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偶像の定理  作者: 御冬夏夜
11/43

はばたく花嫁 ⑨

「おっ、案外早かったじゃないのさ」


 三十分ほど経った後。私とポーラは警察への事情説明を終えて、ルーラーさんが待つ喫茶店に来ていた。彼女は煙管の先から灰色の煙をくゆらせ、にんまりと笑う。私達も彼女の待つ窓際の席に合流した。


「ともかくお疲れさん。何か飲むかい? あたしが奢るよ」

「そ、そんな、悪いですよ。助けていただいた上にそこまで」

「子どもが変に遠慮しなくっていいんだよ。こういう時ぁなおさらさね」

「……そうですね。ありがとうございます」

「でもさ、ルーラー姐」


 私がメニューを手に取ろうとしたところで、ポーラが不安げな表情を浮かべた。


「お金、大丈夫なの? 確かさっき言ってたけど、ルーラー姐の今の仕事って、平和活動家? なんでしょ?」

「ああー…………………」


 ルーラーさんは腕を組むと、おもむろに天井を仰ぎ見た。それから、たっぷりと間を置いて。


「まあ、なんとかなるさね。大丈夫大丈夫」


 その言葉は返事というより、自分自身に言い聞かせているもののように聞こえたのは気のせいだろうか。それを見てか、ポーラは慌てて話題を変えた。


「そ、それにしてもさ、ビックリしたよ。あのやんちゃな暴れん坊ってイメージしかなかったルーラー姐が、今は平和活動だなんてやってるなんてさ。落ち着いた仕事より、傭兵とかの方が性に合ってそうだけど」

「……そう思うかい?」


 どこか含みのある言葉。けれどルーラーさんはその先の言葉を続けず、前に置かれたコーヒーを口にした。それから苦い表情を浮かべる。


「ま、26年も生きてくるとねえ。色々な建前の使い方が上手くなるもんなんだよ。あんた達もいつか分かるよ」

「建前って。平和に対する信念とかがあるから、わざわざ傭兵から活動家に転身したんじゃないの?」

「信念? 信条? んなもん持っちゃいないよあたしゃ。信念、信条っていう『道具』なら、腐るほど持ち歩いてるけどねえ」


 醒めた言葉。彼女の瞳はただ壁の向こうに投げかけられ、虚空をさまよっていた。橙色に澄んだ目には、色のないアラベスク模様の壁紙だけが映っていた。


「……ルーラー姐」

「ん? ああ、別にやさぐれてる訳じゃないよ? まあなりたての頃は、戦場よりもえぐい現実の醜さを始めて見せつけられたもんだから、それなりに酷かったと思うが……やっぱ出会いってのは大事さね。ポーラ、あんたもいい相手見つけるんだよ、ちゃんと」

「出会いかぁ、うーん……ボクにはまだよく分かんないや」

「おいおい、恋話ざかりのお年頃じゃないのかい、あんた。ノエルも何か言ってやってくれよ」

「あはは……ポーラはまだ恋より部活が大事って感じみたいで」

「やれやれ。まあそれも青春かね」


 ルーラーさんがあくび混じりに呟いたちょうどその時、店の奥からウェイターの人がこちらにやってきた。私はとりあえず、とココアを注文し、ポーラはレモンティーを頼んだ。


「あんたら、それだけでいいのかい? 遠慮しなくていいって言ったろう?」

「今はあまり、何か食べたいという気分じゃなくて。ついさっきあんな事に巻き込まれたばかりですから」


 実際、私もポーラもあのひったくり騒動のせいで、食欲はすっかり吹き飛んでしまっていた。ルーラーさんも納得してくれたようで、その二つで、とウェイターさんに小さく頷いた。


「にしても、あんたらも災難続きで大変だねえ、ほんと」


 ウェイターさんが去った後、ルーラーさんは神妙な顔でそう話を切り出した。


「ほら、ニュースにもなってる例の事件だよ。ノースヤードの学院の先生が、なにやら凄い殺され方してたってやつ。あんた達、その第一発見者なんだろう? 新聞にも載ってたよ」

「……ええ」

「ついてないねぇ……一週間もしないってうちに二度も事件に巻き込まれちまうなんざ、普通は滅多にないもんだろう。推理小説にでるような名探偵様ならともかく」

「あはは……そうですね」


 肩を竦めて皮肉を言うルーラーさんに、私は思わず苦笑する。全く彼女の言う通りで、当たる確率が限りなく低いだろう事態に立て続けに巻き込まれる、というのは果たして運が良いのか悪いのか。


「でもまあ、案外あっさり殺人犯は捕まったっていうじゃないか。そこだけは不幸中の幸い、ってところかねえ。おっかない殺人鬼なんざ、『バートリーⅡ世』だけでもう腹一杯だからねえ」


 ルーラーさんのため息交じりの言葉に、けれど私は何も返せなかった。現場の光景、鮮烈な朱色、そしてむず痒い違和感。それらが喉につかえているようで。とはいえ、ここでそんな事を言っても仕方がない。だからこの話はこれで流してしまおう。そう考えていたのだけれど。


「それがね、ルーラー姐」


 と、ポーラがいらない横槍を入れてきた。


「どうもノエルは、今捕まってるそいつが犯人じゃないって考えてるみたいなんだよ」

「ちょ、ちょっとポーラ、その話は、」

「へえ? なんだいなんだい、素人探偵ショーってやつかい? いいねえ、面白そうじゃないのさ。あたしゃそういうの結構好きなんだよ」

 

 私が話を遮ろうとしたときにはもう遅く。ルーラーさんは実に興味津々といった笑顔をこちらに向けていた。


「で、あんたは一体どういう推理してるんだい? 是非とも聞かせとくれよ。なあにざっくりとしたもんで構わないからさ」

「……ポーラ~」

「あはは、ごめんごめん。まさかルーラー姐がこんなに食いつくなんて思ってなくてさ」

「もう……おふざけでしていい話じゃないのよ?」


 困った事になってしまった。ルーラーさんからの期待の眼差しは鋭い。おそらく下手に誤魔化しても逃がしてはくれなさそうだ。かといってあの現場での出来事をそのまま言える訳もない。どうしようか……そう、悩んでいた時だった。


「お? 奇遇だな、ノエルちゃんにポーラちゃん」


 声のした方に振り向いてみれば、そこには気さくに手を振るベイカーさんの姿があった。


「ベイカーさん、今日はどうしてこちらに?」

「なに、ちょっとしたパトロールだよ。最近ここらもなにかと物騒だろう」

「全くですね……」


 ポーラの頷きに合わせて、私も無意識の内にため息をついていた。ついさっき、まさしく物騒な目に遭ってしまった訳だから、感慨もひとしおだ。そんな私達の複雑な感情をよそに、今度はルーラーさんが口を開いた。


「へえ、刑事さんに知り合いがいるのかい、あんた達。こりゃあいよいよ、推理小説の探偵らしくなってきたじゃないのさ」

「……ノエルちゃん、こちらの方は?」


 ベイカーさんは――おそらく目に映る至る所に刻まれた傷痕を見たからだろう――表情を若干硬くして、私にそう尋ねてきた。私はルーラーさんの名前と経歴をざっと紹介した。


「元傭兵で、現平和活動家? なんだかまた、奇抜な生き方を……」


 案の定というか、ベイカーさんも私達と同じように戸惑いの表情を隠せなかった。それを見たルーラーさんは小さく笑う。


「ま、いいじゃないのさ。人生色々、十人十色さね。それにさ……実体験があるぶん、あたしの言葉はそこいらの綺麗事しか言えないエセ活動家連中と比べて、重みが違うよ?」

「……それは間違いないですね」


 ベイカーさんは大きく頷くと、「失礼」、とルーラーさんの隣の席に座った。と同時にルーラーさんの視線が前を向く。

「さて、それよりもだ。こうして役者も揃ったんだ、そろそろ始めちゃくれないかい? ノエル」

「は、はい?」

「すっとぼけなくたっていいよ。あんたの推理ショー、聞かせてくれるんだろう?」

「ちょっと待て、どういう事だノエルちゃん」


 当然ながらベイカーさんの顔色が渋いものに変わった。事件の情報は機密のものに違いないから、それを勝手に外で話されようものなら、たまったものではないのだろう。けれど私だってこんな話の流れにしたかった訳ではない。


「何も事件の事は話してません。ただ、私達が事件の第一発見者だという事で、ルーラーさんが興味を持たれて、それでポーラが……その」

「そりゃあねえ。一応犯人として捕まってる奴が、もしかしたら犯人じゃないかもしれない、だなんて話を聞かされちゃあ、ねぇ? 気にもなるさね。それが人情ってもんだろう?」


 ルーラーさんは実に堂々と開き直った。すぐ隣に、現役の警部が険しい顔をして腕を組んでいるというのに。さすが戦場を渡り歩いてきただけあって度胸が違う。感心している場合ではないけれど。


「あまり感心できませんね、そういうゴシップのノリで事件の話をするのは」


 ベイカーさんは低い声でそうたしなめて、「しかし、」と私の方に真剣な眼差しを向けてきた。


「状況としては……ノエルちゃん。本来なら目撃者とはいえ部外者である君に、それでもある程度は話す必要が出てきてるんだ」

「……それって」

「君の言った通り、あの事件は違和感だらけだったって事だ」


 言葉が続くにつれて、彼女の眉間の皺が深くなっていく。さすがにルーラーさんも茶化す気にはなれないらしく、静かに次の言葉を待っていた。そこへ、ウェイターの人が私達の頼んだ飲み物を持ってきてくれた。その人がカウンターの奥に戻っていってから、改めてベイカーさんは話を切り出した。

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