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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
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はばたく花嫁 ①

          そよ風が吹く。そっと吹き降ろす風。


          それはとても清らかで、美しいもの。


          だから、そよ風に乗って運ばれるものは。


          全て、美しくなくてはならない。


          美しく、在り続けなくてはならない。


          何故なら美しさとは、義務のようなものだから。


          永遠でなくてはいけない。


          でないと手から零れ落ちてしまうから。


          永遠であるように、しなくては――








「……よし」

 

 四限目の授業が終わり、昼休み。机の上に広げた、テスト対策用に授業内容をまとめたノートを見て、満足の一言を呟く。そして軽く目頭を揉んだ。


「相変わらず優等生だねーノエルは。ボクには真似できない綺麗なノートだ」


 集中しすぎて疲れた目をマッサージしていると、頭上から快活な、聞きなれた声が聞こえてきた。私は小さく笑って、浅く日に焼けた大柄な少女――唯一無二の親友、ポーラ・ワトスンを見上げた。


「ポーラのノートだってかなり綺麗じゃない?」

「そりゃ勿論。なんたって、歴史と体育以外の授業はほとんどぐっすり寝てるからねっ!」

「そこはそんな胸を張って言う事じゃないと思うよ?」


 誇らしげにピースしてみせる親友に、私、ノエル・ホームズ・アッシュランドは苦笑いを返す。


「だってしょうがないじゃんかー」


 ポーラは頬を膨らませて屈みこみ、机に頬杖をついて、文句の続きを言い始めた。


「歴史は好きだからまだいいとしてさ。数学は特にダメ、訳分かんないよ。別に足し算引き算掛け算割り算さえできてりゃそれでいいじゃん。その四つが出来れば人生バラ色じゃんか」

「バラ色かどうかはともかく、言いたい事は分からなくもないけれど……あ」


 私が声を漏らすまで、ポーラは全く気付いていなかったらしい。背後に、私達のクラスの担任にして、ポーラが嫌いな数学の先生でもある、ナタリー・キャステル先生が、涼しげな笑みを浮かべて立っていた事に。


「うげ」

「おい、先生を見て一言目がそれか」


 ポーラのあからさまな反応に、ナタリー先生は呆れ顔。それから、ショートカットの髪をかきながら話を続けた。


「あのなポーラ。確かに日常生活じゃ数学を使う事は大してないかもしれないけど。考える力を身につけるって意味じゃ、数学だって大事なんだぞ」

「えー、だったら他の科目で身につければいいじゃんせんせー」

「あぁん?」

「凄味っ!?」


 陸上部の顧問も務める体育会家の先生の睨みに、ポーラの屁理屈は見事に流されてしまった。私は笑う事しかできない。


「せ、先生、来月結婚するって人がそんな顔しちゃダメですよ」

「誰がそんな顔させてるんだ誰が。ノエル、お前もあんまりこの子の事甘やかすなよ?」

「それはもう、はい。もちろん心得ています」


 粛々とうなずいた私を見て、先生は任せたと一言言い残し、颯爽と教室を出て行った。それから少しして、ポーラがホッと胸をなでおろす。


「ふう、嵐は去ったね」

「こらこら」


 先生に聞かれたら嵐がハリケーンになりかねない言葉を漏らす彼女に、私はやれやれとため息。


「分からない所があるなら私が教えるから。次のテストは頑張ろう?」

「うーん……まあ、そだね。いくらスポーツ特待生枠で学校(ここ)に入ったっていっても、あまり成績が悪すぎるのはまずいもんね。奨学金の事もあるし」


 真面目な表情を浮かべ、ポーラは考え込む。彼女はここ、ノースヤード国立女学院に、持ち前の運動神経で勝ち取った特待生の枠で入学しているのだ。そのおかげで、家族のいない彼女でもどうにか払える額まで入学金が安くなった。また、奨学金の返済面もかなり優遇されている。もっとも私の入学状況も、ポーラと似たり寄ったりだけれど。


「いつも通りテスト対策はよろしく甘えさせていただきます、学年首席の成績をお持ちのノエルさま」

「はいはい。こういう時だけ銚子いいんだから、もう」


 からっと笑いながら頭を下げるポーラに、私は肩をすくめてみせる。もっとも、頼られる事に悪い気はしない。


「じゃ、お昼食べにいこっか?」


 そろそろお腹も空いてきたところで、私は話を切り上げ席を立つ。するとポーラが「それじゃ、」と自分の財布を前にかざした。


「テスト対策の前金ってことで、今日はボクがおごろうか」

「そんな、別にいいわよ。父さんから昼食代はいつも貰ってるんだから」

「いいからいいから。タダで教わっちゃボクの気がすまないんだ」

 

 そんな会話を交わしながら教室を出ると。


「おいお前たち。ナタリー先生のやつを見かけなかったか」


 と、低い声に呼び止められた。声のした方を見ると、そこには二人の先生が立っていた。その内の一人――さっき声をかけてきた、ぼさぼさ髪で猫背の化学の先生、クラリネ・アンスレット先生が話を続ける。


「全くナタリー先生のやつめ、今度の結婚式でのブーケトスについて打ち合わせするぞと前もって言っといたのに、この私を待ちもせんとはいい度胸だ」

「式の、じゃなくてですか?」

「そんなもんはどうだっていい」

「クラリネ先生、さすがにそれはちょっと」


 そうやんわりとクラリネ先生をたしなめたのは、隣にいた美術教師のメイスン・オーリタリア先生だった。けれど、当のクラリネ先生はそんな諫言を気にもとめていないようで。


「何を言うか。結婚式というのはだな、ブーケトスという幸福を掴む為の神聖な儀式、そのお膳立てに過ぎないんだからな」

「ええ……主目的が逆転していません?」

「は?」

「は? って先生……いえ、私はもう何も言いません」


 あまりにも真顔なクラリネ先生の気迫におされてか、メイスン先生は苦笑いして、それ以上つっこむ事をやめた。私達もコメントは控えておいた。先生にもきっと色々あるのだろう、邪推はしてはいけない。


「それより、ナタリー先生を捜していらっしゃるんでしたよね」


 私が話を戻すと、クラリネ先生は助かったといわんばかりに大きく頷いた。


「それでしたら、先生は教室を出てからすぐ右手の方に向かわれていましたから。おそらく西棟の方に行かれたのではないでしょうか」

「西……ということはたぶん屋上ね、ナタリー先生が向かったのは」


 私達が通うこの学校は、上から見ると『コ』の字の形になっていて、中央の渡り廊下を挟んで西と東、二つの三階建ての建物に分かれた構造となっている。今、私達がいる東棟には教室や生徒会室が、西棟の方には職員室や図書室、食堂などがあり、屋上に出られるのは西棟だけとなっている。また、屋上のさらに西側には、ここのシンボルでもある五階建ての高さの時計塔に行く事もできる。とはいえ、機材などがあって危険だという理由から、基本的に生徒は時計塔に立ち入り出来ない。


「やれやれまたか。あいつは昔から高い所が好きだな」


 行き先の見当がついたクラリネ先生は、分かりやすく渋い顔をした。


「大体、屋上にたむろするのは不良生徒の特権だろうに。教師の方がたむろしてどうするんだ全く」

「見回りの一環と考えればいいんじゃないですか?」

「物は言いようだなぁ、メイスン先生」

「まあまあ、良いじゃないですか……あ、二人ともありがとうね。時間を取らせてごめんなさいね?」


 メイスン先生はそう頭を下げると、まだぶつくさと文句を呟くクラリネ先生をなだめながら西棟に向かっていった。


「相変わらず仲良しな三人だねぇ」

「たしか、昔からの親友なんだったっけ?」

「そうだよー。メイスン先生とナタリー先生は小学校から、二人とクラリネ先生は中学からの付き合いなんだってさ。授業中、ナタリー先生がよくその頃の事をネタに話してるのも、本当に仲が良いからなんだろうね」

「そうね……」


 普段の三人の、仲睦まじい様子を思い出しながら頷く。時を経ても変わらない友情の形。純粋に羨ましく思った。

 と、そんな私の顔を、ポーラがじっと見つめてきている事に気が付く。


「ど、どうしたの?」

「そんな顔しなくたってさ。ノエルにはボクがいるじゃん」

「そ、それはもちろん分かっているから。だから恥ずかしいから頭撫でるのやめて」


 にこにこしながら頭を撫でてくるポーラをささやかにたしなめる。廊下を行きかう生徒の皆は、くすくす笑ったり、あるいは少し羨ましそうに(?)こちらを見ていく。


「ほ、ほら皆見てるから。早く食堂に行きましょう」

「はいはい、しょうがないなぁ。じゃ、ボクは先に行って席とっとくから」

 

 そう言うやいなや、ポーラはさっさと廊下を駆け抜け、階段を駆け下りていってしまった。それからやや遅れて、下の方から教頭先生の怒鳴り声が聞こえてくる。一人ぽつんと残された私はやれやれと小さく息をついた。

 元気がないよりはずっといいのだけれど――彼女が家にやって来た頃をふと思い出す。父に連れられ、孤児院から家にやって来た時の事を。家族を最悪の形で失い、寄る辺もなくなった当時の彼女は、今とは打って変わって……。


「……っと、いけない」


 過去に引き込まれかかった所で、慌てて我に返る。あまりポーラを待たせると拗ねてしまう。私は急いで、けれど叱られないように早足で食堂に向かった。

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