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獣王の息子  作者: 日向夏
26/32

24、白い家 前編


 たしかここらへんだったはず。

 紅花ホンファは木の上から見た記憶を頼りに、生垣まで来た。低い塀を補うように二メートルほどの木が並んでいる。


 飛び越えようと思えば飛び越えられる。

 でもそれはちょっとやめておいた方がいいだろう。今日は半日授業なのでいつもほど荷物はないから楽にいけるけど、見つかるとやばい。


 木と木の隙間は案外狭い。どこから古床たちは出て行ったのだろうかと目をこらす。


「おい、何をしている?」


 生垣のところでもぞもぞしていると、後ろから声をかけられて驚いた。


 紅花はハッとなり、振り向く。


 いつのまに後ろにいたのだろうか、そこには初老の男が立っていた。

 白髪交じりの髪に、けだるそうか顔をした男は猫背でどこか引きこもりのイメージがした。


 なにをしていると言われても。


「そ、早退しようと思って」


 うん、正直が一番だ、堂々としていればいい。


 胡乱な目で男が紅花を見る。


「早退か、なら、ここで近道するな。ちゃんと校門から出ろ」

「は、はい」


 男はこの生垣に抜け道があることを知っているらしい。

 そして、他にも使う生徒がいるようだ。


 けっこう、物わかりのいい人なのか。


 紅花はほっとしながら、校門へと向かった。


 




 学校の塀をくるりと周り、紅花は生垣の外側に立った。


 学校の外に出たのはいいがこれからどうしようか。

 

 こういうとき、愚兄だったら。


 愚兄は家族の中で無駄に鼻がいい。犬並、いやそれ以上の嗅覚を持っている。古床の匂いをたどり、それを追いかけることくらいやってのける変態だ。


 紅花は、生垣の隙間を発見する。おそらくここから、出てきたのだろう。

 くんくんと鼻をならして、そこの部分を嗅いでみる。


 うん、わからん。


 葉っぱの匂いと土の匂いを強く感じるがそれまでだ。いや、ほんのわずかであるが、魚臭かった。これは颯太郎のものだろう。


 颯太郎ならもう古床に追いついているかもしれない。


 颯太郎の匂いをたどれば、と思って地面を嗅いでみるけど、残念ながらそこから先はまったく匂いがわからなかった。


「……」


 近くに誰もとおっていなくてよかった。紅花は素知らぬふりをして、四つん這いからたちあがると、制服のスカートを叩いた。


 本当に周りに誰もとおっていなくてよかった……と思ったときだった。


 鋭い眼光と目があった。


 生垣の隙間からそれはのぞいていた。

 痩せた貧相な犬が、じっと紅花を見ていた。


「……なんだあんたか」


 紅花はふうっと息を吐いた。


 大きな身体が隙間から這い出ると、紅花の前にちょこんと座った。ニートから逃げ回っているあの大きな犬だった。どこかばっちい毛並のあの犬である。


 犬はじっと紅花を見ている。くんくん鼻を鳴らしている。


 そうだ。


 紅花は、しゃがみこんで「チチチッ」と舌を鳴らして、おいでおいでする。

 これでくるかな、と思ったら犬は警戒してやってこない。


 むむっと紅花は眉を寄せる。


 ならば、こうだ、と鞄の中を漁る。ちょうど、小魚パックが入っていた。颯太郎餌付け用おやつだ。

 犬がぴくりと反応する。


 紅花は、犬に一歩近づいて小魚パックを振る。


「ほれほれ、食べたいか?」


 紅花はにやりと笑って犬に見せる。犬の口からだらだら涎がこぼれている。


「ほら、あげよう。食べるならお食べ」


 紅花はパックを開けて、小魚を手にのせる。

 犬はおそるおそる紅花に近づいた。そして、躊躇いながら小魚をぱくりと口にする。


 紅花はにやりと笑う、笑って犬の頭に手をのせる。


「たーべたねー」


 犬の顔があからさまに「しまった」というものに変わった。

 しかし、もう遅い。

 

「たべたら働かないといけないってうちのニートだって知ってるよー」


 頭を撫でながら、紅花は犬に言い聞かせる。

 犬に何を言ってもわからないだろうが、犬にはこれくらいわかるだろう。


 どっちが上で、どっちが下なのかってことくらい。


 犬が目をそらそうとしているので、無理やり視線を合わせる。


「ねー、ちょっと手伝ってもらいたいことあるんだけどな」


 言ってもわからないだろうけど、そこは根性でなんとか押し切る。

 ちらちらともうひとつ小魚パックを見せながら言い聞かせる。


「これと同じ匂いをした男の子見つけてもらいたいんだけど、できるかなー。できたら、これもあげるんだけどなー」


 古床の匂いはわからないけど、颯太郎の匂いならまだたどれるような気がした。


「……」


 伝われ、この思い!


「……くぅーーん」


 犬は怯えるだけだった。


 うん、無理だな。犬に頼むのもあれだし、人通りが少ないとはいえ、誰かに話しかけられているのを見られたら、危ない子に見られてしまう。


 仕方ないなあ、と紅花は立ち上がる。小魚は犬にあげてしまおうと開封して、鼻先に持って行った。

 すると、犬はくんくんと紅花の手を嗅いだ。小魚のにおいを嗅いで、そして、地面をくんくんする。そして、においをたどっていく。

 

 これは……。


 どうやら、熱意が通じたようだ。


 犬は数歩進むと、ついてこいと言わんばかりに、紅花のほうを見る。そして、においを嗅いでは走り、またにおいを嗅ぐ。


 紅花はぐっと手を握りしめると、犬の後を追いかけた。






 犬は学園から一キロほど離れたところで止まった。途中、路地裏を通ったり、民家を横切ったりするところは、いかにも颯太郎の通った道筋っぽい。


 けど、紅花は本当にこっちでいいのかと疑問に思う。

 颯太郎はともかく、古床がこんな場所まで来るのか。


 この犬、からかってんじゃないよね?


 紅花はじっと犬を見たけど犬は、そのあんまり可愛くない鼻をつーんとある方向へと向けた。


 緑に囲まれた古い家が一軒建っていた。周りを塀で囲まれていて、それをさらに覆い隠すように木と蔦が這っている。なんだか雰囲気は、学園の図書館に似ている。


 塀の中は民家のようだが、古い建物の割に小洒落た雰囲気が漂っている。海辺に似合いそうな白い家だった。

 ただ、その表札はなんだか大きくて、白く塗りつぶされている。


 誰かいるかな。


 なんとなく電柱に隠れながら、窺う紅花。

 付近は、昔は閑静な住宅街を目指してつくられた場所だろうが、今の雰囲気は閑散というものにふさわしい。


 犬は座り込んで尻尾を揺らしている。


 ふと、街燈に目がいった。街燈の下に、『矢坂部医院』と書かれた看板がある。少し、緑がかっていて古びた感じがする。

 

 ああ、なるほど。


 塀に囲まれた家は元々病院だったのだろうか。


 白く塗りつぶされているのは、医院の看板だろう。


 紅花は犬に小魚をあげる。犬はそれをぱくぱく食べると、そのままどこかへ行ってしまった。


 無責任な犬だ。


 犬だから仕方ないか。


 本当にいるかわからないけど、ここまで来てなにもしないわけにはいかないので意を決して、門の前に立つ。そして、中を覗き込むと――。


「なにか用?」


 後ろからいきなり声をかけられて、紅花はびっくりした。


 仰け反ったまま振り返ると、セーラー服を着た女生徒が立っていた。


 この人は……。


 見たことがあると思ったら、この間、犬に餌をやっていた人だった。


 手に紙袋を持っていて、中にたくさん食材が入っている。

 セロリやパプリカ、リンゴやバナナがのぞいていて、野菜たっぷりヘルシーそうな食生活を思わせる。


「い、いえ。あの学校にいた犬追いかけてきたら、その……」

「ああ、あの子ね。ふふ、ご飯が欲しくて来たのかな?」


 女生徒は門を開けて中に入る。古びた感じだけど、庭は綺麗にしてあり、本当にお洒落だった。


 食材を見たせいだろうか、紅花の腹がきゅーっと鳴った。

 恥ずかしくてお腹をおさえてそっと相手を窺う。


「お腹すいたの? ふふ、これ、食べる?」


 そういって女学生は紙袋からリンゴをとりだした。


「い、いえ。大丈夫です。お気遣いなく!」

「そう? でも大丈夫、学校は?」


 その質問をされるとつらい。早退しましたといったところで、その理由が犬を追いかけるためとは格好がつかない。


 口籠もる紅花に対して女子学生は察したようにため息をついた。


「んー、まあ、そういうのもあるよね。若いってことだし」


 若いって……。


 いや、あなたも高校生だろうがと紅花は思いながら、とりあえず不問にしていくれたことを感謝する。


 高等部のこの人もここにいるのは、テスト前だからだろうか。うちの学園では、高校二年生の半ばまでに三年の勉強を終了し、残りは受験に向けてそれ中心のスケジュールをとる。

 襟章はつけていないけど、たぶん三年生だろうなと紅花は思う。


「あんまりここらへんうろつかないほうがいいかもよ」

「どうしてですか?」

「それは……」


 すると、急に紅花の手が引っ張られた。ぐいっと身体が近づけられ、門の内側に入る。そして、門の裏に隠すように身体を押し込められる。


「えっ、えっ?」

「しーっ」


 わけがわからないまま、紅花は地面に座り込んだ。困ったことに、木々に覆われた庭の地面は湿っていて、スカート越しに嫌な湿気が伝わってきた。


 すると、足音が近づいてくるのが聞こえた。


「こんにちはー」


 女子学生が挨拶をする。


「ああ」


 低い声が聞こえてきた。


 おじいさんだろうか、声質から不機嫌さが伝わってくる。


「いい天気ですね」

「いい天気かい、そうだね。あんたはご機嫌そうでいいね」


 いかにも不機嫌そうにおじいさんらしき人が言ってのける。


「あんた、最近、また野良犬に餌でもやってるんだろ? ここらへんに住みついたら困るんだ、夜中に鳴き声もするしね」

「すみません。別にやっているわけじゃないんですけど。なんか、遠くから最近住み着いたのがいるみたいで」

「やめてくれよ。ごみの日とか荒らされたら困るんだよ。ごみ袋破れたら片付けもだけど、臭いがひどいってわかってるだろ」


 ぐちぐちとおじいさんは言うだけ言って、また去っていった。


 足音が聞こえなくなったところで、いいよ、と女子生徒が紅花を見る。


「ごめんね。近所の人なんだけど、あれこれうるさくてさ。ここに引っ越してきてからずっとなの」

「そうなんですか」


 紅花は湿ったおしりをちょっと憂鬱になって撫でながら言った。


「わっ、ごめん。さっきのせいで濡れた? もう、ここの庭、いっつもじめじめしてるのよ」

「いえ、それよりなんか面倒くさそうな人だったみたいで」


 どんな顔かわからないけど、とりあえず面倒くさそうな人に違いない。


「うん、私、この間、なに学校さぼってやがるって言われたの。多分、中学生なら意気揚々と学校に連絡するわよ」

「それは」


 それは困る。実際、さぼりだから仕方ないけど困る。


「ずっとここに住んでいるみたいだけど、ちょっとね。いちいちこちらに突っかかってくるのは寂しいのかしら?」

「そういう人って世の中にたくさんいますから」


 可哀そうかもしれないけど、ほっておくのが一番簡単な対処法だ。


「仕方ないと諦めるしかないわ」


 ふうっと女子学生が息を吐く。


「そうだ、そのままの格好で帰るのもなんじゃない? ちょっとうちの中で乾かしていかない?」

「えっと、そんな」

「いいの、いいの、はいはい、こっちにきて」


 そう言って、ぐいぐいと紅花の手を引っ張っていった。

 紅花はなすがまま、家の中に入った。






 中は見た目通り、お洒落な内装だった。地下室もあるらしく、上り階段と下り階段がある。


「はい、こっちね」


 案内されたのは広いリビングだった。

 お洒落なテーブルと椅子が二脚ならんでいて、棚には写真立てがたくさん並んでいた。


「はい、これ使って」

「ありがとうございます」


 紅花は渡されたタオルを受け取る。


 そして、濡れたおしりあたりをおさえる。


「ドライヤー持ってくるから。着替えのサイズはどうする」

「いえ、ドライヤーだけ貸してください」

「わかった」


 なんか申し訳ない気持ちになりながら、紅花は写真を眺めた。

 セーラー服を着た女子学生ともう一人男子学生がいた。男子学生は学ランを着ていた。


 他校の生徒かな。

 ここらへんで学ランなんて珍しい。


 なんだか微笑ましいなって思いながら、他の写真を見る。五歳くらいの二人の写真だろうか。たぶん、顔立ちから制服の二人と同一人物だろう。どこか面影がある。

 こちらの写真はデジタルフレームで時間ごとに画像が入れ替わるみたいだ。


 その写真の端っこになにか書いてあるので、じっと見る。


駿すぐる真奈まな、五歳』

 

 親の字だろうか、少し古ぼけて見える。


 いや、字だけじゃなくて写真は少し画像が悪かった。

 たぶん、デジカメじゃなくて、写真をスキャナーか何かで取り込んだのだろうか。はしっこにぼやけた日付が見える。少し画像を縮小しているのか、ちょっと読み取れない。


 他の写真も同様で、左端にどれも日付があった。


「やだ、写真見てる?」

 

 ドライヤーを持ってきた、おそらく真奈さんという名前の女子高生が言った。


「あっ、ごめんなさい」

「いいのいいの、そんだけ飾ってたら、見えちゃうもんね」


 紅花はフレームを棚に戻すと、ドライヤーを受け取る。コンセントをつなぐと、スカートの前後をずらして、温風を当てる。


「けっこうかっこいいでしょ?」


 これはのろけだろうか、その場合、どのような反応すればいいだろうか。


「は、はい、かっこいいです。お似合いです」


 嘘じゃない、けっこう格好良かったと思う。


 そう言うと、真奈さんはぷっと吹き出し、ゲラゲラと笑いだした。


 紅花は、えっ、えっ? と慌てながら、彼女を見る。


「あっ、ごめん。それ、彼氏じゃないから、それ、兄さんだから」


 腹を抱えながら真奈さんが答える。


「そうなんですか」

「うん、それでね、ちょっと悪いけどご飯の準備してるね。なにかいる?」

 

 紙袋からまたリンゴを取り出しながら、真奈さんが言った。


「いいえ、気にしないでください。乾いたらすぐ帰ります」

「そうなの。もっとゆっくりしていけばいいのに」


 そういって、真奈さんは奥へと行く。キッチンになっているようで、水音がしたと思ったら、とんとんと包丁の音が聞こえてきた。


 紅花はスカートに温風を当てながらもう一度、写真を眺める。

 たしかに改めて見ると、二人は似ている気がする。年齢を考えると双子だろうか。


 紅花は兄弟はいるけど、年が離れすぎてそういう実感がわかないので、見ていると新鮮だった。


 いや、こんなことしている場合じゃない。


 ふと、古床のことを思い出して、ドライヤーを切って棚の上に置こうとしたときだった。


 デジタルフレームの写真が切り替わった。二人がうつっているのは変わらないが、そこはベッドの上だった。二人ともパジャマを着ている。点滴をさしたまま移動する真奈さんと、ベッドに横になっている駿さん。高校生くらいのころだろうか、そうなると最近になる。

  

 元気になれてよかったね、と思ったときだった。


「……」


 紅花はドライヤーを置くと、フォトフレームの左端を見た。

 ぼやけた日付は、八月となっている。それは問題ない。


 だが。


 年号は今から三十年以上前を示していた。


 カメラの設定間違えたのかな……。


 そう思って他の写真立てをとる。

 フレームを外し、写真の左端を確認する。


 その日付もまた三十年以上前だった。


 そういえば、東都学園の男子制服はブレザーだ。けれど、昔は学ランもあった。女子の制服と違い、残ることはなかった。


 じんわりと汗がにじみだす。

 

 視界の端に、いつものアレがうつっている。なんだよ、これ、本当にどうなっているのと言いたい。


 まだ間に合う。ここで何事もないように逃げれば問題ない。


 とんとんとんとん、包丁の音が響く。


「せっかくだから、お昼一緒に食べましょう。兄さんも本当に喜ぶから」

「……いえ、おかまいなく」


 ごくんと唾を飲み込む。


 身体にうっすらとうねうねとしたアレが巻き付いてくる。まだ、力は弱い。こんなのもの無視しようと思えばできるし、振り払える。


 さっき、紅花は真奈さんになんなく引っ張られてきた。

 近所の人に見つかるからと、紅花をおさえこんだ。


 ははははっ。


 なんで気づかなかったんだろう。


 紅花は不死者だ。その体重は人の二倍近い。

 そんな人間を軽々と引っ張っていく、たとえ引っ張れたとしても違和感があるものを。


 紅花はそっとキッチンの方を見た。

 お洒落なシステムキッチンは綺麗に片付けられていた。

 きれいなお皿が並び、さぞや美味しい料理が作られるのだろうと思う。


 いや、思った。


 キッチンの隅っこに、ぐったりした古床を見つけるまでは……。ジャガイモやニンジンと一緒に、食材のように転がされていた。


 真奈という女は到底、普通の人間ではなかった。

 

 その瞬間、うねうねとしたアレ、死亡フラグは紅花の周りを取り囲み、不気味な口を開けてその餓えを満たそうとしていた。


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