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獣王の息子  作者: 日向夏
29/32

27、少年だったもの、少女だったもの

「大丈夫?」


 颯太郎少年は、床に顔面をへばりつかせ、腰だけが間抜けに浮いた状態で言った。


「それ、そのままお返しする」


 紅花は呆れた声で言った。なんか、ごめんとかいうべきことかもしれないけど、なんとなく謝る気になれなかった。

 

 来るの遅い!


 それが言いたいところだけど、よく考えると勝手に首を突っ込んだのは紅花だ。颯太郎を責める資格はない。


「なんか変なの増えたわね」


 散弾銃の弾をいれかえながら真奈が言った。その目を細めてじっと颯太郎を見る。


 颯太郎少年もまた、真奈を見る。


「ねえ、ホンちゃん」


 颯太郎少年の目が変わっていた。薄茶の目が今は金色に輝いている。その中で瞳孔が大きくなったり小さくなったりする。


 金色になるのは不死者の特徴だ。感情の高ぶりや、不死者としての能力を使うと紅花も琥珀色からその色へと変わる。


 颯太郎のふわふわの猫っ毛が静電気を帯びたようにばちばちと逆立っている。


「あれらって、人間?」


 人間?


 その確認にぞくっとする。


 あれらとは真奈と駿のことだろう。そして、ここでいう人間とは……。


 紅花は首を横に振る。


「じゃあ、人外?」


 人外、ここでいう人外とは……。


 紅花は真奈と駿を見る。

 人としてのなりを保っているが、その生命力は人間のそれではない。だからといって不死者には及ばない。


 そして、それを補うために、手段を選ばない。


「……そいつらは」


 紅花は歯がみしながらいった。


食人鬼オーガよ」


 古床を食料としか見ない。紅花をパーツとしてとらえる。


 たしかに、可哀そうな面もある。だけど、それを理由にやっていいことの限度をこえている。


「わかった」


 颯太郎少年は、その瞬間消えた。

 消えたように見えた。


 足のばねをいかし、一瞬で真奈に迫る。真奈は思わず散弾銃を構えるが間に合わない。


 べちゃ。


 何の悪戯をしたんだと一瞬思った。颯太郎少年は懐から取り出したマヨネーズの容器ににたものの中身を真奈にかけた。

 どろっとしたゼリー状のものが彼女の背中にべったりついた。


 そして。


 懐から、ライターを取り出した。煙草に火をつけるタイプじゃなくて、バーベキューに使うような先が長いものだ。

 それを使い躊躇いなく真奈に火をつけた。


「きゃあああああ!」


 勢いよく彼女の身体は火だるまになる。彼女は床に這いつくばり、転がり必死に火を消そうとする。

 あのマヨネーズ容器の中身は液体燃料みたいだ。注意書きに書かれる絶対使っちゃいけない方法を颯太郎は躊躇いなく使っている。


 颯太郎少年はその間に真奈が落とした散弾銃を拾い、そのトリガーをへし折った。本来、へし折れるような構造ではない。でも、獣人であり不死化した颯太郎の力はそれくらい簡単にやってのける。


 駿はのたうちまわる真奈に近づくが何をすればいいのかわからずただ止まっている。

 颯太郎は彼にも容赦なかった。真奈と同じように火だるまになる。


 肉と髪の毛が焦げる臭いが部屋に充満する。床に火がうつり、落ちていたアンティークドレスにも燃え移っていく。


「紅ちゃん!」


 がしっと颯太郎少年が紅花の手を掴んだ。

 

「逃げるよ!」


 颯太郎の言葉に紅花は頷く。しかし、目線は焼けて苦しむ二人に向いたままだ。


「人じゃないんでしょ?」


 ぼそっと言った颯太郎の言葉に、紅花はびくっとする。人じゃない、だから颯太郎は躊躇いなくこんなことをやってのけた。

 

 紅花は床を蹴る。


「下に、地下に古床さんがいるの」

「無事?」

「たぶん、でも、下は窓もなにもかも封鎖されているから」


 今、颯太郎が入ってきた換気口から出るべきか。


 いや、思った以上に火の勢いが強い。


 紅花と颯太郎だけならともかく生身の人間だと皮膚がただれてしまう。


 階段を下り、颯太郎は正面の玄関に向かう。鉄板が埋め込まれた頑丈な扉に、いくつも錠前がかかっている。


「どうするの?」

「大丈夫、それより古床さん連れてきて」

「わかった」


 紅花は地下へ通じる階段を駆け下りる。開けっ放しの地下室には横たわった古床がいる。強く掴まれたあとが身体に残っている、でもそれ以外、外傷らしきものはない。


 ただ、一瞬、吸血鬼の一件を思い出した。あのときみたいになにか暗示がかかっていることはないか、そう思ったが、考え込んでいる暇はない。


 紅花は古床を肩に抱える。とても女の子らしい持ち方とはいえないけど、これが楽だから仕方ない。


 階段を駆け上がろうとした瞬間、壁際にある棚に目がいった。無地のラベルが貼られた茶色の瓶と、注射器が並んでいる。


「……」


 紅花は棚に空いた手をかけると、そのまま引き倒した。がしゃんと激しい音がするとともに、液体が床ににじんでいく。


 まだ地下室にはおぞましいものがたくさんあるが、壊して回る暇はない。そのまま颯太郎少年の元に戻る。


「紅ちゃん、もうちょっと待って」


 そういう颯太郎は、どこからか取り出したドライバーを手にしていた。そして、扉の蝶番のネジを外している。


 そういうことか。


 さすがに、ネジ部分を溶接することはしなかったようだ。


 器用にネジを外していくが、さすがにきつくしめられているためか、回すごとにネジが潰れていく。それで手間取っているようだ。


 早く、早く。


 急かしたい気持ちはある、二階からの熱い空気が混じっている。煙は高いところにいくが、あの勢いだと床が落ちてくるのは時間の問題だろう。


 念のため、紅花はポケットからハンカチを取り出しておこうと思った。古床に悪い空気を吸わせないためだったが、そこでようやく気付く。


「!?」

「僕のベスト使う?」


 紅花の心を読んだかのように、颯太郎が器用にベストを投げてよこす。思わず頭を殴りたくなった。でも、そんな暇ないので我慢する。


「しましまって紅ちゃんの趣味?」


 やっぱり殴った。


 散弾銃で撃たれた傷は再生したが、服は別だ。紅花の制服の上は背中が丸開きになり、スカートは金具が外れていつのまにかずり落ちていた。せめて下着が無事なだけマシと思うべきか。


 ベストを腰に巻き付けたが、颯太郎の作業はまだ終わらない。


「しまったなあ。先が丈夫な奴にしたからいけなかったか」


 ネジがドライバーに負けて潰れている、回そうに回せない。


 わかっているがそれが腹立たしい。まだ、一つなら引きはがせるのだろうが、上下一つずつ潰れている。


 熱気が上からどんどん漂ってくる。それとともに、肉と髪の毛が焼ける臭いが混じっている。


「!?」

「び、どいわ……いぎなり」


 濁った声とともに、ずるずるとした影が二階から降りてくる。


 焦げた肉と溶けた肉、それがはりつき蠢いている。手すりによりかかり、ゆっくりと降りてくる真奈。


 そのおぞましさに、紅花はぞくっとする。全身が粟立ち、足元からぬめぬめとしたあの感触がのぼってくる。


「やっぱまだ生きてるか」


 平然と言ったのは颯太郎だった。ようやくネジがとれたらしく扉ががくっと斜めになる。


 このまま隙間に手を入れて引きはがせばすぐ逃げられそうなのに、颯太郎は振り返ると真奈を見る。

 真奈の後ろには同じく、スプラッタホラーゲームにでてくるような姿の駿がいる。


 紅花はスプラッタになれているけど、治りが遅く、そこに苦しみをはらんだ二人の姿に目をそらしたくなる。


 ひゅうひゅうと喉から息が抜ける。


「……死なないわ」


 真奈の手には注射器が見えた。

 きっとそれでなんとか形を保っているのだろう。


「ねえ、なんで私……たちは、こんなに苦しまなきゃ、……いけないの? 生きるのは……それだけ罪なの?」


 突き刺さる言葉だ。真奈のまだ再生しきっていない目から涙がこぼれる。目蓋がないその姿はグロテスクという他ない。


「それになんで……こんなに生殺しにするの?」


 その言葉に紅花は颯太郎を見る。金色の目が細く冷たく真奈を見ている。


「普通なら死んでるはずだけど」


 躊躇いなく颯太郎は口にする。


「貴方たちがどうしてそんな身体になったのかわからない。けど、その再生の仕方だと不死者属性を持っているようだね。都合がよかった」


 不死者は火に弱い。細胞が熱変性すると再生しなくなる。叩いたり斬ったりするより有効な手段だと言われている。


「ひどい、びどいぃ」


 声を濁らせながら真奈が手を伸ばす。


 颯太郎は、冷めた目線のまま一歩前に出る。


「ひどくないよ。だって、君たちは生き残るために他を捕食してたんでしょ?」


 捕食という言葉に紅花はハッとなる。


「そして、紅ちゃんも食べようとしていた」

「食べない、てづだっでもらうだけ……」


 颯太郎は無表情のまま、首を傾げる。その猫を思わせる口元だけは愛嬌よく形作っている。


「そりゃ、死なないけど、食べないわけじゃない。きっと君たちは、それじゃあ満足しない。紅ちゃんが許し続ける限り、貪り続けるんだ」


 目をさらに細めて歪に笑う颯太郎。


「ねえ、自分に害がある蚊を叩き潰さない理由って慈悲以外の何だと思う?」


 紅花はぞくっとした。


颯太郎は真奈に手を伸ばす。


「君は叩き潰されたいの?」


 そこには大きな隔たりがあった。


 猫が鼠を弄ぶような、でも、その鼠はいくら危機になっても猫を噛みつくことはないだろう。それだけ心が折られていた。


 真奈は床に崩れ落ちた。ぼろっと炭化した皮膚が剥げ落ち、生々しい赤い肌が見える。ゆっくりだが再生はする。まだ、死ぬことはない。


 すうっと、紅花の足元にまとわりついていた亡霊だちが消えていく。


 彼女が折られ、完全に殺意がなくなったことを示していた。駿もまた、階段の手すりにすがりつき、ただ息を荒くしている。


 彼の衰弱は激しく、こちらは風前の灯なのだろう。


 薬はさっき紅花が棚ごと割ってしまった。たとえ無事なものを使ったとしても、どれだけ生きながらえるかわからない。


 外で激しいサイレンの音がする。


 二階の火に気が付いて近隣の住人が通報したのだろうか。あの野良犬とごみ出しで文句を言っていたおじいさんなのかもしれない。


 ごみからすごい臭いがすると言っていたけど、その臭いの正体が人間だとわかったらどういう顔をするだろうか。


「紅ちゃん」

「……なに」


 颯太郎がさっきまでの肉食獣の目とは違った表情で紅花を見る。


「悪いけど、先に出ることを優先してもいいかな。すぐ人が集まっちゃう」


 逃げることを優先する、つまり真奈と駿はそのままにしておくということだろうか。相手は殺人鬼だ、ここで止めを刺しておいたほうがいいに決まっている。でも、一方でこの二人にはもう何もできない、わざわざ手を汚す理由はないし、それによって逆に罰せられることもあるかもしれない。


 人外と食人鬼の境目は難しい。今回の場合、正当防衛と認められるか過剰防衛ととられるかわからない。


 それに颯太郎が火をつけたことが原因で今この騒ぎだ。彼にも罰が下る可能性がある。


「逃げよ」


 紅花は颯太郎に古床を渡す。半分ずれた扉を持つと、その蝶番部分を千切るようにとってしまう。


 颯太郎が火を使った理由を考える。


 一つはそれが相手に有効だと思ったから。


 もう一つは……。


 火事でなあなあにすることで、相手にとどめを刺すことを逃れようと思ったから……。


 と思うのは紅花の考えが甘いからだろうか。


 そうとは限らないけど、なんとなく紅花はそんな気がした。そう思うようにした。そうなると、紅花がやることは一つだった。


「逃げるわよ、あんなのほっておいても平気だから」

「……うん」


 颯太郎は内心は止めをさしたほうが、面倒がなくていいと思っているかもしれない。紅花が命令すればきっとやってくれるだろう。


 そんな真似はさせたくなかった。


「わかった」


 颯太郎はすかさずリビングに入ると、紅花の荷物を持ってくる。


「じゃあ行こうか」


 そういって、玄関をけ破った。



〇●〇



 はあはあはあ。


 熱い、痛い、苦しい。


 くすぶる空気の中、真奈は階段を這いつくばりながら下りていく。焦げた髪が臭い、炭化した皮膚が汚い、むき出しの皮膚が汚らしい。


 再生が遅い。だめだ、薬を。薬を。


 ようやく地下室に入ると、そこには倒れた薬棚があった。

 ひっくり返そうにも、力が足りない。中の薬瓶は割れているらしく床にしみ出ていた。


 あいつらがやったのか。


 そこに怒りはない、怒りが涌く以上に恐怖が上塗りされる。


 あの小娘だけなら可能だった。その能力は真奈たち二人の力を有にこえるが、その中身は脆い。どこか甘く情を捨てられず、まだ精神が子どもだった。ゆっくり切り崩していけば、食らうこともできただろう。


 でも、あの少年は何だろう。


 最初から躊躇というものが感じられなかった。きっと初手で焼き殺す気だった。そして、証拠隠滅を兼ねて屋敷を全焼させるつもりでいたのかもしれない。


 おそらく獣人の血が混じっている。不死者の少女を守ろうとするところから、その祝福を受けているのかもしれない。


 その余りある力に嫉妬が芽生えそうになるが、またしても恐怖で上書きされる。


 生かされただけ幸運だった。

 

 そうかもしれない。


 たとえ、こぼれた薬液を犬のようにぺちゃぺちゃとすすりながらも。


 数口すすって、ようやく炭化した部分が皮膚に生まれ変わろうとする。真奈は床にこぼれた薬液を口に入るだけすする。


 そして、階段を上っていく。


 兄さん。


 ひゅうひゅうと息をする兄を見つける。その肉はところどころ禿げ、筋肉どころか骨がむき出しになっている。


 真奈は崩れかけた兄の頭を持ち上げると、その口にさっきすすった薬液を流し込んだ。兄の舌が真奈の中に入っていく。栄養を、身体を修復するために求めているのだろうとわかる。


 口の中がからからになっても、兄は追加の薬液を望んだ。でも、もう真奈の口の中にも、地下室の床にも残っていない。


「兄さん、ごめん。もうない」


 だが、兄にはわからない。

 真奈にすがりつき、餌を求める子犬のように顔を近づける。


 ないの、もうないの。


 でもわからない。


 もう一度口が近づく、真奈の唇に兄の唇が触れ、そして――。


 噛み千切られた。


 皮膚の再生でさっきの薬の効果は使い果たした。じゅくじゅくと緩やかな再生はあるがそれ以上の勢いで、自分の身体がかけていく。


 ああ、そうだった。


 なんで、自分が父や母を犠牲にしたのか。


 何人もの少女たちを犠牲にして、兄を活かし続けてきたのか。


 その理由は――。


 自分が食べられたくなかったからだ。


 咀嚼する兄の皮膚が再生していく。


 肩を、首を、胸をかじりとられていく。


 ずっと憎んでいただろう。同じ日に、同じ胎から生まれた妹を。同じ病気にかかり、同じ手術を受けながら、兄と違い成功した妹を……。


 手術は実験だった。そんなの最初からわかっていた。成功体として存在する真奈は、失敗した兄を慰める手が思いつかなかった。


 ただ、肉を与え、餓えを紛らわすことしか。


 自分が食われないために。


 はははは、なんでそんなことを思ったのだろう。今になって真奈は笑えてきた。笑い過ぎて、涙が浮かんでくる。


 あれだけ苦しそうだった兄の顔が安らいでいる。小さなころ、大好きなプリンを食べているときのような幸せそうな顔だ。


 ずっとこれが見たかった。


 こんなに簡単な方法だったなんて。


 もっと早く食べさせてあげたらよかった。


 咀嚼音が続く、どんどん自分の体積が減る変わりに、兄の崩れた顔が戻っていく。


 前よりもっとかっこよくなったんじゃない?


 そう思いながら、真奈は目を瞑った。



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