14、お食事へ行こう 前編
「よろしくお願いします」
そう言って車に乗り込んできたのは、颯太郎だった。制服ではなく私服、それはそうだ、今日は学校に行くわけじゃない。
車はいつものセダンじゃなくて、ワンボックスだ。後ろが広々としているためだろう。
運転席には、愚兄がいて、助手席に若ママがいる。
なんかその配置はむかつくけど、今日は颯太郎がいるので仕方ない。後ろの席には、紅花と颯太郎が座る。
今日は日曜日だ。六月の第三日曜日で、いつもの定期検査の日である。
そして、颯太郎にもこれからその義務が課せられる。
不死者にもランクがある。ほんの少量であれば、たとえ不死者の血肉を得ても、不死者になることはない。傷があればそれを癒し、病があればそれを治す万能薬として力を発揮する。
紅花が颯太郎に血を与えたのはそのつもりでのことだった。
一応、検査を受けてもらうつもりだったが、不死化はしていなかったと思う。
ただ、その後、紅花を食らったことで、彼の肉体がどう変化しているのかが問題だった。体質によって極端に不死化しにくい人も多々いる。
だが、彼の旺盛な食欲を見たらその望みは少ないだろう。
不老不死に近い肉体を得ることは、幸運だと感じる人間は多い。
でも、その一方でそれが悲しいと思う者もいるということも忘れてはいけない・
昔、お母さんがいっていたことを思い出す。いつもは陽気でひたすら笑っているお母さんだったけど、たまに別人のようになるときがある。
お父さんが休眠状態になったときもそうだったなあ。
お父さんいつ目覚めるんだろう。
もし、颯太郎が不死者になることが嫌だったら、お父さんに頼んで元に戻してもらわないといけない。
颯太郎は車内についたテレビを見ている。アニマル番組の再放送で、出演者が振る猫じゃらしに目をらんらんとさせていた。
愚兄は若ママに延々と話しかけ無視されている。若ママはアニマル番組に出ているベンガルの子猫に夢中だ。
「……」
そういえばと、紅花は思う。
若ママは颯太郎が猫又ハーフ、いや正しくは先祖返り人虎だって知っているだろうか。
お耳も尻尾ももふもふで、でっかい肉球があることを知っているだろうか。
ふと嫌な想像をしてしまう。
若ママは、優しくて綺麗で賢くて物理的に強いけど、誰にだって弱点がある。彼女の場合は、その性癖に著しく問題がある。
紅花は、テレビに夢中な颯太郎の袖を引っ張る。
「なに?」
首を傾げる颯太郎の頭をがっしりつかみ、助手席からミラーに映りこんで見えない位置に移動させる。
「あんた、絶対、義姉さんの前で、尻尾とか肉球とか耳とか出さないでよ」
「なんで?」
「なんででもよ!」
前の席に聞こえないように話す。
従順な下僕たる颯太郎は、念を押すとこくりと頷いた。それでいい、下僕はそれでいいんだ。
そんな感じでやっているうちに医療センターに到着した。
颯太郎は、今回初めてということで、愚兄が付きそいをするそうだ。愚兄はけっこう同性に対して厳しいが、まさか中学生相手に喧嘩を売る真似はしないよなと信じることにする。
あれでも、見た目よりずっと長生きしているんだし、いい加減大人だと思いたい。
「ねえ、若ママ」
紅花は若ママの服を引っ張る。
「うん。今日もちゃんと予約しておいたわ。この間のところとは別のね。アイスを七キロ使ってるけど、大丈夫かしら?」
言うだけ言ってみるけど、若ママにとってそんなもの軽いと目が語っていた。そうだ、前回バケツパフェを食べたあと、行ったホテルバイキングではもう出入り禁止にされた。もう二度と来ないでくれと言われた。
若ママはそのあとちょっと落ち込んでいたけど、いつものことよ、と気を持ち直していたのを覚えている。
「颯太郎くんは甘いもの大丈夫かな?」
「あいつはなんでも食べるよ。私が食べなさいって言ったら。でも、熱いのはちょっと苦手みたいね」
猫舌だからだろうか。獣全般、熱いものが苦手なので、猫だろうが虎だろうが関係ないのだろう。
「若ママ」
「なに?」
紅花はふと思った。前回の検査のあと、ホテルバイキングで出入り禁止を食らった以外では、特にこれといった問題は起きなかった。
実に平穏だった。
ただ、それがいつもというわけじゃない。
紅花がやたら変な奴らを引き付ける体質なように、もう一人我が家には厄介事を呼び込む体質の人間がいる。
颯太郎から言わせてみれば、フラグ体質者というのだろうか。
なんとなく嫌な予感がするけど、大丈夫だろう。大丈夫なはずだ、と自分に言い聞かせつつ、紅花は若ママと別れた。
検査服に着替えて、またうろうろと検査にまわる。
今回、体重を測定したとき、いつもより七キロ軽かった。朝ご飯を抜いているけど、普段からその状態で測っているので、たぶん、颯太郎に食われた影響だろう。そのうち戻るだろうけど、それまでちょっと時間がかかるみたいだ。
もう少し早く検査をすべきだっかもしれないけど、いろんなことがあっていつも通りの日程しか取れなかった。
紅花たちが検査をする日はセンターの一部を貸切状態にしているので、それを考えると大変さがわかる。
一通り回ったが、最後の大きな検査のため待つ羽目になる。
休憩室に入ると、颯太郎が暇そうに足をぶらぶらさせていた。
「終わったの?」
「まだー、今、おにいさんが入っているよー」
颯太郎も紅花と同じく順番待ちらしい。
「あの愚兄にいじめられてない?」
「別に。ただ獣人化はおねえさんの前ではするなって」
ああ、なるほど。
紅花と同じ危惧を愚兄もしていたらしい。
颯太郎が足をぶらぶらさせながら、紅花を見る。
「ねえ、紅ちゃん、一個聞いていい?」
「なに?」
颯太郎は自分の腕を見る。採血の後、ガーゼがはられた部分を見て、血が止まっているか見る。勿論、止まっているし、それどころか注射の針のあとすら消えているだろう。それが不死者だ。
「獣人の不死者っていないの?」
「私は知らない」
紅花が知っている不死者は家族か、それ以外数人しかあったことがない。
「人魚との混血なら知ってる。あと、吸血鬼もちょっといるって聞いた」
でも、獣人は知らない。そういえば、そうだなと改めて思う。
「なんで?」
「いや、ただ、お医者さんっぽい人が『貴重なサンプルだ』って言ってたから」
「そうなんだ」
それは、困ったものだと紅花は思う。
愚兄が耳にしていたら、その研究者はもうここにはいられないだろう。
不死者を研究するにあたって一番大切なのは、熱心さはいらない。それを持っていた研究者は過去何人もいたが、不老不死の力に目を奪われた。
その結果、ろくでもないことになった。
いかに言われたことを言われたとおりやる、冷静で客観性を持った人間が、このセンターには集められている。
「あっ」
そういえば、と紅花はあることを思い出した。
前回いた研修医、左右田だったろうか。あの男を思いだし、本棚へと向かう。
場に似合わぬオカルトじみた本が並ぶ中、一番上の段を見る。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いや、前、ここにあった本がないなあって思って」
あの大きな本だ。
左右田は『獣王』とか言っていただろうか。あの恐ろしい虎の本がない。
わざわざ見せる必要もないか。
颯太郎は反省しているようだし、傷痕をえぐるような真似をするのは可哀そうだと、別になにか面白い本はないか探す。
そのとき、休憩室の自動ドアが開いた。
中に、きっちりスーツを着た眼鏡の男がやってくる。
黒い髪に金色の目をした細身の男を紅花はよく知っていた。
「その子が、颯太郎くんかい?」
「いきなりね、兄さん」
紅花は指に引っかけた本を、棚に押し戻す。
「おにいさん?」
颯太郎の顔を見る限り、兄さんとは初対面のようだ。
颯太郎はとりあえず、ぺこりと頭を下げる。
「初めまして、山田アヒムと言います」
眼鏡をぐいっと上げて、兄さんは颯太郎に右手を伸ばす。
「日高颯太郎と言います」
颯太郎はそれにこたえて、握手をする。
少し緊張しているのだろうか、手が半分獣化していた。
「獣人というのは本当のようだね」
「そうよ」
アヒム兄さんは、紅花と颯太郎に椅子に座るように促し、当人も座った。アヒム兄さんに気を使って誰か白衣を着た人が、お茶の準備をしてくれたが、紅花たちがいるので丁重に断った。
アヒム兄さんのスーツには、見慣れた製薬会社の名前と自身の名前が刻まれたネームプレートがつけられている。
アヒム兄さんは紅花と同じ不死者だけど、どちらかといえば調べる側の者だ。
「多分、いろいろな事情があると思うけど、今はそんなものを端折っておこうと思います。颯太郎くんも今はそんなことより、今の状況に慣れてもらいたいし、紅花だってそれでいいだろう?」
アヒム兄さんは、不死者らしい不死者だ。基本的に物事は合理的に考える。そのせいだろうか、一部例外があると妙に突き抜けたところがある。
愚兄はいい例だ。ああ見えてかなり不死者らしい。ただ、突き抜ける一部例外が、若ママを対象としているため、普段はまったくそういう風に見えないのだ。
「今後、君には日常生活とは逸脱したものが、生活の中に組み込まれてくるだろう。僕としては、できるだけそれを減らしたいと思っているが、そうなった以上、最低限の義務が生じる。そういうわけで、ちゃんと理解してもらいたい」
「はい」
中学生に対して、少し堅いものの言い方だけど、それがアヒム兄さんなので仕方ない。
「その点に関して生じる費用等は、すべてこちらが持つので気にしないでもらいたい。いや、むしろ、君がこうして検査するだけでそれらを十分補えるだろう」
アヒム兄さんの勤めている会社は、不死者の研究を行うことで新薬を作っている。今まで、獣人の不死者がいなかったことを考えると、十分価値があるのだろう。
颯太郎は「はい」と返事しているけど、正直よく理解していないようだ。ただ、本棚の書籍が気になるようでちらちら見ている。そういえば、こいつは変な妖怪図鑑とか見るのが好きみたいだ。
「今後、何かあるようだったら、相談にのるので、こちらに連絡して欲しい」
そう言って、アヒム兄さんは颯太郎に自分の名刺を差し出すと、立ち上がった。
腕時計をちらちら見ている。
「ねえ、兄さん、今日はまだ仕事なの?」
こんな兄さんでも、愚兄よりずっと好きなので、せっかく久しぶりに会えたからそのまま帰られると寂しい。
「定時は五時だよ。休日出勤でもね」
そう言って、紅花の頭をぽんぽん叩く。
「そのあとなら時間が空くと思うけどね」
「うん!」
どうせ今日はそのまま外食だ。颯太郎も一緒でいいかな、いや、紅花の命令は絶対だからついてきてもらうぞ、と思う。
アヒム兄さんはそのまま、休憩室を出て行った。
入れ替わるように、愚兄が検査を終えて入ってきたので、ものすごく嫌な顔をしてしまった。
アイス七キロパフェについて詳細は割愛させていただく。とりあえず前回から人員がプラスされた反応だと言っておく。
颯太郎少年はミントのアイスを苦手だった以外は、ごく普通に完食した。
追加でミルクレープを注文したが、ホールで九つ出してもらったところで、「もう店には在庫がありません」と言われた。
しっとりと美味しかったのに残念だ。
ただ、気になったのは、若ママが颯太郎の家のことを細かく聞いていたことだった。
「ねえ、ひいおばあちゃん元気?」
「うん、まだ大学で教べんをとってます」
たしか、颯太郎のおばあちゃんと知り合いだって知ってたけど、なんでひいおばあちゃんまで聞くんだろうと思った。
「ねえ、ひいおばあちゃん知ってるの?」
「うん、私のお母さんだもん」
若ママがにっこりと笑う。
颯太郎が目を丸くしている。
そういえば、昔、ここに住んでいたと言っていたし、それを聞くと辻褄が合うと紅花はぽんと手を打つ。
対して愚兄が少しばつが悪そうにミルクレープを頬張っている。
「……失礼ですが、おいくつですか?」
「今年、還暦かな。お兄ちゃん、いやおじいちゃん元気?」
つまり颯太郎の祖父が、若ママのおにいさんになるわけだ。
若ママは元々人間だって聞いていたので、紅花はそれほど違和感はないが、颯太郎は目を白黒している。
「お若く見えますね」
「そうかなあ、お義母さんのほうが若く見られるんだけどね」
そのお義母さんというのは、紅花の実母である。たしか千歳をゆうに超えていたはずだ。お父さんになるとその二倍は軽く生きているけど、それ以上前の記録が残っていないし、当人も忘れてしまったので何歳かはっきりわからない。
不死王が不老不死だと言われるけど、本当に死なないかどうかわからないし、老いるかもわからないが、人間の基準で言うと実際、そのようにしか感じないだろう。
若ママは颯太郎に家族のことをもっと聞きたいらしく、この後も夕食に誘った。
「ちょっと義兄さんと義姉さんが来るけど、お夕食いかが?」
そう言っているが、もう予約済みなのは知っている。
「姉さんも来るんだ」
「うん、ちゃんと六名で予約したよ。せっかくだから皆に顔を見せておかないと」
「……六名」
紅花は指を折る。
ここにいる四人プラス兄さんと姉さん。
それで六名だろうけど。
「ねえ、ニート忘れていない?」
「……」
紅花にはもう一人兄がいる。
ニートと呼ばれる兄は、そのままニートだ。
緊急時に電車賃すら払えないその男が、外食、しかもたかれると思う案件に飛びつかないはずがない。
なのに数に入れてない。
「忘れてたけど、まあいいか」
「そうだね」
紅花も若ママに対して同意する。
「いいの?」
「いいんじゃないかな」
愚兄も同意する。
可哀そうと颯太郎は思っているようだが、それが我が家のもう一人の兄に対しての態度である。
そんな男であるからして。