第4話 殺風景、ナイトメア
その場所には、一面荒野が広がっていた。
既に陽は沈んでおり、辺りは静寂と暗闇に包まれている。時折吹き付ける微かな風音だけが唯一その場に音を鳴らしていたが、同時に隠し切れない程の悍ましい瘴気が広がっていた。
周囲には自らの血を流し、事切れている人間達の集団が転がっている。その屍の数は数十どころか数百を超えるもので、とても正確な人数を数えられる状況では無かった。
彼らの手には、拳銃やサブマシンガンを始めとした銃火器類が握られていた。その兵力を持ってすれば、仮に一つの街を制圧するとしても充分過ぎたであろう。紛争か、テロか、一般人がその犠牲を見たとして「一体どれだけの巨大な規模の戦闘があったんだろう」と想像すらつかないかもしれない。
しかし、その集団の鮮血が一際目立っている場所。この戦闘の激戦地と思われる中央部分に、ただ一人血塗れになった姿で俺は立ち尽くしていた。
その血は、全て敵からの返り血だった。
本来ならば、これだけの兵力を一個人に投入する事など絶対にあり得ない事だ。ましてや、それを一個人が壊滅させてしまう事など。
だがその異様に映る光景も、俺にとっては特別な事ではなかった。俺にとってはこれがいつもの事で、命のやり取りをするのが日常だった。ふと見上げた空に差していた月を眺めながら、俺はこれまでの自分の有り様を思い出していた。
物心付いた時から、戦い方を叩き込まれた。
だが、戦う事を命じられた訳じゃない。こうして戦場の真っ只中に居るのは他ならない、自分自身の希望だったのだから。
最初はあくまでも、身を守るための手段だったはずなのに。
一対一の勝負から始まった戦いの記憶。それがこうして、殺戮と大差無い規模にまで拡大した事。それでも満足していない自分自身に、思わず自嘲してしまっていた。
「なにをやってるんだろうな、俺は」
そう呟いた瞬間だった。
「見事な戦い振りだったぞ」
死体の山が転がる荒野に、俺以外の声が聞こえてきた。
「こういう光景を目の当たりにして喜びを感じるのは、我ながらどうかと思うが」
何者かが、足音を隠そうともせず近付いてきた。
「遠路はるばる、人探しにこの地を訪れた」
こんな僻地で人探しだと? 俺はその方角を振り返った。
「どうやら、その成果はあったようだな」
こいつは――
その全身を黒服で纏った男は、戦闘を終えたところを見計らって声を掛けて来た。
立ち止まった距離が触れるほどに近くもなく、暗がりで顔立ちがはっきりとしないが、おおよそ三十代から四十代といったところだろう。発言から察するに俺を探していたからか、この場所に似つかわしくない微かな笑みを浮かばせていたのが見て取れた。
先程まで戦っていた連中とは明らかに雰囲気が違っていた。
「丸腰で殺気も感じられない所を見るに、敵ではないようだな。それと……貴様が誰かは知らないが、俺に用はない」
得体の知れない人間を目の当たりにして、俺は警告した。仮に敵だったならば殺すと、殺気をぶつけながら。
「……いい眼をしている。噂通りの人物のようだ」
黒服の男は怯むことも無く、まるで演説でもするかのように雄弁に語り始めた。
「何かを極めようとする人間は皆、その闘志を己の瞳に反映させる。情熱、熱意、執念、果てには復讐まで動機は様々だがな。反対に、一度壁に直面して立ち直れなかった人間は、その輝きが色褪せて見えてしまうものだ。挫折、敗北、絶望、破滅、敗北者達が背負い込む業がそれだ……しかし、物事に例外は付き物だ。本来ならば生涯を費やしても叶うはずもない『全て』を極めた結果、自分の今後の行く末が定まらず停滞を繰り返す人間がこの世の中には存在する。停滞とは、衰退と寸分変わらない。停滞のまま時間が過ぎ去った結果、人間は老い、衰え、死んでいくのだから。世に聞く『天才』という奴だ。初めて見たぞ? お前のような、瞳に『無』を宿した人間を」
「…………」
この男は、俺という人間を分析しようとしているらしい。
本来ならば即座に薙ぎ倒しても良かったのだが、死をまるで恐れずに語り続けるそいつの言葉は、普段の日常では中々聞くことが出来ない、耳を傾けるには面白い戯言だと思った。
「天才とは、一握りしか存在しない孤高の存在だ。孤高であるが故に周囲からは賞賛を受けるが、孤高であるが故に時には恨まれ、憎まれるようになる。そして『目標』というありきたりな存在でしか一歩も前に進む事が出来なくなる……ふっ、お喋りが過ぎたようだ」
「……何が言いたい」
長々しい話が一区切りついたところで、俺は本題を訪ねた。
他人からの評価などに、興味は無かった。
だがこの男の分析は妙に的を得ていて、その結論が俺に対する皮肉に近い内容だった事が最初は面白いと感じたはずなのに、最後には腹立たしかった。
「なに、大した事ではない。折り入ってお前に頼みがあってな。本来ならば私の元にまで呼び出してやっても良かったのだが、要件が要件だ。礼儀を蔑ろにするのは私の主義ではない。だからこうして、直々に挨拶に伺ったという訳だ」
「……俺が貴様の手伝いをする理由など、何処にもない。殺されたくなければ、すぐにでも此処を立ち去るんだな」
こういった勧誘紛いの要求を受けるのは、初めての事では無かった。だが、わざわざ権力に属するつもりは無い。
俺がこうして戦いの場に身を置いている理由。それは地位や名声などに興味は無い、もっと個人的な動機だったのだから。
結局はこれまでに聞き飽きた要求に行き着いたことに嫌気が指した俺は『獲物』に手をかけようとした――
「……ふっ」
「何を笑っている?」
黒服の男はまだ何かいいたげな様子だった。瞬間的に手が止まった。
「その力……」
「……何?」
「お前のその力、試してみたいとは思わないか?」
「……どういう事だ? 何を言っている」
「お前の『探し物』、私はその在り処を知っている」
「……っ!」
何故それを知っている。
「お前が長い間探していた『目標』が、そこにはある」
「……俺の事をよく調べているようだが。答えろ……貴様、何者だ?」
俺はたまらず眼前の男の名前を訪ねた。
「自己紹介がまだだったな。私は、『月影』と呼ばれている者だ」
それが黒服の男が名乗った名前だった。
「興味が湧いたのなら、一緒に来い。今のお前に、道を示してやろう」
「…………」
こいつの話している捜し物や目標が、俺の求めるそれと符号している可能性はゼロではない。ハッタリだけで揺さぶられるほど『やわな経験』をしてきた訳ではないからだ。
仮に俺を利用しようとしてるのなら――
「……いいだろう」
それすらも斬り伏せてやろう――
俺は月影の後を追うことにした。
★
そこで、二人の会話は結末を迎えた。
彼らが一体、何を考えて行動していたのか、これから何処で何を始めようとしているのか、『夢を見ていた俺』には、まるで興味は持つ事が出来なかった。
だって、当然じゃないか。
その光景は余りにも自分の平和な日常からかけ離れていて、昔に何処かで観た戦争映画かSF映画のワンシーンがたまたま脳内で鮮明に再生されてしまったんじゃないかって。そうやって受け止めるしかない、直視するには非現実的過ぎる内容だったのだから。
「……酷い夢だった。最近変な夢ばかり見るな……」
出来る事なら、二度とあんな夢は見たくない。
そう心に誓いながら、俺はいつもの日常を迎える事にした。