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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
22/43

ケルビムの炎 ②

「皆、お疲れ様。本当に助かったよ、ノエル君、ポーラ君」


 生徒会室に運び込まれた各部活ごとの資料を整理しながら、リルハさんは朗らかに笑った。それに合わせても頷く。


「人手があるとないとでは、やはり全然違いますわね。去年なんて、日が暮れるまでかかりましたもの」

「そうだったんですか……他にもっと生徒会の人を増やせないんでしょうか?」


 そう私が尋ねた途端、なぜか生徒会の皆さんは揃って微妙な表情を浮かべる。


「どうしても気後れする……みたいなんです」


 首をかしげていると、淹れたての紅茶が入ったカップを持ったミーシャさんが、こちらに歩み寄ってきた。私はお礼と共に、差し出された一杯を受け取る。


「気後れ、ですか?」

「まあ、遠因的には私のせい、と言えるだろうね」


 紅茶をポーラやチェルシーさん達にも配るミーシャさんに代わって、リルハさんがそう答えた。そういう事か、と私は納得する。考えてみればそれは仕方のない事だろう。なにせここにいる生徒会長と副会長は、国家の中枢を担う筆頭貴族のご令嬢だ。ここノースヤード女学院がいわゆるお嬢様学校であり、通う生徒の大半が名家の子といっても、さすがにこの二人は格が違うという事なのだろう。


「近くにいてもプレッシャーなど与えないよう、意識して振舞ってはいるつもりなのだがね。やはり難しいらしい」


 リルハさんは切ないため息をつく。それに対し、チェルシーさんは「仕方ありませんわよ」と気楽な声で答えた。


「わたくし達の立場が立場ですもの。淋しくわありますけれど、多少敬遠されてしまうのも無理のない話ですわ」

「人から好かれてはいるんですけどね、会長もチェルシーも。どっちかというと、アイドル的な意味での好かれ方ですから。一緒に何かをする、となるとちょっと違う、という感じなんでしょう。とはいっても……この人手不足はどうにかしたいんですけどね」


 そのリッターさんの言葉に、いち早く反応したのはチェルシーさんだった。そして彼女は輝く瞳をこちらに向ける。


「あら、それでしたらすぐそこに名案がありますわよ」

「ええと……それって」

「二人が生徒会に入ればほら、一事が万事解決ですわね!」


 やっぱりだった。私はとりあえずノーコメントで、ポーラの方を見る。彼女は真面目に悩んでいるようだった。


「うーん、別に選挙とかで選ばれたって訳でもないのに、勝手に入っていいのかなぁ」

「そこはわたくしと会長に任せなさい。その程度の問題、どうとでもクリアしてみせますわ。ね? 会長」

「そうだね。例えば臨時の役員という形にするなど、やり方はあるだろう」

 

 ポーラに続いてリルハさんも案外乗り気なようで、満更でもない表情でそう案を出してきた。これはもしかすると、もう逃げられない雰囲気なのだろうか。別に嫌ではないのだけれど……と、どうしようか悩んでいると。


「そんな急に言われても、お二人とも困ってしまっていますよ」


 そうリルハさん達を止めてくれたのは、意外な事にミーシャさんだった。


「ノエルさん達も色々とお忙しいでしょうし……その、いきなり生徒会に入ってもらうというのは、さすがに迷惑なんじゃ、」

「そうですよチェルシー。ミーシャさんは本当に分かってる」


 さらに割り込む形でリッターさんも話に入ってきた。そして唐突に、ポーラの両肩をがしっと掴む。


「彼女は陸上部のエースなんだ、もうすぐ大会も迫っているこの時期に練習時間を取られてしまったら……会長の頼みなら仕方ありませんが、チェルシーのワガママに突き合わせる訳にはいきませんね?」

「貴女は一体誰の従者のつもりなんですのよほんとに。まあ言いたい事は分かりますけれどね……」

「とにかくチェルシー、我が部のエースは譲りません。譲る訳にはいかないんだ、今年こそ我々陸上部が栄誉を手にする為にもね!」

「リ、リッツ君。分かったから落ち着いてくれ。話が大幅にずれてきているよ」


 猛烈にヒートアップするリッターさんをなだめた後、リルハさんはこほんと咳ばらいをして、改めて私達に視線を向けた。


「すまないね、勝手に話を進めてしまって」

「あ、いえ。入りたくないとか、そういう事はありませんから」

「そうですねー。ボクも大会が一段落した頃くらいならいいかなぁ? 結構楽しそうだし」

「はは、そう言ってもらえるだけでも嬉しいよ。もちろん入ってくれと強制するような事はしないから、そこは心配しないでくれ。という事だからチェルシー君。もう少し気長に待とうか?」

「……ですわね。こういう事は焦っても仕方ありませんでしたわ。二人ともごめんなさいね……でも、わたくし達はいつでも席をあけて待っていますわよ」

「分かりました」

 

 私の返事に、チェルシーさんは丸っこい顔一杯に笑みを浮かべた。その横でリッターさんとミーシャさんがほっとした表情で息をつく。そんな皆の様子を見て、話が終わったと判断したのだろう、「さてと」、とリルハさんが席を立った。


「きりの良い所まで作業も終わったし、今日はこのくらいにしようか。あまり遅くなってもいけないだろう?」

「そう……ですね。うちは両親が厳しいですから……」


 困り顔でミーシャさんがそう言った時。一瞬、リルハさんの顔色が曇ったように見えた。けれど、おや、と思った時には、彼女の表情は普段通りの凛としたものに戻っていた。気のせいだったのかな……そう考えている間にも話は進む。


「ですわね。わたくしもお父様が過保護ですもの。夜に帰ろうものならどんな顔されるやら」

「きっと心配したんだぞーっ、と大泣きしてくれるんじゃないですか?」

「おやめなさい、リッツ。容易にそうなる未来が見えますから」

「まあ侯爵様は涙もろいですからね、おまけに心配性ですし……それはそうと、会長も早く帰らないと。色々忙しいと聞きましたよ?」

「ああ。とはいえ、もう論文も終わりくらいまで書きあがってはいるんだ。後少しでどうにか形になりそうだよ」

「ろ、論文?」


 唐突に飛び出してきたその単語に、私は目を丸くした。リルハさんは照れたように笑いながら話を続ける。


「別に私が書いている訳じゃないんだ。母上の心理学研究に関する論文の手伝いをしているだけさ」

「それも十分凄い事じゃないでしょうか?」

「いやいや、母上の知識と技術に比べれば、私なんてまだまだひよっこだよ。手伝いをするだけで精一杯さ。母上は……文字通り格が違うお人だからね」

「ジェーン・オーギュスト夫人、といえば、この国の心理学関係者なら知らない者はいない、という程の大人物ですものね。我が国におけるソーシャルワーク活動とセツルメント運動の第一人者なのですもの」

「私とチェルシーも度々会長の家にお招きいただく事があるんですが。まあ……呑まれますね、ジェーン夫人の天性のカリスマと豪胆さには」


 その時の事を思い出しているのか、リッターさんとチェルシーさんは互いに頷き合っていた。それを見つめるリルハさんの頬は緩んでいるようにも見えた。


「そんな人の娘でいられるのだから、私も誇らしいよ……おっと」


 そこで言葉を区切り、壁に掛かった時計を見て、彼女は荷物を鞄の中に片付け始める。


「うっかり話し込んでしまったな。それじゃあ私は先に失礼させてもらうよ。ノエル君、ポーラ君。改めて、今日は本当にありがとう」

「あ、いえ。また何かあったら、お手伝いくらいでしたらいつでも大丈夫です」

「はは、そんな事をあまり言ってしまうと、またチェルシー君に頼られてしまうよ?」

「ちょっと会長!別に良いじゃありませんの!」

「いや認めちゃうんですかチェルシー……」

「あはは……」


 チェルシーさん達のやり取りを見て、やんわり苦笑いするミーシャさん。それを穏やかに見つめるリルハさん。その様子が、なんだか私にはひどく懐かしいものに感じられて。だからなのか、胸の奥がきゅっと締め付けられるようだった。

 

「それじゃあ、私達も失礼しますね」

「さよーならー」

「ええ。また何かあった時は、よろしくお願いしますわね、ノエル、ポーラ」

「お二人とも、お気を付けて」


 二人の言葉、それとぺこりと頭を下げるミーシャさんに見送られ、私達は生徒会室を後にした。廊下に出てみれば、辺りからはすっかり人気(ひとけ)がなくなっていた。夕暮れの名残の暖かな灯りが、木目の床を淋しく照らす。


「ふう。生徒会も大変だねー」


 階段に差し掛かったところで、ポーラがしみじみとそう呟いた。


「そうね……あの少ない人数でたくさんの仕事をこなさないといけないんだから。改めてそう考えると、リルハさん達は本当に凄いわね」

「尊敬されるのも納得、だね。でも……」

「どうしたの? ポーラ」

「いや、なんだろ、イメージしてたのと違ってさ。堅苦しさとか、そういうのは全然なかったね、生徒会の人達」


 ポーラにつられて、私も階段の踊り場で立ち止まる。言われてみれば確かにそうだった。皆さんが気さくだった事もあってか、リルハさんが語っていた近寄りがたさというのは、私には感じられなかった。むしろ居心地が良かったとさえ言える。


「立場とか、先入観だとか。そういうもののせいで誤解されてるだけなのかもしれないわね、皆から」


 人はどうしても、相手の内面よりも外面の情報から先に見るものだから。貴族の娘であるという事。優等生であるという事。そして……。


「当たり前だけど、誰だって苦労してるんだね」

「……えっ? あ、うん、そうね」


 昏い思考に落ちかけていたところで、ポーラの言葉で我に返った。


「ん? ノエル、どうかしたの?」

「ううん、なんでもないの。それよりポーラ、チェルシーさんからのお誘いだけど、結局どうするの?」

「あー。部活が一段落ついたらお手伝いしたいかな、って思ってる。今日だって楽しかったしね。ノエルも一緒にどう? 部活とかもやってないんだし、何か一つくらい活動してみてもいいと思うんだけどな」

「そうね……何事も経験は大事だものね」


 私自身、生徒会に入る事は前向きに考えていた。そこそこ人見知りな性格もあって、今まではこういった活動は遠慮していたけれど。生徒会なら、不思議と自然に馴染めそうな気がした。それに。


「……良い気晴らしになるかもしれない、かな」


 わずかの沈黙。それから、ポーラはゆっくりと頷いた。


「そうだよ。こういう時こそ、なにか新しい事をやってみるいい機会じゃん? だからさ、ほらほら」

「分かったわよ、そう急かさなくても」


 困った笑みをポーラに向けつつ、私は満更でもなくそう返事する。ポーラは嬉しそうに顔一杯の笑顔をこちらに見せた。


「じゃ、明日か明後日にでも、改めて会長さんに言っとかないとね」

「ええ? まだ陸上部忙しいんでしょう? リッターさんが困ってしまうんじゃ――」


「――学校でそういう話をするのは、あまり関心できませんわね、リッツ」


 さっきまでとはまるで別人のような、低く鋭い声。それは、ちょうど私達が登下校口に差し掛かったところで、二年生用の靴箱の影から聞こえてきた。

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