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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
18/43

はばたく花嫁 ⑮

「なんで、殺したのさ」


 私を庇うように前に立ち、こちらに歩み寄るメイスン先生に、ポーラは鋭い声を向ける。すると彼女は、どうしてか急にうっとりと恍惚の表情を浮かべた。そして。


「……綺麗だったのよ。とっても」


 と、想像し得ない奇妙な答えを返してきた。


「……は?」

「だから、ナタリーの花嫁姿がね。本当に……心奪われるほど美しかったの。昔より……私が愛してやまなかった学生の頃の彼女より、ずっとずっと」

「い、いや、何の話ですか。ボクはどうしてこんな事をしたのかって聞いて、」

()()()殺したのよ」


 残酷な言葉、なのにそれと似つかわしくない浮かれた声音。その歪さに、私は背筋が凍るような思いがした。おそらくは前に立つポーラも。そんな私達など見えていないかのように、先生は話を続ける。


「私は三姉妹の長女でね? 小さい頃からずっと、綺麗な物は妹達に盗られ続けていたの。お姉ちゃんなんだから我慢しなさい、我慢しなさいって。とても苦痛だったわ。どうしていつも、私の宝物は誰かに盗られてしまうのって、皆から隠れてこそこそ泣いたりしたものよ……ああ、勿論子供の頃の話ですよ? でも……大人になって、今になってまた、そんな思いにさせられるなんて」

「……………」

「ナタリー。あの子との時間は一番の宝物だった。けれど私だって分かっていたわ。お互いいつか大人になる、いつまでもこの甘い時間は続かないと。だから私から身を引いた。それなのに……あの子の花嫁姿は、あまりに美しすぎて。盗られたくなかった。ずっと独り占めしたくなってしまったのよ……」

「……だから、花嫁姿を永遠に留めたかった。それで殺した……と、言いたいんですか?」


 先生はただうっとりと笑むだけだった。私にはもう、それ以上何も聞けなかった。

 そんな、身勝手どころでは済まされない、異常な理由で。この人は、ナタリー先生を殺したというのか。そんな理由だけで、親しい人を殺せるというのか。


「……狂ってる」


 呻くような声で、ポーラが辛うじてそうとだけ言う。けれどメイスン先生は少しも堪えていないようで、歪な笑みを絶やさない。


「あらあら、酷い言われ様ねぇ? でもポーラさん、あなたのご家族よりかはまともだと思いますよ?」


 そのあからさまな挑発に、私の表情も硬くなる。


「……今ならまだ間に合うよ、先生」


 ポーラはかすかに肩を震わせつつも、あくまで冷静に先生を諭そうとする。しかし、先生は仮面のような薄ら笑いを浮かべたまま、こちらにまた一歩歩み寄る。

 その手に、赤黒く光るナイフを構えて。


「そうですねぇ……確かに、今ならまだ()()()()()()()()?」


 そこに至ってようやく気付いた。塔内に立ち込める鉄と油の匂いに混じって、一つ――血腥い臭いが織り交ぜられている事に。そして、()()を先に見つけたのはポーラだった。


「えっ……う、嘘だ、そんな、あれ……!」


 フロアの左端に。服を剥ぎ取られ、紙のように白い肌を晒したクラリネ先生が、朱い水溜まりの中に倒れていたのだ。その傍には、朱色とは対照的に真っ白なドレスが畳まれておかれている。その異色な光景は、目を引くには十分すぎて。

 だからこそ、遅れた。


「ポーラ危ないッ!」


 叫んだ時には既に、しなやかに鼻垂れたメイスン先生の左拳が、ポーラの頬を打ち抜いていた。それはどれほどの力が込められた一撃だったのか。そのままポーラは、クラリネ先生の遺体がある辺りまで吹き飛ばされてしまった。


「ポーラッ!」

「駄目ですよぉ、()()()にぼうっとしていては」

「――あぐッ!」


 振り下ろされたナイフの柄を、寸での所で右腕で受け止める。鋭い痛みは骨まで沁み、文字通り私の身を震わせた。それでもどうにか後ろに飛び退き、返す手の二撃目は躱した。


「二人とも、出来ればもう少しだけ待っていてほしかったわね」


 ゆらりと不気味に体を傾げて、メイスン先生はまた一歩こちらに踏み込む。


「せっかくクラリネにもお似合いのドレスを着付けてあげようとしていた所だったんですもの。水を差されてショックだわ」

「どうして、どうしてクラリネ先生まで!?」

「大体あなた達と同じよ。ちょっとしたミスをした私のせいでもあるけれど。ナタリーをここに括り付けた後、アリバイ作りのため、あの子の服を着て校舎の二階まで降りて、生徒に後ろ姿を見せて、ナタリーを殺した時間を誤認させようとした、までは良かったんですけど。少し焦ってしまっていたのね。一階に向かう階段の踊り場で服を着替えて、普段の私として一階に降りた。そこをクラリネは見てしまっていたのよ。ナタリーが一階に降りてこないで、私が一階に降りてきたところを」


 その言葉を聞いて、私はベイカーさんから教わった情報を思い出した。確か、ミーシャさんだったか。四時半頃に、二階の階段前でナタリー先生の後ろ姿を目撃したという証言をしていた。しかし、一階では誰もナタリー先生の姿を目撃した人はいない……その理由はこれだったのだ。そして、つい昨日、クラリネ先生がストーカーの自宅付近に来ていた理由。おそらく彼女はその違和感から気付いてしまったのだ。犯人が校内にいたという可能性に。自分の良く知る人間でも犯行は可能だという事実に。そして……。


「本当はね? ここまでするつもりはなかったのよ? 本当に……でも、仕方ないでしょう? こうなってしまったものは仕方がないのよ」


 後ずさる私を、先生はにこやかな顔で追い詰めてくる。そこには微塵も悪意を感じさせない。だからこそ、余計に――


「――こ、のぉッ!」


 それまで倒れていたポーラが勢いよく立ち上がり、右手に小振りな巾着袋を持って、こちらに駆け出してきた。あれは確か、ポーラがいつも護身用にと持っていた、土魔法用の携帯できる土嚢だ。そして右手を振り上げ、こちらに土嚢を投げようとした。しかし。


「駄目ですよ、そんなはしたない事をしては」


 直後、ポーラの背後に広がる血だまりが蠢き。鞭のような形を成して、彼女の背中を強かに打ち付けた。


「うああッ!」

「ポ、ポーラっ!」


 彼女はなす術なくフロアに打ちつけられ、頼みの綱の土嚢もその場に落ちてしまう。けれど私には、そちらを気にしている余裕はなかった。


「授業で教わった通り、どこでも護身用の魔法を使える準備をしていたのは素晴らしいけれど。詰めが甘いわよ?」

「ッ!」


 頬を掠めるナイフの切っ先。思わず跳び退いた私の背に、硬質な衝撃が走った。フロアの端の壁に触れた感覚。まずい――冷や汗が頬を伝い落ちる。何か逃れる術は……今持っている物で何ができるか、必死に考える。けれど、武器になりそうな物なんて当然だけれど持っていない。あるのは精々ハンカチと……。


「あまり悪だくみはいけませんよ、ノエルさん?」


 メイスン先生はくすくすと愉しそうに笑い、観察するような視線を向けてくる。余裕の表れか、見下しているのか。どちらにせよ、チャンスは今しかなかった。


「――くッ!」


 手早くハンカチを先生の顔目掛けて放り投げ、視界を奪う。その隙を突いて、ポーラの倒れている方まで駆け抜けよう――そう、一歩を踏み出した直後。


「げうッ!」


 鳩尾を抉る衝撃。そのあまりの重さに、私は奇妙な呻き声を上げ、その場に膝をついた。息も絶え絶えに前を見やると、そこには拳大の岩が転がっていた。おそらくはポーラが落とした土嚢を利用して、先生が魔法でこれを生み出したのだろう。


「駄目だノエルッ、逃げてッ!」


 血の鞭に足を絡めとられているポーラが必死にそう叫ぶ。けれど、動けない。体が言う事をきかない。魔法を使おうにも、息苦しさで集中もできない。そんな私を、先生は余裕たっぷりな態度で突き倒す。


「今のは少し驚きましたけれど、ノエルさん? 多少インパクトに欠けますね?」

「ぐっ、う……!」


 先生は私の腰の上に跨り、両手を私の首元にかけてくる。逃れようにも、組み伏せられている状況下ではどうにもできない。


「さてと……あなた達の分のドレスはどこで買おうかしら。似合うデザインも考えておかないと……迷うわねぇ」

 

 心から愉しそうな声でそう独り言のように呟く彼女の様子は、さながらお気に入りの洋服店でウインドウショッピングでも楽しんでいるかのようだった。

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