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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
21/43

ケルビムの炎 ①

          守るべきものが在る。


          守るべき人が居る。


          守るべき場所が、そこには在る。


          そこに。そこにしか。私の守れるものは無い。


          たったの、ただの一つだけ。


          一つだけしか、自分にはないのだ。


          だからこそ、護らないと。


          とられてしまう事のないように。


          たった一つだけの、自分の全てを。この手で、この意志で――







――メイスン先生が引き起こした事件から、十日経った。私は一人、放課後の廊下の窓から、ぼうっと中庭を見下ろしていた。ひとり、またひとり。学院からぽつぽつと、級友や先輩、後輩が楽しそうに語らいながら帰っていく。その度に、校舎の中から音と気配が消えてゆく。後には空気が薄まったかのような静寂と、そして淋しさだけが残される。私はぎゅっと、右手で左の肩を掴んだ。


「ノエル、おまたせ」


 教室から出てきたポーラの方に、私は声もなく振り向く。そしてまた中庭に視線を戻す。

 噴水の前では、何人かの生徒が花を手向けていた。


「……二週間、か」


 隣に立って、ポーラは私と同じように中庭を眺める。噴水の水面は、夕陽の名残を反射しながら、ゆらゆらと波打っていた。


「全てが元通りには……もう、戻らないのよね」

「……そうだね」


 今までの日常とは一か所だけ違う景色。そこに漂う、しんとした空気。私は目を背けるように、視線を廊下の中に戻した。


「あんまり、さ。考えすぎないでよ、ノエル」


 ポーラの方を見ると、彼女は淋しげな笑みを浮かべて、こちらを穏やかな目で見ていた。


「確かにあの事件は悲劇だった。けど、終わってしまった事は、もう終わってしまった事だから。ボクにもノエルにも、それを引きずらなきゃいけない義務なんてない。だろ?」

「ええ……分かっては、いるのよ。でも」


 そこで言葉を区切り、けれど私には、その先を続ける事ができなかった。何を言えばいいか、今の感情をどう語ればいいのか、まるで分からなくて。

 中庭から聞こえてきていた音がぴたりと止む。辺りを緩やかに静寂が包む。


「……焦らずゆっくりと考えていけばいいんだよね、きっと」


 ポーラの手が私の肩を優しく叩いた。その手はいつもよりも広く感じた。


「ボクらには時間(これから)がある。いくらでもうんと悩んで、じっくり答えを出せる時間が、さ。だから今は、分かんなくっても良いんだよ」

「……ポーラ」


 遠くで時刻を知らせる鐘が鳴った。低く厳かな音色は、空気の中に優しくしみわたるように響いた。


「帰ろ?」

「……そうね。私達の家に」


 ポーラと一緒に、夕日の差し込む廊下を歩く。朝は重かった足が、不思議と軽くなった気がした。

 そして、階段の前まできた時だった。


「あら、丁度良いタイミングですわね」


 上の方から、つんとした雰囲気の声が飛んできたのは。


「あれ、まだ生徒会の仕事残ってたんだ? チェルシー先輩」


 階段を見上げると、そこには桃色の紙をツインテールにまとめた小柄な女の子――生徒会の副会長であるチェルシー・ノーランドさんが、窮屈そうに段ボールを胸の前で抱えていた。


「人手不足もいいところですからね、うちの生徒会は。何が起ころうと、仕事自体がなくなる訳でもありませんし」


 さらにその後ろから、すらりと引き締まった長身の少女が、やんわりと苦笑いしながら姿を見せる。その左脇には、チェルシーさんと同じように段ボール箱が抱えられていた。


「そう分かっていらっしゃるのなら、貴女も生徒会に入るべきではなくて? リッツ」

「もう半分入ってるようなものじゃありませんかね、これだけ手伝いをしてるんですし」


 リッツと呼ばれた彼女――風紀委員長で、ポーラの部活の先輩でもあるリッター・チェスカさんは、やれやれと首を振る。


「あれ、リッツ先輩って、生徒会の役員じゃなかったんですか? ほら、いつもチェルシー先輩と一緒にいるし、てっきり」

「まあ、確かに一緒には居ますが。いくら私でも、生徒会に入ってまでこの子に振り回されたくはないですから」

「それはどういう意味ですのよちょっと」

「そういう意味ですがなにかご不満でもお嬢様」


 ジト目を向けるチェルシーさんに、半笑いで即座にそう返すリッターさん。もっとも、別に二人は仲が悪い訳ではない。この二人はいつもこんな調子なのだ。ただ、それはそれで大丈夫なんだろうか、と私は心配になるのだけれど。

 二人がほとんど一緒にいる理由。それはリッターさんの家がチェルシーさんの一族、ノーランド家に仕える身だからに他ならない。この二人は明確な主従関係にある訳だ。さらに言うと、ノーランド家は生徒会長のリルハさんの一族、オーギュスト家に次ぐ名家であり、この国では知らない人のいない侯爵家。本来なら、まともに話しかける事も難しい立場関係にある……はずなのだけれど。


「大体ね、リッツ。あなたはいっつもいっつもわたくしに対して一言二言多いんですのよ!」

「そりゃ仕方ないでしょう、小言の一つでも言わなきゃいつまで経っても勉強してくれないんですから、うちのお嬢様は」

「あれは眠くなる教材が悪いのでしょう!? もっとわたくしに相応しい面白い、」

「はいはい教材のせい教材のせい」

「くきぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」


 ……と、現実はこうである。頭から突っ込んでいくチェルシーさんを片手で抑えるリッターさんの姿といい、普段の二人の会話といい、どちらが主なのか分からなくなる。それほど気の許せる信頼関係があるという事なのだろうけれど。


「それはそうと」


 いまだに突進を諦めないチェルシーさんをよそに、リッターさんは何食わぬ顔で私達を見た。


「できれば、で良いのですが。次の生徒会の会議で使う資料を運ぶのを手伝ってはもらえませんか? 来月の生徒総会の件も絡めた会議のようで、とにかく量が多くてですね……」

「ミーシャさんはいらっしゃらないんですか?」


 その問いに、ようやく諦めたチェルシーさんが答える。


「ああ、あの子でしたら、会長と一緒に資料の整理をしてもらっていますのよ。体力仕事は苦手だと言ってましたもの」

「そうなんですね……じゃあ」

「体力仕事ならボクに任せてくださいよ。そういうのは得意だから」


 ポーラはそういって私とチェルシーさん達にウインクしてみせた。それを見てリッターさんはほっとした表情を浮かべる。


「すみませんね、無理を言ってしまって」

「今日はボクらも特に用事とかなかったですから。このくらい全然」

「本当に感謝いたしますわ。……全く、どこかの誰かさんにも、貴女のような素直さがあったら可愛げもあるでしょうに。ねえ? リッツ?」

「素直さの塊じゃないですか私は」

「貴女のは素直じゃなくて礼儀知らずというんですのよ」

「え? えっ?」

「…………………」

「あ、あのー。運ぶ荷物はどちらにあるんでしょうか?」

「え? あ、あらごめんなさい、こちらですわ。リッツ、これはお願い」


 私の言葉で我を取り戻したチェルシーさんは、リッターさんに持っていた荷物を預けて階段を上る。そのすぐ後に肩を竦めるリッターさん、そして私達も続く。

 それから山積みの段ボールの群れと格闘し、時にチェルシーさんとリッターさんの格闘も眺めつつ。どうにか手伝いを終わらせたのは、それから三十分程経った頃だった。

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