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獣王の息子  作者: 日向夏
9/32

9、巣窟 後編


 階段を上りきると、扉が見えた。ドアノブに手をかけると、すんなり開いた。


 中は、ワンフロアのそのまま使った間取りは変わらないが、これまた違った空間が広がっている。

 赤い絨毯が敷き詰められており、どこから運び込まれたかわからない天蓋付のベッドが置いてある。天上のシャンデリアは大きく、淡い光で中を照らしていた。


 雰囲気としては紅花の住んでいる家の客間に似ている。だけど、こちらのほうが薄暗く天井が低い。雑居ビルの内装だと考えれば仕方ないことだろう。


 ぎらんと光る双眸があった。

 

 薄暗い中、その男はくつろいでいた。椅子とテーブルはアンティークだろうか、独特の風合いがある。


「お嬢ちゃん、どうしたんだい? ここからは、プライベート空間だけど」


 柔らかい物腰で言う。端正な顔立ちで、その服装はラフながら品のあるものだった。いきなり連れてこられたら、どこかのお城の一室で、貴族が優雅にくつろいでいると勘違いするだろう。


「すみません、知り合いがここに来ていると聞いて」


 わざとらしい台詞をもう何回吐いただろうか。


 嫌だなと思う。

 気持ち悪い。

 きれいな部屋なのに、ここには独特の臭いがこもっている。


 ここは禁煙じゃないらしい、独特の煙草の臭いは、テーブルの上の葉巻だろう。それに混じった鉄の臭い。


 全身が総毛立つ。

 さっきの吸血鬼もどきの群れが可愛く見えてきた。なんでまた、こんなところに入ってきたんだろう、そう自問自答したくなる。


 残っている煙草の臭いはゆるふわが漂わせているものと同じだった。


 青年は鼻を鳴らす。そして、顔を歪めて、紅花を見た。


「ずぶぬれだね。それになんか、臭いがするね」


 スプリンクラーでずぶぬれで、さっきまでにんにくパウダーを持っていたからだろう。みすぼらしいことこの上ない。


「そのままではなんだから、着替えたらどうかな?」


 ゆっくりと立ち上がり、部屋の角にあるクローゼットを開いた。


 白い柔らかな生地をふんだんにつかったワンピースが並んでいた。ゆるふわが着ていた服に似ている。


 ロリコン。

 

 思わず口に出しそうになった。

 顔に出ていないか心配になる。


 じろじろと、紅花を見てなにやら値踏みしている。このビルにいる連中は皆そうなのだろうか。


「せっかくの黒髪がずぶぬれで台無しだ。それにしても」


 値踏みの目がさらに強く光る。


「その金色の目はとても珍しいね」


 青年の目が輝いた。身体が強張り、動けなくなる。金縛りに似たそれは、あのとき粘性生物に食われかけたことを思い出す。


 幻術だ。

 吸血鬼が得意とするそれを、この青年は使っている。


 彼がなんであるか、今更いうまでもないだろう。


 吸血鬼がそこにいた。


 吸血鬼は椅子から立ち上がり、紅花に近づいてくる。


 動け、動け!

 

 ぴくんと小指が動いた。


 ぎゅっと足に力を入れる。

 重い、けれど動く。だが、重い。


「顔立ちも少し違うね、どこかのハーフかい?」


 吸血鬼の手が伸びる。

 

 ふつふつと怒りがわいてくる。

 怖いという感情よりもっと違う気持ちが上回る。それが、紅花を拘束する術を妨げていた。


 なにに怒っているかと言えば。


 吸血鬼の手が触れそうになる寸前まで待った。

 この前は、こういう場面で誰が助けに来ただろうか。


 それを期待して、裏切られた。


 なにかがバチンと切れる音がした。


「触んな!」


 紅花は、勢いよく拳を振り上げていた。拳になにかが触れて、それが勢いよく飛んでいく。

 床に打ち付けられたと思ったら、バウンドし、壁にぶち当たった。


 全身がじんじんするが、金縛りが解けて、自由に動けるようになった。


 弾丸のように吹っ飛んだのは、近づいてきた吸血鬼だった。


 吸血鬼は、そのままぴくりとも動かない。


 紅花は、吸血鬼を殴った手を撫でる。


 目を細めて、相手を見る。

 やはり、動かない。ぴくりとも動かない。


 なんだか、違う意味で不安になってきた。


 紅花はそろり、そろりと近づいた。


「あ、あのー」


 生きてますか?

 

 間抜けな質問をした瞬間だった。

 

 首が絞められた。

 いきなり押し倒され、上から体重がのしかかった。


 長い爪が首の皮膚をえぐる。

 気道を押さえこんで苦しい。


「残念だったね。私にはそういう攻撃はきかないよ」


 殴ってふっとんだはずなのに、吸血鬼の顔には傷一つついてなかった。

 大きく口を開ける。普通の人間とは違う、長すぎる牙が見える。


「人外か。まあいい。上物には違いない」


 起き上がろうともがくが、今度は視線をしっかり固定され術をかけ続けられている。


 息ができぬ苦しさもあり、唾液が口の端からこぼれる。


「ちょっと臭いがきついが、仕方ないね。先に、味見をしておこう」


 ワンピースの襟を破かれる。首と肩をむき出しにされる。


 ロリコン、変態と叫ぼうにも、舌が回らない。

 

 てらりと輝く牙が紅花に近づいてきた。

 

「確か、銀の武器なら効いたよね」


 何の気配も感じなかった。なのに、そのあどけない声が聞こえた。そして、目の前の吸血鬼の首から血が流れていた。


「っ!?」


 じゅわっと吸血鬼の血が蒸発していた。いや、沸騰している。それを苦しそうに両手でおさえている。


 紅花は吸血鬼の腹を蹴った。

 さっきよりも明らかにあたったという感触がして、吸血鬼の身体はまた吹っ飛ぶ。


「すごい脚力」


 のん気な声は、紅花の真横に立っていた。


 その手には銀色のナイフを持ち、足は靴を脱ぎ捨て、獣型のものに変化させていた。


 颯太郎少年がそこにいた。

 

 何の気配も感じなかった。それは、あの吸血鬼も同様だろう。なにが起きたのかわからず、首を押さえのた打ち回っている。


 猫の狩り、そのままだと思った。

 単独行動をとる猫は、毛づくろいをし自分の臭いを消す。そして、クッションのきいた足で、気配を殺し、獲物へと近づく。


 紅花ににんにくパウダーを渡したのもこのためだとわかった。囮と聞いていたが、怒りを覚えずにして何と言おうか。


「……サイテー」

「ええっと、なにが?」


 颯太郎少年はわけがわからないと言う顔で、吸血鬼のほうへと近づいていく。

 その顔は、まさに鼠を追い詰める猫そのものだった。もっている銀のナイフはステーキナイフで心もとないのに、吸血鬼の顔はひどく歪んでいた。


「最近の研究では、吸血鬼が銀の武器に弱いのは、それが彼らにとって毒物だからと言われている。また、銀の武器以外きかないというのも迷信である。吸血鬼にとって、常に幻術で相手を惑わすことが基本であり、再生能力も高いため、軽く傷ついた程度では即座に回復し、それをなかったように見せることができる。つまり、ひたすら攻撃を加えることで倒すのは可能だが、そこに至るまで人間が持つことは皆無である」


 少年は朗々と言い聞かせるように、口を動かす。


「幻術によって攻撃を当てさせたように錯覚させ、無傷を主張することで相手に不安を与える。そこにさらに幻術をくわえることで、相手を翻弄する。残念ながら、未だ幻術については、解明されていない。催眠術の一種という説もあるが、それにしては強力すぎるためだ」


 少年の足はいつのまにか、獣のものから人間の素足に戻っていた。

 

 ナイフを突きつけたまま、颯太郎少年は吸血鬼を見据える。


「これ以上、なにも悪いこと考えないほうがいいよ。もうすぐここにいっぱい人が来る。あれだけ下の階に、吸血病患者がいるようなら、弁解の余地はないよ」

 

 かなり強気の発言だった。

 

 聞いているこっちがひやひやしてくる。


 紅花は、後ろからがたがたと足音が響いてくるのが聞こえた。

 階段から誰かが駆け上がってくる。


「紅ちゃん! ドア、押さえて!」


 颯太郎少年の言葉に紅花は慌てて階段に続く扉を押さえた。鍵をかけて、チェーンをかける。近くにあったテーブルを倒し、それごと扉を押さえこんだ。


 ノブががちゃがちゃ動く。どんどんと叩く音が響き、ドアが破られようとしている。スプリンクラーが止まり、下の吸血鬼もどきが動き出したのだ。


「ちょっと! これ、どうするのよ!」


 紅花が叫ぶ。おさえることはできても、破壊されては意味がない。


「がんばって!」

「できるかーー!!」


 ぐっと拳を握る颯太郎少年に殺意が芽生えたときだった。

 

 少年の視線が離れた一瞬を狙い、吸血鬼が動いた。走り出したかと思ったら、その姿は黒い小さなものへと変わっていた。


 大きな蝙蝠がそこに現れた。

 蝙蝠はぱたぱたと飛びあがると、非常階段へと続くドアへと向かう。


 颯太郎少年はそこから入り込んだのだろうか。間抜けなくらいドアが全開になっていた。


 なにやってんの、馬鹿!


 叫びたいが、紅花はテーブルでドアをおさえるので精いっぱいだ。


 颯太郎少年は追いかけるどころか、それを悠長に目で追うだけだ。


 なにやってるんだ!


 巨大な蝙蝠は、非常階段へと出てしまう。

 空を飛ぶ蝙蝠が外に出たら、もう追いかけられない。

 

 なに、チャンスを逃がしているんだ!


 呆然とする紅花を後目に颯太郎少年は悠長に歩き出した。


 そのときだった。


 外でものすごく派手な音がした。なにか、大きなものが落っこちる音だ。


「仮説は正しかったのかな」


 颯太郎少年は紅花の前に立つ。さっきまでがたがたうるさかったドアが急に静かになった。


「もう離していいよ」

「えっ?」

「大丈夫だから」


 紅花の手をとって少年が引っ張り起こそうとした。


「……」


 しかし、起こせなかった。


「ねえ、体重何キロ?」

「だまらっしゃい」

 

 紅花は自力で起き上がる。這い上がった際に、破かれた肩がむき出しになった。


 これなら、土いじりをしたときに来ていたデニムのままでいればよかったと思う。お気に入りの一枚だった。


「ごめんね」


 少年はぽつんとそれだけつぶやいた。


 少年がなんでこんなに落ち着いているのかわからない。


 颯太郎少年が非常階段へと向かうのに、一緒についていく。


 外はもう真っ暗で、周りには下品なネオンとそれに集る蛾がたくさんいた。


「ちょっと見えにくい?」


 颯太郎少年は、懐中電灯を取り出すと、階段下を照らした。何か大きいものがぴくぴくと動いている。


 なんだろうと、近づこうとすると、少年に肩を掴まれた。


「転ぶから気を付けて」

「転ぶ?」


 意味が分からないまま、ゆっくり進むと、なにかぴんとはった糸のようなものに触れた。


 真っ暗でわからないがワイヤーのようだ。艶消しをしており、これだけ薄暗いとまったく見えない。


 そして、足元がやたらべたべたした。


「とりもちにも気を付けて」

「とりもち?」


 階段の一段に男性用の革靴が張り付いていた。海外ブランドのけっこういいものだ。


 意味が分からないまま慎重に降りていくと、そこにはさっき逃げ出したはずの吸血鬼が地面に転がっていた。

 全身にワイヤーが食い込み、片足は靴が脱げ、なぜかずぶぬれかと思いきや、地面にはバケツが転がっており、なんだか妙ににんにく臭かった。


 せっかくの端正な容姿がもう情けないくらい曲がっていた。

 

「……これって」

「吸血鬼は蝙蝠に変身するっていうけど、あれについて一つ仮説があるんだ。獣人なんかも変身するけど、吸血鬼が蝙蝠に変身するのとは少し違う。変化する質量が違い過ぎるから。質量保存の法則をかけ離れた能力は、それだけエネルギーを喰うと言われている。なのに、吸血鬼はもとより半吸血鬼ダンピールもその能力が使える個体がいる。だから、実は幻術の一種じゃないかって説」


 変身するのではなく、そのように見せるだけで、本体はそのまま人の形だ。蝙蝠のように飛べるわけはないので、もし非常階段をでたら、そのまま下に降りるはずだ。


 というわけで、紅花が囮をがんばっている間、颯太郎少年はその準備をしていたという。

 

 非常階段の下の地面ににんにくを転がし、艶消ししたワイヤーを階段に張り巡らせる。引っ掛かったところ辺りで、その段にトリモチを塗っておき、転んだはずみでバケツから水がかかるようにしたと。


「……」


 そして、現在少年は銀のナイフで吸血鬼の手足を突き刺していた。命をとるつもりはないが、行動を制限させるためである。


 縄で縛っているが、そこには銀糸がきらりと光っていた。


「高かった、銀糸。今月、もう鰹節買えないなあ」


 そうのん気なことを言う少年を見て、紅花は呆然とするしかなかった。


「……あんただけは敵に回したくない」

「そう?」


 あどけない顔をしたまま、少年は吸血鬼を転がした。


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