ヴァルハラの王
この世の何処かに、天に続く階があった。
この世の何処かに、何人にも抜けない剣があった。
この世の何処かに、虹で出来た釣り橋があった。
この世の何処かに、物言う兵器があった。
この世の何処かに、空飛ぶ大帝国があった。
この世の何処かに、永遠に続く回廊があった。
この世の何処かに、あらゆる願いを叶える王の城があった。
世界はあまりにも広大だ。一生のうちに全て踏破できる者はいない。もし、それが出来たとして、総てを知った者は、何を手にし、何を失うのだろう。
歩みを止めない。人々は生きしていく……遥かなる悠久を。
その姉弟には両親がいなかった。数年前、姉弟の暮らしていた村は”魔女”の襲撃を受けた。両親の決死の行動により二人は魔女の殺戮より生き残ったのだ。幼くして両親を失った姉弟は、近くの村人に保護され、つつがなく暮らし始めたのだった。
”魔女”とは悪魔を従えた死の集団の事。
悪魔が進化した先、魔力に魅せられ狂った人間、地底からやってきた異種族など、さまざまな憶測が囁かれているが、真相はよくわかってはいない。
わかっている事といえば、度々村を襲い殺しまわっているということ。圧倒的魔力で人間はなすすべがなく、天災のような扱いだ。
そんな魔女の襲撃から生き残った姉弟は、まさに奇跡的な存在なのだ。
姉の名前は「アラーハ・ハルベルト」明るく活発な女の子で、村の男の子たちと混じって遊ぶことが多かった。弟の名前は「ピット・ハルベルト」姉とは逆で内気な少年、絵を描く事が好きで毎日熱心にスケッチブックに向かっていた。
元いた村では姉の後ろに引っ付いていたが、例の事件により病に罹り、家から出られない体になってしまった。
そんなこともあり一日中ペンを片手に黙々と絵を描くようになってしまった。風景画が得意で、どこか出かけては写生をしていたのだが、今では窓から見える景色や、姉であるアラーハを描く事が多かった。しかし、ある日を境に同じ絵ばかりを描くようになる。
樹の絵だ。
背景には空と海、花畑の真ん中に一本大きな樹が立っている。何の変哲のない樹なのだが、その樹を中心に虹が描かれている不思議な絵であった。ピット曰く、この樹から虹が出ているんだそうだ。
アラーハはいつだか、この絵を描いている理由を聞いてみたことがある。
「もう一度、ここに行きたいんだ」
彼は行った所の絵を描くことが多い。元いた村や、家族で旅行に行った山麓の町などを描く事があった。
それら全て、アラーハの思い出の中にもある景色だったのだが、この樹の絵だけは思い当たらなかった。アクティブな方ではないピットの事だから、一人で出かけた時に見つけた。とも考え辛い、村周辺は踏破しているアラーハも、その場所は知らない。
アラーハの記憶の中では、ピットが今の家を出たことは一度としてなかった。「まぁ、ピットも男の子だし。一人で小さな冒険ぐらいしてもおかしくないよね?」と、一人納得してその絵を眺めていた。
アラーハはピットの描いた絵を友人達に見せるのが日課であった。一枚一枚エピソードを交えながら見せていく。お世辞抜きで上手い絵を描く弟が誇らしかったのだ。
数々の絵を見せてきた。噴水広場で遊ぶアラーハ達、村の生花店の軒先、星降る山、水平線との境界がわからない湖など、身近なところから有名な観光地など、村の人も「行ったことある!」「いつか行ってみたいなぁ」の、言葉を聞くと自分の事のように嬉しかった。しかし、例の樹の絵は誰も行った事がないし、話にも聞いたことがなかった。「夢で見た場所なんじゃないの?」と、言われる始末。
アラーハ自身「そうなのかも?」と、思っていた時期もあった。そのことをピットに聞いても実際に見たの一点張りだ。次第にピットは、その絵を描く頻度が増え「ここに行きたい」が、口癖になっていった。
唯一の肉親である、かわいい弟が言うことは叶えてあげたいと、思うのが姉の性村の大人達に聞いて回ったが、誰一人知っているものがいなかった。
「どうしても、見つけたい!」
アラーハは危険を承知で、村の外に出たときもあった。その度に、大人達に引っつかまれ説教を受けた。
そんなことが続いたせいなのか、大人達はアラーハに狂気を感じるようになった。次第に子供らを彼女から離すようになっていく。
元々”魔女に襲われた村の生き残り”と、言うだけで煙たがっていた大人もいたくらいだ。最近の行動を見て、彼女に恐怖を抱いたのだろう。
「嘘つきアラーハ」「彼女も魔女」など、根も葉もないことを言われ、村から孤立していたけれども、アラーハは挫けなかった。
そんな日々が続き、すっかり村から孤立したある日の朝、アラーハが起きると、ピットはベッドから落っこちていた。
「行きたい。行かなきゃ」
いつもの樹の絵を握り締めて…………
ものすごい熱だった。今にも体が燃え上がるんじゃないかといった具合。
一旦ベッドに戻し、濡れタオルを額に乗せ、村の医者に転がり込むが、顔を見るなり門前払い、友人の家も訪ねたが、答えてくれない流石にこの時は怒りを覚えたのだが、今はそんなことに労力を割いている場合ではない。
とりあえず家に帰ることにした。扉を開けるとピットはベッドに寝ていなかった。玄関まで這って移動してきていた。
息も絶え絶えで「行かなきゃ、行かなきゃ」と、言っている。アラーハの声が届いていないようで、彼女を押しのけ外に出ようとしていた。
病弱の彼は、普段一歩たりとも外に出なかった。本人もそれで良いと了承もしていた。そんな弟が、こんなに外に出たがっているのだ、ただ事ではないと察し、ピットをおんぶして家を出ることにした。耳元でピットが微かな声で指示を出す、村の外だった。
前までなら、すぐに大人に捕まり連れ戻されてしまうのだが、今のアラーハに近づこうとする大人は一人としていない。
どこに行きたがっているのか直接言っていなかったが、アラーハは分かっていた。
例の樹がある場所、花畑の真ん中に場違いのようにある、虹を出す大樹がそびえる、大人も子供も知らないピットだけが知る秘密の場所。症状が悪化した弟をおぶって、村の外に出るのは圧倒的に気が進まなかったが、その樹を見にいけると言うなら、足取りが思ったほど重くはない。
弟の願いを叶えられる。嘘だと決め付けた村人たちを見返せる。そんな思いが彼女を動かしていた。
もう、どのくらい歩いただろうか、一時間なのか? 二時間なのか? 日は暮れてないので半日は経っていないだろう。
お腹が鳴った。朝ごはんも食べるどころではなかった。しかし、今の彼女にそんな音は耳に入らない、一歩一歩ピットの指示に従って歩を進める。
山の頂上に辿り着いた。木々の間から村が一望できる、そこでは子供達が広場を走り回り、大人達が畑仕事に汗を流す、日常の風景があった。
自分達の騒動など、なかったように時間が流れていた。それを見ても特別思うとこもなく、アラーハは山を越えていく。
ここまで来たのはアラーハ自身初めてだった。大人でも山を越えるのにあくせくするのだ。女の子が一人で来ることなど、できるわけがなかった。なぜそんな場所を病弱のピットが知っているのか? と、言う謎はあるのだが、この時の彼女には、そんなことはどうでもよかった。
ピットの憧れの場所に行ける。その一心で突き進んでいた。いつしかそれは、アラーハの夢になっていたのだ。
あの村の界隈は比較的安全で、凶暴な動植物、悪魔などはいないのである。
山を下り始めると、眼下には海が広がっていた。ピットが描いていた海、見つけた感動よりも、早く目的地に行きたい気持ちが勝った。そこからまた数時間、ついに目的の場所に着く。
ピットの絵のように青い空、澄み渡る海、足元にはピンクや黄色、白や青、様々な色の花が咲き乱れていた。そして、堂々たる風格の大樹が、青々とした葉を茂らせ、これまた絵と同じように、七色の虹を放っていた。誰にも信じてもらえなかった夢の場所に、自分は立っている。
アラーハはこの幻想的な情景に浸っていた。もう、ピットをおぶっていないことにも気づかないほどに……
「お姉ちゃんこっち!」
今にも気を失うのではないかと思うほど、衰弱しきっていたピットは、地に足を着き、アラーハを樹の下に誘っている。
ピットが歩いていることなど、微塵も不思議に思わず、弟を追っていく。
にこやかに指差す先は樹の陰、何があるのかと覗き込むと、三つの石碑が寄り添うように建っていた。
それにはこう文字が刻み込まれていた。
『ピット・ハルベルトここに眠る』
その両脇の石碑には両親の名前とともに『ここに眠る』の文字。
これは、アラーハの家族の墓であった。
「……? ――!!」
それを見て膝を突く、アラーハは全てを思い出した。
村が襲われ、アラーハとピットは助かり、魔女達が飛び去った後、二人で両親の墓を作ろうと、ここに来て作ることにしたのだ。
計画は順調だった。しかし、二人を埋葬し終えた後、元気だったピットもあっけなく逝ってしまったのだ。
両親と弟、愛すべき人を一度に亡くし、何時間もここで泣き潰した。弟の墓も作り、抜け殻のような彼女は、山を越え、今の村の前で倒れていたのを保護されたのだ。
目を覚ました彼女の前には、ピットがいた。もちろん彼はすでに、故人である。
目の前にいるのピットはアラーハが作り出した幻影。自分以外の家族がいない事実を心の奥に蓋をして、都合のいいように記憶を改ざんしたのだ。
当然村人にはピットの姿など見れるはずはなく。精神的に病んでしまった哀れな少女を放っておくこともできず、村に住まわせていた。
頬を涙が一筋、また一筋。涙は束になり、とめどなく流れる。そっと肩に何かが触れる。
ぴくっと体が反応し、そちらも見上げる。そこには両親とピットがいた。笑顔でアラーハを見ている。
「あぁ、やっぱり生きてるんだね?」
手を差し出すが、三人はその手を取ろうとしない。
「何で取ってくれないの!」
叫んだ。
涙のせいで三人の姿が歪む、拭っても拭ってもきりがない。三人が透けていき、背後に浮かぶ雲がはっきりしてくる。
「……いかないで」
言葉を搾り出す。
帰ってくるのは笑顔のみ。
一陣の風が吹くと、花びらが舞い三人と一緒に天に昇っていった。
それからしばらく突っ伏して泣いた。
いつしか辺りは夕日の赤に染まっていた。
涙は枯れ墓をボーッと眺めていた。
海辺まで歩いていく。村人からは嫌われ、家族もいない。こんな世界にいても仕方がない……波に向かい足を出す。
突風が吹き荒れる。あまりの風力に浜に倒れこんでしまう。
もう一度波打ち際に向かうが、また突風。今度はさっきの比ではない、砂を巻き上げ転がる。
めげずに自殺を試みるのだが、ことごとく失敗。何度目かの転倒の時、頭を上げると、目の前には家族の墓が……ここでアラーハは気づくのであった。
両親と弟がまだ死ぬべきではないと、天から言っているんだと……そこに気付き、自分を絞め殺したくなった。
先ほどのような自殺の為ではない。
家族が命を賭けてまで生かされたにも関わらず、その命を自ら捨てようとしたのだ。そんな最低な話はない。
自分の行動が、どんなに愚かな行為だったのか、悔いたし、恥じた。
墓に向かい頭を下げる深々と……
当然答えは返ってこない、そこに家族はいないのだ。
そろそろ太陽は、水平線の向こうに沈もうとしている、アラーハはそれを眺めていた。これからどうするか、宛てがなかった。
もう、今の村に帰れないし、帰る気にもなれなかった。
波打ち際に何かが漂流しているのが目に入る。
波にさらわれそうな所を間一髪拾い上げた。
それは、児童向けの絵本、表紙には「ヴァルハラの王」と書いてある。
世界で最も知られている御伽噺。
海水でビショ濡れであったが、一ページ、一ページ読んでいく。
アラーハ自身初めて読むものではなかった。誰しも寝る前に一度は読み聞かせられる御伽噺。しんみり読み終えアラーハには目標ができた。
「ヴァルハラの王に会いに行く」
もちろん願いを叶えてもらう為。家族を生き返らせる! そんなことも考えたが、せっかく安らかに眠っているのだから、そっとしておきたかった。
なので、彼女は「三人に直接謝る」と、言う願いを叶えてもらおうと考えた。
もちろんヴァルハラの王など御伽噺の中の話なのだが、世界中の人々はこの王様に会う為に旅に出るのだ。
「絵本の読みすぎだ!」と、笑う人が多いのだが、誰もが願いの為、暮らしを捨てていく。
彼女も先人達のように小さな希望に向けて踏み出す。
もちろんどこにいるかわからない。知っている人間もいない。現実逃避だと頭ではわかっているが、心がそう思っていない。
もう、日常生活に戻ることができない彼女にとって、考えうる最善の手であった。
再び墓に向かい旅に出ることを告げる。そこに三人はいないのだけれども、家族に謝るために家族の墓から旅に出る。
『ぐ~ぅ』
場違いに腹が鳴った。
アラーハの口角が上がる。いつぶりだろうか? 笑ったのは、よく覚えてない。
もう一生分の涙は出したので、残りの人生、笑って生きていこう、そう思うのだった。ようやく、冷静になった気がした。
「まずは腹ごしらえね」
今日は事件があってからちょうど一年目であった……
この世の何処かに、天に続く階があった。
この世の何処かに、何人にも抜けない剣があった。
この世の何処かに、虹で出来た釣り橋があった。
この世の何処かに、物言う兵器があった。
この世の何処かに、空飛ぶ大帝国があった。
この世の何処かに、永遠に続く回廊があった。
この世の何処かに、あらゆる願いを叶える王の城があった。
世界はあまりにも広大だ。一生のうちに全て踏破できる者はいない。もし、それが出来たとして、総てを知った者は、何を手にし、何を失うのだろう。
しかし、歩みを止めてはいけない。人々は生きしていく……遥かなる悠久を。
オンラインストレージ内から発掘されたので投稿してみます。
結構前に書いたやつだし、地の文ばっかだし読みづらいですね。
いつかこの話を書きたいな。