28、誕生日とベニバナ
何回死んだんだろう?
紅花はベッドの上で、自分の手のひらを見ながら思った。
あのあと、兄さんがすぐ駆けつけてくれた。その隣には意外な人物がいた。
学校を抜け出すとき会った初老の男だ。憂鬱そうな表情のまま、兄さんの隣に座っていた。
誰と聞くと、兄さんは少し遠い目をした。
「一姫の孫だ」
一姫、それは紅花にとって姪にあたる人物だ。姪だが、年齢は二百近く年上である。
姪ということだが、兄さんたちに子どもはいない。
理由を聞いたら、昔、長兄がいて各地に子孫作りまくったという最低の話を聞いた。
そいつはもういないらしいが、もし目の前に現れたら愚兄と同じくらい冷ややかな目で見てやることだろう。
ニートだけでは不安だと、一姫の孫、新之助をつけてくれたという。
老けているのは、人外としてではなく人間として生きているからだという。それでも、実年齢は八十近いとのことで、老化はゆるやかなようだ。
紅花たちは、二人に連れられて隠れるように燃え上がる家をあとにした。
そして、今に至る。
緊張の糸が切れたのか、紅花は準備された車に乗り込むとそのまま気を失った。
起きたら、部屋のベッドの上で、輸血されていた。
血液のラベルに書かれてある名前を見て、すごく嫌な顔をしながらも、それを受け入れるしかない。お父さんがいない今、一番、家族で力が強いのは愚兄だ。同じ兄弟でも、不死者としての能力に違いがある。愚兄の見た目は、お父さんにそっくりだ。お父さんに打算と偏愛とオープンスケベを足したら、大体、愚兄になると思う。
紅花は枕元を探る。目覚まし時計を見つけると、そのデジタル表記を確認する。
「……」
最悪だ。最悪すぎる。
そこにある日付は、紅花の誕生日からちょうど一週間がたっていた。しかも、午後の六時である。
写生大会の日、あの白い家に行った日、紅花の誕生日だった。
「十三歳、おめでとう」
乾いた笑いを浮かべながら、セルフで祝福してしまう。
なんで、首を突っ込んじゃうんだか。
あー、馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ。
おかげでケーキ食べ損ねた。なにやってんだ、一体。
頭を抱え、ごろごろとベッドの上を左右に転がる。転がり過ぎて、ベッドから落ちかけ、点滴を横だおしにする。慌ててそれを支えるが今度は、手に付いていた針が抜けてしまった。
「なにやってるの?」
そして、一番見られて気まずい奴に見つかるのまでがお約束だ。
「……」
紅花はノックもせずに入ってきた気まずい奴こと愚兄を見る。
「なにもやってないわよ!」
「うん、血の染みはオキシドールで消えるから」
「アンタの血でしょ! 自分で片付けなさいよ!」
針が外れて、こぼれた血が絨毯についている。
むーっと、口を尖らせる。
「救急箱は?」
「うちにあると思う?」
不死者のうちにそんなものない。擦り傷なら一瞬で治るので必要ない。
「オキシないじゃない!」
「だよね」
愚兄は、そう言って部屋を出る。
あー、むかつく。
紅花は、ティッシュを何枚も掴みとると、ベッドわきに置いてあったポットを手に取って濡らした。
そして、ぽんぽん叩いて血の染みを落とす。
しばらくして、あわただしい足音が聞こえてきた。息を切らした若ママが、ばたんと部屋のドアを開ける。勢いがつきすぎて蝶番が外れ、吹っ飛んだドアが後ろにいた愚兄に当たる。
いい気味だ、と思う間もなく、紅花は若ママに抱きすくめられた。
「怖かった? 怖かったでしょ?」
しきりに聞いてくる若ママに、紅花は自然と笑いかけていた。
「大丈夫」
一応、頼りない騎士がいたから。
ぎりぎり助かったから。
そう思いながら、若ママの背中をぽんぽん叩いた。
ちょっと、苦しいかも。
紅花はお腹をさすりながら、テラスへと出た。
一週間ぶりの食事はごちそうだった。
若ママはちゃんと紅花が起きてから誕生日を祝おうと毎日、ごちそうをじゅんびしてくれたらしい。
すごかった。
リビングに入るなり、目に入ったのは、ウェディングケーキ三つだった。
テーブルには鳥の丸焼きが一ダースと、豚が三頭、ステーキがパンケーキみたいに積み重なっていた。
テーブルだけじゃ足りなくて、横にワゴンが置いてある。ポリバケツみたいな寸胴が三つあって、クリームシチュー、カレー、コンソメスープが入っている。
ペットボトルは六本入りの箱が見えるだけで七つある。
相撲部屋で使うような大きな炊飯器は三つ、それも一度焚いているらしく、大皿に山のような炒飯が盛ってある。
サラダは野菜が山盛りになって、ボール五個分。今回は肉中心に、とこれでも減らしたほうだろう。
他にも紅花が好きなカニの足が、野菜スティックのようにジョッキに飾られていたり、フルーツカービングされた果物がオブジェのように並んでいたりした。
そして、極めつけに天井からニートが逆さ吊りにされていた。たぶん、つまみ食いした報いだろう。
部屋に置ききれなかった料理や、途中で作り足す材料はキッチンにおいてあった。
何食分なんて生ぬるいものではなく、一般家庭何カ月ぶんの食事だと表記すべき量である。
そういうわけで、さすがの紅花もおなかいっぱい食べることができた。
食べ過ぎて苦しいくらいだ。
若ママは紅花がしっかり食べたのを確認してから、シャンデリアの横に並んでいたニートを下ろした。
ニートは残り物を泣きながら貪っている。
でも、たぶん足りないだろう。うん、つまみ食いしたのが悪い。
紅花がいつ起きるかわからないから、毎日作り直してくれてたんだと思うと、とてもうれしい。おかげで、度が過ぎた食べ方をしてしまった。
テラスの椅子に座って、夜風に当たる。
星空が綺麗だ。
ちょっとロマンチックな風景なのに、紅花のおなかはぎゅるぎゅるなる。さっきお腹いっぱいだったのが、こうして急激に消化していく。
質量保存の法則を無視したような、ブラックホール胃袋はこの異常な消化速度が特徴だ。人間の二倍近い密度を持つその肉体は、維持に大量のエネルギーを使う。
前に、若ママに不死者の数はなんで他の種族に比べて少ないのか聞いたことがあった。増やそうと思えば増やせる。そう、紅花が颯太郎にしたように。
若ママはその質問に、食物連鎖の話で返してくれた。
小さいころは意味がわからなくて、首をかしげていたけど、今ならわかる。
異常なんだよな。
この不死に近い身体を維持するために必要とするエネルギーが。
基礎代謝で成人男性の十倍のカロリーを必要とする。それが激しい運動や肉体の欠損が増えると、その量は跳ね上がる。
そんな生き物が増えすぎたら、蝗と同じ扱いを受けるだろう。蝗害、バッタが畑を食べつくすように、不死者もまた食べつくす。そして、その力が他種族の比ではない。
でも、その異常な食欲を代償としてでも、不死身の肉体を欲しがる人はたくさんいる。
それが、今回の事件だった。
食べながらで失礼だったけど、紅花は兄さんに電話した。事の詳細を聞くのに、一番適しているからだ。
颯太郎は元気みたいだ。メールに何回か入っていた。とりあえず、面倒なのでスタンプ一つくっつけて返してやった。
古床も元気のようだ。前回と同じように、記憶の処理は終わっているらしい。むしろ、記憶に残しておいて、二度と危ないことに関わらないでほしい。
それにしても、紅花ほどでないにしても、なかなか悪運の強い子だ。
白い家は全焼した。
そこで見つかったのは、古い骨だけだった。焼けて骨になったものとは違い、元から骨だったという。だいぶ傷んでいるが、調べた結果、中年の男女の骨ということが推定された。
それが誰の骨なのか、紅花は想像がついた。
そして、それを苦く思いながら、他に遺体が見つからなかったことをほっとしていた。
ぎゅるぎゅるという腹の音がおさまった頃、紅花は少し身体を慣らそうと庭にでた。サンダルを履き、軽く家を一周しようと思った。
「?」
すると、目の端に赤い何かが見えた。
庭の端っこ、煉瓦でできたアーチの横に置いてある。
「花?」
アザミに似ているが、色はオレンジだ。
「……」
紅花はその名前を知っている。自分の名前の由来が気になって、ネットで検索してでてきた花だ。
正直、その地味さと、『末摘花』という異名にがっかりした。
そう、ベニバナだ。
しかし、このベニバナは可愛らしく小さなブーケになっている。地味に見えたそれもこうやって見れば悪くないと思った。
ここいらでは道端に生えているものではなく、花屋でも売っているものじゃない。
どうやって手に入れたのか。
花びらに触れるとまだみずみずしい。
もしかして、紅花の目覚めに合わせておいてくれたのではないだろうか。
ここはリビングからよく見える場所だ。たとえ食事に夢中でも、五感が人間離れした山田家の住人に気づかれないとは大したものだ。
そして、そんな人物に紅花は一人心当たりがあった。
「ふふっ」
仕方ない、もらってやるか。
紅花はブーケから一輪、ベニバナを引き抜くと耳にかけた。
そして、少しにやにやしながら、リビングに戻っていくのだった。




