幕間『裏』
「ルーラーさん、今日は本当にお世話になりました」
喫茶店を出てすぐ、ノエルはあたしに深々と頭を下げてきた。全く律儀な子だことで。あたしは「いいんだよ」、と軽く手を振る。
「かわいい妹分とその友達が困ってるってんじゃあ、ほってはおけないさね。礼を言われるほどの事じゃないよ」
「あはは、ルーラー姐ならそう言うと思ったよ」
「そりゃああたしは気風の良い姐さんで知り合いの間じゃ通ってるからねえ。当たり前さね」
「はいはい。でも、なんだか安心したよ。久々に会えたけど、昔の頃とほとんど変わってないんだもん」
「……そうかい?」
ニヒルに笑みを浮かべ、にこやかに笑うポーラの瞳をじっと見据える。
「数年ありゃ、人間はかなり変わるもんだよ。特にほら、大人の色気ってやつがね」
「ふーん。でもさ、ルーラー姐? そういう割には」
と、この妹分は何故かあたしとノエルとを見比べる。そして、顔から少し下、特にある一点に注目しながらこう続けた。
「ノエルと違ってあんまり立派に育ってないよねーって、」
「あぁん?」
渾身の力を右手に込め、むんずと生意気な妹分の頭を掴む。
「あだだだだ! ちょ、ルーラー姐待った! 本気は駄目だって痛い!」
「今のはポーラが悪いわよ……」
「な、なんだよう。思ったことも素直に言えないこんな世の中じゃ」
「世の中にゃ言って良い事と悪い事があるんだよ……さて」
あたしはポーラの頭から手を放して、腕時計を見る。短針はすでに四時のところを過ぎていた。思っていたより長居しすぎちまっていたらしい。
「騒ぎの真っただ中にいると時間の流れも速いねえ。そろそろお暇させてもらうよ。あんた達だって疲れ切ってることだろう?」
「そうですね……それじゃあ」
「お別れ、だね。ルーラー姐。また会えるかな?」
「何しんみりしてんのさ。いつだって会えるさね、暇な時なら」
少し表情の曇ったポーラにあっけらかんとした笑みを向けてやると、ポーラは笑顔に戻った。寂しがりな性格は相も変わらず、か。
「んじゃあね、二人とも。ノエル、ポーラの子守りは頼んだよ」
「はい、今日は本当にありがとうございましたっ」
ぺこりと頭を下げるノエルと、元気に手を振ってくるポーラに別れを告げ、あたしはセンター街とは真逆の裏路地に向かって歩き出す。ふと空を見上げてみれば、丁度カラスの群れが西へ向かって飛んでいた。
「……しっかし驚いたねえ。偶然の出会いとはいえ、思わぬ収穫だったよ」
すっかり人通りもなくなった薄暗い道を行きながら、そう独り言ちる。
思わぬ収穫。まさかポーラの友達に、あんなにも名探偵の素質がある子がいただなんて、あたしは勿論、あの子にもおそらく予想できなかった事だろう。例の女学院で事件が起きた後に現れた、まさかのダークホース。あの子に伝えない訳にはいかなさそうだ。
自然と、昏い笑みが零れる。全く、いい年こいた大人のくせして、なんだってこうも悪だくみする事を愉しめてしまうんだか。そう思いながら、裏路地の更に奥へ進む。周りの高い壁に空を遮られた小道は、まだ夜でもないのにひどく仄暗い。
そしてそこに――壁の面に沿って雑に積まれた木箱の上に、その子は悠然と腰かけていた。暗がりに溶け込む黒い色合いの姿は、まさに夜の女といったところか。もっともこの子の内面は、夜の闇なんて目じゃないくらいに黒いのだが。
「おや? どうしたんだい、ルーラー。やけに嬉しそうじゃないか?」
「ははっ、そりゃあねえ」
あたしは彼女の前で立ち止まり、その隠された素顔ににっこりと笑いかける。
「あんたの仕掛ける悪戯の主役に相応しいダークホースと、つい今しがた出会ったんだよ」
「ほう……それは面白い報せだね」
顔の上半分を仮面で隠していても隠せ切れないほど、彼女の顔は喜びで満ちていた。そういう反応をしてもらえると、こちらも話す甲斐があるというものだ。
「どうするね、あんた? 悪戯のやり口を今からでも変えるかい」
「いや、変更する必要はないよ。ただ、君の出会ったという期待の新人には、一度は会っておかないといけないけれどね」
するりと滑るように木箱から降りて。彼女は愛用のチェスの駒で、こん、と仮面を叩いた。
「早く帰ろう、ルーラー。是非ともそのダークホースの話を聞きたい」
「はいはい、仰せのままに。あたしの可愛い可愛いお姫様」
少し気障っぽく言ってやると、彼女は――クチナシは、白い仮面の奥で小さく照れ笑いしていた。