠慮なく(うち)に連絡してくれ。それじゃ」


 車が煙を吐き出しながら走り去り。残った私達の周りは、静寂な空気に包まれた。ガス灯の光が照らすその中を、重い足取りで進む。


「……長い一日だったな、ホント」

「お疲れ様、ポーラ」

「どっちかっていうと、大変だったのはノエルの方じゃないかな……ただ」


 ポーラは体をひねり、学院のある方角に目を向けた。夜空は黒で一色に塗り潰されたようにひどく暗く、月明かりさえ満足に見えない。


「もしも、さ。ノエルの推理通り、犯人が別にいるって事なら、むしろこれからが本番って事なんだよね」


 その問いに、私はあえて何も答えなかった。もっとも、その沈黙こそが答えの代わりになっていたのだけれど。


「でも、そうだとしたら……」


 ポーラの揺れる瞳がこちらに向けられた。


「侵入者のストーカーが犯人じゃないんなら、さ。つまり真犯人は、学院の中にいた誰かだって事、なんだね?」

「ええ」


 今度の問いには迷わず答えた。確証はまだない。けれど私は、そう確信していた。ストーカーの動機と事件現場の異常さ……その二つがあまりに噛み合っていない状況なのだ。他に犯人がいると考えない方が不自然に思うのだ。けれど。


「問題は、その別の誰かの目的がまるで分からない事よね……一体犯人は、あれ程に大規模な惨状を生み出してまで、何を隠そうとしたのか……何を……」

「うーん……まあ、でもさ、ノエル」


 考え込む私に、ポーラが今までと打って変わって明るい声をかけてきた。


「今は分かんなくっても、明日とか明後日とかになれば何か分かるかもしれないよ。警部さん達も色々調べるだろうし。考えるのはそれからでもいいんじゃない?」


 彼女の言う事はもっともだった。一学生に過ぎない私がいくら悩んだところで、事件に進展がある訳もない。そう、分かっていはいるのだけれど。


「はあ。私の悪い癖ね。一度考え出すと、どうにも気になりすぎてしまうのは」


 知らなくては気が済まない。そういう私の性分を、おそらく私以上によく分かっているだろうポーラは、やれやれと肩をすくめて笑っていた。


「でもその癖をなおすつもりもない、だよね」

「おあいにく」

「仕方ないなあ、もう」


 私はポーラの差し出した手に鞄を預けると、家のある通りから右手に向かう道へ曲がった。


「一人で物思いもいいけど、あんまり遅くならないでよー?」


 後ろから飛んできたポーラの声に、軽い声で返事をしつつ、緩やかな登り坂を進んでいく。もちろん、そこまで遠出をする訳ではない。ここから五分もかからない所に、普段から勉強などで集中したい時に利用させてもらっているレストランがあるのだ。物静かさとアンティークな雰囲気のおかげか、そこでは落ち着いて物事を考える事ができる。私のお気に入りの場所の一つだ。

 甘い物を一つ注文するくらいのお金は持っていただろうか。制服の胸ポケットに入れた小さな財布の中身を確かめつつ、突き当りのT字路まで進む。

 そのT字路の中央に立っている、黒い人影が目に映った。紺色のローブにすらりとした長身を包み、足元まで隠れているせいもあってか、その後ろ姿は夜闇に溶け込んでいるようにも見える。


「……おや?」


 私が近づいてきた事に気付いたのか、その人はゆっくりと振り返った。その風貌の異様さに、私は思わずぎょっとした。黒色のフードを被った女性。その顔の上半分は、人の頭蓋骨を模したものだろう仮面に覆われていたのだ。あからさまに怪しい姿の彼女は、しかしどうやらその怪しさを自覚していたらしく。


「ああ、この格好だろう。すまないね、占い師という職業柄、雰囲気作りというのも意識しなくてはいけないからね。まあ、あくまで私個人の考え方だが」


 低く澄んだ、良く通る声でそう言って、小さく苦笑いする。


「占い師の方なんですか」

「ああ。もっとも今日はもう店じまいだがね。近頃はこの辺りもなにかと物騒になってしまったものだし……だから」


 彼女はすっと私のそばまで歩み寄ってくると、仮面の奥で光る黄色い眼差しをこちらに向けてきた。不思議と、目が離せない。それは彼女の醸す独特な雰囲気のせいだろうか。

 あるいは。その黄色い瞳が、私のなにもかもを見透かしているかのように見えたからなのか。


「もし何か占ってほしいのなら、また後日この辺りにおいで」

「えっ?」

「おや、何か悩んでいる……というより迷っている、と言った方がいいのかな? そんな表情をしていたものだから、ついね。まあそう身構えず、気軽に立ち寄ってくれると嬉しいよ」

「……そう、ですか」


 図星を突かれて、分かりやすすぎるほどに狼狽えながらも、辛うじて言葉を返す。それほどはっきり顔に出ていたのだろうか? 占い師の彼女には、今の動揺までは伝わっていないようだけれど。


「おっと、その前に自己紹介がまだだったね」


 と、彼女は首元に下げた蒼い五芒星のペンダントをかざした。


「私はクチナシ。人生の道で迷ってしまった人に、ちょっとした道案内をしてあげる仕事をしている。君も迷っているのなら、遠慮なく私を訪ねてくれ」

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