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ひがんおくり  作者: 椎乃みやこ
第2話 しおりちゃん
4/8

#2

「前から思っていたけど、赤が好きなの?」

 夏が終わり、秋に差しかかってきた頃。お昼休みにいつものように絵を描いていると、隣で見ていたしおりちゃんが何気なく尋ねてきた。

 その日は肌寒かった。これ以上伸びないと知っていても、七分袖の袖を引っ張ってしまう。

「うん、好きだよ」

 私の絵には必ず赤色が入っていた。赤色を意識して入れていた。赤色はおばあちゃんが好き色だ。魔法のクレヨンの赤色で描いた絵を特に喜んでくれる。「お上手ですねぇ」と聞き慣れた間延びした声で褒めてくれた。

 しおりちゃんとの毎日は楽しかった。二人でたくさん絵を描いて見せ合った。しおりちゃんが人を描き、私が背景を描いて合作した。夏休みのほとんどはしおりちゃんと遊んだ。しおりちゃんとテレビゲームで笑い合い、プールで泳ぎ、宿題に頭を抱えた。こんなにたくさんの時間を友達と過ごすのは初めてだった。

「ふぅん」

 一緒にいるうちに、しおりちゃんがどういう子なのか少しずつわかってきた。この反応は不満があるときだ。しおりちゃんは我を通す性格だ。あれこれ自分で計画を立ててくれるけれど、変更があると不機嫌になってしまう。優柔不断な私には、予定を立ててくれる人がいるのは助かった。何がしたいと尋ねられても思いつかず、答えられないでいると「仕方ないなぁ、あたしがいないとだめなんだから」としおりちゃんが決めてくれた。

「ど、どうしたの?」

 しおりちゃんは、ノートにべったりと頬をくっつけていた。丸い目をつまらなそうに細めている。ノートには描きかけの女の子の絵。しおりちゃんが好きなアニメのキャラクターだ。

「それはいいけどさ、いつまでクレヨンで描いているの?」

 思いもしない質問にぽかんとした。

「クレヨンって小さい子が使うものだよ? あたしたち、来年から五年生になるの。高学年だよ。お姉さんになるんだよ。それなのに、いつまで子どもが使うもので描いているのかなって思って」

 クレヨンは幼い子が使うものだと薄々気づいていた。周囲にクレヨンで描いている子はいない。図工は先生が指定した画材道具を使っているけれど、クレヨンを指定されたことはなかった。しおりちゃんはクレヨンではなくカラフルなペンを使っている。お小遣いを貯めて買っているようだ。漫画家になるのが夢だと話していた。

「で、でも、クレヨンを使っている大人がいるかもしれないよ」

「あたしの周りには、そんな大人はいない」

 ぴしゃりと言われて口を噤んだ。

「クレヨンは駄目とは言っていないよ。そろそろ違うもので描いたらどうかなって」

 しおりちゃんは、机に置いたクレヨンの箱からを一本手に取った。寝そべっていた上半身を起こし、黒色のクレヨンで私を指す。

「クレヨンなんて描きにくいよ。太くてねばねばしているし。あたしは好きじゃない」

 しおりちゃんの口は笑っているのに、丸い目はちっとも笑っていなかった。これは、私に同意して欲しい目だ。「そうだね」って言わせたいときだ。

「そ、そうなんだ」

 私はどちらともつかない返事をした。

「……ふぅん」

 しまった。機嫌を損ねた。

「じゃあ、もう一緒に絵を描かない」

 がたんとしおりちゃんは乱暴に席を立った。

「将来、あたしが漫画家になったらアシスタントになってくれるって約束したのに」

「そ、それは」

 その約束にはちょっとした誤解がある。漫画家になりたいと夢を語るしおりちゃんが眩しかった。私に夢はない。大きくなったら何になりたいか質問されるたび、適当に答えて誤魔化してきた。

 大きくなっても、しおりちゃんは友達でいてくれるだろうか。「しおりちゃんが漫画家になっても、今みたいに一緒に絵を描こうね」と返したところ、「アシスタントになってくれるんだね」と喜ばれた。どうやら私の意図と違ったかたちで、受け取ってしまったらしい。

「わ、私、しおりちゃんの漫画の続きを読みたいな……」

 夏休みから、しおりちゃんは漫画を描き始めた。描きかけの漫画を何度か見せてもらっている。不思議な力が使える少年少女達の物語だ。しおりちゃんの絵は相変わらず生き生きとしていて、漫画の続きが楽しみだった。

 私は人が描けない。何度か挑戦してみたけれど、特に顔を描くのが苦手だった。人の顔はたくさんある。表情もたくさんある。あぁでもないこうでもないと納得できず、そのうち描けない自分に腹が立って顔を塗り潰してしまうのだ。

 それに、私が描きたいのは人じゃない。

 私が描きたいのは。

「漫画は頑張って描いてるから待ってて!」

 漫画の話を振ると機嫌を直してくれる。先程とは打って変わって、にっこり笑ったしおりちゃんに安堵した。

「でも、それとこれとは別。許していないよ」

 低く落とされた声に固まった。しおりちゃんは私の黒色のクレヨンを人質のようにぷらぷらと振って見せた。返してと手を伸ばしても簡単に避けられてしまう。しおりちゃんの高い身長では、私の手は届かない。

「あたしのアシスタントが、クレヨンでしか描けないってだめでしょ」

「そ、そのクレヨンは、おばあちゃんがくれたものだからっ」

「知ってるよ!」

 しおりちゃんは吐き捨てるように叫んだ。私を見下ろす彼女の目は、酷く冷めていた。

「ずるいなぁ」

「え?」

「そうしていたらさ、誰かが助けてくれるって思っているんでしょ」

 しおりちゃんには、そういうふうに私が映っているらしい。私はずるくて、卑怯なのだ。否定はできなかった。わかっている。私はいつも受け身だ。魔法のクレヨンのおかげで声をかけてくれる人がいても、なかなか関係が続かない。グループの中ではいつも聞き手で、いてもいなくでもどちらでもいい存在だった。学年が上がり違うクラスになった途端、私を忘れたように離れていく。リセットされてしまう。

 しおりちゃんだけだった。

 同じ「好き」を共有できたのは。

 私を知ってもらえたのは。

「いいよね。あなたには、おばあちゃんっていう応援してくれる人がいるから」

 何も言い返せずに黙っていると、しおりちゃんはわざとらしい大きな溜息をついた。

「テストをしよう」

「テスト……?」

「そうまでしてクレヨンにこだわるってことは、自分の絵に自信があるからでしょ。だからテストするの。来週、写生大会があるから、それで入賞したらこのクレヨンを返す。実力を認めてあげる」

 来週は自然公園で写生大会がある。紅葉が色づく時期だ。今まで写生大会で入賞した覚えはない。私の顔色がさっと青くなったのを見て、しおりちゃんは口元を歪めた。

「できなかったら、もう二度とクレヨンで描くのはやめること。あたしのアシスタントになるためのアドバイスをしてあげるね」

 クレヨンがしおりちゃんの手の中にある以上、拒否権はなかった。頷く私に満足げな表情になる。そのとき、かたかたと奇妙な音が聞こえた。音を辿った先にクレヨンの箱がある。横長のプラスチックの、一年生のときから使っている魔法のクレヨンの箱。見慣れた箱に私は疑問を抱いた。

 蓋を、閉めただろうか。

 いつも十二色揃っているか確認して蓋を閉めている。今は一色欠けていた。もしかしたら無意識に蓋を閉めたのかもしれないと思い直し、クレヨンの箱を机にしまった。

 かたかたと何かを叩くような音が、机の中からかすかに聞こえた気がした。


 写生大会の日は曇りだった。

 その日はいつもに増して私の口数は少なく、しおりちゃんは饒舌だった。私は緊張していた。朝食は喉に通らなかった。画板と絵の具セットが重たく感じる。あれからしおりちゃんは黒色のクレヨンを返してくれない。その話を振っても、「テストの結果しだい」と返される。本気だったんだと今更知って、さらに気が重たくなった。

 所狭しとビルが並ぶ都会の中に、どかんとある広大な自然公園は異空間のようだ。真面目に描かずに遊んでいる生徒たちを引率の先生が叱っている。お昼になる前にはスケッチを終わらせたかった。

 しおりちゃんとは別行動をとっていた。ついてこようとした私を止め、一人で行ってしまった。

 どこにしよう。ここでもない、あちらでもないとふらふらと歩く。見かねた先生に、描く場所が決まったかと尋ねられて首を振った。隣のクラスの新任の先生だ。若い女の先生は「困ったね」と膝を曲げて私に視線を合わせる。

「湖はどう? スワンボートがあるあそこ。ボートを描いている子が多かったよ」

 先生が指した先には大きな湖があった。公園の人気スポットだ。スワンボートにカップルで乗ると別れるという噂を聞いたなとぼんやり思いながら見ていると、描いている子の中にしおりちゃんの姿が見えた。

 いつもなら、隣に私がいたのに。

 額縁の絵のように、そこだけ切り取られたような違う世界に見えた。頭から冷えていく感覚がする。

「同じ場所にしたらきっと怒るから……」

「怒る?」

 聞かれる前にもうちょっと探してみますと走って逃げた。「あまり遠くに行ったら駄目だよ!」と心配する先生に返事ができる余裕がなかった。

 こういうとき、おばあちゃんはなんて答えてくれるんだろう。しおりちゃんの話をしたら真剣に聞いてくれるはずだ。いつものおばあちゃんなら、こうしたらいいと知恵を貸してくれる。

 でも、最近は。

 歩くたびに、かたかたとリュックサックに入れたクレヨンの箱が鳴る。写生に使わなくてもお守りとして持ってきてしまった。一本足りない十二色の魔法のクレヨン。私の頭の中にきちんと順序よく並べられたクレヨンがある。背丈がばらばらのクレヨンは、どの位置に何色があるのか簡単に想像できた。

 特に短いのは、赤色。

 おばあちゃんが好きな色。

 私が絵を続けられたのは、おばあちゃんの笑顔があったからだ。何をしても褒めてくれるけれど、絵は特に喜んでくれた。褒められたくて、喜んでもらいたくて、お母さんに呆れられるほどたくさん描いた。

 大きくて温かくて柔らかい皺の入った手で、私の頭を何度も撫でてくれた。完成した絵を意気揚々と見せたとき、おばあちゃんはいつものように褒めたあとにこんな話をした。

「好きなものを好きなだけ好きなように描くのは、案外難しいものですよ。特に、大人になってからは」

 好きなことをするのは楽しいはずなのに、どうしてそんなことを言ったのか、あのときの私は理解ができなかった。

 子どもの「好き」と大人の「好き」は違うのかもしれない。

 しおりちゃんと会わないように反対側の湖畔の周辺を歩いていると、茂みの中に耳が見えた。石で出来た三角の耳だ。草をかき分けると、するりと細長い体の狐が二匹、向かい合っていた。

 小さなお稲荷様の祠があった。

 木製の赤い格子の奥に、白い狐の置物がある。御神体だろうか。目があったような気がして、視線を外した。鳥居も祠と同じ大きさで、塗装が剥がれ落ちている。祠に吊された注連縄は、引っ張ると切れてしまいそうだ。雑草に囲まれた祠は明らかに手入れされていなかった。

 小さな神様のお家に、自然に引き寄せられていた。

 迷いはなかった。腰を下ろし、スケッチブックを開く。濃い鉛筆で線を描きながら、ここはこの色にしようと決めていく。私の目の前に寂れた祠があるけれど、頭の中には作られたばかりの祠があった。

 おばあちゃんは、夏を境に忘れる病気が悪化して子どもに戻ってしまった。

 また、私の名前を呼んでくれるだろうか。私の絵を喜んでくれるだろうか。

「写生大会で賞が取れますように」

 絵を描き上げたあと、祠の屋根の落ち葉を払って周りの雑草を引っこ抜いた。完璧に掃除したとは言えないけれど、初めて見たときよりも見栄えはよくなったはずだ。お供え物としておやつのビスケットを置き、手を合わせる。

 早くしおりちゃんにクレヨンを返してもらいたかった。十二色揃った魔法のクレヨンで絵が描きたかった。

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