第十八話 迷いの森のお客様
迷いの森の主、双樹の樹精フォレとシルウァの二人の加護がどんなものなのかは、本当に曖昧でよくは分からなかったけれど一つだけ分かりやすいものがあった。
迷いの森で迷わなくなるという加護だ。
スーオちゃんに聞いていたけれど、狩人たちは獲物を追うためだったら迷わないようになっているけど、不用意な場所には近づかないようにされているらしい。
つまりフリーパスみたいなもんかな?
危ない場所には近付けないようにあらかじめされているようなものだと言われた。
そして私はもちろん行ってみたかった森の中で散歩をしているわけです。森の中にしか生えない薬草があって、それが欲しいって頼まれたのもある。というか森の中に入りたい私に、渋々森の中へ入るための頼みごとを探してくれた感じはする。宗一郎が。
そう。今日は宗一郎は傍にいない。実は今までは私が勝手に森に入ったりするのを防ぐために内緒にしていたらしいのだが、宗一郎はいつも森であの二人に力の使い方を教わっていたらしい。あちらの世界では必要なかった力や忘れてしまったことを思い出すために、ということみたい。
《王はオプスキュリテ一筋ですからご安心くださいませね》
《わたくしたち、昔はずっといっしょだったんです。王が育っていくのを間近で見ていたので、人の言葉で言えば家族みたいなものなんですよ》
ちょっと焼きもちを焼いていたのもすぐに見抜かれてしまった。だってさーぼんきゅぼんなんだもん。あんな絶世の美女ふたりに囲まれて何もないってどういうことなの。
「まぁ、でも、私の恋人だもんね」
口にしてみるとやっぱり照れくさい。何だろうなぁ。こそばゆい? 恋人になったっていっても、本当に何も変わらないようにしてくれているから、どうしたらいいのか分からない。
「……難しい。あ、この辺りかな」
少し開けた草原みたいなところを歩く。膝ぐらいまでの高さの草を掻き分けつつ描いてもらった絵姿を見ながら薬草を探していると、急にスカートの裾がぐんっと引っ張られた。
何かに引っ掛けたのかと思って振り返ると、そのスカートの裾のところに人間の手が見える。
「ひぇっ」
女子にあるまじき声が出た。ていうかキャーとか出ないって咄嗟の時って。
「……か、……った」
か細い声が聞こえた。恐る恐る足元を薄目をこらしながら見ると金髪の青年が行き倒れていた。
「えぇっ? ちょ、ちょっと、あの、大丈夫、ですか?」
聞き方がものすごく日本人だなーと心の中で苦笑しながら、そーっとスカートの裾からその手をどかそうとした。瞬間、がばっと彼は飛び起きて私の両手をがっしりと握った。お祈りするみたいなポーズで。
「ひぇっ?!」
本日二回目のひぇっが出ました。そうそう出ないよねー。レアだよねー。
「おなか、へった」
そう告げると同時に彼のお腹はぐーきゅるきゅるーと盛大な音を立てた。
私はびっくりして怖かった気持ちなんて忘れてなんだか笑ってしまっていた。おなかへった、って。
きらきらとした新緑の若葉のようなエメラルドグリーンの瞳にじっと見つめられて、思わず目を逸らしたくなった。なんだろうなぁ。これ、前にもこんなのなかった?
「え、と、サンドイッチなら、あるよ? 食べる?」
ひとまずごはんで釣ろうと思います。イケメンと至近距離でこんなにやり取りするのって、あんまりないからドキドキしちゃう。宗一郎は別格だからね。ずっといっしょだったから免疫があるというか、なんというか。
私のごはんで釣る作戦は功を奏したようで、見ず知らずのイケメンは私の手から両手を離してくれた。
ひとまず、一安心。
このままここで食べるのはちょっと食べづらそうだったので、私たちは森の際にある木陰へと移動することにした。
「ごはんをありがとう。腹ペコで本当に死ぬかと思った」
私はあなたに出会ったときにものすごーくびっくりして心臓止まるかと思いましたよ? まぁ、言わないけど。
「俺はジュード。獣人の村を目指してたんだけど、森で迷っちゃってさ。途中のどこかで食料調達しようかと思ってたけど忘れてて行き倒れてたってところ。君がいてくれてよかったよ。ほんと助かった。命の恩人だね」
私が一言も口を出さないままにジュードはすごい勢いで言葉を並べ立てていく。
その中で、私はちょっと気になるところがあった。獣人の村って言った? あそこは隠れ里なのと迷いの森のせいで近づけないようになっているのに、獣人の村があるって知ってるのは胡散臭い。人懐っこい笑みを浮かべているけど、用心に越したことはない。というか人間を見たら疑ってかかれと皆から口を酸っぱくして言われているのだ。
とりあえず、私からは何も話さない作戦でいこうと思う。
にこにこと何かを話せと言わんばかりのジュードの顔を見ていると、ノーと言えない日本人としては口を割ってしまいそうになるけど、ここは我慢。ていうかやっぱり一人で出歩くのやめておけばよかったかなぁ。
「吟遊詩人の歌を聞いたんだ。金色の獣が現れたって聞いた。一目見てみたくて、絶対たどり着けないのは分かっているのに、森に足を踏み入れてしまった」
それで行き倒れたんだけど、とジュードは肩をすくめる。俺は怪しくないよって言いたげに。
いや、もうそれがすごく怪しいんだけど。昔から押し売りにやってくるセールスマンはいかつい人よりも人懐っこそうな柔和な雰囲気の人の方が断りづらかったりしたものだ。
「でも、君に会えたからいいかな。お嬢さん。また会える?」
聞かれてげげっと思ってしまった。こういうのは苦手。本当に苦手。
宗一郎は呼んだら来てくれそうな気がするけど、ここで頼りたくない気もするし、頭の中がぐるぐるする。
「今度はおいしいパンのお礼に、都で評判の甘いお菓子でも持ってくるよ。とりあえず、今日は撤退」
そう言って、ひとりで喋るだけ喋ってジュードは行ってしまった。
何だか嵐みたいな人。
私は空になったバスケットに薬草を詰め込んで、来た道を引き返すことにした。
そしてうっかり忘れてしまったのだ。彼に会ったことを。
それがまさか、あんな大変なことになるなんて、思いもよらずに……。
ジュードくんはちょっとチャラい。喋るだけ喋っていなくなりました。
果たして彼は何者なのか。少しずつ、人間の影が隠れ里に忍び寄ってきます。