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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
37/43

瞳の奴隷 ①

          誰も、私を見てくれない。


          誰も、私を見てくれない。


          誰も、私を見てくれない。


          誰一人として、見てくれない。


          誰も、誰も。誰しもが。


          だから、努力しなくては。


          ちゃんと私の事を見てもらえるように、努力しないと。


          皆が、自分の事を見てくれるように。


          本当の私を、見てくれるように――










 その日は、屋根を打つ雨音のせいで目が覚めた。まどろむ目をこすりながら、ベッドの傍らに置いた目覚まし時計を見やる。まだ朝の五時を過ぎたばかりだった。窓の外を見れば、眺めているだけで鬱陶しく感じる程の大雨と、濃く広がる霧に包まれた街が見えるばかり。

 まいったな、とかぶりを振る。学校に行く準備をするにしても早すぎる時間だ。とはいえ、騒がしい雨音の中で満足に二度寝する事もできない。


「……仕方ないか」


 私はベッドに留まる事を諦め、一足早く朝食をとろうと、一階のキッチンに向かう事にした。さっと制服に着替えて、部屋を出ようとして。

 ドアを開けて、もう一度だけ。どんよりと薄ら暗い窓の外を一瞥する。ここの所天候は荒れ気味だったけれど、今朝は特にひどい。

 そんな外の景色に向かって、小さくため息を投げかける。

 雨は、嫌いだった。昔から――私を苛む事しか、してこなかったから。


 ◇


 焼いてもいないトーストの上に山盛りのストロベリージャムを塗りたくり、それを頬張ってからアップルジュースで流し込む。そんな雑な朝食をとっていた時だった。


「ふあーあ……あれ? ノエルももう起きてたんだ」


 のんびりした足取りで、ポーラも二階から降りてきた。


「ごめん、もしかして起こしちゃったかしら?」

「いやいや、この雨のせいだよ。はー、いよいよ本格的に梅雨入りって感じなのかなぁ」


 ぼさぼさと寝ぐせの立った髪をかきながら、彼女は分かりやすく不満げな顔をして呟く。


「嫌なんだよね。梅雨の時期って髪がぐちゃぐちゃに乱れやすくなるからさ。元々のくせっ毛がもっと面倒くさい事になるんだよなぁ、もう」

「シャワーでも浴びてきたら? まだ登校の時間まで余裕はあるから」

「んー……いや、もういいや」


 四方八方に自己主張する髪の毛とひとしきり苦闘した後、ポーラは匙を投げて自室に戻っていった。それから少しして、寝ぐせ以外はばっちり登校の準備を終えて、彼女はリビングに戻ってきた。


「せっかく早起きした事だしさ、ノエル。今日は、いつもより遠回りして学校に行かない? 最近できた、おいしいパン屋さんも知ってるからさ。ついでにそこに寄っていこうよ」

「へえ、いつの間にそんな所を知ってたのね」

「あはは、うん。ほんとに()()()()()、って感じなんだけどさ」


 どこか含みのある言い方に、私は小首を傾げる。彼女は苦笑いしつつ事情を説明してくれた。


「ほら、ボクってよく、心的外傷の後遺症で意識が飛ぶじゃんか。それでたまに、夢遊病の人みたいに意識のないままどっかにふらふら行ってる、なんて事が最近また起こってるみたいでさ」

「え”」

「今言ったパン屋さんにも、そんな時にふらーっと立ち寄ってたらしいんだよね」

「ちょ、ちょっと待って」


 あっさりととんでもない事を暴露してきたポーラに、慌てて待ったをかける。


「そ、それって大丈夫なの?」

「んー、大丈夫じゃないかな? ちゃんとお金は払ってパンを買ってたみたいだから、泥棒はしてないはずだよ。身に覚えのないレシートも財布に入ってたし」

「そうじゃなくって。意識のないまま徘徊してしまうって、明らかに後遺症がぶり返してるじゃない。それ以外になにか、おかしくなったと感じてる事はない?」

「うーん……いや、別にないかな」

「ならいいけれど……ううん、良くはないわね」


 本人はけろっとしているけれど。明らかに彼女の精神が変調をきたしている証拠だった。やはりここ最近、立て続けに事件に巻き込まれてしまったのが原因だろうか。とはいえ私に出来る事がある訳でもなく。ただ黙り込む事しかできない。


「……まあ、そんなに深く悩んでも仕方ないよ。今は」


 当のポーラはあっさりとそう言い、後ろ髪をかいた。


「それに悩み過ぎてもかえって良くないじゃんか。だからほら、早く早く。ボクもうお腹空いちゃったよ」

「わ、分かったからそんなに押さないでってばぁ」


 すっかり食欲に負けたポーラに背中を押されるまま、私は雨の降る外へと連れ出されたのだった。


 ◇


 少しは止んできたのか、傘を叩く雨音の勢いは、外に出る前より大分おとなしめのものになっていた。霧も大分晴れてきて、辺りはうっすらと明るみを帯び始めている。その白みがかった街角の景色の中で響くのは、二人分の足音だけだった。


「静かなもんだね」


 いつもよりゆったりした足取りで、ポーラは私の右隣を歩く。


「静かなくらいがいいのよ。特に、こういう天気の日なら」


 人はおろか猫の子一匹さえいない、静まり返った早朝の道。けれどそれは、私にとってはむしろ心地良かった。


「……ノエル。さっき、キミはボクの事を心配してくれてたけど。キミの方も大丈夫なの? こういう天気の日は、さ」

「……一応は、ね」


 一段低くなった声で投げかけられたポーラの問いに対して、どういう感情を乗せれば良いのか分からないまま、とりあえず安直な答えを返す。


「それなら、いいんだけどさ」


 彼女はそれ以上何も言わず、沈黙したまま私の隣を歩く。私もそれに合わせて、何も言う事はしなかった。そのしんとした空気は、けれど不思議と嫌なものではなく。

 それからしばらくして、ノースヤード近辺で一番の繁華街であるセンター街の門が見えてきた時だった。


「……あれ」


 と、ポーラがすっとんきょうな声を上げて立ち止まった。


「どうしたの? もしかして、道を間違えた?」

「いや、そうじゃなくてさ。ほら、あそこ」


 彼女が指差す先――センター街の門から一つ手前の十字路に立っていたのは、ひどく渋い顔をした私服姿のマイヤーさんだった。その視線は鋭く、十字路を左手に曲がった先の道に向けられていた。


「一体どうしたのかしら」

「なんか嫌な予感しかしないんだけどね……とにかく行ってみよう」


 ポーラを先頭に、私達は十字路の方へ向かう。と、こちらに気付いたのか、マイヤーさんがちらりと眼鏡越しに横目を向けてきた。そして複雑な笑みを浮かべる。


「ノエルさんにポーラさん……いや、あなた達も運が悪いですね。私も人の事は言えませんが」

「何かあったんですか?」

「ええ、まあ。殺人ですよ」


 軽い一言。けれどその内容はあまりに重々しく。一拍の間を置いた後、私達は水溜まりも無視して駆け寄る。そして、マイヤーさんの睨む方向を見れば、そこには。

 鮮やかな、赤と白のコントラスト。それが、軒下の壁に磔にされていた。おそらく私達と同い年くらいだろう少女が、朱に染まったバスローブ一枚だけを羽織った姿で事切れていた。両掌には大きな杭を打たれ、壁に吊るされている。致命傷と見られる首の傷口からは、僅かではあるけれど、未だに血が滴っていた。それははだけたバスローブの下、青白く強張った少女の胸元を流れ落ち、足元に血溜まりを作っていた。そしてその周りには、血と同じ色の線で描かれた六芒星らしき文様があった。

 目に毒々しい程の、赤。その色があまりに鋭く、きつく眉を顰める。小雨の中、何を言えばいいのか分からず。


「……こんな現場に立ち会っては、私も休日を返上するしかありませんね」


 沈んだ声でマイヤーさんはそう言うと、魔力で動く小型の無線機をポーチから取り出し、警察に連絡を取る。


「ああ、すみません、こちらノースヤード市警のマイヤー。センター街手前、バーム通り3番地にて殺しが一件。至急応援を……え? もう連絡があって向かっている?」


 そう、彼女が困惑の表情を浮かべた時だった。


「あの……もしかして、警察の方、ですか?」


 後ろから声をかけられ、マイヤーさんと一緒に私達も振り返る。そこにいたのは、いかにも几帳面そうな、眼鏡をかけた制服姿の少女だった。私達の学院のものではない。薄緑色をベースにしたセーラー服。確か、この付近にある公立高校のものだったように覚えている。


「ええ、私はそうですが。あなたは?」


 マイヤーさんに問い返されて、少女は律儀に頭を下げた。


「レイチェル・ルシーラといいます。すぐそこの、バーム公立高校の普通科に通う生徒です」

「ふむ……もしかして、あなたがこの現場の第一発見者でしょうか?」

「……はい。朝課外の為にこの道を通って近道しようと思ったら……こんな……」


 レイチェルさんは話しぶりこそ冷静だった。けれど、傘を持つ右手はきつく握りしめられ震えていた。


「なるほどね……それであなたが警察の方に報せた、と」


 マイヤーさんは淡々とうなずき、いくらか鋭さの込められた視線をレイチェルさんに向ける。


「あなたの他に目撃者はいませんでしたか? あるいは犯人らしき人影などは見かけませんでした?」

「いいえ、他には誰も……いなかったと思います。霧が濃くて周りがよく見えてなかっただけかもしれませんけど。そもそも死体を見つけた時はパニックになってましたから」

「そうですか……


 彼女の視線は再び死体の方に向けられ、渋い表情を浮かべる。


「詳しくは応援が到着してからでないと調べられませんね。何をするにしても、まずはそれからか……それはそうと」


 と、マイヤーさんはくるりとこちらに向き直り、左手を傘の外にかざした。


「こんな雨の中で待っていても仕方ないですし、少し場所を移動しましょうか。雨宿りくらいはしたいでしょう、皆さんも」


 その提案を断る理由もなく。私達は現場の反対側の通りにあるレストランの軒下に身を寄せた。

 縞模様に彩られた日差し除けに当たる雨音は、さっきまでより激しさを増したように聞こえた。

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