7、庭いじりとコンビニへいこう
ゆるふわが体育の時間に倒れてから二日たった。翌日、ゆるふわは学校自体休んでいた。病欠とのことだけど、その理由は明らかだった。
あのあと、颯太郎少年はなにごともなかったかのように、窓から出て行き、養護教諭が戻ってきた。
偶然を装って、首の噛み痕を見せたら、顔色を変えていた。
慌てた顔で、名簿を探して連絡していた。
ゆるふわのことは気になっていたものの、紅花にはどうすることもできない。それに、いっては悪いが、距離を置きたかった。
食人鬼と接触があるとなれば、ゆるふわの行動範囲内にそいつが現れたということになる。
中学生の行動範囲なんてたかが知れている。
もしかしたら、紅花も知らない間にすれ違っている可能性だってある。
鳥肌が全身に立った。
出会いたくない、近寄りたくない。
経験が身体に恐怖を刻みこみ、それを認識するだけで震えが止まらない。
『食人鬼』、人外が人権を持った人間以外を持った者なら、それらは人を食らうことで人権を持たない者たちである。
昔ながらに人間の生血を求める吸血鬼や、人肉を好んで食らう鬼、死体漁りを行う屍鬼が一般的だが、中には人を食らわずとも殺人を嗜好とする者も含まれる。
それらには人としての権利を与えないことで、処罰しやすくしているが、形は人と同じものが多い。
ゆえに、社会に混じって、その食欲や嗜好を満たす。原因不明の行方不明者の半分は、食人鬼によるものではないかという話も聞く。
紅花はげっそりしながら、ベッドでうつ伏せになる。何か気晴らしにと、手探りでテレビのリモコンをとってつける。
でてきたのはワイドショーだった。また、この同じ連続殺人事件の特集だ。さすがにここまで長引けば、警察も無能としか言われないので少し可哀そうな気もする。
他のチャンネルに変えても、子ども向け番組か時代劇の再放送くらいしかなかった。つまんないなあと思いながら、ベッドから起き上がると、テレビを消した。
喉が少し乾いたのでリビングに行こうと思った。
リビングでは若ママがレース編みをしていた。レース編みをしながら、ノートパソコンを立ち上げて、株を見ていたのが若ママらしいなと思った。土曜日なので、今日は取引しないが目ぼしい会社をチェックしていた。
あれ?
今日は、うざったらしい愚兄がいないようだ。いつもなら、若ママの隣に座ってべたべたセクハラをしながら作業の邪魔をしてしばかれているはずなのに。
「不死男くんは、お仕事よ。今月、決算の会社が多いんだって」
愚兄はああ見えて税理士だ。脳味噌は若ママのことしか考えていないようで、それなりに詰まっているらしい。
「よく行ったね」
例え、忙しかろうと若ママとの時間を潰されようものなら、会社辞めてくると言いそうな馬鹿兄だ。
「ええ。だって会社のみなさん、大変だし、それにこれが欲しいからがんばってって言ったら張り切って仕事に行ったけど」
そう言って若ママが見せてくれたのは、不動産情報サイトだった。
いや、一税理士が残業したところで買えるものじゃない。
「この家、写真見る限り造りは悪くないし、水回りリフォーム済なのよ。実物、見ないとわからないけど、これから地価が上がりそうな場所にあるのよね。それとも、こっちの空き地のほうがいいかな」
若ママの目は狩人の目に変わっている。
若ママはこう見えて土地を転がすのがうまい。数年先を見越して、物件を買い、貸したり、売って利益を得ている。
専業主婦にみえるが、愚兄と同じく税理士や他にもろもろ資格を持っているので、在宅で仕事を請け負っている。
でも多分、土地転がした利益のほうが大きいって思う。
「そうだ、紅花ちゃん、今日は一日暇?」
「暇といえば暇かなあ」
六月初めに中間試験があるけど、まだ勉強にとりかかる気分じゃなかった。
「じゃあ、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「いいけど」
そう言って、若ママはパソコンを落として、レース編みを片付けた。
なんのお手伝いかと思ったら、庭いじりだった。
本当は愚兄に手伝わせるつもりだったみたいだけど、仕事に行った。
あらかじめ買ってきていた季節の花の苗が庭に置いてある。元は薔薇を植えていたみたいだけど、さすがにハウスキーパーさんの月一訪問では世話ができず、そこはアーチだけを残していた。
植えるだけかと思っていたら、本格的に土を入れ替えるらしく若ママはつなぎに着替えていた。頭には麦わら帽子をかぶり、けっこう本格的だ。
基本、紅花の服装はスカートしかないので、デニムのサロペットスカートに着替えてきた。学校のジャージの方がまだ、それっぽい作業着に見えるけど、家にいるときまでジャージなんて着たくなかった。
正直、土いじりなんて好きじゃないけど、若ママが手伝ってといったらそれくらいする。
ざくざくと土を掘り返して苗と一緒に買ってきた土を混ぜる。何種類かあり、花の種類によって土の分量をかえる。
「あっ」
途中まで、順調に植えてきたのだが、若ママの声で作業が止まった。
「どうしたの?」
「あー、ぼかし足りないかも」
ぼかしとはたしか肥料のことだったと思う。
別に足りなくてもこれだけ他に土があれば問題ない気もするが、そういうのがけっこう気になるみたいだ。
「いますぐ必要なの?」
「そんなことはないけど、できれば今日中に終わらせたいからー」
「買ってくる?」
「あっ、それなら悪いけど、お隣さんからぼかし貰ってきてくれない? 多分、裏庭あたりでいい感じに作ってると思うから」
「うん、わかった」
妙にお隣さんの庭事情に詳しいな、と紅花は思いつつ、土を入れる紙袋を片手に日高家に向かうことにした。
日高家は、ちらっと聞いた話によると、六人家族らしい。颯太郎少年は一人っ子で、両親と祖父母と曾祖母がいるらしい。
基本、家で畑仕事をしているのは颯太郎母で、あとの大人たちは別の場所で働いている兼業農家さんだ。
ちょっと汚い格好で余所のお宅に行くのに抵抗はあるけど、出てくるのが颯太郎少年か颯太郎母ならまあいっかという気分になっている。颯太郎少年は普段、かなりだらしないところばかり見ているからというのと、颯太郎母についてはキウイでごろごろする姿を見てしまったからだ。
悪いが、自分よりもかなり格好悪いところを見せた相手に対して、気が抜けて接しやすくなるというのはごく普通の感情だと思う。
この間よりすごく気楽な気分で日高家につくと呼び鈴を鳴らす。
鳴らすが音沙汰ない。しばらく待っていても、聞こえてくるのは雄鶏の勇ましい鳴き声くらいだろうか。
留守かな?
畑仕事に行っているかなと思っていると、いきなりがらんと戸が開いた。開けたのは、颯太郎少年だった。
いつもながら、彼の足音はまったく聞こえないので、いきなり現れたみたいでびっくりする。
「どうしたの?」
颯太郎少年はぶかぶかのTシャツにハーフパンツをはいていた。額にアイマスクをずらいているところから、昼寝中だったと思われる。
「あっ、えっ、えっと、義姉さんが日高さんちからぼかしもらってきてって」
若ママではなく義姉と呼ぶ、これが正しい呼び方だが、愚兄がそれを聞くとにやにやするので、あんまり言いたくない。
「うん、わかった。じゃあついてきて」
少年は、ビーチサンダルを履くと玄関を出てこっちこっちと紅花を案内した。
日高家の庭はこれといった日本庭園というわけじゃなかったが、数羽放し飼いにされた鶏が妙に風情を感じさせた。
ぐるりと家を半周したところで、増築したらしき離れが見えた。その横に枯葉が堆積した山が作られている。
颯太郎少年はスコップを持ってくると、その山を崩し、中から柔らかい土を取り出した。独特の発酵臭がし、中にうねんとミミズが見えたので、紅花はうげっと顔を歪めた。
「入れ物ある?」
「あるけど、ミミズ入れないでほしい」
「ミミズがいるといい土になるんだよ」
「でも入れないでほしい」
あのしましま具合とかうねうね具合とか見ると、気持ち悪い。蛇も嫌いだけど、顔らしきものがないぶん、ミミズのほうが嫌だろう。
颯太郎少年がスコップですくっては、うねるミミズを指でつかんで捨てているのを見て、軽く悲鳴を上げそうになった。確かに入れるなと言ったのは紅花だけど、棒で引っかけるとかもっと違う方法があると思う。素手とか信じられない。
「こんなもんかな」
「ありがとう。これってお金とかどうするの?」
「えーっ、さすがにうちの家系は守銭奴が多いけど、こんな土でお金はとらないよ。野菜買ってもらってるし、いいんじゃない」
紅花は袋いっぱいの土を貰う。そこそこの重さはあるけど、紅花には大した量じゃない。
ふと、離れの小屋が気になった。一つだけついた小さな窓から、中が見える。薄暗いがたくさん本がみえた。
「倉庫かなにか?」
「あっ、これ。父さんの書斎」
「書斎?」
「うん、書斎」
確かに、書斎なのだろう。
本以外見当たらない。
「前は父さんの部屋に置いてたんだけど入りきれなくて、増築したんだ」
そう言って、少年は小屋のドアを開ける。
本を数冊持って見せるが、泥で汚れた手で触って怒られないのだろうか。
本のタイトルは、『東北地方における伝承と人外の関わり』、『世界の人外 水棲編』、『妖怪と人外の違い』と随分変わったものばかりだった。
あの医療施設で見た本棚の構成とそっくりだ。
「父さん、人外研究者なんだ」
なるほどと紅花は思った。道理で颯太郎少年が、人外について詳しいわけだ。それに、猫又に限らず、人外を嫁にする人間は正直珍しい。その道の人なら、いくらか理解できる。
少年はついでとばかりなにか本を探している、何を探しているのだろうか。
ちらりと、彼の背中からにょろっとしたものが見えた気がした。
思わず目をこすった。
すると、にょろりとしたそれは消えた。なにかの見間違えだろうと紅花は思う。
「ありがとう、じゃあ、かえるね」
「うん、ばいばーい」
後姿のまま手を振る少年にぺこりと軽く会釈して、紅花は帰る。
また、庭を突っ切る最中、縁側が見えた。
颯太郎少年愛用のクッションが置いてあり、飲みかけのペットボトルと本が数冊置いてある。昼寝をしていたようだが、ここで日向ぼっこしながら寝ていたのだろう。
あれ?
紅花は縁側へと近づいた。
ちょっと持ち運び過ぎて形の崩れたクッションの横に本がある。
そのタイトルを見る。
『吸血鬼の習性と生態』、『吸血行動の心理』と書かれてあった。
これも、颯太郎父の蔵書だろう。
「……」
ちりちりと首すじに嫌な感覚が過ぎ去っていった。
紅花はそれをぺらぺらとめくった。
時刻は十七時前くらいだろうか。紅花は二階の窓から外を見ていた。
見慣れた栗色の髪の人物が自転車に乗っているのが見えた。これからでかけようとしている。それがわかった。
部屋から出て、一階に降りると、若ママが夕飯の準備をしていた。
「若ママ、コンビニいってきていい?」
形だけでも財布もろもろを入れたポーチを持っている。
「いいけど、ご飯あるの忘れないで」
「はーい」
靴を履いて外に出ると、ちょうど自転車の少年とすれ違うところだった。
「颯太郎くん」
紅花の声に気づいたのか、キキッとブレーキの音をさせて颯太郎少年が止まった。背中にはリュックを背負っている。
「どこへ行くの?」
「ちょっと、コンビニまでだよ」
「偶然だね。私もよ。一緒に行こうか?」
「えー、クラスの女の子と一緒って恥ずかしいよ」
ああ、嘘をついていると紅花は思う。そんなことこんなマイペースなハーフ猫又が思うはずがない。
ちりちりと首の産毛が火で焼かれているような感覚がする。
やっぱり。
さっきは見間違いだと思った。
今まで見たものと少し形が違ったからだ。
にょろにょろしたものは気持ち悪い。
改めて思う。
「どうしたの?」
屈託ない笑みを浮かべる少年。その足元から、黒いにょろりとしたものが生えていた。それはまるで寄生木のように、少年に憑りつき、みしりみしりと少しずつ相手を枯らそうとしているように見えた。
まるでナメクジのように這い、てらてらと気持ち悪いあとをつけながら、その異形のものは少年にとりついていた。あまりにくっつきすぎて、少年の身体から生えているようにさえ見える。
アレ、死亡フラグだった。
いつも見るときは恐怖でしかないそれは、今回は妙に落ち着いて見ることができた。脇の汗腺からじっとりした気持ち悪い汗が浮いているのがわかる。ぬるりとした汗は、紅花の鼻腔に悪臭として感じられた。
こんなの初めてだった。
どういうことだろうか。
いつもは紅花を襲い、恐怖を誘うアレが颯太郎少年に憑りついて離れない。
いや、これはどちらかと言えば。
紅花ではなく、颯太郎少年のフラグが立ったということだろうか。
「……颯太郎くん、颯太郎くんって、自分の死亡フラグは見たことある?」
「僕は鏡がないと自分の顔は見えないんだ」
颯太郎少年がどういう形で死亡フラグが見えているのかわからないが、彼は相手の顔を見て感じ取るようだ。
「手鏡あるよ?」
「見たくないよ」
それが答えだと思った。
「どこに行くの?」
「コンビニじゃない?」
答えがすこし投槍になっている。
「うそだ」
紅花は断言した。
颯太郎は吸血鬼について調べていた。ぺらぺらめくった本にはこんなことが書かれていた。
『吸血鬼は最初に、獲物に噛みつき味見をする。そして、日を改めて血を吸いに行く』
『吸血鬼は満月に近づくほど力を強める』
『吸血鬼は一度狙った獲物は見逃さない』
どこまで本当かは知らない。けっこう古い本だった。今、出版するとしたらできないだろう。吸血鬼と食人鬼がごっちゃになっており、人権活動家とやらにとやかく言われる中身だからだ。
だからこそあけすけに、古い吸血鬼の習性が書かれていた。
今日は三日月くらいだろうか。これからどんどん月が満ちてくるが、本の内容を信じればまだ本領を発揮できないだろう。
プラスして、獣人は新月ほど理知的で、満月になると理性を失うと聞いた。
でも、正直理性があるとは言い難い行動を颯太郎少年はしようとしている。
この少年は、少し馬鹿だ。
自分のあばらを犠牲にして、自分勝手なクラスメイトたちを助けた。
無愛想な転校生のあとをつけて、助けてくれた。
虫唾が走る。
その紅花の感情を読み取ったのか、颯太郎少年はにこりと笑う。猫みたいに目を細めたあと、薄く開き、紅花を見る。紅茶みたいな色の目が冷たく光る。
「紅ちゃんはいいよね。助けを求めたら、皆助けてくれるから」
いつもほわんとした少年とは思えない冷たい声だった。少し低く、あのとき井戸があった神社で聞いた声に似ていた。
「ずっと紅ちゃんはなにか恐れているけど、本当にそれが怖いの? 君より強い生き物ってそんなにいるの?」
あどけない口調だけど、ずきんと突き刺さった。
君より強い生き物ってそんなにいるの?
なんていうことをいうんだろう、女の子に向かって。クラスで話したら、学級会ものだ。
でも、本当のことだ。
転入早々、粘性生物に襲われたときも、どうみても倒せる生き物だった。
おそらく、その前に襲われた食人鬼も――。
たぶん、倒せただろう。
食われることが怖い、それをのぞけば。
「ねえ、紅ちゃん。一緒に行かない?」
「いやだ」
「そう言わないでよ」
前と似ている。学校裏に誘われたときと同じだ。
「うちの義姉さんに頼むといいわ。きっとうまくやってくれるから」
「時間がないよ。大人って手続きを踏むもん。それに、今口頭で教えたとして、僕らは止められる」
「だったら、颯太郎くんが行く必要あるの? 行ってなにかの役に立つの? むしろ、勝手なことをしてるって思われるんじゃない?」
「時間稼ぎならできるよ」
ふわふわと髪の毛を揺らす少年は言った。
「でも、僕が行ったところで、せいぜい一時間が関の山かな。でも、紅ちゃんがくれば違うと思うんだ。きっと、間に合うはずだよ」
「どうして?」
「古い吸血鬼はグルメだからだよ。薬の混じった輸血用血液も、血清を打った後の味の変わった血も嫌う。でも、紅ちゃんは……」
とても美味しそうに見えるんじゃないかな。
少年の身体を包む、フラグが一層濃くなった。
別に気にすることない、家に帰って夕飯を食べよう。
颯太郎少年やゆるふわがどうなろうと知ったことではない。
そのはずなのに。
肌がべったり汗ではりつく中、紅花はひどく愚かで滑稽な行動をしようとしていた。