流水の女神
……---私たちは、いつだって奇跡を起こしているーーー……。
○
某日、某所。ゆったりとしたオーケストラの生演奏が続く大広間の中で、色とりどりに着飾ったさまざまな年齢の人々が楽し気に集っていた。
ある者達は中央のスペースで互いに手を取り合い軽やかにステップを踏み交わし。
又、ある者達は、グラスを片手に挨拶周りや談笑を楽しんでいる。
人々が起こす世話しない騒音に紛れながら、彼女はただひたすらにチャンスを待った。
周りの淑女達と同じ様に髪を上に結い上げ、年頃の娘らしく一房だけ肩に垂らし、口元を大振りな扇で覆ったまま、彼女はある一人の少女の動きを気にしつつも、もう一人、ターゲットの青年の動向に注意を向けることも忘れない。
何と言っても、彼女はプロだ。
しかも、今回は彼女の同伴として連れたってやって来た兄も協力者としてついているのだから失敗する方があり得ないのだ。
普段ならば、彼女の同伴としてやって来ても、兄は兄で別件の依頼に身をやつし、別々に行動するのだが、今回は二人で同じ依頼を命ぜられている。
つまり、今回の依頼人は、それほどの『ヴィップ』だと言うことだ。
何と言ってったって、中央で政権を動かしている名門貴族の一角であるリュート侯爵とカルン伯爵家の合同依頼なのだから。
依頼料ガッポガッポ。ついでにリュート侯爵家とカルン伯爵家にも恩を売れて、我が家はウッハウッハなのである。
この依頼がもたらす我が家への恩恵に思いを巡らせ、思わず扇で隠した口元がだらしなく笑み崩れた所で、彼女の兄からの視線に気付き表情を引き締める。
兄が、コクリと一つ頷く。それに彼女も目だけで応えた。
ターゲットの青年と兄がこちらに歩いてくるのに合わせて、彼女も動き始める。
淡く輝くような黄色のドレスに身を包んだ可憐な少女。
少女と青年が今まさにすれ違い隣を通り過ぎる、という瞬間に、彼女は誰にも気付かれないほどの最小限の動きで少女に足払いをかけた。
たっぷりとしたドレープに隠されたそれに、少女はもちろん気付かず、ただ何かにつまずいたとだけ思ったことだろう。
「……っあっ!」
こぼれ落ちる小さな悲鳴。
けれども、少女の体が冷たい床に叩きつけられることはなかった。
何故なら。
「……っ! 大丈夫ですか? レディ」
少女が倒れ込んだのは、今まさにすれ違おうとしていた青年の胸の中だったからだ。
「……っえっ!? あ……! も、申し訳ございませんっっ!!」
少女、セイラ=カルン伯爵令嬢は、意図せずに飛び込んだ見知らぬ青年貴族の胸の中から顔を真っ赤にさせ、あわてて離れ、非礼を詫びる。
セイラ=カルンは知らない。今夜の彼女のドレスが目の前の青年の好みドンピシャいはまっていることを。
「いえ。お怪我はございませんでしたか? レディ」
青年自らも子爵位を持つアールレイ=リュートは図らずも自分の腕の中に飛び込んで来た少女の純情な態度に思わず頬をゆるめた。
アールレイ=リュートも知らない。今、青年が身に付けている衣装の中に、少女の好みが見え隠れしていることを。
「はい。私はどこも……。大変ご無礼を致しました。あ、あの、私、母が呼んでおりますのでこれで失礼させていただきます。本当にありがとうございました」
自らの意志ではなかったこととは言え、見知らぬ年頃の青年の胸に飛び込んでしまった初なセイラは急いでこの場を離れんがために素早く一礼して、青年の前から走り去って行った。
彼女は、自分が足払いをかけた少女と、それを受け止めた青年との間のやりとりの一部始終をこっそりと見届け、少女が立ち去ると同じに、その場からそっと離れた。
本当は、このままセイラとアールレイが会話をする流れになれば最高だったが、少女の内気で初な性格では恐らく難しいだろうと思っていたので、結果としては上々だろう。
この後、その場を後にした青年に今回は話し上手な軽い青年を演じている兄は言うのだろう。
『いや、とても可憐なお嬢さんでしたね。とても純粋そうな。名乗ること無く去っていくというのも初な反応で。
こんな大きな会場で真っ直ぐにあなたの胸に飛び込んでくるなんて……。
これで、再会出来たら、まるで運命の様ですね』
彼らは未だ知らない。
社交シーズンが過ぎて数ヶ月後に、今度は婚約者として再会することを。
●
これで、今回の彼女の役目は終わりだ。
“忘れられない運命の出会い”に一役買った彼女は、この場から早々に退出するために出口へと向かい始める。
すでに、彼女の侍女に帰りの馬車を呼びに行かせてある。
優秀な侍女のことだ、あと数分もしない内には玄関ホールの入口に馬車が横付けすることだろう。
けれども彼女にとっては、その数分も惜しかった。
役目を終えた後は、常にその場から素早く立ち去ることを彼女は望んだ。
だって、いたのだ。今回も、この会場の中に『奴』が。
見つけた瞬間の自分の喉が引き攣った感覚を、彼女は苦い思いで反芻した。
本当に……、どこにいても、とは言わないが、こういう大きな会場での舞踏会では遭遇率がぐんと跳ね上がり心の底からうんざりする。
まぁ、相手はどこへ行っても引っ張りだこの大貴族だから、舞踏会の規模が大きくなればなるほど呼ばれやすくなるというのは当たり前ではあるが。
大きい会場ならばその分、彼女も紛れ易くはなるものの、それでも同じ場所にいるというだけで、こちらは落ち着かない気持ちになるのだ。
『奴』は絶対にどこかおかしい。
きっと常人とは何かが違う、特化した超感覚を持っているのだ。
だって、じゃないとおかしいのだ。説明がつかない。
どうして、こんなに大きい会場で、いつ会っても、姿も、形も違う女を……っ。
「今日はまた、随分と早いお帰りなのだな。俺の『流水の女神』は」
不意に背後から掛けられた声に、彼女は大げさな位に肩を震わせた。
脳天から腰まで一直線で突き抜ける……文字通り、脳天直下型の美声など、彼女の知る中でもこの男ただ一人しか持つ者はいない。
次いで伸びてきた手に腕を掴まれ、彼女は強制的に目の前の男と向き合わされる。
けれど、間一髪で開いた扇で完全に向き合う前に自らの顔半分を隠すことに成功する。
「……オ、オーリヴァル侯爵閣下……」
彼女は目の前の男を苦々しい思いで見詰める。
燃え輝くような赤毛は、柔らかくうねり、長く伸ばした前髪がふわりと彼の目下にかかる様は酷く色っぽい。
前髪の下の眉は、一筆書きの様にすっと伸び、彼の男らしい色気に拍車をかけている。長い睫毛に縁どられた瞳は珍しい銀色で、彼が間違い無く、王族の末裔である公爵の息子であることを示していた。
すっと伸びる鼻筋に、薄く色づく唇。
驚くほど長身で、手足は長い。その上、頭脳も明晰でセンスも良い。ほどほどに。
この『ほどほどに』と言うのが、完璧な彼の唯一の残念な部分。
だって、そうだろう。じゃなければ、一体どんな楽しみを感じて、こんな名称不明、顔面不明。正体不明の三拍子そろった怪しい女を追い掛け回すというのか。
とある依頼の最中に興味を持たれたのが運の尽き。
自分の何がそんなに気に入ったのか、以来、この男は恐るべき嗅覚で彼女の前に現れた。
いや、もう。何と言うか。トキメキとか全て吹っ飛んでただただ恐い。
何で、わかるの? この人。
この一言に尽きる。
だからだろう。今回も嫌な予感はしていたのだ。
侯爵家主体の舞踏会。
ホールは大きいがちっとも安心出来なかった。
案の定。こうして易々と見つかってしまったわけだが……。
「ああ。今日は、美しい紅の髪色が良く映えているね。今回は一体どんなカップルを誕生させて来たのかな? 俺の女神は。他人の幸せは結構だが、そろそろ自分の幸福を見つけるべきじゃないか?
さぁ、その無粋な扇をどけて、俺に良く顔を見せてくれ」
誰が貴様の女神かっっ!!?
声を大にして叫びたくはあったが、彼女はぐっと我慢し、顔を覆う扇をどかそうと伸びてきた大きな手を、彼の腕を振りほどいた勢いのまま、素早く払った。
「まぁ。うふふ。乱暴なことはおやめになって。侯爵閣下。
そろそろ会場に戻った方がよろしいのではなくて? 侯爵閣下のお姿が見えなくては、閣下に恋する御令嬢達が哀しみますわ」
言外でも無くストレートに“どっか行け!”と言っているのに、この男はにやりと笑って、懲りずに腕を伸ばしてくるので質が悪いのだ。
「どうか、そんなに意地の悪いことを言わないでくれ『流水の女神』。ただでさえ、愛しい君に会えるのはこんな機会しか無いと言うのに。
今シーズン、俺がどれだけの夜会を回っているか。君はその意味をわかっているだろう?
俺の気持ちをわかっているのに、焦らすなんて悪い子だ。
ああ。もしかして、会場の御令嬢達に嫉妬でもしてくれているのかい? 安心してくれ。俺の気持ちは君だけのものだ。だから、今夜こそ君の全てを俺に見せて」
「うふふ。嫌ですわ。侯爵閣下。お戯れを」
オーリヴァル侯爵閣下の腕を、再び扇を持っていない方の手でがっしりと掴み取り、ぎりぎりと静かな攻防を続けながら、彼女は優雅に微笑む。
「何度も申し上げておりますでしょう? 閣下。私は、色移ろい、姿を変える『流水の女神』では無く、朝になれば消えてしまう『夜の妖精』である、と。
私の存在そのものが、夢、幻。
もう、幻想に囚われるのは、終わりにしましょう? 閣下」
なるべく感情を見せないように、優雅な口調で語りつつ、彼女は頃合を見計らう。
この男が現れるかもしれない、ということを考慮して、兄と共に乗ってきた馬車とは別にもう一台、自分用に後から連れて来た馬車がある。
入口からほど近い場所に待機させていたから、恐らくもうそろそろ到着するだろう。
自分の役目はもう済んだ。これより、走って駆け抜けるも、飛び乗るも、誰に目撃されても支障は無いが、ならば、この邪魔者を排除しなければ。
ちらりと、掴み掴まれている腕を一瞥し、ちらりと、目線だけで入口を見やる。
視界に入ったのは、自分の侍女の神妙な顔。
自分の優秀な侍女は、もう馬車を呼んで来てくれたらしい。ならば。
彼女は俯けていた顔を上げ扇越しに、にっこりと侯爵へ笑いかけた。
彼の意識が、突然微笑んだ彼女の顔に向きかけた瞬間、顔を覆っていた扇を閉じ、正面、向かって左側から首筋に叩き込んで気絶させてやろうとしたのだが、咄嗟に伸びてきた彼のもう一方の手に手首を取られてしまった。
「……っちぃっ!!」
ちょうど腕の付け根で顔下半分を覆っているような形になっているので、顔面は晒さずに済んではいるが、際どいことには変り無い。
はしたないと自覚しているが、思わず盛大な舌打ちをかましてしまった。
しかし、憎々し気に顔を歪める彼女とは正反対に、彼はにやにやとした笑を浮かべる。
実に、楽しそうに。
「始めてお前を捕まえた時、俺は首を打たれて気絶した」
ならば、と、近い距離を利用して、足払いをかけて転ばせてやろうとすると、片足を上げた瞬間に、一歩前に踏み出され、容易く身体が後ろへと傾いてしまった。
「……っな!?」
「その次に、お前に会った時は、足を踏まれて逃げられた」
「くっ!」
「その次は、胴体を蹴り飛ばされ、そのまた次は、顔を叩かれ、そのまた次は後頭部に手刀を決められた。さすがに学習するぞ。
というか、こんなに俺を殴り飛ばすのは、お前だけだ」
「良い加減、懲りてはくれませんか? もう、こんな無礼な女など、忘れて下さいまし」
「そうはいかない。こんなに殴られたのだ。お前には、一生をかけて俺に償ってもらわなければ、割に合わない」
驚くほど顔を近づけての男女の語り合いだと言うのに、そこには一片のカケラも甘さを感じられない。
まさに『喰うか、喰われるか』の一触即発の空気の中、ぎりぎりとお互い力比べをしているこの状況を打破したのは、彼女の優秀な侍女だった。
「お嬢様っ!!」
掛け声と共に、寸分の狂いも無く投げつけられたのは、どこででもやり取りされる一シルダ銀貨。
それが、狙い違わず、オーリヴァル侯爵の肩口に当たり、彼の力が僅かに緩んだ瞬間、彼女は彼の腕を振り払い、崩れていた体勢のまま、迷わず、重いドレスを翻し、後転をしてから立ち上がった。
走り出す。
「っ!! くそっ!! 『流水の女神』!!」
肩を貫いた力は軽い衝撃であったものの、目の前から一瞬にして遁走した求める女に、侯爵も形振り構ってなどいられない。
全力で、玄関ホールを駆け抜け、彼女の背中を追う。
こちらは男で、先に走り出したとは言っても、彼女は女で。しかも、夜会用の重たいドレスを身につけている。それなのに、あのスピードで移動するとは、一体どんな身体能力をしているというのか。
「逃がすかっっ!!」
こうなれば、ドレスの襟だって、掴んでやるっ、とさえ思っていたのに。
「出してっっ!!」
伸ばした手も虚しく、オーリヴァル侯爵の手は、間一髪の所で空を切り、馬車の乗り口に縋りついた彼女の衣装をかすめるに終わった。
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貴族社会の影に、依頼されればどんな不仲な男女でもくっつけてしまう、やり手の仲人一族がある。彼等は、どんな秘密も守り、確実に貴族達からの信用を得つつも暗躍し、彼の祖父の代、いや、もしかしたらもっと長く連綿と続いて来たのだろう。
そんな一族に、仲を取り持ってもらった貴族は多い。
けれども、依頼する内容が内容なだけに、その存在は常に秘匿され、関わった貴族達も、己の保身故か、約束故か、あるいは恩義故か、決して口を割る事はしない。
何故なら、黙していることと、口を割ること、この二つの後の姿が決して比例していかないからだ。
もし仮に、彼等との約束を破り、彼等の正体を明かしてしまったとしよう。
まず、黙っていないのが、依頼を完了したカップルの家族だろう。
何せ、カップルを誕生させるにあたって、彼等に必要な分だけの情報を洗いざらい渡し、『運命』を仕立て上げてもらったのだ。
せっかく作ったカップルの破局を招きかねない可能性はもちろんだが、何よりも、依頼を完遂したことによって依頼した貴族達は、彼の一族にありったけの弱味を握られていることになってしまうのだから。
もし、心無い誰かのせいで、彼の一族の事が公けになり、あまつさえ、芋蔓式に自分の一族のことまで露顕してしまったら……。
下手をすれば、貴族社会全体に、家の醜聞が流れることになってしまう。
誇りと家名を重んじる貴族達には、たまったものじゃないだろう。
次に、動き出すのは、彼等に消えられると困る貴族達だ。
これから、身の周りにいるはた迷惑なカップルを。はたまた今回のように家同士の結びつけをしたい年頃の男女を。不仲になり、お互いに愛人を囲っている夫婦を、くっつけよう画策している彼等にとっては、迷惑な事態だ。
もし、彼の一族の正体を暴こうなどとしている者がいたとしたら、彼等が即座に乗り出して来るであろうことは想像に難くない。
「…………」
公爵家の直系であり、自身も侯爵位を持っている社交界の伊達男との呼び名も高い、カルドーラ=イル=ヴェイク=オーリヴァルは、先程まで立っていた場所に戻ると、一回ぐるりと周りを見渡した。
不自然なほどに、人のいない玄関ホール。
家付きの従者はもちろん、雇用されているメイドや護衛、ましてや招待客の姿すらこの場に有りはしなかった。
彼女が現れる時はいつもそうだ。
入場の時は恐らく違うのだろうが、問題は帰りにある。
何か決まった合図でもしているのか、どんなに大勢の招待客で賑わってしようと、彼女が通る玄関ホールは、無人へと早変わるのだ。
これこそ、彼女がホストである家と直々に関係があるという証拠だろう。
かと言って、ホスト側の家を問い詰めても口を割らないことは、昨年の社交シーズンで嫌というほど理解している。
カルドーラは身を屈め、自らの肩を打った一シルダ銀貨を拾い上げた。
これが、『流水の女神』の侍女が身につけていた“何か”であったのならば調べようもあったものの……。この国の者ならば、誰でも普通に使う一シルダ銀貨なのだから、つくづく隙が無いと、溜息が出てしまう。
神出鬼没で、出会う度に髪色さえも変わっている、ミステリアスな女性。
確実にわかっているのは、ありふれた、けれども美しい、最高級の紅茶色の瞳だけ。
恐らく貴族なのだろうが、身元不明で、いつどうやって出会えるかもわからない。
けれども、カルドーラの胸を熱くするたった一人の女性だ。
「……、よしっ」
次こそは、必ず。
新たな決意を身の内に抱き、社交界一の伊達男は、次の夜会に思いを馳せる。
○
一、地方貴族令嬢、セラフィナ=デ=スフィアは嘆息した。
昨日の夜会、最後は本当に危なかった。
夜更かしをし、朝寝坊を存分に味わった昼も近い時間帯に、やっとベッドから起き出すことに成功したセラフィナは、遅いモーニングティーを、日の当たるテラスでいただきながら、昨夜のことを思い出し、一段と心が重くなるのを感じていた。
昨年の社交シーズンが、セラフィナのデビューだった。
……もちろん、社交界へと、家業の一員としての二重の意味でだ。
祖父母や、父、母。年頃になった兄から、仕事の話を聞くたびに、いつか自分もと憧れていた。
そんな仕事の手伝いが出来ることが誇らしく、役に立ちたい一心で日々の訓練をこなして来たと言うのに。
「っそれも、これもっっ!!」
全部! あいつのせいでっ!!
忘れもしない、三度目の任務。ターゲットの動向を掴むため、尾行していた町中で見つかったのが運の尽き。
以来、何が気に入ったのか、ことあるごとにセラフィナの前に現れるようになったのだ。
しっかりと気をつけているというのに、あの恐ろしい嗅覚は一体何なのか。
だが、まぁ、いい。
いや、まぁ、良くは無いのだが。
昨日、あまりにも危ない状況に陥ったことにより、緊急家族会議が開催され、結果セラフィナは今シーズン表舞台から外され、裏方に回ることが決定したのだ。
裏方とは、ターゲットの情報収集や、舞台の下見、仕込み諸々を引き受ける仕事だ。
今後、人前に出るのは、母が主になるということである。
一族の者としては口惜しい事態ではあるが、これで危険度が断然下がるというのならば、引き下がるしか無いだろう。
けれども、セラフィナはほっとしている自分がいることにも気づいていた。
表舞台から遠ざかることで、奴との遭遇率も格段に下がるからだ。
あんな高位貴族の引く手な数多な美男子なんぞ、正直に言って平々凡々、地味顔を自覚しているセラフィナの手に余る。
自分に対する執着も、ぶっちゃけ怖かったし、このままフェードアウト出来るのならば、願ったり叶ったりというものだ。
あんな、見た目からしてきらきらしい男よりも、自分と同じように平凡で凡庸ながらも、傍にいてほっと出来る。そんな人と一緒になりたいのだ。私は。
それにセラフィナと結婚すると言うだけで、その男性は一族の一員となるのだから、理解力もあればさらに良しだ。
これからの夜会には母に出てもらうが、、セラフィナはセラフィナで、一、子爵令嬢として、結婚相手探しに精を出そうではないか。
目指せ! 平凡顔で優しい旦那様ゲット! と、決意を固め、セラフィナは拳を天に突き出すのだった。
けれども、この時、気づくべきだったのだ。
いくら裏方に徹していようと、一番最初にあの男に捕まったのが、セラフィナが町娘の格好で歩いていた町中だったということに。
この男から逃れるのならば、早々に領地に帰っておくべきであった、と後悔することになるのは、もう少し先のお話。
fin.