3、学校の怪談
山田家の新居は、けっこう立派な洋館だ。新居と言っても、築百年をこえた歴史ある建造物で、昔、海外にあったものを移築したらしい。
それでもって、紅花が生まれる前は家族皆で住んでいたらしい。
今、ここに住んでいるのは紅花を含めた三人だ。
広さとしては十分だけど、できれば愚兄を始末して、若ママと二人で暮らしたいところだ。
自転車で十五分くらいのところに駅があってそこから電車に乗って学校へ行くのだけど、先週のことがあったので、紅花は若ママに車で送ってもらっている。とても楽だ。
だけど、そこにいらぬ人物がいる。
「……」
なぜか、後ろににこにこと日高少年が座っていた。鞄とともにクッションも持っている。
「ありがとうございます。ちょっと電車に間に合いそうになかったので」
「いいの、いいの。せっかくお隣さんだしね。この間もらったお野菜、とても美味しかったわ」
日高家はあの辺一体の大地主だという。周りに見えていた畑や田んぼやビニールハウスは大体、日高家のものらしい。
田舎に見えるとはいえ、通勤圏内に首都圏、飛び地は駅前にあるとのことで、見た目の地味さの割にけっこうなブルジョワだ。
「はい、母が持って行けと。お口に合えば幸いです」
とても賢そうな喋り方をしているが、身体は左右にぐらぐらと動いていた。クッションをぽふぽふ叩いている。
うん、大体、こいつの魂胆がわかった。
「日高くん、しばらく時間かかるから、寝てたらどう?」
甘い甘い言葉を少年にかける。
「そんな、悪いよ」
そういいながら、少年はクッションを後部座席の端っこに置き、靴を脱いでいた。
「せっかくのせてもらったっていうのに」
そう言いつつ、後部座席に横になり、欠伸をする。
しばらくしないうちに、寝息が聞こえてきた。
「……図太いわね、こいつ」
ぼそっと紅花はつぶやくと、しばし若ママとのおしゃべりタイムを楽しむことにした。
後ろのにゃんこ少年はいなかったものとする。
学校付近につくと、紅花は涎を垂らした少年を起こさなくてはいけなかった。
少年はクッションだけ持ってふらふら歩きはじめるので、鞄を忘れていたので無理やり持たせてやる。というか、靴下のままふらふらしている。靴も履かせてやる。
校門から少し離れたところで車からおろしてもらったので、離れて歩こうと思っていたのに。
ふらふら歩く少年は危ない。下手すれば、クッション顔に突っ込んだまま、歩道から飛び出しかねない。
紅花は道路に飛び出しそうになる、少年を引っ張りながら学校に行く羽目になった。
そして、紅花の苦労を余所に、少年は鰹節を寝ぼけながら食べていた。
なんでこんな奴に助けられたんだろう。
心底、不思議に思う紅花だった。
結局、学校の門をくぐるまで引っ張ってやった。
校舎内に入ると、どことなく消毒臭かった。多分、休み中業者が入って、学校内にいる粘性生物を駆除したのだろう。
本当ならゴキブリ扱いの生き物なのに、どうして食われるまで何もできないものか。
粘性生物は明らかに異常な強化をされていた。物理面ではなく、他の要素で。でなくては、人に擬態して襲うなどという高度な能力はないはずだった。
なんらかの呪いが発生していると言われたら、妙に納得がいくわけだ。
まさか呪いなんて思いもしない。
基本、理系が多い山田家では思いつかない話だ。紅花の体質については散々、科学的な面で検査してきたというのに。
実は、紅花はそのことをなんとなく気づいていたけど言いだせずにいた。おそらく言っても上手く説明できなかったからだろう。
それでも、検査によってわかることはいくつかあった。
そこでわかったのは、山田家には特有のフェロモンがあり、特に紅花はそれが強いということがわかった。しかも、何かの拍子でそれは急激に濃くなるという。
紅花がアレ、死亡フラグとも呪いともいう化け物の幻影を見たとき、無視しようとしたのはそのためだ。
アレを認識すると、その濃度は極端に高くなり、呼び寄せてしまう。
教室では、先に来ていた生徒たちがのん気に駄弁ったり、宿題をしていた。
少し早く来たかも。
紅花はちょっと後悔した。
机に座るなり周りをクラスメイトたちに囲まれた。
「山田さん、珍しいね、この時期に転入なんてさ」
気が強そうな女生徒とその取り巻き二人というところだろうか。ちらちらと他の生徒たちがこちらを見ているのが気になる。
「うん、ちょっと家庭の事情で」
「でも、試験難しかったでしょ? ここ、それなりにレベル高いから」
なんとなく値踏みされている気がした。
よくあることだし、女の子同士なら日常茶飯事だ。いつもどおり、当たり障りのない返事をして、飽きるのを待つ。
「それでどこに住んでるの? 好きな芸能人とかいる?」
なかなか飽きないので困った。
あと五分ほどで、ホームルームが始まる。
質問ばかりするのに、その返事の内容にはあまり興味がないようだ。興味がない答え方をしているせいもあるだろうけど。
「ああ、もう時間になっちゃう。じゃあ、これ最後ね」
「うん」
ようやく終わるとほっと息を吐いた。
その次の瞬間、吐いた息がそのまま止まってしまった。
「朝、日高くんと一緒に登校してたよね」
「……」
きゃっきゃっと女生徒たちが甲高く笑う。紅花の隣では、クッションに顔を埋め、幸せそうな顔をする生き物がいる。
紅花の体質は普通の人間とは違う。けど、生まれてから十二年、もうすぐ十三年になる精神的には幼い個体だ。
そういうわけで、そんな質問をされるとたとえそんなつもりはなくても、どうしても慌ててしまうものだ。
「えっと! たまたま、たまたまだから」
「そうなんだ、ふーん」
にやにや笑うのやめて!
本当にやめて!
紅花の心の叫びがこだまする。しかし、それを面白い話の種を見つけたうら若き女子中学生たちの耳に届くはずがない。
おい、こら! そこ寝るな! 弁明しろ!
紅花は、左の席を見たが、日高少年は涎を垂らしていた。きっとお魚の夢でも見ているに違いない。
「おーいこらー、そこ。席に戻れ」
そんな真っただ中で、チャイムの音が鳴り響き、織部先生がポクポクと教室に入ってきた。
なんでもっと早く来ないんだよ、とどうしようもない悪態をつきながら、先生に礼をした。
紅花の性格は元々内気というわけじゃない。むしろ、気が強い方だと思う。
だけど、その性格はここ数年で変わりつつあった。
度重なる転校の繰り返しは、このお年頃の子どもにはけっこう影響がある。昔は、自然に作れていたものも、今では作れずにいる、いや、作らない方向でいる。
いつ、何時、なにかに襲われる可能性を持った紅花にとって、友だちを作ること自体危険が多いとわかっている。
朝の続きを休み時間にやられてはたまならいと、紅花はトイレに駆け込むことにした。もちろん、本当に駆け込むわけでなく、あくまで優雅にしゃなりしゃなりと歩くのだ。
そこのところは女の子だ。
個室に入るなり、ふうっと大きく息を吐く。
なにをするわけでもなく、携帯をいじる。
一応、学内では使用禁止だけど、そんなこと気にせずに使っている生徒もいる。適当にニュースサイトを見て時間を潰そうと、紅花は思う。
あっ、まだ、あってるんだ。
あるニュース記事でスクロールを止める。連続殺人事件を面白おかしく報道するニュース番組をどうかと思うけど、こうやって興味をひかれて見ている時点で紅花も同罪なのかもしれない。
海外ではよくあるシリアルキラーもどきの連続殺人だった。
被害者は若い女性ばかりで、専門家は勝手なプロファイリングをして民衆を混乱させている。
テレビでは細かく殺害方法について話してなかったのに、こちらでは事細かくでていた。女性は皆、首に毒物を注入されて殺され、その後、綺麗に着飾られて化粧まで施されているという。
うわー、と紅花が顔を歪める。
犯人の嗜好もさることながら、これ、絶対内部の人間漏らしてるだろ、という記事内容にだ。
不祥事事件が減らないわけだわ、と思う。
そして、その関連記事をたどる紅花も紅花もだけど。
そういうわけで、休み時間はあっという間に終わる。
お昼は、前回と同じく文芸部の部室を貸してもらうことにした。今日は、織部先生はいなかったが、千春さんはいた。
「こんにちはー」
「こ、こんにちは」
思わず声が上ずってしまった。先週出くわした化け物を思い出してしまう。
彼女には全く非がないのに申し訳ない。
「すみません、ちょっと握手してもらえませんか?」
「えっと、いいけど?」
ぎゅっと右手? いや、右前脚を掴むと、しっかりした蹄の感触がした、うん、本物だろう。
安心しながら、長卓の上にお弁当箱を広げる。
今日は巻き寿司とサンドイッチだ。
千春さんは今日も野菜サラダを食べている。
ふと気になって千春さんを見る。
「もしかして私のためにここにいるんじゃないですか?」
紅花は、恐る恐る聞いてみる。
「別に、ここならすぐ、原稿ができるもの。そういうわけじゃないわ」
さっさと山盛りキャベツを食べ終わった千春さんは、ノートパソコンを起動しはじめた。パソコンに山羊の形のシールを貼っているところをみると、私物らしい。
「それに、面白いものもここからだとよく見えるの」
くすっと笑って、千春さんは蹄で窓の外を指した。場所が三階ともあって外がよく見える。学園の後ろには森が広がっていて、そこへと続く裏門がある。
「この学校、けっこう古くて面白い建築物とか移築してるから、変な怪談が多いの。敷地も広いから、この時期、新入生は探検したがるのよ」
早速、裏門を抜け出そうとする生徒を発見する。
恐る恐る錆びかけた鉄格子をよじ登ろうとしていたが。
なにか物音でもしたのだろうか、急に裏門から一目散に逃げていった。
「?」
どうしたのだろうかと見ていると、裏門近くの木からなにかが飛び降りた。一瞬、猫かと思ったが、じっと目を凝らすと人型をしていた。
色素の薄い髪がはねているのがここからでもわかる。欠伸をしているようだ。
「でも大体の子は、裏門出る前に驚いて帰っちゃうみたいなのよ」
「そのようですね」
木から降りてきた人物に、心当たりがある気がしたけど、とりあえずスルーすることにした。
よく若ママが言うには、思春期のどうしようもなく冒険心のあふれた人間を見たら目を合わさないほうがいいらしい。
理由としてはあとで「そんなつもりはなかった」、「こんなことになるとは思わなかった」と浅はかな証言をする羽目になるらしい。
そしてまた、中学一年生と言えば、そのお年頃であり、浅い人生経験ゆえか、自分のできないことはないという妙な自尊心が芽生えている面倒くさい人種がこのクラスにもいるようだった。
「なあ、掃除終わったら裏の森探検しようか」
大変面倒くさいことをホームルームのあとに言ってくれる男子生徒Aくん。
「あっ、あれだろ。何か出るって話のやつだろ。森に入ろうとすると、なんかうめき声が聞こえるって話聞いた」
ご丁寧に状況説明をしてくれる男子生徒Bくん。
「ちょっとやめなよ、そういうの。怒られるよ」
「そうよ。なんかあっても知らないから」
女子生徒A、Bよ。知っているだろうか、そういう台詞はむしろあおるということを。
「なんか面白そう」
「おっ、来る?」
そこのゆるふわガーリー系女子生徒Cよ、燃料をそそがないでくれ。
こういう物の考え方に至るところは、若ママに似たのかもと紅花は思う。話に混じらない、第三者の立場が一番楽だ。
ああ、第三者のままなら。
紅花は机を移動しながら思った。今日から、紅花も掃除当番に参加している。教室の窓側の席、二列が今週、教室の掃除だ。
「ねえ、山田さん、一緒に放課後回らない?」
男子生徒Bが誘ってくれるが、正直、やめてほしい。
「ごめんなさい。うち、迎えに来るから」
「えー、山田さん、来ないの? ぜったい、面白いから」
男子生徒Aが言う。
それでもってその反応にゆるふわガーリーがむっとしているのが見えた。
「なんかあっても俺に頼ればいいよ」
ゆるふわガーリーにそう話しかけるのは新キャラの男子生徒Cでかっこつけている割には、三枚目だ。ゆるふわガーリーはじっと男子生徒Aを見ている。
なんかこの三分間で、妙な関係性が浮き彫りになったと紅花は思った。なんとなく男子生徒Aとは特に距離をとっておこうと思う。
しかし、優等生ぶっていた女子生徒A、Bよ。何気に話に混じっていて、全然手を動かしていないのはどういうことだろうか。
結局、その他のみなさんと机を運んでお掃除を済ませたわけだ。ちなみに、日高少年ははたきを持っていた生徒にからんでいた。猫じゃらしに見えたらしい。
そんなわけで、第三者の紅花は、そんな冒険心あふれる人たちとは一線引いて、普通に帰る――、予定だった。
「つーことで、メンバーはこれでいいな」
リーダーシップをとる男子生徒Aの周りに参加メンバーが集まる。待ち合わせは裏門の前で、昼休みに紅花が見た場所だった。
不思議なことに、その中に紅花と日高少年もいた。
実に不思議な話だ。
なんでここにいるのだろう。
その理由については、十五分ほど前のやり取りを思い出す必要があった。
『ごめんね。ちょっと、遅れそうなんだけど大丈夫?』
「うん、平気だよ。それより、事故に気を付けてね」
そんなやりとりを携帯でした。
若ママは交通渋滞にはまったらしい。ここらの交通網は、この時間混みやすい上、玉突き事故があったという。
ネットニュースで見る事故の規模を見ると、一時間は遅れるだろう。
玄関で待っていると、またアレに遭遇しそうなので、まばらに人がいる食堂あたりで待っていようと思っていたら、日高少年に会った。少年は食堂でライスに鰹節をかけて食べていた。横に焼き魚の皿があるが、こちらは先に食べてしまったらしい。小柄だが、少年も食べ盛りなのだろう。
「あっ」
少年は紅花に気が付くと、陽気に手を振ってきた。
しかも、ご丁寧に紅花が座った席の斜め前に移動してくる。
紅花は黙々と携帯をいじっている。充電がもう切れかかっているので、充電しながらパズルゲームをする。
周りはまばらなので、特に言われることはないだろう。
そういえば、コイツ、帰りはどうするのだろうかと余計なおせっかいが芽生えた。
「帰りどうするの?」
「帰りかあ、電車は何時だったかな」
携帯で時刻表を調べながら、ちらちらと紅花を見ている。
いや、そんなに見られても。
紅花は眉を歪めた。
「なに? 言っとくけど、うちのお迎えは一時間以上待つから。普通に帰ったほうが早いから」
前もって言っておく。正直、近くに座っているだけでも落ち着かない。早くどっかいってほしいけど、彼はもぐもぐ猫飯をかきこんでいる。
「そうなの。だったら、山田さんちょっと付き合ってくれない?」
「はあ?」
少年は茶碗の中身をかきこむと、ごくんと飲み込んだ。ただ、喉に詰まったらしく、胸をどんどん叩く。
紅花は慌ててヤカンを持ってくると、湯飲みに麦茶を入れて渡した。
「ふうっ、助かったよ」
「ごはん粒ついてるよ」
ちょんちょんと唇の横を指して見せる紅花。
「おっ、ありがとー」
少年は猫のようにぺろりと舌を一周させて、ご飯粒をとった。それから拳を使って顔を洗っている。
これは、本当に猫だなあとつくづく思う。
「暇だったら、裏の森、行こうよ。さっき皆が騒いでたでしょ」
「行かないから。そんなの、危ないでしょ」
紅花は目をそらしていった。
そんなもの、死亡フラグを自分から立てに行くようなものじゃないか。何、言っているのだろう、コイツと思う。
しかし、日高少年は懲りない。
「うん、危ないよ。でも、そういう危険を乗り越えないと人とは成長しないものだ」
冗談めかして少年は言った。そして、空になった食器を持って立ち上がると、紅花に近づいた。
「じゃないと、あの人たち死んじゃうから」
少年はぼそりと、紅花の耳元で囁くと、そのまま食器を返しにいった。
なによ、あいつ。
紅花は食堂のテーブルに突っ伏して、来なきゃよかったと猛烈に後悔した。
そして、その後悔は今に至る。
なんでここにいるんだろうな、私。
紅花は何度も自問して、そして答えが見つからずに終わる。
日高少年以外は、なぜ紅花が来ているのか不思議そうに見ている。特に、ゆるふわガーリーは特に見つめている、にらんでいると言ってもいい。
「五時半になったら帰るから」
それでもあと一時間はある。
それまでなにも起きなければいいと紅花は思いつつ、日高少年にこっそり耳打ちした。
「ねえ、そんな場所に行くって、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ、このままだと。でも、ここで止めたところで大惨事になることはかわらない」
どこか魚臭い少年の目は、先を見据えていた。
淡い色の目には、どんな映像が見えているのだろう。
「私が行っても大丈夫なわけ?」
「大丈夫じゃないけど、死ぬことはないはず」
無責任な言い方だ。ここで、紅花は帰っても問題ないはずだ。なのに。
「でも彼らのうち何人かは死ぬよ」
その物言いはずるいと思った。
門を抜けてすぐ森はある。なんの変哲もない雑木林で、地面には柔らかい腐葉土が積もっていた。森をさらに抜けると、山がありそのためだろうか少し勾配がある。
「ねえねえ、この先になにがあるの?」
男子生徒Aに聞くのは、ゆるふわ女子生徒Cだ。
「確か噂によると、古い祠があるらしいよ」
「へえ、そうなの」
可哀そうに男子生徒C、まったく気がない返事だ。
男子生徒Bは、女子生徒A、Bとともに歩いている。なんだかんだいいながら女子生徒A、Bはすごく楽しそうだ。
日高少年はといえば、あれだけ脅すような口ぶりだったのに、海老せんべいを食べていた。魚介類なら大体いいらしい。
正直、この中で一番気が重いのは紅花だ。たまに、女子生徒A、Bたちが気を使って話しかけてくるがそれならこんな場所に来ようと言わないでほしい。
それに日高少年はずいぶんのん気だが、本当にこの先死人がでるような場面に遭遇するのだろうか。雰囲気は、遠足のそれである。
そんな紅花の気持ちを感じ取ったのか、日高少年がまた耳打ちをしてくる。
「これから、僕が合図したら、僕の手を掴んで。そして、何があっても離さないで。いい?」
「わかった」
本当はよくわからないけど、一度助けてもらった手前、話は聞いておこうと思う。
彼にどんなビジョンが見えているのか知らないけど、それが助かる方法なんだろう。
歩いて十分もしないうちに、噂の祠らしきものが現れた。祠というより小さな神社といったほうが正しいだろうか。ぼろぼろの切妻屋根に、しめ縄がかろうじて引っ掛かっている。扉は空いており、中は三畳ほどの広さがある。
「はいってみようぜ」
威勢のいい男子生徒A、だんだん面倒くさくなってきたので少年Aで行こう。その少年Aが言った。
「なんか、怖いわ」
ゆるふわガーリーはわざとらしく少年Aにくっつく。少年Cがショックを受けた顔をする。
これといって紅花は怖いとは思わなかった。確かに木々に隠れて薄暗いが、まだ明るいし、なによりアレの気配は感じなかった。
ということは、紅花の身は安全だと思う。
そんな中、何か獣のようなものが横切った。
はて、と見るとタヌキに似た生き物がいた。
「なにあれ、かわいー」
おいでおいで、と少女Bが舌を鳴らす。
タヌキ(仮)は、それを見て驚いて神社の中に入った。
「あっ、待って」
少女B、それにAが神社に入る。
「おい、先行くなよ!」
それに続いて少年Aとゆるふわが入っていく。その瞬間、なにかが響くような音がした気がした。
「山田さん!」
日高少年はいきなり、紅花の手を掴むと、少年B、Cを押した。
そして、神社の中に入る。
中では少女Bがタヌキ(仮)を探していたが、見当たらないようだ。
床はぼろぼろで歩くと抜けそうな気がした。
「えっ?」
その瞬間だった。ばたん、とぼろぼろの扉が自然にしまった。
風のせいだろうか、紅花は扉を開けようとしたが、びくともしなかった。
首を傾げたその瞬間だった。
みしみしっという音とともに、床の底が抜けた。
そして、抜けただけならよかったが、その下には井戸があった。
「山田さん!」
日高少年がもう一度叫ぶ。これが合図なのだろう、紅花は少年の左手をしっかりつかみ直す。
日高少年の動きは早かった。さっきみたいに、少女A、Bを跳ね飛ばした。二人は衝撃で壁にぶつかる。
少年Aの腕をしっかりつかみ、少年Aにはゆるふわがしっかり掴んでいた。
合わせて百キロ近い体重に日高少年も井戸の中に引きずり込まれそうになる。
「きゃー」
ゆるふわの声がうるさい。石作りの井戸なので反響がすごい。
「はなさないで。はなさないで」
「なら、ばたつくな!」
少年Aが叫ぶ。
手を離せと言わないだけ優しいと思うが、ゆるふわにとってはそんな余裕はない。
「死にたくない! 早く引き上げてよ!」
日高少年は力を入れる、入れようとするが体重が引きづられて身体の半分が井戸に入り込んでいる。
「山田さん!」
紅花は、ようやく何をすればいいのか思い至る。日高少年の手を離し、少年Aへと手を伸ばそうとしたが――。
「僕ごと引き上げて!」
日高少年は手を離さないでと言った。
そのとおりに持ち上げようと、力を込める。
小柄な少年の体重も合わせて百四十くらいあるだろう。普通は持ち上げられる重さじゃない。
でも――。
「落ちる! 落ちる!」
「暴れんな!」
騒ぐ二人、壁に打ち付けられて放心している二人。
時間はなかった。
「行くよ!」
紅花は日高少年の身体に抱き着くと、そのままぐっと持ちあげた。雰囲気としては、マグロ一本釣りに近い、それを紅花一人で、三人を持ち上げた。
皆、唖然とする中、腕の中でみしりという感覚がした。
「っは!?」
やばい!
日高少年が唾を吐き散らす。その中に赤いものが混じっている。
しまった、加減を間違えた。
数日前、若ママが愚兄にやったことをはからずもやってしまった。
「早く、ここでよ……」
放心から抜け出そうとする少女Aが言った。
少年Aもハアハア、息を吐きながらも扉を開けようとする。しかし、開かない。
「おい! 開かねえぞ! どうなってんだ!」
叫んだところで開かない。ただ、井戸の中からひたすら生ぬるい風が流れて来て、手招きをしているようだ。
ただの井戸であるはずなのに、皆は恐怖におののく。
紅花は不思議なくらい怖くなかった。ただ、それは慣れによるものかもしれない。おそらく一般人にとって畏怖の対象であるそれは、紅花にとっては死を感じさせないものだったからだ。
例え、この井戸に落ちたとしても、紅花は生き残るのだろう、そう本能が感じ取っていた。
「……」
ぺっ、と血を吐いた日高少年が何かを言った気がした。
紅花は苦しげな日高少年に罪悪感を覚えながらも、何を言っているのか聞き取ろうと耳を寄せた。
「……せろ、む……」
よく聞き取れない、なんだ一体。
「失せろ、貉……、食われたいか」
一瞬、ぞくっとするような低い声だった。声変わり前の少年とは思えないすごみを帯びた声に紅花だけでなくその場の空気が凍りついた気がした。
その瞬間だろうか。
開かなかった扉が開いた。それと同時に心配そうな少年B、Cと目があう。
何があったのかと言われて説明できるものはいない。
唯一知っていると思われる日高少年は怪我をしていた。
彼を病院に連れて行くことが第一優先事項だった。
日高少年は病院に行き、紅花たちは織部先生にしっかり怒られた。
若ママにも怒られるかと思ったがそれはなかったのは、日高少年が事情を説明してくれたからだろう。
彼があのとき、紅花に自分から手を離すな、と言った理由がわかった。
日高少年はあばらを三本折る重傷だった。
獣人の彼は、それでも普通の人間より丈夫にできている。
もし、あのときあのまま少年Aの手を引き上げていたら、加減を間違えた紅花は、手首の骨を粉砕していただろう。
そうだ、自分もまた普通の人間でないのだと深く痛感する。
それでも、深さ数十メートルの井戸に落ちたら、即死だったろうと考えると、まだましだったろうが。
どうでもいい話だが、その後、あの井戸の底から無数の動物の骨が見つかった。イヌ科やイタチ科の動物のものが多く、昔、変な術者が蠱毒でも作ろうとしていたのだと推測された。
それでもって、貉というのはアナグマのことを言うらしい。
時に人を化かす妖怪として物語に登場する。