15、お食事へ行こう 後編
世の中奇跡というものがある。
偶然に偶然が重なりあってできるもの。それを奇跡と呼ぶか、偶然と呼ぶかはその人の信仰の深さに起因すると思う。
ふうっと紅花は、ため息をついた。
きっと奇跡と正反対の偶然の重ね合わせがあるのは、もしかして信仰心の薄さが原因かなと思わなくもない。
なんか明確な宗派持った方がいいのかもと思いつつ、紅花は目の前の状況を白い目で見ていた。
テーブルの影に隠れて目の前に広がる銃撃戦を見る。
「なんか刑事ドラマみたいだね」
「だまらっしゃい」
わくわくしてはねた髪をぴくぴくさせている颯太郎。
どこをどう間違ったら、こんなに平和な島国国家でやくざの抗争に巻き込まれるのかなと思いつつ、紅花はまだ切り分けられる前の北京ダッグを手につかみ、かぶりついた。
時は一時間ほど前にさかのぼる。
「へえ、その子が颯太郎くんねえ」
黒い巻き毛に金色の目、メリハリのきいた服と体型をした女性が言う。色彩でわかると思うが、姉さんだ。名前をオリガという。
「姉さん、あんまりいじらないように」
「わかっているわよ」
アヒム兄さんの忠告に、オリガ姉さんが口を尖らせて反応する。
アヒム兄さんはスーツ姿のままだけど、お洒落さんなので仕事用のスーツとは別のものに着替えている。
オリガ、アヒム、不死男、紅花、名前が多国籍なのは気にしないで貰いたい。あまりにくだらない理由でつけられているので、深く語りたくない。
場所は、ホテルのエントランスにいた。シャンデリアがきらきらして綺麗で、真っ赤な絨毯が敷き詰められている。颯太郎がほへーと間抜けな面をしながら、周りを見ている。田舎者っぽくて恥ずかしいからと、紅花は背中を叩き、おのぼりさんをやめるように言う。
若ママがけっこう有名なところの中華を予約していたのだが、オリガ姉さんが来たらなんかホテルマンの雰囲気が変わった。
支配人っぽい人がやってきて、
「山田さま。いらっしゃいませ」
「あら、ご無沙汰していたわね」
と、慣れた会話をしていた。
そして、若ママが予約していた席は、一階にある系列店のものだったけど、なぜか最上階に向かうことになった。
たしか、予約していた店の本店で、お値段もさらにグレードアップする。
VIP待遇という奴だろうか。直行のエレベーターに案内される。
「……さすがだわ、オリガ義姉さん」
若ママが震えている。きっと、高級中華に期待しまくっているに違いない。エレベーターに貼ってある、レストランの料理の写真を見てごくりと喉を鳴らしている。
ああ、若ママの心の声が聞こえる。
義姉さんが一番年長だから、義姉さんのおごりよね、という声が聞こえる。
この人数で、皆、暴食の腹を持っている。
颯太郎はちょっと尻込みしないかと心配だったが、お魚料理の写真を見て涎を垂らしていた。
たぶん、遠慮なんてしないだろう。
エレベーターはガラス張りになっていて、高所恐怖症の人にはたまらないようになっている。中庭とカフェテラスと日本庭園が見える。緑がなかなか目に優しい。人が豆粒みたいに見えて、これは落ちたら即死だとわかる高さだ。
チーンという音がして、最上階につく。最上階は三つに分かれていて、中華料理以外はお洒落なバーとフレンチのお店が入っていた。
薄暗い照明のお店に入ると、奥の円卓に案内される。
まだ、時間が六時と早いこともあるけど、紅花たち以外お客さんはいなかった。
通り過ぎたテーブルにたくさん予約と書かれてあるプレートがあったのでそのせいだろう。
座った早々、チャイナ服を着たおねえさんたちが前菜をどんどん運んできた。
前菜という割には、大皿一杯山盛りに持ってこられた。
「いつもありがとう」
オリガ姉さんが顔見知りらしい、チャイナ姉さんにいっている。多分、我が家の胃袋事情をわかっているのだろう。
高級店というと格式高い感じがするけど、ここはそうでもないところがうれしい。
ドレスコードなんてあったら困ったけど、それもないみたいだ。紅花は普段着のワンピースだし、颯太郎はそのまま虫網を持ってカブトムシでもとりに行ける格好だ。
中華にコース料理みたいな順番があるのかわからないけど、おかゆを最初から出してくれて助かった。一人鍋一つみたいに配られて、味付けの濃い料理と一緒に食べると美味しい。
「お酒どうする?」
「お義姉さん、帰り車なんで」
「ええー、つまんなーい」
「オリガ姉さん、やめてください。貴方も車じゃないですか」
「アヒム送ってよ」
「嫌ですよ、遠いじゃないですか」
オリガ姉さんとアヒム兄さんは別のところに住んでいる。仕事場が都内ということもあって通勤に便利らしい。
「じゃあ、泊めてー、いいでしょ由紀子ちゃーん」
「断る」
ぴしっと言ったのは、愚兄だ。愚兄の中では、これ以上、家の中に若ママ以外の生き物を増やしたくないのだろう。
颯太郎と紅花はひたすらご飯を食べる。
パフェといった甘味も悪くないけど、しょっぱいものも美味しい。颯太郎は、お魚がでてきて満足そうに頬張っている。
オリガ姉さんは颯太郎を少し複雑そうに見ていたけど、にっと唇を弧にする。
「ほら、颯太郎くん。お魚好きなの? もっと注文追加しようか」
颯太郎は目を輝かせてオリガ姉さんの方を見ている。口にはいっぱいお魚が入っているが、肯定の意は伝わっただろう。
オリガ姉さんがまるで居酒屋のオーダーみたいな感じで注文する。
やれやれといった風にチャイナ姉さんが注文を聞き届ける。
十九時を回ろうとしているくらいだろうか。
ようやく予約席の客が来たらしい。
屏風の向こう側が騒がしい。一応、間切りされているけど少し姿勢をずらせば、どんな客が来ているかわかる。
常識あるアヒム兄さんが「静かにしてください」とオリガ姉さんを止める。酒が入ってだいぶ出来上がっていた姉さんだが、それなりに一般常識を持ち合わせているので、ちびちびとお酒を飲む方向にかえる。
「そうだよ、お客さんに迷惑かけちゃだめだよ」
紅花もアヒム兄さんに同意したが、世の中、自分たちが気を付けていたところでどうしようもないことは多々ある。
やってきて団体客は、黒服の一団だった。
黒服、制服かな、修学旅行生かな、最近の学校はリッチねえ、と会話が続くわけがない。
何人かはサングラスをしていた。
何人かはスキンヘッドだった。
これ以上わかりやすすぎて何も言えない一団だった。
「……」
アヒム兄さんが怪訝な顔をする。
「なるほどー。自棄に愛想がいいわけだわー」
オリガ姉さんが納得したように言った。
「姉さん、そういう可能性があるなら最初から言っていただきたいのですが」
「だって、普通こうくるって思わないじゃない。ふーん」
なにがどうなっているのかよくわからないけど、オリガ姉さんにとっては珍しいことでもないらしい。
何か知らないけど、紅花にとってはチャイナのおねえさんが早く北京ダッグを持ってきてくれないかと、そちらのほうにそわそわする。
鼻のいい紅花には、こんがりジューシーな焼けた鳥肉の匂いを感じ取っていた。
黒い服の一団には、なぜか一人不似合な小さい人が混じっていた。もさもさした髪をしていて、随分若く見えた。
「ああいう人たちがこういう場所使うのって、お店側大変じゃないのかな」
颯太郎が率直に聞いてきた。
「店の事情もあるんだろうね」
そう答えたのは、若ママだった。
若ママは、ゆっくりと立ち上がると、なにやら周りを見渡す。そして、壁際に置いた椅子をいくつか持ってくると、屏風の後ろに置いた。
なにをしているのか意味がわからないけど、大人たちはそのまま会話を続ける。
「そう言えば、恭太郎就職したって本当?」
恭太郎というのは我が家のニートのことだ。
「ええ、ちょっとした枠が空いたもので無理やり入れました」
「大丈夫なの? それ、相手方に迷惑かけない?」
「そうなんですね、大丈夫ですか? 本当に。どこの会社に迷惑かけてるんですか?」
ニート、ニート酷いと思わるだろうが、直接血縁のない若ママがこういう風にいう程度に駄目兄貴である。
颯太郎はちんぷんかんぷんになりながら、お魚を頬張っていた。もう何匹食べているんだろう、紅花は野菜も喰えと、取り皿にサラダをのせる。
「恭太郎っていうのは、前に言っていたニートのことよ」
「そうなんだ、ニートなんだね」
颯太郎は頷きながらサラダを食べる。
チャイナのおねえさんがようやくこんがりした北京ダッグを持ってきてくれた。
テーブルの上に置いて、切り分ける準備をする。
「それにしても、大丈夫かしら。そんな風に恭太郎働かせて、矢でも降ってこないかしら?」
そんなときだった。
ズキューンと音が響いた。
冗談みたいにそれは屏風を貫通していた。そして、愚兄の眉間に埋まっていた。
愚兄は額に手をやると、三本の指でめり込んだ弾をきゅぽんと引き抜いた。
「頭がい骨で止まってるね。サイレンサー付で助かった」
「そうねえ、脳漿飛び散ると、さすがに食べる気無くすから」
そう言ってオリガ姉さんはエビチリと豚角煮の皿を手に取った。
それぞれ自分の好きな料理を手にする。紅花は北京ダッグを確保する。
その瞬間、若ママがテーブルを蹴りあげていた。
蹴り上げたテーブルに屏風の向こうから弾が何発も撃ち込まれる。
素早く、颯太郎と紅花をテーブルの影に隠す。
先ほど用意した椅子がちょうどテーブルを支えるようになっている。
アヒム兄さんは泡をふいたチャイナ姉さんを壁の影に隠していた。跳弾した弾が当たらないように、机を盾にして置く。
慣れたものだった。
そうだ、忘れかけていたが、これが日常だ。
別にフラグ体質者は紅花一人じゃない。
山田家は基本、死亡フラグを立てやすい家族だ。こうしてこれだけ集まってなにかが起こらないというほうが不思議なのだ。
「ねえ、颯太郎。あんた、あいつの死亡フラグ見えなかったわけ?」
紅花が隣に座り込む颯太郎に聞いた。ちゃっかりお魚は確保している。揚げた魚にあんかけをかけたものだ。
「僕のは見えるときと見えないときがあるし、例え見えても、あれが死人の顔に見えるわけないよ」
紅花がアレを見る時とはまた違った見え方なのだろう。
そう言われると、責めることもできない。
しかし、普通に魚を食らう姿を見て、こいつの肝はすわってやがるなと感心する。
頭の上や横に銃弾がかすめる。
一体、何が起きたのだろうか。
「多分、抗争だろうね。ただ、本当は、片方は和解するつもりだったんだろうけど、もう一方はそうでもなかった感じかな」
「どういうこと?」
「片方にサトリがいる。和解するつもりだったんだろう、サトリが相手の本音を読まなきゃね」
そう言って颯太郎は髪の毛をぐしゃぐしゃにして見せた。たぶん、あの中にいた妙に場違いな人がそれだろう。
「なんでわかるわけ?」
「うーん、匂いかな?」
そんなんでわかるなんて、やっぱ獣人なのかなと紅花は思う。
そういうわけで、北京ダッグをかじりながら今に至るというわけだ。
「跳弾には気をつけてね」
若ママが燕の巣スープを飲みながら言った。
「明日、ニュースになるわねえ。営業停止かあ。ここ、美味しいのに」
オリガ姉さんが春巻きを食べている。
「由紀ちゃん、営業が再開したら、今度、ここのバーに行こうよ。夜景とかきれいじゃないかな」
「悪くないけど、どうせならみんなでご飯がいいかな」
愚兄と若ママ、それぞれ角煮をつまんでいる。
「うーん、この後、おさまったとして、警察の事情聴取になるんでしょうか。いや、時間外だから明日になるか。居酒屋でもとっておきますか?」
「さんせーい。地酒あるところがいいわー」
大人組は慣れたものだ。
紅花とて初めてではないので、落ち着いている。
変かもしれないが、これが不死者の感覚だ。
おかしいかもしれないが、紅花が怖いのは死ぬことではなかったりする。
死ぬことではなく、奪われること、すなわち食べられることが最大の恐怖だ。
颯太郎は、こういう場面に慣れているのだろうか、本当に落ち着き払っていた。ちょっと物足りなさそうに、お魚最後の一口を食べてしまう。
「すみませーん」
突如、颯太郎が挙手した。
「はい、颯太郎くん」
少し酔っぱらったオリガ姉さんが指す。本来、不死者はアルコールもすぐさま分解してしまうそうなのだが、どうして酔うのか不思議でたまらないというのが、アヒム兄さんの見解だ。
「トイレ行きたいです」
「それは、お店出てエレベーターの左にあるから」
「では行ってきます」
しゅたっと立ち上がり、颯太郎が歩く。
銃撃戦はこう着状態に入っているとはいえ、尋常じゃない精神だ。
てくてくと歩いていく颯太郎に何人かは唖然としていた。わざわざ、撃とうとは思わないだけ親切だろう。
「あらーなかなか肝がすわった子ね」
「そうですね」
「……」
オリガ姉さんとアヒム兄さんはのん気にいっているがそういう問題じゃないと思う。元人間の若ママだけは、少し複雑な顔で颯太郎を見ていた。
「私もトイレ行ってきていい?」
「はいはーい、いってらっしゃーい」
オリガ姉さんがケラケラ笑いながらいった。しかし、その手にはなぜかロープのようなものが握られている。
愚兄やアヒム兄さんも同じようなものを持っている。愚兄がさっきから静かだと思ったら、テーブルクロスを裂き、ロープを作っていたからだ。
ふーん。
多分、これから先は、紅花もいないほうがいいようだ。止めようともしないのはそのためだろう。
「じゃあ、行ってくるね」
颯太郎を追いかけるため、紅花は速足で店の中を抜けていった。
異変に気が付いたのは、エレベーターの前だった。
直行のエレベーターは一つだけ。そのスイッチ部分が見事に壊されていた。割れたスイッチを押しても反応しない。
紅花はすぐさまトイレに向かう。
「颯太郎!」
返事はない。
そこに誰かの気配はなかった。恥かしながら他に誰もいないか確認しながら男子トイレを見る。誰もいない、個室も閉まっていない。
「いない」
そんなに時間も空いてなかったし、すれ違うこともなかった。
どういうことだろうか。
エレベーターが使えないとなると非常階段か。
そう判断して、紅花は階段を探す。
トイレの横に通路がありそちらに行くと非常階段の入口があった。
そこに入るとなにやら、扉が閉まる音が聞こえた。上からだった。
紅花は上へと向かう。扉は施錠されていたようだが壊されていた。南京錠が転がっている。
屋上は庭園になっていたはずだが、ここから出て見えるのはただの貧相な屋上だった。庭園部分はもっとずれていてこちら側にあるのは、貧相な柵くらいだ。
そして、その柵の前に誰かが二人いる。
一人は颯太郎、もう一人は黒服を着てもじゃもじゃの髪をした人物だった。
颯太郎が『サトリ』といっていた人物だろうか。サトリの手には拳銃らしきものが見える。もしかして、あれでエレベーターのスイッチを壊したのだろうか。
サトリは男とも女ともわからない顔をしていた。子どものようであるが、妙に老成した表情をしている。
その銃口を颯太郎に向けている。
なんだか、外に出にくい雰囲気だった。
「どうするの? それで僕を撃つの?」
颯太郎は普段通りの声で言っている。
そして、一歩一歩近づいていく。
「近寄るな」
サトリの声は低かった。声の高さで判断すると、成人男性だろうか。ただ、種族によって声が違うのかもしれない、そこのところはわからない。
「そんなこと言っても近寄らないわけないじゃないか。そう聞こえるんでしょ、いや、聞こえてきたかな? 有効範囲は平均して五メートルほどだっけ?」
そういってどんどん颯太郎は近づいていく。
「もう聞こえてるよね。僕がなにを言いたいのか?」
「うるさい!」
サトリの顔が真っ青になる。颯太郎に何を言われているのだろう。
ご丁寧にそれは、颯太郎の口によって説明される。
「君はここで隣のビルの非常階段に飛び移ろうとする。飛距離的には大丈夫、でも、落ちて死んじゃう。だって、怖くて身体が委縮してしまう、上手く飛べるわけがない。それはトマトみたいだよ。待っていたとしてもすぐ追ってが来てゲームオーバー」
「うるさい」
「そして、それを知った君は、非常階段から降りようとする、でも、遅い。下には君の裏切った黒服のおにいさんたちが待ち伏せにしている。これまで、君がたびたび嘘をついてきたことも発覚、ゲームオーバー」
「うるさい!」
颯太郎は中学生だ。背丈だけで言えば小学生と間違えられるだろう。
そんな彼に、おそらく成人であろうサトリはなにやら好き勝手に言われている。気持ちいいわけがない。
だが、サトリの顔色の悪さを見る限り、颯太郎のいっていることに心当たりがありすぎるようだ。
颯太郎はそれに付け込むように話す。さっきまで、ひたすら魚ばかり食べていた猫少年はどこへ行ったと紅花は思う。
あのときに似ている。吸血鬼と対峙したとき、そこにいたのはごく普通の猫又少年じゃなく、抜け目のない狩人の目をしていた。
「なにが目的だ?」
「目的? それはおにいさんを助けたいだけなんだけど。読めばわかるでしょ?」
サトリが黙る。黙って目を見開く。
「……この通り、僕はおにいさんを助けたい、だって命は大事だもの」
颯太郎はそう言ってサトリの前に立ち、拳銃を持った。どこからか取り出したのか、手にはさっきのテーブルの上にあったナプキンを手にしている。指紋がつかないようにだろうか。
「僕がおにいさんを助ける。だから、おにいさんも僕を助けてね。それでギブアンドテイク完了じゃだめかなあ?」
そういうと、颯太郎はにっこりと笑った。
僕も助けてね。
紅花はその意味が分からず、呆然と半分空いた扉の前で立ち尽くす。
「紅ちゃーん」
颯太郎が手を振る。
どうやら紅花がいることにはとうに気づいていたらしい。
「ちょっと手伝ってくれるー?」
颯太郎はそう笑いながら、サトリを小脇に抱えていた。