表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偶像の定理  作者: 御冬夏夜
13/43

はばたく花嫁 ⑪

「資料……お借りしても?」


 若干の声の震えを自覚しながらも、ベイカーさんにそう尋ねる。彼女が頷いたのを見てから、まず左端に置かれた校長先生の資料から手に取る。

 ざっと見たところ、校長先生は事件前、一人校長室にいたようだ。そして校内で騒ぎが起こった頃、教頭先生から報告を受けて校舎の見回りに向かい、西棟から東棟まで一通り巡ったのが五時半前。ナタリー先生の遺体が降ってきた時は東棟の二階にいたそうだ。

 次にメイスン先生について。彼女は当時西棟一階の音楽室で、翌日の授業の準備をしていた最中だったようだ。その後、廊下がざわついているのに気付き、西棟にまだ生徒が残っていないか見回りに出た。それが大体五時前頃の事。そして誰も残っていない事を確認したのち、改めて事態をナタリー先生に報告するため職員室を訪れた。けれど職員室には誰もいなかったので、どこに行ったのか捜しに行こうとした時、外の騒ぎは起こった――そこで供述内容は終わっている。

 最後にクラリネ先生について。彼女は誰よりも先に教頭先生から不審者の報告を受け、急いで部活動生に帰宅を呼びかけた。その姿は私達も目撃している。その後は校内をぐるっと回り、まだ残っていた生徒達に帰宅するよう促し、ほとんどが帰った事を確認すると、残りは他の先生に任せて大丈夫だろうと考え、一人で西棟二階の南端、理科室に戻ったそうだ。それが大体四時四十分頃の事。それからは事件が起きるまで、ずっと理科室で作業をしていたという。

そして、三人ともに共通している事。それは、誰とも会っていない、アリバイの全くない空白の時間があるという事だった。


「……ありがとうございました」


 一通り書類を読み終えて、私は軽く天井を見上げ、小さく息を吐いた。


「三人とも、短くても三十分以上は誰とも会ってない時間があるね」


 横からのぞき込む形で資料を見ていたポーラの呟きに、私も頷く。三十分以上の空白の時間……さらに言えば、この三人共に居たのは校舎の西棟側だ。あの惨状を作り上げ、ナタリー先生の遺体を屋上から突き落とした後、素知らぬ顔で日常に戻るまでに、さほど時間もかからないだろう。特に理科室は三階に向かう階段のすぐ隣にある。


「時間的に見れば、この三人の中の誰でも、十分に事件を起こす余裕はありそう。だけど……」

「決定的な証拠がない。三名共にアリバイもないが、犯行を裏付ける証拠もないんだ。魔法を使えば大体の証拠を隠す事はできるしな。もっとも、その魔法を使った痕跡、それ自体が証拠となる事も多いが。今回はな……」

「他に妙な点はありませんでしたか?」


 資料をしまった後、ベイカーさんは手帳をめくりながら、しばらく沈黙する。そして、手帳を数ページめくった所で、彼女は手を止めた。


「ああ、そうだ。ナタリー氏の当日の行動についてなんだが」

「ナタリー先生の、ですか?」

「ああ。これは学院の生徒――ミーシャ・オーネス君という子だ――からの証言でな。騒ぎが始まる数分前に、生徒会がまとめた資料を、彼女は一人で職員室まで運びに行っていたそうでな。それでその時、たまたま彼女は見かけたそうなんだ。下の階へ一人降りて行くナタリー氏の後ろ姿を」

「騒ぎの前……つまり四時半頃まではまだ先生は生きていた、という事でしょうか」

「でもそれは別に妙な事でもないような?」

「そう、ポーラ君の言うように、最初は我々もそう思ったんだがな……その後が問題なんだ。というのも、その時間帯にナタリー氏の姿を一階で見た、という目撃者が()()()()()()()()んだ。まだ騒ぎが起こる前だから、たくさん生徒達がいただろうにも関わらず、だ」

「それは……確かにおかしいですね」


 犯人が人目を憚って行動し、誰にも見られていないというのなら分かる。けれど、被害者側の人間が人目につく場所に向かって、それなのに誰からも見られていないというのは奇妙だ。それにもっと言うなら。


「ストーカーの証言を真に受けるなら、ナタリー先生はストーカーとの決着を望んでいたはずです。なのにどうして彼女は屋上ではなく、逆に一階の方へ降りていったのでしょうか?」

「そうだな。そこも矛盾している。もし誰かに助けを求めにいったとしたなら、なおの事人目につかないとおかしいしな」


 行動の矛盾。状況の矛盾。そこには一体どういう理由があるのか。その裏に、何の関連があるのか――


「……まさか」


 一つの可能性に思考が行き着いた、その時だった。


「ベイカー警部ッ! 休憩中申し訳ないが緊急事態です!」


 血相を変えて喫茶店に駆け込んできたのはマイヤーさんだった。彼女は驚いている私達を一瞥し、軽く頭を下げる。


「ああすみませんお二人とも、ご一緒だったんですね。驚かせてしまったようで」

「あっ、いえ、大丈夫ですよ。それよりも、何かあったんですか? よっぽどの事が……」

「ええ、一大事でしてね。それが……」


 と、そこで彼女は言葉を区切る。その視線はベイカーさんの隣――所在なさげに窓から外を眺めるルーラーさんの方に向けられていた。その意図を察してか、ベイカーさんは大丈夫だ、と頷く。


「それで、どうした」

「単刀直入に。()の『血のハート』が現れました」


 直後、ベイカーさんは跳ね上がるようにして席から立った。


「また来たのか! 奴の、『バートリーⅡ世』の犯行予告が!」

「……ええ。全く忌々しい話ですが」

「くっ……冗談じゃないぞ」

 

 ベイカーさんは店内である事も憚らず声を荒げ、そしてマイヤーさんは苦虫を嚙み潰したような表情で頷く。

 血のハート……その存在は、私も話に聞いた事があった。殺人鬼『バートリーⅡ世』は犯行の四日前に、必ず印を近くに記すのだそうだ。それが『血のハート』。前の犠牲者の血を用いて、わざとらしいほど愛らしいハートのマークをどこか人目に付く所に書き記していく。それから四日後の惨劇を予告する印として。


「それで、今度はどこにあった。ここから近いのか?」


 やや落ち着きの戻った声で、ベイカーさんがそう尋ねる。するとマイヤーさんはどこか困ったような顔をして答えた。


「近い、とも言えるんですかね……印自体がこちらに()()()()()()()()訳ですし」

「なに? 近寄る?」

「今回は奴も妙に趣向を凝らしてきましてね。センター街を歩いていた一般男性の背中に、『血のハート』が記されていたんですよ」


 その言葉に、ベイカーさんよりも先にポーラが驚きの声を上げた。


「ええ!? いやいやだって、普通気付くでしょ? そんな事されたら」

「まあ、普通ならそのはずなんですがね。しかし、そんな悪戯を当人にも気付かせないからこそ、奴は今まで誰にも捕らわれる事なく犯行を重ね続けている、という訳でして……不甲斐ない限りですが」

「そうだな……全く、奴はこちらを休ませるつもりなどないらしい」


 ベイカーさんはかぶりを振って、深い深いため息をついた。


「やれやれ、こんな時に限って……すまんノエルちゃん、できればもう少し色々と話せたら良かったんだが」

「そうですね。でも、例の殺人鬼が出てしまったのなら仕方ないですよね」

「そう言ってもらえると助かるよ。さてと……マイヤー君」

「ええ、彼の元に案内します。皆さんも、本日はお騒がせしました」


 マイヤーさんの後に続いて、ベイカーさんも足早に喫茶店を後にした。その後ろ姿は気のせいか、小さく見えた。


「はー、やれやれ。戦場でもないってのに物騒なモンだねえ」


 店のドアの閉まる音がしてからしばらくして、ルーラーさんは頬杖をつく。それに対し、ポーラも全くだよ、とうなだれていた。


「あんたも十分に気を付けるんだよ、ノエル。聞いた話じゃ、その例の殺人鬼、やたらと美人ばかり狙ってんだろう? ポーラはまあ、あたしが昔鍛えてやったから、まだ自分の身は守れるだろうけどねえ。くれぐれも、一人っきりでぼけっと出歩いたりするんじゃないよ」

「それはもう、身に染みて分かっています」

 

 つい先ほど、ぼーっとしていたところをひったくりに遭ったばかりだ。用心を怠ればどうなるか、実体験で学んでしまった。口に含んだ水の味が妙に苦い。


「さて。それじゃあたしはそろそろお暇させてもらおうかねえ。変わり者の恋人にも、気を付けとくよう言っとかないといけないしねえ」


 ルーラーさんはさらりとそう言って、街中の方に視線を向けた。


「お付き合いしている方がいらっしゃったんですね?」

「まあ、人並みにはね。といっても、こいつがまた変わり者なんだよ。可愛げはある子なんだけどさ。まあ年がら年中いっつも小難しい……なんだいポーラ、妙な顔して」


 彼女の言う通り、ポーラは苦笑いするのに失敗した表情、とでもいうのだろうか、とにかくそんな変な顔をしていた。


「いや、だってさ、ルーラー姐……昔っから女の子にばっかり声かけてたじゃん。もしかしてだけどその恋人さんって」

「人の数だけ愛の数はあるんだよ」


 どこか誇らしげに言い切るルーラーさん。その力強さは美しくさえあった。


「うん、まあその通りなんだろうけど。ルーラー姐って、やたら年下の子にばっか声かけてたし、まさか未成、」

「さーてそろそろお会計といこうかねえ。ま、そんなに大したもんは食っちゃいないけど」


 あまりにも豪快にそっぽを向いて立ち上がる彼女に、私とポーラはただ不安げな視線を向ける事しかできない。当の彼女はそんな背中に刺さる視線の事など気にも留めず、すたすたとカウンターに歩いていく。


「……ポーラ、あまり深くは考えないようにしましょう」


 自分にも言い聞かせるようにそう呟いて。私もルーラーさんの元へ向かったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ