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ひがんおくり  作者: 椎乃みやこ
第3話 わたしのこえ
6/8

#1

 それから、私の耳に『声』が住み着いた。

 翌日、学校を休んだ。昨日、見たものも聞いたものも自分の信じられない言動も、全部夢だと思いたかった。だけど、会話をすれば『声』はでてくる。これは現実なのだと思い知らされた。『声』は筆談も許してくれず、両親に訴えようと文字を書こうとすれば甘い囁き声で私の頭を空っぽにさせた。病院ではストレスからの難聴だと診断されたが、結局は原因不明だった。

 学校ではしおりちゃんに無視された。今までの思い出がなかったかのように、他の子たちと一緒にいるようになった。けれど上手く馴染めなかったらしい。一人でいるところを何度か見かけた。時折、物言いたげな視線を感じたが話しかけてくることはなかった。

 学校でどういう話し合いがあったのかは知らないが、写生大会の金賞は取り下げられなかった。しおりちゃんは何も言わなかった。だけど表彰式に立った日、私が席を外している間に賞状に落書きをされた。太いマジックで「うそつき」と書かれた文字に見覚えがあった。泣くことも怒ることもできず、乱暴に丸めて筒に閉じこめた。

 次第に学校から足が遠のき、私は不登校になった。両親が話し合った結果、おばあちゃんのこともあり、引っ越しが決まった。

 おばあちゃんは常露町出身の人だ。忘れる病気が日に日に悪化し、物を隠したり、嘘をついたり、癇癪を起こすようになった。家族をほとんど覚えておらず、賞を取っても褒められなかった。仕事を辞めて面倒を見ていたお母さんに限界がきていた。両親が喧嘩する日が増えた。

 施設に入れると決めたのはいいが、条件に合う場所が見つからなかった。そんなとき、お父さんの知人に紹介されたのが常露町の施設だった。おばあちゃんの縁の地なら、もしかしたらよくなるかもしれない。不登校になっていた私のこともあり、両親の仕事も都合がつきそうだったので、家族で引っ越した。そして夏休みが終わった新学期に転校してきたのだ。

 すずかちゃんに話し終えた私の喉は渇いていた。すずかちゃんは聞き上手だ。私と違ってただ立って聞いているのではなく、相づちはもちろん、時折聞き返して話の流れを整えてくれる。途中で詰まったときは丁寧に質問を重ねながら、話を引き出していった。

「そ、その、変な話をしてごめんね……」

 こんなことを話しても誰にも信じてもらえないと思っていた。でも、すずかちゃんになら『声』の話をしても大丈夫だという安心感があった。

「あなたが見たものが事実ならば、それが現実なんだと思います」

「あ、ありがとう」

 すずかちゃんは否定しない。私の話を嘘だと糾弾せず、茶化さず、最後まで聞いてくれる。おばあちゃん以外にたくさん話をしたのは、すずかちゃんだけだった。安堵したからか、押し込めていたはずのささくれだった感情が爆発するように上がってきた。視界が滲み、鼻水を啜る。私はブランコを漕いで誤魔化した。

 私たちは小さな公園にいた。ブランコと滑り台しかない公園は物寂しく、遊具がなくなった場所を埋めるように鈴虫が鳴いている。夕焼けに追いかけられた空は薄暗い。日が沈むのが早くなった。日中は暑いのに、夕方になると肌寒くなってくる。 

「今も絵は好きですか」

 上がって下がっていくら漕いでも、空には近づかない。ブランコから飛び降りても重力とやらに引き寄せられてしまうのだ。

「……わからない」

 ブランコを緩やかに止める。私が耳を塞ぐと、すずかちゃんは静かに尋ねた。

「もう、描かないんですか」

「クレヨン、折れちゃったから」

「そうですか」

 魔法のクレヨンは折れてしまった。『声』が聞こえるようになってから、私は絵を描かなくなった。

「いいの」

 もういいんだ。おばあちゃんは私を思い出さないまま施設に入った。しおりちゃんとは一言も会話をせずに転校した。じくじくと胸が痛むのを「いいの」と片づける。だって、終わってしまったことだもの。私に残ったのは『声』だけだ。

「わたし、幼い頃に神隠しに遭ったんです」

 とりとめのない会話をするような、自然な口調だった。

「聞いたことがある。神様が隠すように消えることだよね」

「ただの行方不明ですよ」

「もしかして、家出?」

 的外れな質問だとわかっていた。彼女は家出をするような子ではない。クラスで浮いたような、どこか距離を置かれているのに不思議と信頼されている。目立つようで目立たない「梓涼花」という存在を、なんとなく理解できた気がした。

 この子は異界に行った子だ。

 トンネルの向こう側。あの赤い花が咲き乱れる場所に。

「お母さんを探しただけです」

 すずかちゃんは笑っていた。

 神隠しされた先で何を見たのか、聞けなかった。

「常露町はそういう場所なんです。河川の下流にある町、呪いが流れ着く土地。昔、栄えたお城に、災いが来ないように穢れを流したおまじない。だからかは知りませんが、その下流にあるこの町には、何かを抱えた人たちが集まりやすい」

 常露町がどういう町か、私は何も聞いていなかった。両親もおばあちゃんの出身だとしか知らなかったはずだ。新しいものと古いものが混在する町に、呪いが流れ着くなんて。言葉に迷っているとすずかちゃんはくすくす笑いだした。

「冗談です。そういう噂があるだけで、本気にしなくてもいいですよ。あなたの体験を聞いて、わたしも何かないかなと思ったんです」

「な、なんだぁ」

 すずかちゃんはブランコから立ち上がり、私の前に移動した。

「それとも、ちゃんとした怖い話をお望みですか?」

 ちゃんとした怖い話ってどういう意味だろう。すずかちゃんは人差し指を唇に立てた。

 どこかおかしそうに、怪しく目を細ませて囁いたのだ。

「こわいはなし、する?」


 すずかちゃんに『声』を解決する手段として、『声』を描くことを勧められた。昔から人は怪異を絵に描いて形にしていたらしい。それが妖怪やあやかしと呼ばれる存在でもあると教えてくれた。テレビや絵本で見た怪異が耳の中にいるかと思うと、不思議と怖さの中に親しみが湧いてきた。

 久しぶりにうずうずした。すずかちゃんと別れて帰宅して、夕食をとりながらテレビを見ているときも、お風呂に浸かっているときも、『声』の形を考えていた。

 あのとき見た『声』は、トンネルの暗闇の色が集まった何かだった。ぐちゃぐちゃの黒色のクレヨンを思い出すと、耳元で囁かれたしおりちゃんの冷めたい声が蘇る。鉛筆を持った手が固まる。私はもう絵を描いたらだめなんだと、押し込めていた感情がとぐろを巻くように上ってくる。額を机につけて、私は瞼を瞑った。

 今も絵は好きですか。

 答えはとっくに決まっていたのに、私は誤魔化してしまった。

「好きだよ」

 だからこんなに苦しいんだ。

 魔法のクレヨンはしばらく見ていない。嫌な記憶を掘り返したくなくて、クレヨンの箱を押し入れにしまった。

 でも、『声』を描くなら魔法のクレヨンで描きたい。

 体を起こし、押し入れに目をやる。借家に引っ越してから、私の部屋はフローリングから畳になった。学習机や本棚やお気に入りの猫のぬいぐるみや畳んでいない敷き布団が、狭い部屋で窮屈そうにしている。すぐに必要でないものは、段ボールごと押し入れに閉まった。整理しようと思いながらまだできていない。

 押し入れに近づき襖を開けると、ひんやりとした空気と押し入れ特有のじめっとした匂いがした。「宝物」と描いた段ボール箱を引っ張り出す。

 私は息を吸い込んでから、意を決して段ボール箱を開けた。箱には遊ばなくなった古い玩具が乱雑に詰められていた。懐かしさで逸れそうになったが、振り払うように底に入れたクレヨンを探した。

 けれど、クレヨンが見当たらない。中身を全て出してみたが、見慣れたプラスチックの箱はでてこなかった。

 魔法のクレヨンがない。

 まさか、引っ越しする際に積み忘れたのだろうか。見落としていないかもう一度確認するがどこにもない。箱をひっくり返してもでてこなかった。両親にクレヨンを見なかったか聞いてみたが、望んだ答えは返ってこなかった。

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