20、新聞と鰹節のにおい
普段通り学校に行けばいい。
そうアヒム兄さんは言ったけど、紅花はそれほど割り切った性格じゃない。
若ママはいつも通り送り迎えしてくれるけど、結局、学校へ来ることはなかった。勿論、セーラー服もブレザーも着ることはない。
若ママの見た目は二十歳そこそこに見えるのだが、やはりそういうのを着ている姿を想像すると違和感がありすぎる。若ママは紅花が物心ついたときから若ママなので、同級生の格好をするのはどうにも受入れがたい。
対して、愚兄といえば、その話をちょっと聞くなり、どこからかセーラー服を持ってきて、引きこもっている若ママの部屋へと突入し、全身複雑骨折になって廊下に放り出された。
とりあえず、見下しておいた。
かわりに違う者を派遣するということで終わったが、どうなることだろうか。
放課後、紅花は図書館に行くことにした。
「うちの学校の図書館はちょっとすごいよ」
千春さんがそういうのだから、そうなのだろう。
芸術棟からけっこう離れている。図書館は高等部と中等部、どちらからでもいけるように渡り廊下が繋がっている。
温室もそうだけど、この学園にはなかなかいい感じの建築物が多い。
円柱の塔を短くしたような建物がそこにある。壁は煉瓦造りで外側には蔦が生い茂っていた。半分緑で半分赤茶色、とても趣がある雰囲気だ。屋根はドーム状になっており、異国のお城を思わせた。
中等部側と高等部側に入り口が分かれており、カウンターも二つあるが、中は一緒になっていた。
海外の図書館みたいだった。まるでファンタジー世界に迷い込んだみたいな不思議な構造をしている。一階は普通の図書館と同じようにただ本棚が並べられている。半分はテーブルのスペースで残りは本棚という配置だ。
ただ、その天井は高い。二階、三階と上層階の中央部分は吹き抜けになっていて、二階より上の蔵書はすべて壁側に埋もれるように本棚が配置されている。
いや、二階、三階というつくりとは少し違う。
壁にそって階段がらせん状にのびているのだ。それが本棚とともに上に上がっている。
正直、図書委員の皆々様は辟易とする造りだろう。本を大量に運ぶためだろうか。通路の脇に小さなトロッコが付いている。電動式であり、スイッチ一つで動いたり止まったりする。
趣味だろうな、この造り。
けっこう大きいけど、中心に柱がなくて大丈夫なのだろうか。上がドーム状になっているから、うまく力を分散させているのだろうか。
本棚は重くないだろうか、などと思う。
だが、機能性よりも遊び心いっぱいのそれを紅花は嫌いじゃない。若ママとか大好きそうなつくりだ。
はっ、いかんいかん。
ついつい楽しくなってそのまま図書館内を探検しそうになる。
紅花がしたいのはそれではない。
壁にかかった館内図を見る。
資料室は一階の壁際にある。
紅花はそれらしき区画へと向かう。
そこには特に密に本が埋まっていた。紅花は本棚の側面についている札を確認する。そこには地方新聞の名前が書かれてあった。
新聞の縮小版、それがここに置いてある。
紅花はその中の一冊を引き抜くと、次に隣の棚にうつる。隣の棚でも他の新聞の縮小版が置かれていて同じ年月のものを探して引き抜く。
そうやって全種類の新聞の縮小版を手にすると紅花は一番近いテーブルに座った。
まず全国紙のほうを手に取った。
たしか、三十年前の……。
そのくらいの時期のこの近辺で謎の連続殺人事件が起きていた。
あの先日解決したビスクドール事件によく似たものだった。
若い女性が殺され、着飾られて放置されるという事件だ。
紅花が気になっていたのは、この事件の詳細だった。
ネットではだいぶ時間もたっているし、個人で書いたものなので、どの程度信憑性があるのかわからない。
とりあえず正しい見識かどうかはさておき、その当時の資料として一番見やすいものが新聞だった。
紅花は小さな文字で埋め尽くされた中で、キーワードを探していく。
三十年前の九月、それが最初に事件が世間に明るみになった日だ。
三面に、大きく物騒な見出しが書かれている。
『行方不明女性、東都市にて発見』
死亡推定時刻は、記事の日付より一週間前。時期を考えると夏場ということもあり、だいぶよろしくなかっただろう。
いくら着飾られたとはいえ、腐敗は嫌でもすすむだろうから。
他の新聞も比べて見る。どれも大体、似たようなことが書かれていた。一紙だけ、全然関係なく野球の勝敗をでかでかと書いてあるところがあったが、記事が間に合わなかったのだろうか。
それから、記事は数日続くが、特に目立った進展がないのか、数日で下火になった。それから二か月ほどしてまた、新聞に新たな事件がのっている。
大体、二か月周期、それが一年ほど続いたあと、事件は収束する。
読んでいるとメディアも犯人像を想像しているが、迷走しているのがわかる。若い男性が怪しいとか、地元に根付いたものが怪しいとか、それだけならまだ理解できるが、こんなことをやるのは人外しかいないなどと決めつけているものもあった。その翌日、一面に謝罪文が入ったことから、どこぞの人権擁護団体に突っ込まれたのだろうと想像できる。
紅花は、ふうっと息を吐いた。
ネットで書かれていることとほぼ同じだ。
見るだけ無駄だったかなと思って、地方紙の記事を眺める。
ん?
それは、小さな記事だった。犯人は見つからず、だいぶ読者が飽きてきたと思われるとともに、その記事も小さくなる。
日々、犯人逮捕のためにがんばっております、という警察の発表を記事にしていた。その中で、ちょっとした警察バッシングをくわえている。それだけなら普通の記事だろうが。
その後、気になる一文が入っていた。
被害者は、殺害される数か月前に病院にいっていたというものだ。
同じ病院に皆通っていたなら、それで接点は見つかるがそこまでは書いてない。殺害された人たちの遺体は東都市で皆見つかったものの、被害者の出身地はばらばらだった。離れた場所では、飛行機の距離に住んでいた人もいる。
なんなんだろうな。
新聞には着飾られた人の内臓が切り取られていたとか、そういう話はなかった。
ただ、それも警察が発表していないだけで、今回の事件と同じ可能性もある。
そう思ったのは。
ビスクドール事件、最初の殺人を容疑者が認めていないことだった。容疑者が今更最初の事件だけ否定する理由はないし、なにより屍鬼化した原因もはっきりしていないからだ。容疑者の言葉を信じれば、最初の遺体によって感染していたことになる。でも、その感染源と思われる第一被害者はとうに火葬されている。
あくまで仮定だ。仮定として。
その最初の被害者イコール前にあった事件とつながっていたらという紅花の考えがあった。
その理由として。
最初の被害者は、東都市の近辺にある町に住んでいたからだ。
結局、わけがわからないままだったと首を振り、新聞の縮小版を戻す。
携帯の時計を見ると、五時になろうとしていた。課外授業を終えた受験生たちが、続々図書館に入ってきて、紅花は居心地が悪くなる。そういえば期末テストは来週あるのでそれで人が多いのかもしれない。
みんな、真面目だなあ。
カツカツと筆記用具の音が聞こえる。
三つくらい前の学校だったろうか、そこはけっこう荒れていたことを思い出した。図書館にお菓子を持ちこんで食べながら、文庫版の漫画を読んでいた小学生がいた気がする。
ここはそんな真似をする生徒はいないみたいだ。
と思った矢先だった。
ふっと鼻先に香ばしい匂いがした気がした。磯の香りというか、海産物の匂いというか。
普段かぎなれている匂いだった。
匂いの元をたどろうと、周りをキョロキョロ見回した。すると、中等部側の出口から見慣れた顔がこちらを見ていた。金髪に首にタオルを巻き、つなぎ姿の男だ。
なんなのよ、もう。
紅花がゆっくりと出口に近づくと、それに合わせるように金髪の、用務員は外に出る。
「おまえ、こんなところにいたのかよ」
周りに誰もいないことを確認して、用務員ことニートが言った。
「まだ、若ママ迎えに来ないから」
若ママだって忙しい。この学園に入り込んで、紅花を守るとはいったものの、それをやるには今まで仕事でやっていた責任を投げ出すことに近い。自宅勤務とはいえ、若ママにはちゃんと雇用契約をした会社があり、今日は定期の出社日だったはずだ。
「一応、人のいるところなら安全だと思うけどよ、そういうのはちゃんと伝えてもらいたい。俺が兄貴たちに怒られる」
「悪かったけど」
普段ならここまでがんじがらめにしないだろう。囮にするとは言ったものの、アヒム兄さんは紅花が可愛くないわけじゃないと思う。
若ママが来ない替わりになにか手を打っているはずだし。
「もし、なんかあったら、いつものアレとやらが見えたらすぐ連絡しろ。いいな。俺だって、いつも一緒にいられるわけじゃないからな」
「うん」
いつも一緒なんて、同じクラスにでも転入してもらわないと無理だろう。
若ママのセーラー服に続き、今度はニートの学ラン姿を想像する。
あれ、意外と合うかも。
見た目年齢は二人ともそう変わらないのにそう思ってしまうのはやはり変な感じだ。
学ランを想像したけど、男子生徒は普通のブレザータイプの制服だ。女子はなぜか、セーラー服とブレザーの二種があって、好きな方を着ていいことになっている。
一緒のクラスかあ。
ふと、紅花はさっき図書館内で嗅いだ匂いを思い出した。
香ばしい磯の香りにも似た匂い。
隣でいつも貪っている奴がいる。おかげで一時期、臭い移りをかなり気にしたものだ。
どくんと心臓が鳴った。
「おめーは一人じゃあぶねーからよ」
「残念、一人じゃなかったみたい」
「はあ?」
ニートが怪訝な表情を浮かべる中、紅花はなんとも言えない気分になった。
唇が微妙な形に歪む。ほっぺたがちょっと赤くなって照れくさいような気がする。
怖いと今でも思う。けど、それと同時に頼りになるって感じてしまう。
そういうのずるいなあって紅花は思った。
先ほどまで紅花は図書館にいた。
多分、颯太郎もいただろう。
中に鰹節の匂いがしたから。足音は消せても、臭いはなかなか消えるもんじゃない。そうそう鰹節と煮干しの匂いをまき散らしている中学生はいないだろう。
明日、言わなきゃ。
図書館では飲食禁止だと。
これで違うって言われたらかなり恥ずかしいなと紅花は思う。
でもそれでもいいかなって考える。
なんでもいいから、話しかける口実がないといけないと思う。
本当なら男の子から気を使うべきなのに。
紅花はそこが腑に落ちないと思いながら、ちょっとだけ顔がゆるんでいた。
「おい、なんか顔きめーぞ」
「うっさい」
ニートの脛に蹴りを入れた。
ニートが片足を押さえてうずくまっていた。




