12、授業妨害とおにぎり
あれから何日たったかとか、よく覚えていない。
ただ、今朝、カレンダーが六月になっていたので、数えてみると一週間以上たったということがわかった。
あの日、紅花は颯太郎少年に食われた。ガッツリ食われた。もう左肩から首にかけてごっそり持って行かれた。
牙が食い込み、肉をさかれ、生きながら咀嚼された。
そのときの少年の瞳は、ただの獣であり、理性なんてものはなかった。
彼の耳は丸い獣のもので、尖った猫の耳のものとは違った。
なにがネコよ。
確かにネコ科は同じだけど、全く違う。
トラだった。
白いトラ、ホワイトタイガーだ。
毛並が輝くように綺麗だった。
少年の顔や身体は毛皮に覆われ、獣人というより獣になっていた。
一度死にかけたところを、紅花の血で甦らせた。しかし、そのために彼の中に眠っていた本能を呼び覚ましたのだろう。足りない血肉を補うため、一番近くにいた紅花を襲った。
いや、違う。
紅花の匂いに誘われたのかもしれない。
普通の人間にはわからないが、紅花は食人鬼や妖魔の食欲を刺激する匂いを持っている。捕食の対象として見られる、なんともついていない体質だ。
獣人の中には、祖先に人を食らう者たちが多くいた。現代でも、ごくごく一部だが、そのように暮らす獣人もおり、それらは食人鬼として扱われる。
颯太郎少年が死にかけたのはある意味自業自得だ。
大人に任せておけばいい案件に首をつっこんだからだ。
たとえ、それがクラスメイトの死を防ぐためとはいえ。
でも、それを考えると、紅花だって自業自得だ。
颯太郎少年なんて無視していればよかった。
若ママに嘘までついて、彼に付き合う理由なんてなかった。
彼を甦らせることもなく、放置していればよかった。
はははっ。
思わず笑いがでてきた。
たぶん、それは無理だ。
絶対無理だろう。
なんだかんだでお人よしなんだ、と紅花は思う。若ママに似たのかもと考えると、少しうれしい。
あのあと、紅花は蘇って、とりあえず颯太郎少年をどついた。
それくらいの権利はある。
そう思ってやったら、やりすぎたらしい。
ふっとんで頭をキッチンの角にぶつけて、颯太郎少年はまた生死の境をさまよってしまった。
その後、すぐ大人たちが迎えに来た。
若ママが雑居ビルに車のまま突っ込んだ。
応援を頼んだのか、その後すぐ姉さんと兄さんと愚兄が来た。ニートは電車賃がないから来なかったみたいだ。うん、ニートだから仕方ない。
若ママはともかく他の三人の前で、颯太郎少年のやらかしたことは誤魔化しようがなかった。
緊急で家族会議が行われたみたいだけど、紅花はその後眠ったため何を話していたのかわからない。
それから何日か眠り続けて、起きたら口に血の味がした。たぶん、眠っている間に、誰かが血をくれたのだろう。そのため、起きたときには傷は完全に塞がっていた。
お父さんの血があれば、もっと早く目覚めただろうけどしばらく無理だ。
いつになったら冬眠から覚めるか本当に不思議に思う。お母さんもそれに付き合わなくてもいいと思う。
カレンダーで月曜日と気が付くと、紅花はどうしようかと腕を組んだ。
数秒考えて、そしてクローゼットの制服をとる。
着替えてリビングに向かう。
「おはよう、若ママ」
「おはよう。どうしたの? その格好?」
パタパタとスリッパの音を立てながら、若ママが近づいてきた。
愚兄は、ミケを膝にのせてテレビを見ている。
「どうしたって言われても、学校いかないと」
義務教育期間中だし、なにより明後日から中間テストだ。いい点数はとれないかもしれないけど、テスト範囲くらい聞いておきたい。
「まだ休んでもいいよ?」
「行くよ。でも、電車には間に合いそうにないから、送ってくれる? あっ、お弁当ないか」
紅花はそう言うと、食パンを一斤つかみ、ブルーベリージャムを塗りたくって口に入れた。トーストしたほうが好みだけど、一枚一枚今から焼くのは面倒だ。
「由紀ちゃん、行っちゃうの?」
愚兄は腹が立つ甘えた声を出す。
「ええ、お留守番お願い。今日、お休みなんでしょ。できれば、お掃除とお洗濯と庭の草むしりと、来週の日曜日に町内会のどぶ掃除があるから、あらかじめやってくれると楽なんだけど」
「えーっ」
「そしたら、帰った後時間が空くんだけど」
「やっておくよ!」
愚兄はチョロイと思う。若ママにかかれば、どんなラノベヒロインよりもチョロイと思う。
若ママはせっせとお弁当の準備をした。いつもは小っちゃいおにぎりを重箱に詰めるけど、今日はサッカーボールみたいなのを作っている。
「手伝う」
紅花は、ふと思いつき、同じようにおにぎりを作った。
久しぶりの学校は別にいつも通りだった。
いや、いつも通りというには少し静かだった。たぶん、テスト前からかもしれない。
授業中でもないのに、みんな席を立たずに、教科書を見ている。
紅花は教室の一番後ろの席につく。
あれ?
隣に座っている人が違った。
いつもなら、そこにクッションに顔を埋めた颯太郎少年がいたのに、今日は名前も顔も覚えていない男子生徒が座っていた。
「……ねえ」
「えっ、なに山田さん?」
話しかけると妙に嬉しそうに返事された。向こうは名前を憶えているのに、こちらは知らないのが申し訳ない。
「どうしてそこに座っているの?」
特に他意はないが、妙にショックを受けた顔をされる。
「あっ、ああ。日高が変わってくれってさ。後ろだとつい寝ちゃうからって」
「そうなんだ」
紅花は教室の前を見る。
クッションに顔を半分埋めながら、鰹節お特用パックを食べている颯太郎少年がいた。
ご丁寧に、教卓のすぐ前だ。
「それより、肺炎で入院って大丈夫?」
「あっ、うん」
そういう理由で休みをとったのかと思う。紅花は物好きにも話しかけてくる隣のクラスメイトに生返事を繰り返しながらテスト範囲どれくらいだろうと考えた。
一時間目は社会だった。
天井から降りてくるスクリーンに、資料が映し出される。テスト勉強に当ててくれるかなと期待していたけど、どんどん次の授業に進むらしい。
颯太郎少年は、クッションを片付けてやる気かと思っていたが、先生の持つレーザーポインタの光に反応していた。
たぶん、瞳孔は真ん丸になっていると思う。
先生は大変やりにくそうだった。
二時間目は生物だった。
今日は、テスト範囲のおさらいのため教室で座学だった。
颯太郎少年は、煮干しを食べているところを、先生に止められていた。
進化論だかなんだかの話で、魚の絵が教科書にたくさん載っていた。
教室の前方から、ものすごいお腹の音がした。
発信地は颯太郎少年のお腹と見て間違いなさそうだ。
おそらく、紅花の血肉を食らったことで、体質が変わっているのだろう。不死者の燃費は、超高級車並みに悪い。
最初、煮干しを食べるのを止めていた先生だが、食べていいよと諦めていた。
三時間目は数学だったが、ぶーんと蠅が飛んできていた。少年が反応している。尻尾がピョコンとでて、蝿を目でおっていた。机の上に止まると、おしりをふりふりさせてかがんでいた。
なにが起きたのかは、想像にお任せする。
四時間目、果てていた。
間食用の鰹節と煮干しが切れたらしい。
ただ、腹の音で先生の声をかき消しながら、クッションに顔を埋め、省エネモードに入っていた。
ようやく午前中の授業が終わると、紅花はいつも食事をとっている文芸部部室ではなく、別の場所に移動していた。
いつもより重いスポーツバッグを抱え、広い校内を歩く。
この学園のいいところは緑が多いところだと思う。
だから、けっこう校舎内にいろんな生き物がいる。野鳥も多いし、リスもいるみたいだ。ただ、リスについては触ってはいけないと注意書きが書かれている。たしか、病原菌かなにかもっているからだったと思う。
学園の東側に行くと、特に緑が多いところを見つける。
転入初日に行こうとしてやめた場所だった。
鳥かごのような形の骨組がそこにあった。その中心に大きな木が一本生えて、その周りにいろんな植物が生えている。
昔はもっとちゃんとした温室だったけど、今は骨組を残すのみだった。
それでも、内部は誰かが手をくわえているのか綺麗に整えられている。
その中に、見覚えがある影を見つけた。
古びたベンチの上で、颯太郎少年がもぐもぐとお弁当を食べていた。小鳥が周りに集まっていて、ぴょんとはねた髪の毛を引っ張って催促している。少年はご飯粒を地面にばらまくと、それに小鳥が集っていた。
紅花は大きく息を吸って、吐いた。
心臓がばくばくしている、左肩に引っ張られるような疼きを感じる。
でも、それだけだ。
もっと、深い感情を持つべきところかもしれないし、普通はもつだろう。
それがないのは、紅花の育った環境が起因しているからかもしれない。
一度、苦手意識を持ったら早めに対処しなきゃダメ。
そう若ママが教えてくれたことを思い出す。
そうだ、せっかく学校へ来たんだから、ここのところははっきりさせないといけない。
颯太郎少年がこういう風に当たり前に学校へ通うなら、紅花も同じように振舞うべきだ。
そう言い聞かせて、前に進む。
小鳥がざわつく。
食べかけのご飯粒を放置して、みんな飛び去ってしまう。
颯太郎少年がベンチに座ったまま、紅花を見る。
「こんにちは」
「……こんにちは」
笑顔がどちらも堅い気がした。
そういうもんだろうと思う。紅花だって気まずいけど、颯太郎少年はもっと気まずいはずだ。
挨拶はしたものの、会話が続かない。互いに見つめ合ったまま、数秒が過ぎる。
そして、先に動いたのは颯太郎少年だった。
食べかけのお弁当を一気に口に入れて片付けて、ベンチから立ち上がる。
「ここ、すごくいい昼寝スポットだよ」
「きいた気がする」
「良く眠れるよ」
「寝ないの?」
「僕はごはん食べ終わったから」
ふーん。
紅花は半眼で少年を見た。
そこにあの獰猛な虎はいなかった。ただ、なにか表情を窺う飼い猫みたいな雰囲気だった。
今、彼の周りにあの気持ち悪いアレはない。
「ストップ!」
立ち去ろうとする少年を止める紅花。
そのままずかずか近づいてくる。
それに対して距離をとろうとする颯太郎少年。
「止まれって言ってるでしょ!」
改めて命令する。
こういうどこか偉そうなところは、姉さんに似ていると言われるが、今日はもうそれでいい。傲慢な女王様みたいな姉さんを見習おう。
立ち止まった颯太郎少年の腕を、有無を言わさず掴む。少年がびくりと動いたのは無視する、そんなの紅花には関係ない。
無理やりベンチに座らせる。
「ええっと」
「だまりなさい」
あくまで上から目線だ、そうだ、それでいい。粘性生物から助けてくれたし、肋骨をばきばき折ってしまったけど、今は紅花の方が貸しがある。
ひん死の重傷を助けたのに、いきなり食べられたのだ。これって、訴訟で十割勝てる案件だ。
黙った颯太郎少年の前に紅花はスポーツバッグをまさぐる。
中から大きなサッカーボールみたいなおにぎりを取り出す。
巨大おにぎりは二つ。きれいなものといびつなものがラップに包まれている。
紅花はむっと、二つのおにぎりを見て、眉間に皺を寄せる。
そして、形の悪いほうを颯太郎少年に差し出す。決定権は紅花にある、歪なんて言わせない。
「ええっと」
受け取った颯太郎少年は困惑している。
紅花は大きくふんぞり返る。ふんと鼻息を荒くする。
ここはちゃんとはっきりさせておかないといけない。
「そのお弁当じゃ、全然足りないでしょ! 空腹になってなんでもかんでも口に入れられると困るの! ちゃんとご飯食べなさい!」
颯太郎少年のお弁当は大きかったけど、あれじゃ全然足りない。また、空腹で授業妨害されてはたまらない。
「いい。それ食べなさい、残さないでよ。せっかく作ったんだから」
ふんっと鼻を鳴らすと、紅花はベンチの上に座った。颯太郎少年との間にスポーツバッグを挟んで座る。
そして、若ママ特製のおにぎりを頬張る。
颯太郎少年はラップをはがすと、口に入れた。
「おかか味?」
「いただきます言った?」
「いただきます」
紅花ももぐもぐとおにぎりを食べる。
勢いよく食べ過ぎて、喉に詰まりそうになる。すると、横から颯太郎少年がお茶を差し出す。
遠慮なく飲ませてもらう。
ひたすらもぐもぐとおにぎりを頬張る時間が過ぎる。
おにぎりを全部食べ終わったら、颯太郎少年がちらりと紅花を見る。
「……優しいね」
「うるさい!」
「なんか口悪くなった?」
「うるさい!!」
紅花は、今度はバケットに取り掛かって頬張る。
頬張って飲み込むと、少年を見る。
「……祝福をしてあげたから、私のために働きなさい」
その間は、祝福し続けてあげる。
傲慢な女王様を気取ったって問題ないはずだ。
そういう役割に徹するのだ。
「うん、わかった。お姫さま」
少年がするりと返したのを聞いて、思わず紅花は立ち上がり顔を真っ赤にした。
「ん? なに?」
何も思うことはないのか、こいつ。
そう思いながら、紅花は妙にむかついて、颯太郎少年の頭を引っぱたいた。悪いけど八つ当たりだ、八つ当たりだけど、謝る気はない。
地面に少年が埋まってデスマスクがついたけど、ご愛嬌だ。
どうでもいいが、テストが始まる前に、颯太郎少年は元の席に戻された。
理由については改めて語る必要はない。