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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
27/43

ケルビムの炎 ⑦

「……ふう」


 三日後。昼休みの教室で、私は無意識のうちにため息を漏らしていた。

 ここ三日間は特に何も起こらず、平和に過ぎていった。それ自体はとても良い事ではある。襲われたリルハさんも昨日から学校に戻ってきているけれど、これといった変化はなかった。一応は、学校に平穏は戻りつつあると言えるのだろう。

 けれどそれが私には、かえって不気味に思えた。事件は何も解決していない、これは仮初の平穏に過ぎないと分かっているから、なおさら。そしてその不安は、ポーラも同じのようだった。


「うん……今日も平和だね」


 そういう彼女の表情には、しかし影が色濃く差し込んでいた。


「こうも静かだと、かえって大事(おおごと)が起きないか心配になるよ」

「そうね……次の脅迫の為、犯人が準備をしているだけかもしれないものね」

「はぁー。やだなぁ……こういう風に、クヨクヨ考え出しちゃうのは、ボクの性格に合わないんだけどな」


 首を左右に揺らし、ポーラはうんざりした声音でそう呟く。


「その感じだと、ポーラも特に手掛かりとか得られていないみたいね?」

「うん。ごめんね、ノエルの力にも、会長さん達の助けにもなれてないや」

「別にポーラが謝る事じゃないわ。それに、力になれていないのは私も同じだから」


 チェルシーさんが開いた臨時の全校集会から今日に至るまで、私達は校内、襲撃現場、その周囲、至る所に足を運び、情報を集めていた。けれど収穫は全くなし。これは警察の方も同じ状況らしく。


「――困った事に、事件当時の目撃者が誰も居ないんですよ。あの一帯が上流階級の方々しか住まない、警備の厳重な住宅街であるという事が逆に災いしている形でして。安全過ぎるが故に、リルハさんのようなお嬢様でも、人気のない夜道をうっかり一人で出歩いてしまえるという訳なのでしょう。あとは警備員の目から逃れるルートさえ知っていれば……それに加えて犯人も証拠らしきものを一切残していませんし。なにせ足跡を土魔法で上手く消していましたからね。恥ずかしながら、我々もお手上げというのが現状です」


 昨日の下校途中、警察署に立ち寄った際に出迎えてくれたマイヤーさんは、半ばすねた口調でそう教えてくれた。要するに、事件の捜査はあれ以来進捗していないのだ。


「警備の網を掻い潜り、魔法で証拠をもみ消すほどの用意周到さ、か」


 マイヤーさんが語っていた事を反芻し、しばらく考え込む。

 仮にもし、私達の学院に犯人がいたとして。ただの学生にそこまで徹底した緻密な犯行が出来るだろうか。勿論、犯人も必死だろうから、あらゆる策を練って証拠を消しにかかるのは当然なのだけれど。


「もしかすると、本当に外部犯の仕業なのかもね」

「……まだ決めつけるのは早いわ。でも……」


 ポーラの呟きに首を振るけれど、言葉の歯切れは悪くなってしまう。否定するにも肯定するにも、情報が足りなさすぎるせいだ。

 と、思考が煮詰まりかけていたその時だった。


「あ、あの、すみません。ノエルさん、ポーラさん」


 ふいに教室の入り口の方から呼びかけられ、そちらに振り向く。そこには、どこか所在なさげにミーシャさんが立っていた。


「すみません、少しお話が……」

「はいはーい、今行くね」


 ポーラと私はすぐに彼女の元へ向かう。ミーシャさんは私達が教室から出てくるなり、ぺこりと頭を下げてきた。

「すみません、お昼休み中に」

「ううん、別にいいよ。むしろ今呼んでくれて、ボクらとしては助かったというか」

「ちょうど考えが袋小路に詰まりかけてしまってて。気分転換がしたかったところだったんです。それでミーシャさん、話というのは?」

「はい。まず、ポーラさん。リッター先輩が探していました。それも緊急の用事だそうです。詳しくは分からないんですけど……たぶん、登下校口の辺りにいらっしゃるんじゃないでしょうか」

「先輩が、緊急の用事?」


 ポーラは顎に手を当て、考えるそぶりを見せる。けれどすぐに、「まあいいや」、と考えるのをやめた。


「どうせ会えば分かる事だもんね。じゃ、ノエル。またあとで」

「ええ、次の授業で」


 ポーラは私達に手を振り、軽い足取りで階下に向かっていった。その後ろ姿を見送ってから、改めてミーシャさんの方に向き直る。すると彼女は、どこかばつが悪そうにはにかんだ。


「それでノエルさん、その、本当に申し訳ないんですけど……生徒会の仕事のお手伝いを、お願いできませんか?」

「全然いいですよ。けれど、他の生徒会の皆さんはいないんでしょうか?」

「はい。実は今、警察の方が学校に来られていて。会長と副会長はその応対中なんです。だからリッター先輩に頼もうとしたんですけど、先輩は先輩で忙しそうだったので。それで、ノエルさんならどうかな……と」

「そういう事だったんですね。分かりました」


 私は二つ返事で頷く。ミーシャさんはなおも申し訳なさげな顔をしていた。


「すみません、無理を言って」

「全然そんな。それに、誰かに頼ってもらえるのは嬉しいですから」

「そう……なんですか?」


 彼女は随分と驚いているようだった。私は小さく苦笑いする。確かにどちらかと言えば、私よりポーラの方が活動的だし、頼られたがりに見えるのだろうけれど。


「それで、私は何をしましょうか?」

「あ、はい、それじゃあこちらに――」


 私はミーシャさんに従って、荷物を運んだり、書類を整理したりといった、こまごまとした仕事を手伝った。その最中に一つ、分かった事がある。ミーシャさんの性格についてだ。


「――すみません」


 校舎東棟、二階の角にある資料室を掃除していた時。先に私がモップ掛けを始めたところで、もう何度目だろうか、ミーシャさんが柔らかにはにかみながらそう頭を下げた。私も、繰り返しの言葉になるけれど、「いいですよ」と笑う。

 彼女は――初めて会った時にもそういう印象はあったけれど、その印象以上に――とにかく控えめというか、おとなしいというか。遠慮深いという言葉をそのまま形にしたような人だった。

 実は、今日ミーシャさんがやっていた事の内の半分は、別に生徒会がやらなくてはいけない仕事ではなかったそうだ。けれど、生徒会への信頼がとにかく高いせいか、何か仕事をしていると、他にも頼まれ事が飛んでくる事が結構あるそうだ。


「会長は、できない事は断ってもいいんだよ、とは言ってくれるんですけど。でもやっぱり、断りきれないというか。私が押しに弱いからダメなんですけどね」


 困ったように笑うミーシャさん。その表情が私には、ひどく儚いもののように見えた。


「あ、すみません、変な話しちゃって」


 はっとしたように表情を変え、ミーシャさんはまた頭を下げる。そんな彼女に、私は。


「別に変なんかじゃないですよ。ミーシャさんの事を良く知れる、いいきっかけになりましたから」

「……へっ?」


 私の返事は予想外のものだったのか、彼女は目をしばたたかせていた。私は気恥ずかしさに視線を逸らしつつ、言葉を続ける。


「私、人付き合いが結構苦手で。ポーラがいてくれるから、というのもあるんだけれど、友達が少ないんです。だから……というのは変かな。でも、ミーシャさんとも友達になれたら嬉しいな、って思ったんです。こういうささいな事からきっかけに」

「そ、そうだったんですね……」


 しばらく、沈黙が私達の間に流れる。けれどそれは、居心地の悪いものではなくて。


「……羨ましいな」

 

 やがてミーシャさんの口から出てきたのは、思いがけないそんな一言だった。


「そうやって、自分から苦手な事に向かっていけるのって凄いです」

「そう、かな?」

「そうですよ。私も……でも、私には……」


 ミーシャさんの言葉は、最期までは聞き取れなかった。私も聞き直す事はしなかった。なんとなく憚られたからだ。俯いた彼女の表情が、あまりに真剣なものだったから。

 それから少しの間、私達は黙々と資料室の片づけを進めていた。その時、窓際で拭き掃除をしていたミーシャさんがふと呟いた。


「あ、もうすぐ昼休みも終わりみたいですね。きりもいいですし、もう終わりにしましょうか」


 そう言われ、私も壁にかけられた時計を見やる。あと十分ほどで次の授業が始まる時間になっていた。思っていた以上に作業に熱中していたらしい。


「そうですね。それじゃあ戻りましょうか」

「あ、私はここの戸締りの確認とかがありますから。ノエルさんは先に行ってていいですよ。今日は本当に助かりました、ありがとうございました」

「また手伝えるような事があったら、いつでも言ってくださいね」


 はにかむミーシャさんに頷き返し、先に資料室を後にする。廊下はまだざわついてはいるけれど、さっきまでよりは随分と静かになったように感じた。


「あ。そうだ、ポーラは」


 何人かとすれ違ったところで思い出す。先程リッターさんから呼ばれていたけれど、もう用事は済んだのだろうか。先に教室に戻っているだろうか。そんな事を思いつつ、教室に向かう。と、向こうの方から見知った人が近付いてきた。


「ノエル君。ありがとう、生徒会の仕事を手伝ってくれたそうだね」


 リルハさんは朗らかに笑いながらそう声をかけてきた。私は小さく頭を下げる。


「あのくらいの事でしたら、いつでもお手伝いしますよ」

「はは、そう言ってもらえるのは心強いな」


 そう言った後、彼女はおや、と小首をかしげた。


「珍しいな、今日はポーラ君とは一緒じゃないのかい?」

「はい。リッターさんから呼ばれたみたいで。たぶんそろそろ戻ってくると――」



「――きゃあああああああッ!」



 私が立ち止まったのと全く同時に。穏やかな日常を切り裂く、張り裂けんばかりの悲鳴。それはさっき私が出てきたばかりの部屋から聞こえてきたものだった。


「い、今のは!? まさかッ!」


 リルハさんに続き、私も急いで資料室に駆け戻る。背筋を伝う冷たい予感を必死に無視しながら。

 けれど現実は、いつだって私達に対して冷ややかで。


「ミーシャ君ッ!」


 勢いよくリルハさんが開け放ったドアの向こう。砂埃が舞う、手ひどく荒らされた部屋の中。そこには、左肩から痛々しいほどの量の血を流してうずくまる、ミーシャさんの小さな体があった。


「くっ……こんなッ……」


 リルハさんは迷わずミーシャさんの元に駆け寄る。普段は全くといっていいほど激情を露わにしない彼女が、今ばかりは鬼気迫る表情で肩を震わせていた。それでも彼女は平静さを失わず、こちらに視線を向ける。


「ノエル君、急いでマイヤー警部補を呼んできてくれないか。おそらく職員室そばの応接間にいるはずだ」

「分かりました、すぐに!」

「――大丈夫、それには及びませんよ」


 廊下の方に振り向くと、軽く肩で息を切らしているマイヤーさんの姿があった。


「いえ、帰途につく前に挨拶をしておこうとリルハさんを探しに来た矢先に、上から悲鳴が聞こえてきましたのでね。まさかと思い駆けつけてみれば……」


 冷静な口調でそう言いつつ、マイヤーさんは資料室に入る。そしてミーシャさんの傷ついた姿を見た時、微かに彼女の手元が震えたように見えた。


「とにかくまずは救急に連絡を。ノエルさん、頼めますか」

「は、はいっ!」

「それとリルハさん、一旦彼女を保健室の方まで。保護をお願いします。犯人が現場に戻ってこないとも限らない」

「……了解しました」


 リルハさんは低い声で頷くと、未だ肩を揺らすミーシャさんを支えながら、ゆっくりと立ち上がらせる。そして両肩を支えながら、散らかった資料室を出て。


「ノエル君」


 ふいに私の前で立ち止まり、彼女は一枚の折りたたまれた紙切れを手渡してきた。


「これが、ミーシャ君のそばに落ちていた。やはり、というべきなのかもしれないが……君に預けておく」

「……はい」


 保健室へと向かう二人の足音を背中で聞きながら、私は一つの確信を持って紙切れを開く。そして、その確信はやはり正しかった。すっかり見慣れてしまった赤い文字――


「cherubim……か」


 天使を名乗る、悪意。私はその血のように赤い文字を、じっと睨む事しかできなかった。

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