17、ニートがニートたる理由
「ええっと、紹介しようかな」
紅花は颯太郎と恭太郎の前で言った。
颯太郎はいきなり飛び掛かって押さえこんだ相手ということで、悪い気がしたらしく地面の上に正座している。
そして、恭太郎といえばそれに対応して正座している。
それにしても、颯太郎と恭太郎は名前が似ているのでややこしい。
「颯太郎、こっちはうちのもう一人の兄で、ニートよ、恭太郎をやっているわ」
「おい、待て、妹よ」
恭太郎、以下ニートがこちらを睨んでいる。
「どうしたの? ニート」
「なんか間違ってないかい? 俺は今、このとおり職を得ているんだが」
つなぎ姿をぽんぽん叩く。そういえば、就職したと聞いていたが、ここだったなんて。アヒム兄さんは、無理やり枠に押し込んだと言っていた。
紅花は顔を歪ませる。
ニートはなんで紅花から逃げていたのか、想像する。
「こんにちは、ニートさん。颯太郎と言います。恭太郎をやっているなんてすごいですね」
「うん、坊主。ちょっと、体育倉庫の裏に来てもらおうか」
ニートは、颯太郎に苦笑いを浮かべる。
紅花は腕を組んで半眼でニートを見る。
「ところで何してたの。野良犬集まってたじゃない?」
「それな、前にやってたおっさんの引き継ぎだよ。下手に餌やらなくて餓えて人襲ったほうがまずいだろ?」
そう言ってニートはつなぎのポケットから、犬用のおやつを取り出す。
「一応、上下関係叩き込めば言う事聞くって言われてな」
「あんたみたいなのボスとして認識するかしら?」
「おい、妹よ。お兄ちゃん、さすがに怒るよ!」
とはいえ、ニートが就職したことはとりあえず祝ってやるべきだろうか。その過程が何であれ。
「ニート、あんたまだ用務員として新人よね」
「だな」
新人→にいと→ニート。
「結局ニートさんだね」
颯太郎が紅花の頭の中を読んだかのように言った。
「そうね。ニートね」
「おにいちゃん、泣いちゃうぞ」
ニートは情けない声を上げた。
紅花はこれくらいにしてやるかと、息を吐く。そろそろ若ママが迎えに来るころだ。
「じゃあ、私帰るから。ちゃんと仕事しなさいよ」
「おっ、おい、ちょっと待て」
「なに?」
ニートが紅花を止めるのでなにかと思えば。
「俺もそっちの家に帰るから。たまには顔を出したほうがいいだろう?」
ふーん。
大体、考えは読めた。
「皿洗いくらいやりなさいよ」
夕飯代を浮かすためだろう。
ニートは以前も、この洋館に住んでいたようで慣れた感じで前に使っていた部屋に入った。
埃っぽいが、オリガ姉さんと違ってそこまで気にするタイプでもないだろう。
若ママは、ニートが来たことに文句を言わなかったが、しっかり雑用を押し付けていた。
「恭太郎さん、洗い物すんだら洗濯物たたんでおいて」
「わかりました。奥さま」
確か、ニートのほうが年上のはずだけどいいように扱われている。
紅花はリビングでテレビを見ている。愚兄も隣にいるが、今日は我慢してやろう。ニートという邪魔者が増えて、内心むすっとしているに違いない。
ニートはすでに二週間ほど前からこの学校に入っていたようだ。たしかに、変な視線を感じ始めていたころと一致しないこともない。
監視者はニートなのだろうか。
「……」
紅花はふーんと、冷めた目でタオルを重ねるニートを見る。
たしかアヒム兄さんの手引きとか言っていた。それなら、あのときなんで紅花に説明してなかったのだろうか。
違う話にうつったから、言い忘れたといえば説明がつくかもしれない。
でも、そうなると、ニートが逃げ回っていた理由はどうなる。それに、もっと早く夕食をたかるためにこうやって家に来ていただろう。
紅花と、そして颯太郎の監視だろうと思う。
颯太郎が正気ではなかったとはいえ、無罪放免で彼を野放しにするほど山田家は甘くないと紅花は思っている。少なくとも、お花畑で仲良しになるとは思いづらい。
紅花が知らないところで、大人たちがなにか画策しているのかもしれない。ニートが髪の毛を染めて、カラーコンタクトレンズを入れてるところをみると、隠そうとしていたのもわかる。もちろん、顔を合わせた時点で見つかったけど。
本当なら、颯太郎は食人鬼の一歩手前みたいなものだから。
監視程度で済むならまだ優しいほうだと、紅花は思う。
ニートだって一応大人で不死者だ。紅花がなにかあれば、すぐ駆けつけられる利点もある。
紅花がこういう大人の考えに頭を悩ませるのは、正直無駄なことだろう。大人は大人なりに考えがあってやっていることである。
でも、それを理性的に納得できずに悶々としているのは、まだ幼いからなのかなと思う。
そういうわけで、正座して洗濯物をたたむニートの後ろに立つと、なんとなく蹴ってみた。
「おい、妹よ。何をする」
「気にしないで、八つ当たりだから。お風呂はいってくるねー」
「おい、なんだよ、それ。おい!」
ニートからタオルを奪うと、紅花はバスルームへと向かうのだった。
ばれてしまったあとでは、ニートはどんどん図太くなっていった。
紅花が若ママに毎日送り迎えをしてもらっていることをいいことに、ニートが我が家に住みつき始めた。用務員さんには一応、専用の宿舎が学校近くにあるらしいが、そこはあまり環境がよくないみたいだ。
そりゃそうだ。山田家なら部屋はあるし、食事はちゃんと出る。
正直言えば、例えニートがまともに就職しても、食費すらねん出できないことはまだ世間に疎い紅花でもわかる。エンゲル係数というものがあるらしいが、我が家はその数値が著しく高い。
紅花と同じく不死者であるニートの食費は軽く初任給をこえるだろう。
それは可哀そうだけど、それとこれとは別だと考えるのが、山田家の台所を預かる若ママだ。
お情けで、朝食と夕飯は出してあげてるが、お弁当まで作る義理はない。
そういうわけで。
「ねえ、あんまりこっち凝視しないでくれる」
紅花は古びたベンチに座っていた。手には大きなおにぎりを持っている。
颯太郎も同じくおにぎりを持っているが、こちらは少し歪な形だ。
場所は温室、天気がいいのでいつものごとく外で食べている。
紅花をじっと見つめているのはニートだった。
そこらへんに咲いていた花をつまんで口に咥えている。たぶん、蜜を吸っているのだろうが腹の足しにもならない。
「ほら、仕事戻んなさい」
しっし、と追い払うがずっとこっちを見ている。
ぎゅるぎゅるぎゅるっと腹の音が鳴り響く。
紅花だって、恭太郎をニート扱いするのには理由がある。愚兄とは違った意味で本当に駄目な男だ。
「いいのか、妹よ。このまま兄ちゃんを野放しにしても」
ニートはそう言って、新しい花に手を付ける。
「兄ちゃん、このあと犬たちにごはんをやるんだぜ?」
「それがどうしたっていうのよ」
紅花はタンブラーからお茶を飲む。
ニートはまるで花を煙草か何かのように口に咥えて、さらっと髪の毛をかき上げる。
「餓えた兄ちゃんは、たとえドッグフードでもご馳走に見えてしまう」
「……」
「むしろ、味はないが、スナックと同じ。いや、シリアルの一種だと思えば十分だ」
「……ねえ、なんで味知ってるのよ」
ものすごく駄目なことを言っている。なんだこのニート。
「残念なのはキャットフードのほうがもっとカロリーがあるんだけど、そっちの仕事は別の猫好きの先生に引き継がれてな」
「キャットフードはやっぱりウェットタイプがいいよね。カリカリはすぐ湿気るからなあ」
「颯太郎、あんたも何言っているの」
おにぎりを食べ終わった颯太郎は手の甲で顔を洗っている。眠たそうな顔をしており、温室の中央の木によじ登り始めた。干し草のベッドは数日前に雨が降って使えないので今日は枝の上で眠る気だ。
「餓えた俺はなんでも食べるぜ」
ニートが強気に言ってのける。
「それがなんだっていうのよ」
紅花も強気に言い返す。
ニートは髪の毛をもう一度かき上げる。金色に染めた髪はもう根元が黒くなっていた。
それでもって片目を大きく開いて見せる。本来、金色の目はカラコンによって黒く見える。
「最近の女の子たちはおませさんだねえ。名前とか携帯番号とか聞いてくるわけよ」
「ちょっと待って」
紅花の背筋にさーっと寒気が走る。
「確かお前と同じクラスの子も話しかけてくるんだよな。この間も、ドッグフード持っていたときにな」
「ちょっとまって」
ニートの名前は『山田恭太郎』、ごくありきたりな名前だ。
でも、黒髪に金目という特殊な色彩を持っていたら、大体の人間は勘付くだろう。
「お腹が空いてたら、人目を気にせず食べちゃうかもなー、俺」
やめろ! やめやがれ!
ねえ、聞いた。あの用務員って、山田さんのお兄ちゃんなんだって。
ええー、嘘! あの人、この間、ドッグフード食べてたけど!
本当、それってありえなくない? あっ、ねえ、私、山田さんがお弁当食べているところ見たことないんだけど、もしかしてさあ、ドッグフード食べてるんじゃない?
思春期の多感な時期である。紅花の妄想は、頭の中でクラスメイトの声に変換されて響き渡る。
それをニートがにやにやと見ている。
「紅花ちゃーん」
間延びした声に苛々しながら、紅花はスポーツバッグを開けた。放課後の間食用にとっておいたバケットを掴む。
それを槍投げの要領で構えると力の限り投げた。
食べ物を無駄にするなといわれるかもしれないが、ちゃんとそれはニートの手に掴まれていた。
ニートは咥えていた花びらをぺっと吐きだすと、バケットにかぶりつく。
紅花は地団太を踏みたい気持ちを精いっぱい押し殺して、デザートのリンゴに手を付ける。
「いやー悪いね、昼からの業務が忙しくてね」
「黙れ」
「なんかジャムかなにかないか?」
「ないわよ、そんなもん」
ほんとはチューブ式のバターがあるけどやるもんかと鼻息を荒くする。
それにしても、今日までよく野垂れ死ななかったなと思う。
ニートはバケットを半分ほど食べ終えたところで、思い出したかのように紅花を見た。
「そういや、変な噂聞いたんだけど知ってるか?」
「噂? どんなの?」
紅花が耳にする噂なんて教室に一人でいるときに流れ込んでくる周りの雑音くらいだ。昼休みもこうして出ているので、そんなに知っているわけじゃない。
「最近、変な連続殺人事件があってるだろ?」
「よくニュースであるやつね」
何だったろうか。若い女性ばかり殺されているやつだ。しかも、女性たちは皆、飾り付けられていることから猟奇殺人として扱われている。
「ここの高等部の女子生徒がけっこう前から行方不明なんだけど」
「……」
そこまで話を聞いたら、けっこう読めてきた。前に千春がいっていた東都市七不思議にあった連続殺人事件、それに酷似した事件だ。
「予想通りの姿で見つかったようだな。世間体も考えて、公表は控えているみたいだけど、マスコミが嗅ぎつけるのは遅くないと思う」
ごくんと紅花は喉を鳴らした。今、お茶を飲んだばかりなのに、急激に喉が渇いてくる。
ニートが紅花に近づく。バケットを全部食べ終えて、指についた粉を舐めとっている。そして、紅花が持っているタンブラーをとると、それをごくごく飲み干した。
「それでな」
潤した喉から低い声が聞こえる。内緒話みたいに紅花の耳元で囁く。
「相手は殺人鬼じゃなくて、食人鬼の可能性がある」
タンブラーが紅花の手に戻される。もう中身は残っておらず、紅花の乾いた喉は潤せない。
「飾り付けられたまでが、警察の公式発表。でも、飾り立てられた服の中はな」
内臓がすべて奪われていたらしい。代わりにミイラのように綿をつめ、縫合しなおしてから飾り立てられていた。
鳥肌が立つ。
寒気が全身を襲う。
なんでこんなことを言うんだよと紅花は悪態をつきたくなる。
それを感じ取ったのか、ニートはぽんと紅花の肩を叩く。
「オリガ姉やアヒム兄が何考えてるかわかんねえけど、俺としてはもう少しお前にオープンのほうがいいと思ってる。何も考え無しの馬鹿じゃねえだろうから」
そういってニートは大きく伸びをした。
「あー、今日こそは絶対捕まえてやる」
野良犬の中でまだ去勢を済ませていないのがいたらしい。生徒に害をなすなら処分だが、学校側の方針ではできるだけそういう殺処分をしたくないという。手術費やドックフード代は学校側から出してもらえるらしい。
「じゃあ、仕事いってくる」
そう言ってニートは温室をあとにした。
木の枝の上で、颯太郎は薄く目を開いていたことに、ニートは気づいただろうか。
わざとなのかな、それとも気づかずにやったのかな。
どちらでもいい。ただ、颯太郎はそれを聞いていたことは確かだろう。
まだ、口の中が乾いている。タンブラーは空だ。
紅花は、乾いた喉を潤すために自販機に向かうことにした。