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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
19/43

はばたく花嫁 ⑯

「や、やめろぉッ!」


 悲痛な叫び声が遠くで響く。それでも喉を圧し潰しにかかる力が弱まる事はない。私は必死に両腕を使って藻掻きながら、ポーラの方を見た。一瞬だけ、今にも泣きだしそうな目がこちらを見る。それから再び拘束から抜け出そうと暴れる。そんなポーラを横目で見やり、先生はくすりと笑った。


「そんなに暴れちゃいけませんよ。せっかくの綺麗なお肌が傷ついてしまうは。そんなのは嫌でしょう?」

「ふ、ざけッ」

「大丈夫よ、すぐにあなたも――」


 直後、彼女はこちらを見もせずに、風の球を持ち上げようとしていた私の右腕を、躊躇いなくナイフで刺し貫いた。


「――ッ!」


 灼けるような痛みに襲われ、風の球は明後日の方向へ飛んで行って消えた。


「……ふふふ。この子と同じ所へ連れて行ってあげますからねぇ?」


 身を乗り出し、私の顔を間近で見つめながら。先生は恍惚とした表情を浮かべて、さらに力を籠める。ゆっくり、ゆっくりと、まるで万力のように、私の命をすり潰そうと。ぼやける視界の中、叫び声だけが遠くで響く。そして、意識も薄れゆく私の顔を見て――


「――えっ!?」


 気付いたらしい。微かに、奇妙な空気の流れが頬を撫でた事に。先生は慌てて私から離れようとする。けれど。


「もう遅いよ、先生」


 既に右手を構えていたポーラが、私に――私の左手にある携帯カイロに向けて魔力を放つ。それに合わせて私はカイロを上に放り投げた。その直後、メイスン先生の上半身は、烈しい炎に包まれた。


「――あぎゃあああああああああああああああああああッ!」


 獣の咆哮にも似た絶叫をあげ、彼女はもんどりうって横に倒れこむ。その隙に私は、むせながらも必死にその場から離れた。それと入れ替わるようにして、血の鞭から解放されたポーラが一目散に走ってきて。


「――ッらあああああああッ!」


 雄叫びと共に、豪快に一薙ぎ。強烈な蹴りを顔に叩き込まれたメイスン先生は、悲鳴とも呻き声ともつかない妙な音を口から漏らし、そのまま数メートル程吹き飛んでいった。


「やりすぎだととは思わないよ、こっちだって余裕なかったんだから」


 煙を立ち昇らせたまま倒れこんで動かない先生に、ポーラはきっぱりと言い放つ。そして、蹴りを放った右脚についた――おそらく走っている間に魔法で付けたのだろう――岩のプロテクターもそのままに、未だ咳き込む私のそばに駆け寄ってきた。


「ノエル、大丈夫?」

「え、ええ……なんとかね。それにしても、よく気付いてくれたわね。私がカイロを魔法の火種にしようとしていた事に」

「最初はキミがポケットから何かを取り出してたって事しか分かんなかったけどね。ただ、風魔法で辺りの酸素を一気に集めだした所で気付いたけど。よくやるよ、ほんと」

「とっさの思い付きにしては……上手くいってくれたわ」


 ポーラの手を借りて、よろめきながらも立ち上がる。その時、ようやくメイスン先生が声を上げた。


「あの、時、の……私がナイフで防いだ風の、球は。私を攻撃する為のものでは、なかったのね……」


 さっと振り向き身構えたポーラを、私は手で制した。先生は話しこそしたものの、体は震えるばかりで、立つ気力も残っていないようだった。私は一呼吸置いてから答える。


「一つはカイロがより発熱しやすい酸素濃度を作りカイロに送るため、そしてもう一つは先生の意識を私の左手から逸らすため……もっともそっちの方は、ポーラがわざとらしいくらいに騒いでくれたおかげで、あまり意味のないものになりましたけれど」

「そう……こなれてる、のね……こういう事に」


 先生はずるずると、芋虫のようにフロアを這いずる。その視線は、おそらくはクラリネ先生の亡骸の方に向けられていた。


「ねえ……どうして、駄目なの……? 誰でも、綺麗な物は欲しいじゃない? 自分の物に、したいでしょう……? それだけの事を、なんで、みんな駄目だというの……?」


 うわ言のように……いや、うわ言そのものか。先生はただ訥々と呟きながら、血溜まりに向かって這い進んでいく。私達はただそれを見ている事しかできなかった。何が、ここまで彼女を壊したのか。それとも、本当はずっと昔から壊れてしまっていたのか。それは分からない。けれど、今、私が言わなくてはならない事は分かる。


「人は獣じゃないんです。欲望に溺れて獣になっては、元も子もないんですから」


 私の言葉を聞いて、メイスン先生はぴたりと止まった。そして、奇妙に歪んだ笑みをこちらに向けてきた。


「本当にぃ……? 本当に心からそう思っているの、ノエルさん? 私よりもずっと、ずうっと醜い獣達を、あなたはたくさん見てきているくせに……」

「……………」


 腕の傷口が熱を帯びて疼く。ぎゅっと右腕を握りしめても、それはまるで収まらない。


「私も知っているのよぉ、『悪魔の子』さん。あなたの昔話の事は……だから、あまり心無い事を、」

「もういいだろ、先生」


 無理矢理言葉を遮って、ポーラが若干の焦りをにじませた声でそう言った。


「そんな話、今はどうでもいい事だよ。今は……ノエル、他の先生達を呼んできて。それから警察の方に連絡も。ここはボクが見張っておくから。二人ともいなくなる訳にはいかないからね」

「で、でも」

「ボクなら大丈夫。少なくとも今のメイスン先生にはやられないよ」


 私はしばらく迷ったけれど、やがてはポーラの眼差しに頷いた。私よりずっとタフなポーラが見張る方が堅実ではある。私は急ぎ足で、血と油の臭いの混じった暗闇の塔の中から飛び出していった――


 ◇


 それからはあっという間だった。血相を変えたベイカーさんが学校に真っ先に駆け込んできてから、次から次へと警察の方が駆けつけてきた。そして私とポーラはすぐさま病院まで連れていかれた。とはいえ、二人ともそれほど大きなケガはしていなかったから、治療はすぐに終わったのだけれど。

 その後、病院の待合室で座っていると、役所での仕事途中だっただろう父さんが泣きそうな顔で駆けつけてきて。もう大丈夫だから、とひとしきり安心させて帰ってもらった後に、今度はベイカーさんとマイヤーさんがやってきた。


「二人とも、本当に大丈夫なのか?」

「ええ、なんとか……その、父にも先程伝えましたが。心配をおかけしてすみません。勝手に二人で無茶をしてしまって」

「いや、二人が無事だったのならいいんだ。それにこっちも応援を出してあげられなかった訳だしな」

「せめて私だけでも動ければよかったんですがね……全く、バートリーⅡ世の奴め。嫌なタイミングで動いてくれたものですよ」


 苦虫を嚙み潰したような表情で、マイヤーさんは深々とため息をつく。それにつられてか、ベイカーさんもやれやれと肩を落としていた。


「それにしても、よく真犯人を突き止めたな、ノエルちゃん。本当に真相まで暴き出すなんて、思いもしなかったよ」

「あ、いえ、そんな。私一人だけの力じゃありませんでしたから」


 ベイカーさんの言葉に、私は首を横に振る。実際、この結果は私だけで辿り着けたものではない。ポーラがいてくれなかったら今頃どうなっていたか。クラリネ先生の悲劇を思い出すだけで背筋が凍る思いがした。それに。


「……そうだ」


 そこでふと、ある人の顔が脳裏に浮かんだ。彼女にもお礼を言わないといけないのだった。

 夕闇の街角に佇む不思議な占い師。彼女の助言がなければ、私はあのむず痒い違和感の正体に気付けなかったのだから。

 壁に掛けられた時計を見る。時刻は夕方の六時。ちょうど街角に出ている頃だろうか。今から向かえば出会えそうではある。


「すみません、ベイカーさん。ちょっと会いたい人がいるんですけれど。今、ここを出ても大丈夫でしょうか?」

「うん? そうだな……」

「まあ、大丈夫じゃないですか」


 考えるベイカーさんに、気楽な声でマイヤーさんがそう言った。


「ポーラさんがいれば証言については十分でしょうし。そもそも被害者でもあるお二人を長々と拘束していても仕方がありませんよ。事件そのものは、もう解決したんですしね」

「まあな……それもそうか。分かった、ノエルちゃん。行っても大丈夫だよ」

「すみません、ありがとうございます」


 私はベイカーさん達に頭を下げる。それから恐る恐るポーラの方を見る。彼女は「気にしないでよ」、と笑っていた。


「別にこってり叱られるって訳じゃないんだから。でも、あんまり遅くならないようにね? ただでさえおじさん、泣きそうになってたんだからさ」

「ふふっ、そうね。父さんにはこれ以上心配はかけられないわね」


 私は改めて頭を下げると、その場を後にした。病院から外に出て見れば、穏やかな西日が目に沁みた。いつもと変わらない夕空。代わり映えのない景色。その眩しさに目を細めつつ、私はあの占い師がいるだろう場所に向かって歩き出した。


 ◇


「――おや? 君は……一体どうしたんだい、その腕」


 夕日も沈みかけた頃。ガス灯の下でチェスの駒と水晶玉を手に佇んでいたクチナシさんは、私を見るなり目を丸くしていた。


「ええと、これはですね……」


 事件の顛末についてかいつまんだ説明をすると、クチナシさんは神妙な顔で頷く。


「それは……とんだ災難だったね。しかし、事件がそんな結末を迎えてしまうとは、悲しい話だ」

「ええ……本当に」


 正直、今でも信じたくないというのが本音だ。あれが、メイスン先生のあの狂気が、全て悪い夢であったなら。まだいくらかの救いもあっただろうに。


「それはそうと、ノエル君」


 と、不意にクチナシさんは、仮面の奥から不思議そうな視線を向けてきた。


「どうしてわざわざ私の所に? そんな怪我もしているんだ、安静にしていた方がいいんじゃないかな?」

「あ、えっと、それは……あなたに、お礼を言いたくて」

「お礼?」


 ますます驚いた表情を浮かべる彼女。私は若干顔がほてるのを感じつつ、彼女に頭を下げた。


「クチナシさんのアドバイスがなかったら、私は事件の真相に辿り着けなかった。メイスン先生を罪と向き合わせる事もできなかった。だから、クチナシさんのおかげなんです」

「そんな大げさな。私はただ単に、君の相談相手になっただけだよ」

「そうかもしれません。でも、私にとっては……そうじゃなかった。それ以外の答えが得られた。だから、ありがとうございました、本当に」


 心からの言葉。少し、たどたどしくなってしまったけれど。それを言えて、私は自然と顔が綻んだ。


「うーむ、なんというか、照れるな。そう改まってお礼なんて言われると、あまり言われ慣れていないからね……」


 クチナシさんははにかみつつ、私の方から顔を逸らした。仮面の下に隠れた顔は、良く見えなかったけれど。口元はどこか緩んでいるような、そんな気がした。


「おっと。もうこんな時間だ。君もそろそろ帰った方がいいんじゃないかい?」


 色の暗くなった空を見上げて、クチナシさんがそう言った。私も腕時計で確かめてみると、短針はもうすぐ7時にかかるところだった。思っていた以上に時間が経っていたらしい。それじゃあ、と立ち去ろうとしたところで、ふと一つの疑問が浮かび、足を止めた。とはいっても、そんな大した事ではないのだけれど。


「クチナシさん、一つ気になっていた事があるんですけれど」

「ああ、なんだい?」

「最初に会った時、クチナシさんはどうして一目見ただけで、私が悩んでいた事に気付けたんですか?」

「ああー、それか……」


 彼女はしばらく逡巡した後、どうしてか困ったように笑った。


「あれはただのカマかけだよ」

「……へっ?」


 想像の斜め上を行く答えが返ってきた。今の私はきっと間の抜けた顔をしているに違いない。クチナシさんは「ごめんごめん」、と笑いながら続ける。


「まあ、一種の商売テクニックだね。随分と深刻な顔をしてるような子なら、大抵は何かしら悩んでいるものだろう? まして一人で歩いているようならなおさらね。そしてそういう子は、相談に乗るよ、といかにも何かお見通しだぞみたいな感じで語り掛けるだけで、大抵良い反応が返ってくるからね。だからまあ、別に君の悩みに気付いてたって事ではないんだ」

「ええ……そう、だったんですか」

「ははは、まあ昔からよく言うだろう? 当たるも八卦当たらぬも八卦、ってね。占いというのはそういうものさ。今回は幸運にも当たっていたようだから、うん、良かった良かった」


 実にあっけらかんと笑う彼女に、私もつられてふっと笑ってしまう。なんとなくだけれど、この人が人気になった理由が分かった気がした。


「さてと……それじゃあ、ノエル君」

「はい。また悩みが出来た時は、よろしくお願いしますね」

「勿論。今度はごくありきたりな相談の相手になれるよう願っておくよ」


 クチナシさんはチェスの駒を持った白い手を振ると、そのまま夜の暗がりへ去っていった。その影のように真っ黒な姿は、あっという間に見えなくなる。

 私はどこまでも奥に続くその黒い道を、しばらく眺めていたのだった。

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