はばたく花嫁 ②
「あれ?」
食堂の丸テーブルで私を待っていたのは、ポーラだけではなかった。私の視線はその同席者の方に向く。
「すまないね。君達二人の間に割って入るのは少々心苦しいが。できれば私達も少しの間、同伴させてはもらえないかな」
優雅な仕草で紅茶を一口含んだ後、ポーラの左隣に座る彼女――この学院の生徒会長であり、この国の筆頭貴族のご令嬢でもある、リルハ・オーギュストさんはにこやかにそう言った。その後に続けて。
「ごめんなさいノエルさん。会長が、頼みたい事があるそうなんです」
リルハさんの隣に、寄り添うようにして座っていた、控えめな印象の生徒――ミーシャ・オーネスさんが縮こまってそう言った。私はポーラの方を見る。彼女は軽く首を傾げただけだった。どうやらその頼みの話はまだらしい。
「頼みというと、やはり生徒会関係の事ですか?」
リルハさんの向かいの席に腰かけながら尋ねる。というのも、この二人は数少ない生徒会役員のメンバーだからだ。会長であるリルハさん、副会長で、リルハさんと同じく貴族のご令嬢であるチェルシー・ノーランドさん、そして書記のミーシャさん。私が記憶している限り、今の生徒会の正式なメンバーはこの三人しかいなかったはずだ。あとは時々、風紀委員でポーラの部活の先輩でもあるリッター・チェスカさんがお手伝いをしているくらいか。
「はは、確かに生徒会は慢性的に人手不足ではあるけどね。今回は私の個人的な相談なんだ」
リルハさんは苦笑いと共にそう答えると、テーブルの上に一枚の紙を置いた。それをポーラが手に取る。
「えーっと、これって」
「見ての通り、白紙だよ。なにせまだ何も文章が思い浮かんでこなくてね」
テーブルの上で手を組み、リルハさんは軽くうなだれる。その後をミーシャさんが続けた。
「今度、ナタリー先生がご結婚なされるのはご存知ですよね?」
「そりゃまあ、担任の先生だし、学校中で結構な騒ぎになったしね」
「それで、その式に会長が祝辞の言葉を出す事になったんですけど。実はまだ、その内容が全然出来てないんです」
「えっ、て事はこの紙って」
「祝辞の原稿さ。……一応ね」
ばつが悪そうに最後の一言を付け加えて、リルハさんは私と原稿用紙とを見比べた。
「君への頼みというのは、文章のアドバイスと原稿の推敲を一緒にやってほしい、というものなんだ。私は昔から文を読むのは得意なのだが、書くとなるとどうにもね……すぐに煮詰まって何も浮かばなくなってしまう」
「分かりました。そのくらいの事でしたら、全然かまわないですよ」
「そうか、すまない。恩にきるよ」
私の返事に、リルハさんは心底安堵した表情を浮かべていた。それに釣られてか、ミーシャさんの顔色も明るくなる。と、その横からポーラが。
「にしても意外だなぁ。会長さんなら何でも一人でテキパキこなせちゃうってイメージだったんですけど」
と、私も思っていた事を口にした。実際、今の生徒会の人数が足りない理由の一つは、リルハさんのスマートな仕事振りにプレッシャーを感じてしまい、選挙で選ばれても途中で辞めてしまう人が多かったからだ。本人はそんなに気負わなくていい、といつも役員の人に語っていたのだけれど。元々リルハさんが筆頭貴族の一人娘だという立場にいる事もあって、やはりプレッシャーを感じずにはいられないのだろう。ミーシャさんのように、同じく貴族の家庭に生まれた人なら別なのだろうけれど。
「いやいや、そうでもないよ。結構苦手な分野は多いんだ。今回の原稿のように、ね」
私達の考えを見透かしてか、リルハさんは困ったようにはにかむ。常日頃、体育館の檀上などで見る凛然とした佇まいから、少なくとも私は彼女の事を完璧超人のような人と見ていたけれど。そんな彼女の一面に親近感を覚えた。
「そうですね……うーん」
リルハさんの期待に応えるべく、顎に手を添え考える。アドバイス……か。
「祝辞の内容は簡潔なものでいいと思います。ナタリー先生なら、きっと祝辞をくれたという事だけでも喜んでくれるでしょうから。あとは、内容をどうしようかと深く考え込みすぎないこと。気負い過ぎると、かえって文章は書けないものですから」
「ふむ……深く考えず、シンプルなものを、か」
私の言葉に深く頷くと、リルハさんは朗らかに笑みを浮かべた。
「確かに、君の言う事ももっともだな。ありがとう、参考になったよ」
「そうかなぁ? 今のノエルのアドバイス、なーんか抽象的っていうか……」
「うっ、そ、それは……ごめんなさい、具体例とか思い浮かばなくて」
「いやいや十分だよ。考えすぎという悪癖を指摘してくれたおかげで、肩の力が抜けたからね」
「そう言ってもらえると助かります」
「助けてもらったのは私の方さ……さて」
リルハさんは壁に掛けられた時計を一瞥すると、すっと席を立つ。
「できればもう少し君達とお茶を楽しみたいが、色々とやる事もあってね。お先させてもらうよ」
「すみませんお二人とも、お時間をいただいて」
「いいっていいって。会長さん達の悩みくらい、ボクでよければいつでも聞くよ」
「聞いたのは私だけどね」
「ははは……それじゃ、行こうか。ミーシャ君」
「はい。では、失礼します」
颯爽と歩くリルハさんの後ろを、そそくさとミーシャさんが続く。そんな対照的な二人の後ろ姿を、食堂にいた生徒のほとんどが見つめていた。所々から黄色い悲鳴も聞こえてくる。おそらくリルハさんと目が合ったりしたのだろう。その様子を眺めていたポーラが呟いた。
「相変わらずの大人気ぶりだねぇ、会長さん。品行方正、端麗な佇まい、誰にでも分け隔てなく接する、優しい貴族のお嬢様。おまけにあの凛々しい顔立ちときたら、まあ学院のアイドルになるのも当然っちゃ当然か」
「そうね」
私もポーラと同じように、二人の後ろ姿を眺めながら頷く。遠目に見ても、リルハさんの立ち振る舞いから醸し出される気品を感じられた。
「その分、気苦労も多そうだけれど。その疲れの素振りもまるで見せないのは本当に凄いと思う」
「あー、確かにねぇ。最近のパパラッチなんか、やたらしつこくなってるっていうし。ほんと、あーいう仕事って何が楽しくてやってんだか」
「あはは……まあ、あの人達だってそれが仕事なんだから仕方ないわ」
「ノエルは甘いなー。ボクならその手の奴ら見かけた瞬間ビンタの一、二発おみまいするね……っと、そんな事より」
ポーラは話を切り上げると、制服の胸ポケットから小振りな財布を取り出した。
「早く昼ご飯買いに行かないと。今日のメニューは久しぶりのハンバーグなんだから、売り切れられちゃ困るよ」
「まず、肉なのね」
「当ったり前じゃん」
なぜか誇らしげにそういって、早く行こうと私を急かしながら席を立つ。
「そんなに慌てなくてもいいじゃない」
「何呑気に構えちゃって、」
と、喋りながら、おまけにちゃんと前を向きもしないで一歩を踏み出そうとしたせいで。
「うわっ!?」
彼女は右足を左足に引っ掛けて、大きく前につんのめった。仕方ないなあ、そう思いながら、私は転びそうになっているポーラの前方に手をかざす。そして、視線の先と手の先に念を込める。
次の瞬間、ポーラの目の前に緑色の、球状の物体が姿を現した。その球体からは、さわさわ、とそよ風に似た音が聞こえてくる。そこに向かって倒れてゆくポーラ。けれど彼女の体は球体と反発し合うようにして、ゆっくりと後方へ押し戻されていった。球体から吹き付けてくる向かい風の力で、彼女は体勢を元に戻す事ができた。
「わわわわ、っと……ふう、ごめんごめん。危うく派手にこけるところだったよ」
「本当だよ、もう」
照れくさそうに頬をかくポーラに、私はやれやれと苦笑い。それから掲げていた右手をおろす。風の球体はそれと同時に散り散りになって静かに消えた。
「にしてもノエル、さすがだね。こんなに上手く風を操るなんてさ。魔法学の成績でも、あの会長さんを超えて学院トップになっただけはあるよ」
「ふふ、ありがとう」
魔法学。この世界には魔法という力と概念が、現実の物として存在し、日常に溶け込んでいる。とはいうけれど、この世界の魔法はそこまで大した事が出来る訳ではない。天変地異を引き起こす、炎の魔神を喚び出す、などという派手な魔法は、小説や冒険シネマの中にしか存在しない。蒸気機関に代表される科学の方が発展しているこの世界では、魔法の役割といえば専ら日常生活の延長線上にあるものばかりだ。例えば風魔法で部屋の隅を掃除したり、水魔法で花壇の水やりを楽にしたり、といったものだ。勿論、相当に訓練を重ねた軍隊や警官などといった人達になれば、強力な魔法を扱う事も出来るそうだ。けれど一般人がそんな危険な魔法を体得する事は、基本的に法律で禁止されている。護身術程度のものなら許されてはいるけれど。
「やっぱ風魔法が一番便利だなぁ。空気ならどこにでも存在してるから、いくらでも使い放題じゃんか」
「その分一番難しいけれどね」
テーブル上に小さなつむじ風を起こしながら小さく息をつく。
この世界の魔法には一つ制限がある。魔法を使うには、その魔法の種類に合った原材料――炎の魔法なら熱源となる物や火種、土魔法なら砂や石ころといった物――が必要になるのだ。何も無い空間でいきなり水を出したり、火を起こしたりする事は出来ない。その為、どこにでも存在する空気を媒体として行使できる風魔法が、先程ポーラが言ったように一番便利だと言われる事が多い。ただ、他の魔法より繊細な操作を要求されるために扱いが難しく、使う人もそれほど多くはないらしい。
「そんな難しい魔法を簡単に扱えるんだからノエルは羨ましいよね。僕は土魔法、それとちょっぴり火が使えるくらいだもんなぁ」
「いいじゃない、土の魔法。身の安全を守るにはぴったり、」
「良くないよ、下手に知らない土地で魔法でも使おうもんなら、最悪そこの地主さんから訴えられるんだよ? 誰の許可とってうちの土地の土使ってんだーっ! ってさ」
私の擁護を途中で遮り、ポーラは矢継ぎ早にそうまくしたてた。そういえば最近、そんな内容の裁判があったと新聞に載っていた事を思い出す。それを見たポーラと父が、非常に渋い表情を浮かべていた事も。
「魔法もずいぶん窮屈なものになったわね」
「全くだよ……それはさておき」
「あ、そうだったわね。早くお昼ご飯を買わなくちゃ」
私はポーラの後について、今度は慌てずにカウンターの方に向かった。そして食堂のおばさんから、もう今日はほとんどの料理が売れてしまっているという話を聞いて、ポーラは深くため息をついたのだった。