表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偶像の定理  作者: 御冬夏夜
17/43

はばたく花嫁 ⑭

「ううー……やっぱりまだ少し肌寒いわね」


 屋上に出た私達をまず出迎えたのは冷ややかな風だった。思わず身震いした私に、ポーラが「はい」、と何かを差し出す。


「だから家出る時に言ったじゃんか、まだ少し寒いからカイロくらい持ってた方がいいよーって」

「あはは、本当にそうだったね。ありがとう」


 ポーラからの気持ちとカイロを受け取りつつ、改めて屋上の様子を見る。汚れ一つ残されていない。あれほど強烈に鼻をついた血腥い臭いも全くしない。今ここにあるのは私達と湿っぽい梅雨前の風、ただそれだけだった。


「ねえポーラ、覚えてる? 事件の日、先生の遺体が落ちてくる前の事」

「え? うん、大体はね」

「じゃあ、死体が落ちてくる直前、強風が吹いてきた事は?」

「ええと……ああ、そういえば。思いっきり髪をめちゃくちゃにされたっけ。けど、それがどうかしたの?」

「妙だと思わない。あの時私達は、西棟の方を正面にして中庭にいた。なのにどうしてあの時、風は()()()()()吹き付けてきたんだと思う?」

「え……あっ!?」


 私の言わんとしている事が分かったのだろう、ポーラは驚きを顔一杯に表していた。私はそんな彼女に頷き、言葉を続ける。


「この学校の構造から考えて、北の方角から――つまりあの時の私達から見て右手の方角から――突風が吹いてきたというなら、それは全く不自然な事ではなかった。うちの学校の北風はある意味名物だものね。けれどあの時の風は、西棟という大きな風よけがある方から吹き付けてきた。そんなのは、少なくとも自然の風ではまず起こらないでしょう。だとすれば、あれは」

「誰かが意図的に、魔法で巻き起こした風だった……って事だね? ノエル」

「ええ。問題は、どうしてそんな事をする必要があったのか、という事だけれど。それももう、分かるわね」

「ナタリー先生の遺体を飛ばすため……だね。屋上よりも、さらに高い所から」

「ええ……そういう事」


 眼前にそびえ立つ、古風なレンガ造りの時計塔を見上げる。日陰になっている壁の色は、まるで夜闇のようにひどく黒い。


「犯人にとって必要だったのは、なによりもまずアリバイ。その為に犯人は、偽の犯人にでっちあげられる人材と、偽の事件現場を用意する必要があった。偽の犯人は、おそらくすぐに見つかったのでしょうね。ナタリー先生からストーカーについて、たびたび相談を受けていたはずだから」


 ポーラに説明しながら、私は時計塔の扉を開けた。硬く錆びた音と共に重厚な扉は開き、中からかすかに油の匂いが漂う。私はポーラと頷き合い、未知の領域の中に足を踏み入れた。


「けれど問題は現場の方だった。アリバイを手に入れるには半端な仕掛けではいけない。万が一ストーカーが真犯人ではないとばれた時でも、自分にまで疑惑が及ばないようにしたい……そう犯人は考えたんでしょう。そこで犯人が思いついたのが、狂気を演出する事で意識を屋上にくぎ付けにさせる事だった」


 湿った空気の漂う暗い中を、上の方から漏れる光に向かって進む。一歩進む毎に、硬質な音が辺りに響く。


「屋上が犯行現場であるなら、真犯人一人だけじゃなく、当時校内にいた人間の複数が怪しいという方向に仕向けられる。魔法を使えばトリックの補助が出来るのは誰にも当てはまるから。それに狂気的な犯行という事にしてしまえば、警察はストーカー以上にもっと邪悪な殺人鬼の方に意識を向ける可能性が高い。なにせ今、世間をちょうど震わせる殺人鬼が跋扈しているのだから」


 そこまで語ったところで、ちょうど私達は開けた踊り場のようなフロアに着いた。上の方――おそらくは時計盤のある位置だろう――から差し込む光によって、辺りはほのかに明るく照らされている。

 そして、その光の中に――彼女は、いた。


「……えっ? な、なんで?」


 ポーラの戸惑う言葉に、けれど彼女は何も答えず、微動だにしない。私は静かにポーラの前に立った。


「『バートリーⅡ世』が暴れ回っている今、それに倣って大量の血を用いた現場を作れば。誰でも少なからずそちらの方に意識が向き、現場の事よりも殺人鬼との関連性を注視するだろう……本当の現場である、この時計塔の事よりも。実際、あの屋上の血みどろの光景は、極めて効果的だった。マイヤーさんこそ若干訝しんではいたけれど、それ以外――私達は引っかかってしまっていた。屋上で事件が起きたと信じて疑わなかった……まさにあなたの思惑通りだった訳です。そうでしょう?

   ――メイスン・オーリタリア先生」


 そこまで言い終えた時、ようやく光の中に佇んでいた人影が動いた。硬い足音を一つ響かせ、彼女は――メイスン先生は奇妙に口角を歪ませた。


「意外ねぇ……あなたって、そんなに利発的に喋るような子だったかしら? 随分と印象が変わりましたよ、ノエルさん」

「私も先生がそんなに不気味な人だったなんて思いもしませんでした」


 私の買い言葉に対して、メイスン先生はくすくすと笑う。その穏やかな仕草は、普段の授業中の彼女とまるで変わらない。まるで。そして先生はどこかわざとらしく小首をかしげた。


「でも、ノエルさん? あなたはどうやら、ナタリー先生が屋上ではなく、ここから落とされたものと考えているようですけれど。先生が落ちてきたあの時、私は校舎の二階を見回りしていたわ。屋上からならまだ、頑張って走れば私でも落としに行けるでしょうけど、さすがにこの高い塔までは……ねぇ? 私の体力では、落としてからまた二階まで誰にも気づかれないように駆け戻るなんて、とてもできないわ」

「確かに仰る通りです。現に私達も、あの日あなたが校舎西棟の二階にいた所を見ています。そしてその後に、ナタリー先生が降ってきた事も覚えている。警察にもそう証言しましたから。でも……」


 そこで言葉を区切り、左手を自分の胸の前にかざす。そして、掌の上に一つ、風の球を魔法で生み出した。


「だからこそ。あなたが二階に居たからこそ。おそらくは時計盤に括り付けていたのだろうナタリー先生を落とす事が可能だったんです」

「そっか……風の魔法」

「ナタリー先生の遺体が降ってくる直前、私は一つ違和感を覚えていた。それは風……この校舎の構造上、西棟の方を向いていた私達の真正面に強風が吹きつけてくるのは奇妙なんです。それでもあの時は、その事をさほど気にしてはいなかった。それどころじゃありませんでしたからね。けれど、あの風こそがあなたの切り札だった。あの風を起こした魔法で、あなたは時計盤上のナタリー先生を飛ばしたんです。全身の血液を抜かれて軽くなっていた彼女の体は、実に簡単に飛ばせた事でしょう」

「……そうねぇ。確かに魔法を使えば可能かもしれないわね。でも」


 メイスン先生は変わらず薄い笑みを浮かべたまま、なおも反論を返す。


「その理論で言えば私だけではなく、クラリネ先生や、当時西棟にいた他の人にも出来るんじゃないですか? 魔法を使えるのは私だけではないですものねぇ」

「クラリネ先生は当時西棟の南端である理科室にいました。そこの窓からは時計塔を見る事はできない。見えない場所からでは正確に魔法をナタリー先生の所に放つ事は出来ません。余程訓練を積んだ軍隊の人などならともかく……一方でメイスン先生がいたのは職員室。私もついさっき直接確かめてきましたが……職員室の窓からは、実によく時計塔が見えましたよ。それこそ、誰にでも時計塔を魔法で狙い撃ちできるくらいには」

「……………」


 ようやく、メイスン先生の顔から笑みが引いた。けれど、焦っているような様子も見えない。鉄のように硬い無表情な顔で私を見つめていた。けれど、やがて。

「……まあ、ここまで来られた時点で、トリックが見破られている事は分かっていたわ。()()()にもばれてしまっていたくらいだから、他にも気付いている人がいても当然よね」


 短いため息と共に、彼女は沈痛な面持ちでそう言った。その表情は一体、何に対しての反省なのか。それをこちらからうかがい知る事はできない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ