第十四話 収穫祭の前のはじまりの歌
森の中を宗一郎はまっすぐまったく迷わずに進んでいく。走っていくスピードは自転車くらいなんじゃなかろうか? 大事に抱きかかえられているおかげなのか、揺れが少ないのは助かる。
よくよく見ていると何故か宗一郎が通る時だけ進路を妨害しないように樹々がよけていく。本当に人じゃないんだな、なんて改めて思ったけど、宗一郎は宗一郎だし別の何かになったわけじゃないし……ない、よね?
「ソウ様! ミーユ様も!」
レアータさんの声が聞こえて宗一郎の腕の中から振り返った。
そこは、戦場だった。
映画とかで見たような血生臭いその場所は、確かに自分が今までの平和な世界から全然別のところに来てしまったのだと思い出させるには十分だった。地面に寝転がった人々は一様に傷ついている。
ざわざわとした声は怒号でもありはっきりとした言葉は聞き取りづらい。痛いとか、苦しいとか、熱いとかも聞こえる。
瞬間、背中をぞわっと悪寒が駆け上った。
ここは、私の知る世界ではない。ここは、優しい世界などでは、ありえない。
「みゆ姉」
そっと草地の上に私を下ろして、ぎゅっと宗一郎が私を抱きしめる。いつの間にか手が震えている。体も震えていたようだ。
「ごめん」
謝られてもどうしようもない。覚悟が、こんなに薄っぺらかったのかと、自分に絶望しているのは私だ。だってこんなのは知らない。こんな一方的な暴力を振るわれるような場面に実際出くわしたことなんて、今まで生きてきて一度もなかったのだ。
「アドウェルサが来るぞ!!」
どどど、と樹々をなぎ倒してやってくる大きな足音が聞こえる。宗一郎を見上げると、彼はじっと前を見据えていた。決してそれを見落とすまいとしているように見えた。
「こんな状況だけど、歌ってほしい」
宗一郎は告げる。私はごくんと生唾を飲み込んだ。
「あの子を救ってあげたいんだ」
そう言って私の手を握る。つい、と前に差し出すように伸ばされた先には小山のような体躯のイノシシのようなものの姿が遠くに見えた。黒いもやを纏ったその姿はまさに化け物。足元から草木が腐り落ちていくのが見えて瘴気を放っているのが分かる。
「俺に聞こえているものを、みゆ姉にも」
「え?」
声はかすかだった。遠くて、すごく遠くて、かすかだった。
でも、意味は聞き取れた。
《……て……たす……たすけ…て……》
何度も何度も瞬きをする。声は、確かに助けを求めている。
もう一度宗一郎を見上げると、彼は悲しそうな顔をしていた。
「澱んで歪んでしまった生き物は、澱んでいない歪んでいない生き物を襲う。少しでも自分の歪みを他に移そうとして」
「……どうしたら、いいの?」
「みゆ姉がしたいように歌ってくれたらいい。そうじゃないと歌の意味がないんだ」
全部丸投げされた気がして、どうしたらいいのか一瞬迷ったけれど。
「……♪~お願い~誰も~傷つかないで~」
狩猟用の武器を構えていた人たちが私と宗一郎を振り返るのが分かる。誰も傷つかないで、と私が歌ったから、アドウェルサと呼ばれた化け物から傷つけられることも、逆もなくなったはずだ。
「♪~どうか、もう、誰も♪~苦しい思いをしないで~♪」
宗一郎が私の手を引っ張って、後ろから抱きしめるようにして抱きかかえてくれた。そのまま、お姫様抱っこのまま、一歩一歩アドウェルサへと近づいていく。
アドウェルサは血だらけだったけど、それは返り血なのか彼女の血なのかは分からない。
ただ、聞こえたのは子どもたちを助けたいという母の願い。魔力が凝って、おかしくなっていく自分を、苦しいと泣いていた。子どもたちを傷つけたくないと、泣いていた。
「もう、いいんだ」
宗一郎がそう言って、一歩一歩近づいていくと、瘴気のような黒いもやに包まれていたアドウェルサへと金色の光の粒が流れ込んでいく。
「♪~おやすみ~もう大丈夫~♪」
ゆっくりと血走った目がまばたきをした。アドウェルサの目はとろんと眠たそうになる。
「この世の魔力の渦へお帰り。もう苦しまなくていい。遅くなって、ごめんな」
宗一郎が謝ったのと同時に光がより一層強くなった。私は目を開けてられなくてぎゅっと目を瞑る。瞬間、何かふわふわとしたものが私のほほを撫でていった。
《ありがとう》
声は、さっきの助けを求めていた声と同じだった。
目を開けるとどぅっと音がしてアドウェルサが横倒しになっていった。
周りの獣人たちはあっけに取られている。
「ありがとう。みゆ姉」
気づけば宗一郎は獣の姿に戻っていた。金色の獣。獅子のような狼のような。私はその背中に乗っていて、ずいぶんと高みから皆を見下ろしている形になっている。
「……王のご帰還だ!!」
一人の狩人が叫んだ。
それは歓喜の声だった。
「聖女様と共に王がお帰りになられた!!」
わっと声が上がる。なんか今すごく聞き捨てならないことを言われた気がするんだけども。
喜びに沸く獣人たちの中で、レアータさんも嬉しそうにしているのが見えた。
「我らの王のご帰還だ!!」
怪我をしている人たちも体を起こして私たちを見ている。
なんだか落ち着かない。というか、なんか、目が回る。
「みゆ姉?!」
その声を最後に私は意識を失ってしまった。
ふかふかの金色の獣の毛皮に埋もれるようにして。
ひとまずタイトル回収。
オプスキュリテの意味は次回にでも。
のんびりゆっくり続いていきます。